家庭礼拝 2018年1月17日ルカ24章36‐53弟子たちに現れる

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起 

今日でルカ福音書は終わりです。年末で終わりにしようと思っていたのですが、2回分今年にずれ込んでしまいました。福音書はこれで全部終わりました。2010年3月から始まりましたので、ほぼ8年かかったと言う事になります。まだ書簡類がいくつか残っているので、今年中に全部終わるかどうかといったところです。黙示録は予定には入っていません。黙示録はあまりに難解では私には手に負えません。と言う事で、今年いっぱいでこの新約聖書の学びは終わります。9年かかって、やっと新約聖書が終わるだろうと言ったところです。

さて、今日の聖書の箇所は、イエス様の復活の場面です。それも11人の弟子たち全員に現れる復活の場面です。この復活を受けて、弟子たちはイエス様の復活の証人として、全世界に宣教を始めるわけです。ですからこの復活の話はすべての福音書に書かれています。でもそれぞれに違った書かれ方をしているので、少し比較してみてみたいと思っています。そしてまた、ルカ福音書の続編とも言われる使徒言行録にもこの復活の場面が書かれています。

まず今日のルカ福音書では、弟子たちが集まっていた家に、エマオから戻ってきた二人がイエス様に出会った話をしていた時に、イエス様自身がその場に現れました。そしてそこで、魚を食べられました。そして天に上られたのはエルサレムの近くのベタニア付近です。一方マタイ福音書では、イエス様の復活の話はごくわずかです。11人の弟子たちはイエス様が語っていた約束通りガリラヤに行って、山に登り、そこでイエス様に出会ったのです。マタイでは天に上る話は出てきません。マルコでは、エマオの二人が戻ってきた、その後、11人の弟子たちが食事をしているときにイエス様が現れました。そして弟子たちに話をしたあと天にあげられました。ヨハネでは何度もイエス様は弟子たちの前に現れます。まず、マグダラのマリアがイエス様に出会った日に、弟子たちが家の戸に鍵をかけて潜んでいると、イエス様はそこに現れたのです。ところがその時、弟子のひとりのトマスはいなかったので、イエス様の現れたことを信じませんでした。するとその一週間後、トマスも一緒にいた時にまた現れたのです。そして最後に現れたのは、ティベリアス湖畔すなわちガリラヤ湖畔で7人の弟子たちが漁をしていた時に現れて、パンと魚で朝食を取ったのです。ヨハネでは天に上る話は書かれていません。

この様に、イエス様復活の場面は福音書によっていろいろなのです。何となく似通っているところもあれば、全く違っているところもあり、これほど驚くべき出来事である割にはバラバラなのです。ですが全部に共通しているのは11人の弟子全員が復活のイエス様に出会ったこと、そして福音を述べ伝えるように命じられたことは共通しているのです。それでは、最後となるイエス様の復活の場面をルカ福音書の聖書から学んでいきましょう。

イエス様は弟子たちに現れました。それはいつ、どこで、どのような姿で現れたのでしょうか。36節から40節です。

ルカ 24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

ルカ 24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

ルカ 24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

ルカ 24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

ルカ 24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

 イエス様が現れたのは、エマオから戻ってきた二人が、弟子たちの集まっている家に戻り、イエス様に出会ったことを話ししていた最中でした。突然イエス様は弟子たちの真ん中に現れたのです。そして語りかけた言葉は、「あなたがたに平和があるように」という言葉でした。これはシャロームという、ユダヤでは普通に使われる挨拶の言葉でしょうが、弟子たちが、イエス様が殺された後ユダヤ人たちが弟子たちを捕えに来るのではないかと、恐れて、びくびくしていることに対して、恐れてはいけない、あなた方に平和があるようにと声をかけたのだと思います。

この場面に現れた、イエス様は、まるで時空を超えてどこにでも現れる、霊のような存在に思えます。ですがそれだけではないのです。イエス様は、普通の人間と同じ体を持って現れたのです。ですが弟子たちはそれが、亡霊だと思って恐れおののいたのです。イエス様は、私には肉も骨もあるから触ってよく見なさい。決して亡霊ではない。だからうろたえてはいけない、疑ってはいけない、と声をかけたのです。私達も復活のイエス様はどのような姿なのだろうかと思います。それは霊的なものなのだろうか、肉体も持っているのだろうかと考えるのですが、聖書では、イエス様は霊的にどこにでも現れることができ、肉体的に普通の人間と同じような姿をし、生活もしていると言う事が、語られているのです。イエス様は、手と足を見せて亡霊ではないことを確認するようにさえ言っているのです。

弟子たちはその事を、とても喜んだのですが、それでもまだ信じられなかったのです。それでイエス様はこう言いました。41節から43節です。

ルカ 24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

ルカ 24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、

ルカ 24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

弟子たちの中には、まだ信じられず、亡霊ではないかと思っている人がいたので、差し出された焼いた魚を取って、彼らの前で食べられたのです。聖書の中では、食事をする場面が沢山出てきますが、それは私たちを現実に引き戻す働きをしています。夢の中や、亡霊が、実際に食事をするはずがない、現実なのだと思わせる働きがあるのです。ヨハネ福音書でも、復活のイエス様が焼いた魚を食べる場面が出てきます。マルコ福音書では、イエス様が食べたという記述はありませんが、弟子たちが食事をしている時に現れました。ルカ福音書ではイエス様は、信じられない弟子たちのために、実際に焼いた魚を食べて見せたのです。

そしてイエス様は弟子たちに、復活なさって現れたことについてこう言いました。44節から49節です

ルカ 24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

ルカ 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

ルカ 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

ルカ 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

ルカ 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

ルカ 24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 イエス様は、旧約聖書に関しての新しい解釈について語られたのです。それは旧約聖書はイエス様について語られたものであると言う事なのです。イエス様はこう言いました。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」イエス様について書かれた、モーセの律法と予言者の書と詩篇、すなわちこれは今私たちが旧約聖書と呼んでいるものですが、ここに書かれたイエス様に関することすなわちメシアに関することは必ずすべて実現すると言ったのです。その実現する内容に関してさらにイエス様はこう語ったのです。それは、『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と言う事でした。イエス様は三日目に復活し、イエス様の名によって、全世界に福音が述べ伝えられ、罪の許しが与えられる、と言う事を死ぬ前に弟子達と一緒にいる時から言っていたではないか、それを思い出しなさいと弟子たちに語ったのです。ですからイエス様はユダヤ人やローマ人によって十字架で殺されたのではなく、復活して救いを与えるために神様の計画に基づいて死んだのだと言う事なのです。そして弟子たちに対して、あなた方はこれらの証人となって全世界に述べ伝えなさい。エルサレムから初めて、世界中にイエス様が復活なさったこと、罪の許しが与えられることを述べ伝えなさいと命じたのです。ですが、弟子たちはまだ弱く、ユダヤ人たちを恐れて家の中に引きこもっている状態でしたので、イエス様は神様が約束されたものをあなた方に送ると言いました。それは聖霊を送ると言う事です。その聖霊の力に覆われるまでは、エルサレムに留まっていなさいと語りました。この事がペンテコステの時に実際に起こって、弟子たちは聖霊に満たされて、世界宣教へと旅立つのです。私たちは、自分の力で先走って活動するよりも、聖霊の力に満たされるまでじっとその時を待って、時が満ちた時に活動を開始すると、すべての事が神様の力と導きとによって実現していくのです。

 復活されたイエス様は弟子たちを、ベタニアの近くまで連れていきました。そしてそこで、天に上られたのです。その様子はどのようでしたでしょうか。50節から53節です。

ルカ 24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。

ルカ 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

ルカ 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、

ルカ 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 イエス様は、手をあげて弟子たちを祝福したのです。そして祝福しながら、天にあげられていったのです。弟子たちはイエス様を拝みました。そしてイエス様が本当に復活して、天の神様のもとに帰られたことを信じたのです。そして大喜びでエルサレムに帰りました。もう家の中に閉じこもって、びくびくしている弟子達ではありませんでした。絶えず神殿の境内にいて、神様をほめたたえていたというのです。イエス様が死んだと思っていた人たちには、この弟子たちの喜びようがとても不思議に写ったでしょう。そして、イエス様が復活して天にあげられたと言う事を知るのです。イエス様がどのような姿で天に上られたのかをルカほど詳しく書いている福音書はありません。実際にそこにいたはずのヨハネによる福音書にはその記述はなく、やはりそこにいたはずのペトロから聞いて書いているマルコによる福音書でも、「主イエスは、弟子たちに話したのち、天にあげられ、神の右の座につかれた。」と簡単に書いてあるのです。これがルカによる続編である使徒言行録になると、もっと詳しく昇天の事が書かれているのです。そこにはこう書かれています。「こう話し終わると、イエスは彼らが見ている内に天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれる時、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。ガリラヤの人達、なぜ天を見上げて立っているのか。あなた方から離れて天にあげられたイエスは、天に行かれるのをあなた方が見たのと同じありさまで、又おいでになる。」こう書かれています。この場面は、女の人達が空の墓を見た時に現れた、輝く衣を着た二人の人が現れて、イエス様の復活の事を告げた時とそっくりの感じがします。ルカは聖霊によって、イエス様の天に上るさまを見せられたのかもしれません。ルカはその天に上るさまに、神の栄光を見たのかもしれません。

 イエス様は復活し、天に上られました。この事は残された弟子たちがみな信じた事柄でした。そして残された弟子達には聖霊が与えられるという約束が与えられ、弟子たちはその聖霊を待ち望むのです。そして、じっとペンテコステの日まで祈りつつその聖霊が下るのを待っていたのです。ついにその日弟子たちに聖霊が与えられたのです。弟子たちは、聖霊の力によって、全世界へとイエスキリストの宣教に旅立ちました。イエス様は、本当に復活した。この事を弟子たちは世界中の人たちに伝えたかったのです。私たちが信じるべき第一の事はその教理でも教えでもなく、ただイエス様は今も生きておられると言う事なのです。これがなくてはイエス様を信じることにはならないのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、今日でルカによる福音書が終わりました。これまでの8年間の学びの時を導いてくださり感謝いたします。この学びの内容はつたなくても、あなたが共に居て下さらなければ、このように長い間の学びを続ける事は出来ませんでした。いろいろな事がありましたが、一度も途中で投げ出そうとすることもありませんでした。それこそ奇跡のようなことが起こったのです。まだ新約聖書の学びが少し残っていますが、これからもどうかあなたが共に居て下さって導いてくださいますように。あなたが生きて今もおられることを信じて、これからも歩んで行くことが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆弟子たちに現れる

ルカ 24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

ルカ 24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

ルカ 24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

ルカ 24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

ルカ 24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

ルカ 24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

ルカ 24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、

ルカ 24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

ルカ 24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

ルカ 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

ルカ 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

ルカ 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

ルカ 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

ルカ 24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

◆天に上げられる

ルカ 24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。

ルカ 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

ルカ 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、

ルカ 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。