家庭礼拝 2017年12月6日ルカ22章54‐71 イエス逮捕される

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起 

いよいよイエス様は逮捕されて裁判にかけられます。今日の聖書の話はこの裁判の話と、ペトロがイエス様に予告されたように、3度イエス様を知らないと言ったことが、メインの話となっています。この事は四つの福音書全部に書かれているので、それだけ重要な意味を持っていたのですが、実はよく読んでみると、それぞれに違った内容の書き方をしているので、実際はどうなのか戸惑うところでもあるのです。

その中でルカによる福音書は、この裁判の出来事よりも、ペトロが3度イエス様を知らないと言ったことを、その経過も踏まえて詳しく語っているのです。ペトロがイエス様を知らないと言ったと言う事はイエス様を裏切ったと言う事です。ペトロにはそのことが深い心の傷となって、仲間や弟子たちに、自分がいかに罪深いものでイエス様をどのように裏切ったのかを何度も語ったのだと思います。初代基督教会では、ペトロは偉大な指導者となっていました。そのペトロが、自分はユダと同じ裏切り者だったと語り、でも、イエス様の愛と許しによって救われたと言う事を多くの人々に語っていたのです。クリスチャンがいかに正直で謙遜なものであったかを示すものです。

イエス様はゲッセマネでとらえられて、大祭司のもとに連れていかれ、最高法院で裁判を受けます。そして最後はポンテオ・ピラトのもとで死刑宣告を受けます。死刑を実施する権限は、ローマの総督にしかなかったのです。イエス様が、最初に連れていかれる大祭司の名前が実は二つ出てきます。マタイではカイアファとなっており、ヨハネではアンナスとカイアファが出てきます。マルコとルカでは単に大祭司となっています。実はその時の大祭司はカイアファで、アンナスはその前の大祭司でカイアファの舅に当たる人です。ですからその時の大祭司カイアファに対しても強い影響力を持つ人でした。

ルカによる福音書によるとイエス様が捕えられた夜は、大祭司の所に連れていかれ、夜が明けてから最高法院に連れていかれて裁判を受けたと書かれています。ところが他の福音書ではマタイもマルコもヨハネもイエス様の裁判は夜に行われたと書かれているのです。これは実は裁判の規定違反なのです。裁判は夜行われてはいけないのです。ですから行われたとしてもそれは正式な裁判ではないのです。しかもその夜の内に死刑判決をして、翌日ピラトのもとに連れて行ったと言う事には何か無理があるのです。ですから、ルカが書いているように正式な裁判は翌日行われたのであり、この夜の審問は正式な裁判ではなく、むしろ取り調べのようなものだったのではないのかと思います。なぜならば、そこは最高法院の行われる神殿ではなく、大祭司の家の中で行われたからです。そこでなんとかイエス様の有罪の手がかりをつかんで、正式な裁判にかけようという魂胆だったのだと思います。そこにこの大祭司が二人出てくることがカギになります。最初に連れて行った大祭司と言うのは前の大祭司アンナスの方で、彼がイエス様を尋問して、その告発すべき事柄をつかもうとしたのではないかと思います。そして正式な裁判をするためにはその時の大祭司カイアファに引き渡し、翌日最高法院を神殿で行ったと考えられるのです。最高法院で有罪とされたのは、神様を冒涜したという瀆神罪でした。ですが、ユダヤ人には死刑にする権限がないので、ローマの総督ピラトのもとに引き渡して、今度はローマに謀反を起こしたという政治的な罪で裁かれるのです。

この最高法院の裁判が夜行われたのか、明るくなってから行われたかというのはこの場面を理解するには重要な事柄です。私はルカが言うように、翌日明るくなってから為されたと考えます。ですがこの夜の取り調べの間に、二人のイエス様の弟子に大きな出来事が発生しました。一人はユダです。イエス様を裏切ったことを後悔し、自殺してしまいます。ユダヤ教でもキリスト教でも自殺というのはとても重い罪なのです。ですからこの聖書の中にもほとんど自殺の話は出てきません。旧約で出てくる自殺の話はサウル王とヨナタンが敵に追い詰められて、自殺する話が印象的な話です。ですから、ユダの自殺というのは、救いようのない罪に落ちてしまったという象徴なのです。もう一人はペトロです。ですが、ペトロはその裏切ったことを悔やみ大声で泣きました。そして、自分がいかに罪人かを語りながら、その罪の許しを願う信仰へと導かれたのです。このペトロの、イエス様を知らないという話はユダの話と対比させてきわだたせてあるのです。

さて、聖書を読み解いていきましょう。まず、54節と55節です。

ルカ 22:54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。

ルカ 22:55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。

 イエス様は捕えられて、大祭司の家に連れていかれました。勇敢にもペトロはそのあとをつけて、後ろからついて行ったのです。捕まれば殺されるかもしれません。最後の晩餐の時に、ペトロは「主よ、御一緒なら、牢に入っても死んでも良いと覚悟しております。」と言っただけの事はあるのです。ほかの弟子たちはどこに行ったのかわかりません。ですが実はペトロを大祭司の家まで手引きした弟子がいるのです。ヨハネ18章15節に、「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた、」と書かれています。このもう一人の弟子とは、ヨハネの事で、彼はあとで門番の女に話をして、ペトロを屋敷の中に入れるのです。屋敷の中では、まだ寒い時期で夜だったので、中庭の中央に火を焚いて、人々が一緒に座っていました。弟子たちが襲って取り返しに来るかもしれないと警戒していたのです。ペトロもその中に混じって腰を下ろしていたのです。案内されて入ったので、少し安心していたのかもしれません。

すると、突然別の女中が来て、ペトロをじっと見つめていたのです。56節から60節です。

ルカ 22:56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。

ルカ 22:57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。

ルカ 22:58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。

ルカ 22:59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。

ルカ 22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。

 ここで、ペトロはあなたもあのイエスの仲間ではないかというようなことを、この女中と、他の男と、さらに一時間後に来た男に3度も言われて、その都度、私は知らない、仲間ではない、何を言っているのかわからないと三度も否定したのです。ペトロはイエス様と一緒に死んでもいいと言ったのに、怖くなって三度も知らないと言ったのです。

この様にイエス様を否定したペトロに何が起こったでしょうか。60節から62節です。

ルカ 22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。

ルカ 22:61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。

ルカ 22:62 そして外に出て、激しく泣いた。

 ペトロが三度目の知らないという言葉を言った時、突然鶏が鳴いたというのです。その時ペトロはハッと思い出したのです。そして、イエス様を見ました。するとイエス様は振り向いてペトロを見つめられたと言います。非常にドラマを見ているような表現です。この事はルカにだけ書かれています。ほかの3つの福音書では鶏が鳴いた時にペトロはイエス様の言葉を思い出して、いきなり泣き出したという書き方なのです。ですが、ルカだけが、イエス様がペトロを振り向いて見つめられたことや、外に出て激しく泣いたと言う事を書いています。きっと、イエス様の「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた言葉を思い出した時に、その時のイエス様の顔を思い出して、見つめられたような気持になったのではないかと思います。

ペトロが、イエス様を知らないと言ったことは4つの福音書全部に書かれています。ペトロはそのことを隠しませんでした。ですから、教会中の人々がこの事を知っていたのだと思います。初代教会の大指導者であるペトロに、こんな弱い部分があったのだと言う事を隠すこともせず語り、それでもなお、イエス様は私を赦し、受け入れて下さったと言う、神の恵みを語ることによってその信仰は広まっていったのだと思います。

 イエス様はその晩、見張りをしていた連中に暴行を受けたと書かれています。63節から65節です。

ルカ 22:63 さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。

ルカ 22:64 そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。

ルカ 22:65 そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。

 この場面ではイエス様は見張りの連中に殴られたり、侮辱されたりしていますが、まだ裁判も取り調べも行われていないのに、その様に暴行されるのは不自然な気がします。マタイや、マルコでは大祭司の所で尋問を受けたのち、この男は死刑に値すると宣言された後での暴行なので、死刑囚に対してはそのような軽蔑の意味を込めて暴行することもありえたと思います。またヨハネでは、大祭司に口答えしたという態度を怒って下役の一人がイエス様を平手で打つと言う事が行われました。何らかのこの様な暴力的な事が行われたのは確かなようです。

 ですがルカ福音書の記述で際立っているのは、裁判は夜が明けてから行われたと言う事です。ほかの福音書では裁判なのか尋問なのか良く分からないことが夜行われて、そのあとはピラトのもとに連れて行っているのですが、ルカだけは明るくなってから正式な裁判を行ったという風に書かれているのです。ルカにとっては裁判が夜行われたなどと言う事は信じられなかったのかもしれません。66節から69節です。

ルカ 22:66 夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、

ルカ 22:67 「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。

ルカ 22:68 わたしが尋ねても、決して答えないだろう。

ルカ 22:69 しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」

 裁判は夜行うことができないので、夜が明けてから長老や祭司長、律法学者たちが集まって最高法院を開きました。その議員は70人で、神殿で行われました。ですから、祭司長の家で行われたのは最高法院とは考えられないのです。その最高法院では、イエス様がメシアかどうかと言う事が問われました。議員たちは「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言って挑発しました。もしそう言ったら、神様を冒涜した罪で死刑にするつもりなのです。イエス様は言葉を選びながら、「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」と答えたのです。はっきりとメシアだと言ったわけではありませんが、人の子は全能の神の右に座ると言ったのです。この人の子というのはイエス様であることは明確なので、イエス様が神の子だと言ったのとほとんど同じなのです。ですが例えそういっても、最高法院の人々は信じることができないので、あえて遠回しに言っているのです。

 さすがに最高法院の人々も、この言葉にかみついてきました。そして、こう言ったのです。70節と71節です。

ルカ 22:70 そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」

ルカ 22:71 人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。

 イエス様は最後まで、自分が神の子だとは言いませんでした。それはたとえ言ったとしても信じられるものだとは思っていないからです。しかもそう言えば死刑になります。ですが、冒とく罪で死刑にしたがっている議会の人々は、「では、お前は神の子か」と迫ってきます。イエス様は、「あなたたちがそうだと言っているだけだ」と言ったのですが、議会の人々は、イエス様が、「自分がそうだ」と言ったという風に解釈したのです。それで、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と、無理やりイエス様が、自分は神の子だと言ったという風に決めつけたのです。これで、イエス様は神様を冒涜した罪で、最高法院では死刑を言い渡されるのです。ですが死刑を執行する権限はローマにあるので、ピラトのもとにイエス様を連れていくのです。そしてその罪状はさっきの瀆神罪ではなく、ローマに謀反を企て、自分が王だと言っているという政治的な罪で、訴えるのです。ユダヤ人たちは手段を択ばず、無茶苦茶な方法で、イエス様を死刑にしようとしているのです。

 イエス様は、予告した通りペトロに裏切られ、最高法院では有罪となり、ピラトのもとに送られました。これはユダヤ人たちが悪いのでしょうか、イスカリオテのユダが悪いのでしょうか、ペトロが悪いのでしょうか。そうではありません。すべては神様のご計画だったのです。イエス様はその神様の計画を受け入れて従ったのです。それはこのようにして、罪人たちを救うために、イエス様が犠牲になることが必要だったのです。そのためにイエス様はそれを受け入れその命を捧げたのです。私たちは、誰が犯人かをつい考えてしまいますが、それよりももっと深いところで、神様のご計画があることを知るのです。そして私たち自身がイエス様によって救われたことを知るのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イエス様はついに有罪となりました。そのユダヤ人たちの裁判はひどいものでした。先にイエス様の死刑判決があったのです。ペトロもイエス様の予告したように、恐れのために裏切ってしまいました。弟子たちも去っていきました。ですがイエス様の死は、神様のご計画です。多くの罪人の救いのために、このイエス様が私たちを救ってくださると言う事のために命を捧げたのです。私たちはそのことを信じて救われます。イエス様の愛と犠牲が私たちを救ってくださっていると信じるのです。私たちに自分を救う力はありません。ただイエス様の憐れみによって救われているのです。この事を覚えて感謝いたします。そして、ただ御子イエスキリストの救いの恵みに委ねます。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

 

◆イエス、逮捕されるペトロ、イエスを知らないと言う

ルカ 22:54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。

ルカ 22:55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。

ルカ 22:56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。

ルカ 22:57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。

ルカ 22:58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。

ルカ 22:59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。

ルカ 22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。

ルカ 22:61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。

ルカ 22:62 そして外に出て、激しく泣いた。

◆暴行を受ける

ルカ 22:63 さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。

ルカ 22:64 そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。

ルカ 22:65 そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。

◆最高法院で裁判を受ける

ルカ 22:66 夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、

ルカ 22:67 「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。

ルカ 22:68 わたしが尋ねても、決して答えないだろう。

ルカ 22:69 しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」

ルカ 22:70 そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」

ルカ 22:71 人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。