家庭礼拝 2017年11月22日ルカ22章24‐38 ペトロの離反を予告する
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起
今日の聖書の箇所には、三つの小見出しがあります。一つは◆いちばん偉い者、二つ目は◆ペトロの離反を予告する、三つめは◆財布と袋と剣です。イエス様がエルサレムに来てからの出来事に関してはマタイ、マルコ、ルカの三つの共観福音書には多少の表現は違っていても大抵一緒に同じ出来事が書かれています。ところが今日の聖書の箇所には、ルカだけにしか書かれていないものが二つあります。一つ目の◆いちばん偉い者、と、三つ目の◆財布と袋と剣です。一方その間に挟まっている、◆ペトロの離反を予告する、に関しては、4つの福音書全部に書かれているのでよほどインパクトのある話だったのだと思います。
先週は主の晩餐の席で、パンとぶどう酒による契約が行われた後、この中に私を裏切るものがいる、と、イエス様が語ったため、弟子たちの間で、一体誰がそんなことをしているのかと互いに議論をし始めたところで終わりました。そして今日の話は、その議論が引き続いて、弟子たちが、自分達の内で誰が一番偉いのだろうかという、議論をしたのです。というのも、神の国がやってきたときにイエス様のすぐそばに座れるのは誰なのかと言う事はユダヤ人ならば誰でも敏感になる事なのです。そうでなくても、この晩餐のようにみんなと食事をするときにはその主人を頂点として、Ⅴの字の席につき、偉い順にその右そして左と座って、さらにその次の順番の人が次の右と左に座ると言うように、その席次に関してはとてもうるさかったのです。ですからユダヤ人たちは上席に座ることを争ってしたのです。すなわち、12人の弟子がいると、その序列がきちんと決まっていないと混乱してしまうのです。ですから弟子たちは誰が一番偉いのだろうかその次は誰だろうかとその序列を気にしていたと言う事なのです。この話が、イエス様を裏切るものがいるという話をした後であり、また、イエス様がもうすぐなくなるかもしれないという時に語られるという事が、イエス様に対する弟子たちの無理解を表しており、イエス様の悲しみの元にもなっているのではないかと思います。
実はこの誰が一番偉いかという話は、これが初めてではないのです。それはルカ9章の46節にも書かれていることで、この時は、イエス様がガリラヤ伝道をしているときに、「人の子は人々の手に引き渡されようとしていると」その受難を予告した時にいわれているのです。そのような深刻な話を弟子たちは理解できず、それどころか誰が一番偉いかという議論が行われていたのです。その時、イエス様は子供の手を取って、「私の名のためにこの子供を受け入れるものは、私を受け入れるのである。私を受け入れるものは、私お遣わしになった方を受け入れるのである。あなた方皆の中で最も小さいものこそ、最も偉いものである。」と語って、最も小さなもの、最も謙遜なものが最も偉いと言って弟子たちに教えているのです。それに対して、今日の聖書の箇所では、「権力を振るうものではなく、人に仕える者が、最も偉いものである」と教えています。ほぼ同じような教えではありますが、このような話を、イエス様が、自分は迫害を受けるだろうと言った後や、自分は弟子に裏切られるだろうと言った後に、弟子たちはイエス様の事を心配するのではなくて、自分達の序列を心配するというこの世的な考え方に対して、イエス様がそれでも辛抱強く教えているのが印象的です。
承
それでは聖書を読んでいきましょう。24節から26節です。
ルカ
22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
ルカ
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
ルカ
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
ルカ 22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
使徒たちは、12人の中で誰が一番偉いだろうかという議論をしました。これは一番偉い人だけではなくその12人の序列がはっきりしないと、食事の時に座る順番や、神の国に入った時に、その時の位の違いを決めることができなくなるからでした。これはユダヤ人にとってはとても大切だったし、昔の中国や韓国、日本でもこのような席順というのは、いろいろなもめごとの種となっていたのです。誰でもいい席順を得ようとして躍起となっていたのです。するとイエス様は言ったのです。異邦人のように権力者の序列で、偉いものを決めてはいけない。そうではなくて、一番偉い人は、若者のようによく奉仕し、上に立つ人は仕えるもののようになりなさい、といったのです。これはその時の常識とは反対です。その当時は偉いものは若いものに命令して仕事をさせ、上に立つものは下の者に仕えられるというのが、昔も今も同じ考えです。ですがイエス様はこの反対の事を言ったのです。すなわち、偉いものとは仕えられるものではなく、奉仕する者であるという事なのです。そして具体的な例を挙げて、食事の席に着く人と給仕する人がいたならば偉いものは食事の席に着く人なのに、イエス様はそのようにしないで、給仕する人となっているではないかと言ったのです。だから、あなた方も給仕する人になりなさいと言っているのです。それが偉い人なのだと言っているのです。
そして、誰が偉いかなどと考えなくても、あなた方には神の国では大きな報いがあることをこの様に語ったのです。28節から30節です。
ルカ
22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
ルカ
22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
ルカ
22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
その報いとは、イエス様がいろいろな試練に出会ったときにも、いつも一緒に私と共に居てくれたから、神様が私に与えて下さった支配権を、私もあなた方に委ねる、というものでした。この世においてはそのような力を与えて下さると言うのです。そして、神の国に有っては、イエス様と同じ食事の席について、王座に座ってイスラエルの12部族を治めるようになる、といったのです。だから誰が偉いかなどと議論をする必要はない事を言ったのです。イエス様が約束してくださったのです。ここに書いてあるような、支配権を弟子たちに委ねる約束や、弟子たちが王座に座って12部族を納めるようになるという話は、ルカにしかない話です。ルカは、使徒たちの権威をこの様な形で高めていったのかもしれません。
転
次の箇所では、突然イエス様はペトロが離反する話を語り出しました。31節と32節です。
ルカ 22:31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
ルカ 22:32 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
イエス様は、弟子たちがその様な支配権や王座を手にいれる前に、サタンによって試練に会うことを語りました。それはペトロだけではなく全員です。その試練は神様がサタンに対して認めた試練なのです。イエス様はそのような試練がペトロを襲わないようにと祈ったのではなく、試練が来ても信仰がなくならないようにと祈ったというのです。私たちの信仰は、それによって試練がなくなるわけではありません。信仰によってその試練を乗り越えるためにあるのです。イエス様はペトロに対してその信仰がなくならないように祈ったから、あなたは立ち直ったら、兄弟達を力づけてやりなさいと言いました。いったいペトロは何から立ち直るというのでしょうか。そのことが次の言葉でわかります。33節と34節です。
ルカ 22:33 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
ルカ 22:34 イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
ペトロは、イエス様と一緒なら牢に入っても死んでも良いと言ったのです。それほどの覚悟でいると自信をもって言ったのです。そんなにも強い覚悟でいたのに、イエス様が言ったのは、「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」という言葉でした。死んでもいいと言ったはずの人が、一晩も立たないうちに、イエス様を知らないと3度も言うことになると言ったのです。この段階ではペトロはその事は信じていなかったはずです。自分は本当に死んでもイエス様を離れないと思っていたはずです。でも人間の決心などというものは、ちょっとした危機が来るとすぐ崩れてしまうのです。そしてそのことがすぐ現実になるのです。ペトロはそのことによって、すっかり自信を失い、自己嫌悪に陥るのです。でもイエス様が祈って下さったおかげで、信仰を失うことなく、信仰によって立ち直ることができ、その弱さから立ち直った経験をもって、兄弟達を力づけていくことができるようになるのです。
さて、4つの福音書に全部書かれているこのペトロの離反を予告する話ですが、少しずつ違うので比較してみましょう。マタイとマルコでは、この話が出てくるのは主の晩餐が終わって、ゲッセマネに行く途中で、イエス様が弟子たちに「あなた方は皆私につまづく」と言った時に語られているのです。この時ペトロは、「たとえみんながつまずいても、私はつまづきませんと」言ったのですが、イエス様が、「あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、三度私のことを知らないというだろう。」とペトロに言ったのです。その時ペトロはルカに書かれているように「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたの事を知らないなどとは決して申しません。」と言ったのです。この事はパウロが、直接マルコに語って、書き取らせたので、ルカよりは正しいような気がします。そして話の流れが自然なのです。
ヨハネ福音書ではルカと同じように主の晩餐の中で、このペトロの離反の予告が語られています。それは晩餐の席で、イエス様が「私が行くところにあなたたちは来ることができない」といった時に、ペトロが、「主よ何処へ行かれるのですか」と言い、「主よ、なぜ今ついていけないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と言った時に、イエス様は「私のために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは3度私のことを知らないというだろう。」というのです。これはルカの話に近い気がします。
少しずつニュアンスの違う話になっていますが、間違いのないことは、ペトロがあなたのためなら命を捨てます、とまで言ったはずなのに、すぐにイエス様の事を知らないと言い張るものになってしまうと言う事です。人間とはこのように弱いものであり、そこから逃げることはできないのだと思います。でも、ルカ福音書のすばらしい所は、このペトロのために、イエス様が信仰がなくならないように祈って下さったと言う事を伝えていることです。そしてそのことによってペトロはその挫折から信仰によって立ち直り、兄弟たちを励ますものとなったと言う事なのです。
このようなペトロの離反の話をした後で、イエス様は今度は今まで必要としなかった財布と袋と剣を持って行くように話をしたのです。どうしてでしょうか。35節から38節です。
ルカ 22:35 それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
ルカ 22:36 イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
ルカ 22:37 言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
ルカ 22:38 そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。
イエス様はここで、財布のお金や、袋に入れる財産や、自分を守る剣に頼って生きていきなさいと言う事を言ったのでしょうか。そうではないのです。これはこれから起こる危機的な状況に対する心構えを言ったのです。最後の晩餐で、ユダの裏切りを語り、ペテロの離反を予告し、弟子たちの躓きを語った後は、イエス様が捉われ、罪人として、処刑され、あなたたちのこれからの歩みは罪人の仲間として一変するから、それに耐えられるように心の準備をしなさいと言う事を言っているのです。ペトロに信仰がなくならないように祈ったというイエス様ですから、他の弟子達にもこれからは信仰によって苦難を乗り越えていきなさいと言う事を言ったのです。これらは信仰の財布であり、信仰の袋であり、信仰の剣なのです。それなのに弟子たちは、そのことを理解せず、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言ったので、イエス様は呆れて、「それでよい」と言われたのです。ここでも弟子たちはイエス様を理解していないのです。
結
イエス様は、あなた方の中で偉い人は、仕えるものになりなさい。奉仕する者になりなさいと命じました。これは願いではなく、イエス様の命令です。偉いものになるために奉仕するのではありません。偉いものは奉仕するのです。そして、イエス様は弟子たちに試練がやってくることを語りました。ですが、ペトロに語ったように、イエス様は試練が来ないようにするのではなく、試練が来ても信仰によって乗り越えられるようにして下さったのです。私達もまた、奉仕する者となり、信仰によって試練を乗り越えるものとさせていただきたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちはイエス様の事を理解できずに、そして自分の事も理解できずに、この世的な考えに捉われ、自分の思い上がりに捉われています。ですがイエス様は全て見抜いておられました。弟子たちに偉いものは低くなることを奉仕することを語り、思い上がったものが挫折するとき、その信仰によって立ち直ることを教えてくれました。私たちは何もわからず議論している弟子たちと同じです。どうか謙遜にあなたに委ねて歩んで行くものでありますように。なにものにも頼らず、ただあなたの御心を信じて歩むことが出来ますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆いちばん偉い者
ルカ 22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
ルカ 22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
ルカ 22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
ルカ 22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
ルカ 22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
ルカ 22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
ルカ 22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
◆ペトロの離反を予告する
ルカ 22:31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
ルカ 22:32 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカ 22:33 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
ルカ 22:34 イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
◆財布と袋と剣
ルカ 22:35 それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
ルカ 22:36 イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
ルカ 22:37 言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
ルカ 22:38 そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。