家庭礼拝 2017年11月15日ルカ22章1‐23 主の晩餐

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起 

いよいよ22章からはイエス様の受難節に入ります。どの福音書も、ここからはとても詳しく書いてありますから、それぞれの聖書を読み比べながら、読んでいくことが大切になります。

前の21章は、イエス様の終末予言が多く語られていました。その中で弟子たちがいかに歩むべきかを語っていました。それは現実の話というよりも、何か遠い先のような話のような気もしていました。ですが、この22章からはまさに現実の話です。ここで祭司長たちや律法学者たちはイエス様を殺す相談をしており、ユダは裏切り、ペトロの離反が予告され、逮捕され、暴行を受け、最高法院で裁判を受けるのです。これだけのことがたった一晩のうちに起こりました。それも過越しの日という、ユダヤ人にとって大事な日にです。イエス様は捕えられる前に、オリーブ山で祈り、汗が血の滴るように地面に落ちた、と書かれています。最近知ったことの中に、本当に汗に血がにじみ出てくる病気があることを知って、驚きました。そしてすぐにこの聖書の場面を思い起こしました。イエス様は本当に血の汗を滴らせたのかもしれないと思いました。この受難が起こる前の静けさの中で、イエス様は弟子たちと最後の晩餐をします。それはイエス様の遺言の様な言葉をいくつも語っていきます。特にヨハネによる福音書は、多くの言葉を語っています。イエス様にはすべてが分かっていました。それでも決してそこから逃げることなく、ただ神様に委ねて、神様のみ心のままに生きたのです。私たちが神様に委ねて生きる生き方を、イエス様自身が示して下さったと言ってもいいのです。

さて、その受難の出来事はどのようにして起こったのでしょうか、1節から6節です。

ルカ 22:1 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。

ルカ 22:2 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。

ルカ 22:3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。

ルカ 22:4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。

ルカ 22:5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。

ルカ 22:6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

 ルカはユダヤ人ではなく異邦人なので、ユダヤ人の習慣についてはそれほど詳しくはなかったので、過ぎ越し祭と除酵祭は同じものと考えていたようです。ですがそれは違うもので、過ぎ越し祭は一日だけの祭りで、それに続く7日間が除酵祭と言われるもので、種容れぬパンを食べる期間です。このどちらも、ユダヤ人がエジプトの奴隷状態から解放されたことを記念する行事です。過ぎ越し祭は、神様が死の使いを遣わして、エジプト人の長子をことごとく殺した時、ユダヤ人は入口のかもいに子羊の血を塗り、それを目印にして、その死の使いに過越してもらったことが言い伝えになっているのです。その日はすぐに、エジプトを脱出したので、パンに種を入れて発酵させることができなかったので固いパンを食べたのです。その後しばらくその種入れぬパンを食べたので、除酵祭という祭りを一週間行い、同じように種容れぬパンを食べるのです。ユダヤ人にとってこの種を入れるというのは不純なもので腐敗するという意味もあるので、種入れぬパンを食べるというのは、心身を純粋に保つという意味もあるのかもしれません。この過越しの祭りの時だけは、遠くからも人がエルサレムに集まって、犠牲の羊を捧げて、祝うのです。この過越し祭には、この旅人たちのために、家を開放したり、旅館は無料で泊めたりして、大勢の人が過ぎ越し祭に参加出来るようにしたのです。ですからイエス様もこの過越しの日には知り合いの人に頼んで部屋を確保していたのです。この捧げられた羊は犠牲として神殿で捧げられた後、その捧げた人たちにその肉が戻されます。律法ではその過ぎ越し祭を祝う最少の人数は10人と定められていたので、10人以上の人達で、その羊を食べて祝うのです。

さてその過ぎ越し祭が近づいた時に、祭司長たちや律法学者たちは、イエス様を殺すにはどうしたらよいかと考えていたのです。騒ぎを大きくするとそれでなくとも異常な雰囲気のエルサレムが暴動に発展する可能性があったからです。彼らはすぐにでも殺したいと思っていましたが、それが出来なかったのです。しかし、12弟子の一人のイスカリオテのユダがイエス様を裏切って、彼等のもとに来たのです。ルカはイスカリオテのユダにサタンが入ったと書いています。ユダは本当にイエス様を裏切ろうとしたのではないと思います。ですが、イエス様のグループの会計をしているくらい頭の良いユダは、イエス様がなかなか行動を起こしてくれないので、自分でその暴動を起こすシナリオを描いて、イエス様を自分の思い通りに動かそうとしたのです。そうすれば暴動が起こって、イエス様はローマを打ち倒し、ユダヤ人の国を起こすことができると考えたのです。ですがそれが裏切りなのです。イエス様を自分の思い通りに動かそうとすることが裏切りなのです。ペトロも、一度イエス様を諌めて、自分の考え通りにしようとしたときに、イエス様からサタンよ退け、と叱られました。私たちはイエス様の前に出てはいけないのです。従うべき人間が、イエス様を操ろうとしてはいけないのです。私たちの神様への祈りもまた、従うべきものの祈りになっているか、それとも神様を自分の欲望に従わせようとしているか、よく考えるべきなのです。そうしないと私たちも、神様を自分に従わせようとする裏切り者になってしまうのです。

ユダは、祭司長たちに騒ぎを起こさないでイエス様を捕える方法を教えたのです。それは夜になってゲッセマネの人気のいない葡萄畑に退いた時に捕らえれば、それが出来ると教えたのです。その時に誰がイエス様なのかを教えるからそれを捕えるようにと教えたのです。彼らは喜んで、ユダに、お金を与えることにしたのです。そのお金とは銀貨30枚です。奴隷を一人買うお金です。イエス様はユダによって、奴隷のように祭司長たちに売られたのです。

 さてその過ぎ越しを祝う日がやってきました。その時を何処で祝ったらよいのか弟子たちは心配でした。するとイエス様はこう言ったのです。7節から13節です。

ルカ 22:7 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。

ルカ 22:8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。

ルカ 22:9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、

ルカ 22:10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、

ルカ 22:11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』

ルカ 22:12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」

ルカ 22:13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

 ここにはイエス様がペトロとヨハネを使いに出して、過ぎ越しの食事ができるように準備させようとしていますが、ペトロ達はどこで準備をしたら良いかわかりません。すると、イエス様は

「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」こう言ったのです。この事はその通りに実現するのですが、これは奇跡でしょうか。そうではありません、イエス様は事前にその主人と約束を取り交わしているのです。水瓶を運んでいる男、というのが、その約束の目印なのです。水瓶を運ぶのは普通女の人の仕事なので、男が運んでいるとすると、それはとても不自然なのですぐに目立つのです。男なのに、女の服を着て通りに立っているようなものなのです。この水瓶を持った男は都の入口で、イエス様たちを待っていたのだと思います。イエス様たちはそのような目印を決めていたのです。そして借りる部屋も決まっていたのです。マタイ福音書では、もっと簡単に、「都のあの人の所に行ってこう言いなさい」とその人が誰であるかを示しているのです。それは弟子たちも知っている人なのです。ペトロとヨハネはその家の2階に導かれて、そこに過ぎ越しの食事の準備をしたのです。

 さて、イエス様と12人の弟子たちはいよいよ過越しの食事を始めました。14節から16節です。

ユダヤ人の一日は夕方から始まります。日が沈んでからが次の日の一日の始まりで、その過ぎ越しの日が始まったのです。イエス様は何を語ったでしょうか。14節から16節です。

ルカ 22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。

ルカ 22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。

ルカ 22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」

 イエス様は12人の弟子達と一緒に席につかれました。その中にはすでにイエス様を裏切ったイスカリオテのユダも一緒でした。イエス様の弟子は、このユダ以外は全員ガリラヤ出身なのです。イエス様はこのユダが裏切っていることを知っていながら、共に食事をし祝福を与えるのです。

 イエス様は、この過越しの食事を弟子達と一緒にできることをとても喜んでいました。イエス様はエルサレムにいる間、いつ殺されてもおかしくなかったのです。ですがこの過越しまで、弟子たちと共に歩むことができるようにと、イエス様は切に願っていたのです。なぜならば、次の過ぎ越しのかもいに塗られる子羊の血とは、イエス様の十字架の血なのです。その十字架の血によって、イエス様を信じる人々は、その命を守られるのです。それが神の国で過越しが成し遂げられることです。この過越しと、イエス様の十字架とはとても関係の深い事なのです。象徴的な事なのです。ですから、この後イエス様は新しい契約について語るのです。

 イエス様は、パンとぶどう酒の新しい契約について語りました。17節から20節です。

ルカ 22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。

ルカ 22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

ルカ 22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

ルカ 22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 イエス様は食事の前に杯を取り上げて、感謝の祈りを唱えて、互いに回し飲みしなさいと言いました。これはイエス様の5千人の食事の奇跡をおこなった時と同じなのです。そしてその後、パンを取り、感謝の祈りを唱えてそれを裂き、使徒たちに与えたのです。そして、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言いました。これが今私たちの行っている聖餐式の原型です。マタイとマルコ福音書では、ルカに書いてあるような、私の記念としてこのように行いなさいと言う言葉はありません。それに食事の最初のぶどう酒の回し飲みの事も書いていません。どちらかというと、いきなりこれは私の身体である、これは私の血である、と宣言しているような感じのところがあります。ですから、聖餐式のパンと葡萄を受け取る時に、それが本当にイエス様の身体であり、血であると信じて受け取る人と、イエス様がそのような行為を通して、この聖餐の行為を記念として思い起こしなさいと言っているのだと受け取る人とがいるのです。それぞれ、その人の信仰によって受け止めていけばいいのではないかと思っています。必要な事は自分で無理に思い込まなくても、神様が教えてくれるからです。それに委ねればいいのではないかと思います。

 ルカ福音書では、食事を終えてから、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」と語っています。この聖餐のパンと葡萄酒は契約の行為なのです。それは、あなた方は私を信じて私に従ってきなさい、そうすれば私は自分の命にかけて、あなた方を救います、という契約なのです。その契約を毎月聖餐式の時に思い起こすのが聖餐式なのです。

 ですがイエス様の話はこれだけで終わりませんでした。その後で大変なことを語り出したのです。裏切るものがいると言ったのです。21節から23節です。

ルカ 22:21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。

ルカ 22:22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」

ルカ 22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。

 イエス様は、ユダがイエス様を裏切ることを知っていながら、12人の弟子たちの内に含めて、この最後の晩餐を行ったのです。それこそ裏切り者を排除した後で晩餐を行っても良かったのではないかと思うのですが、そうではなかったのです。そして裏切り者がいることを言った後でも、すぐに排除するのではなく、そのものが裏切り者となる事の不幸を悲しんでいるのです。

 イエス様は、ユダが裏切ったから死ぬのではなく、祭司長たちや律法学者たちが殺そうと思っていたから死ぬのではなく、神様の御心によって、神様のみ業を行うために死ぬのです。イエス様自身が、「人の子は、定められたとおり去って行く。」と言っているとおり、それは神様の定めなのです。ですから、誰をも怨む必要はないのです。だから裏切るユダをも憐れみました。裏切り者になるあなたは不幸だと言ったのです。イエス様の思いはいつも神様と共にあったのです。

 イエス様の最後の晩餐の時がこのようにしてやってきました。それはイエス様が切に望んでいたことでした。イエス様は生きている間に弟子たちに伝えたいことがあったのです。それがこの最後の晩餐の時のパンとぶどう酒の話ではなかったでしょうか。イエス様は「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言い「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」と言って、新しい契約が結ばれることを、このパンとぶどう酒の聖餐式において思い起こすことを語ったのです。イエス様は、この新しい契約を結ぶために、この最後の晩餐の時を待ち望んだのです。そして、イエス様の新しい恵みによる救いが与えられることを語ったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、イエス様は最後の晩餐を12人の弟子たちと共に行うことが出来ました。そして、パントぶどう酒を用いてイエス様の事を思い起こすようにと教えてくださいました。そして新しい契約を与えてくださいました。ユダの裏切りにもかかわらず、イエス様は淡々として、その事をも受け入れて、この最後の晩餐を行いました。イエス様は、全てを神様に委ねて信頼していました。私達もまた、神様に信頼して全てを良きものとして受け入れるようにと示してくれました。そのことによって私たちが永遠の命を得ることができることを新しい契約によって示してくださいました。私たちは新しい契約によって、律法の世界から恵みによる救いの世界へと導かれたのです。この事を感謝し賛美いたします。どうかこれからもまた、私たちがあなたを信じ、神様に委ねて生きていくものでありますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆イエスを殺す計略

ルカ 22:1 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。

ルカ 22:2 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。

ルカ 22:3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。

ルカ 22:4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。

ルカ 22:5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。

ルカ 22:6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

◆過越の食事を準備させる

ルカ 22:7 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。

ルカ 22:8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。

ルカ 22:9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、

ルカ 22:10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、

ルカ 22:11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』

ルカ 22:12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」

ルカ 22:13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

◆主の晩餐

ルカ 22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。

ルカ 22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。

ルカ 22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」

ルカ 22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。

ルカ 22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

ルカ 22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

ルカ 22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

ルカ 22:21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。

ルカ 22:22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」

ルカ 22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。