家庭礼拝 2017年10月18日ルカ20章1‐26 権威についての問答
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起
今日の聖書の箇所は、イエス様がエルサレム神殿で教えておられた時のことです。エルサレムでの二日目です。前の日にイエス様は驢馬に乗ってエルサレムに入り、神殿から商人を追い出しました。その出来事があった次の日となります。この20章の話は、問答の日とも呼ばれ、イエス様とイエス様に敵対する、祭司長、律法学者、長老たち、ファリサイ派の人々、サドカイ派の人々、ヘロデ党の人々など多くの人々との問答が行われるのです。この人々はなんとかイエス様に間違いを語らせて、その尻尾をつかみ犯罪者として葬ろうと罠をかけてくるのです。この問答の話は、マタイやマルコの共観福音書にも皆書かれています。むしろマタイやマルコの方がルカよりも詳しく書かれていて、ルカは少し省いていると言った感じです。
20章の初めは、ルカでは「ある日、」とはじまっていていつの日か良く分からないのですが、マタイやマルコでは、宮清めを行った翌日、朝早くイエス様たちはエルサレムに向かう途中、枯れたイチジクの教訓の話をしています。そしてエルサレムに入っているので、ルカのある日と言っているのは翌日の事なのです。この20章では多くの問答や譬えの話があるのですが、不思議な事にこれと同じ話はヨハネ福音書には一つも書かれていないのです。ほかの福音書には全部書かれているのに、不思議な感じがします。ヨハネは重複を嫌って書かなかったのかもしれません。
今日の聖書の箇所の三つの小見出しの、◆権威についての問答◆「ぶどう園と農夫」のたとえ◆皇帝への税金の話に共通しているのは、神様の権威とこの世の権威について語られていることです。これはイエス様が宮清めをしたことに対して、イエス様に対立する人々が何の権威でこんなことをするのかという憤りを持っていたことに対する、回答なのです。この人たちの考えていた権威と、イエス様の答える権威とがどのように違っているのか、そして権威とはいったい何なのかを今日の聖書から学んでいきたいと思います。
承
宮清めをした翌日、イエス様はまた神殿の境内で、人々に福音を告げ知らせていました。すると祭司長たちがやって来て、イエス様に文句を言ったのです。1節と2節です。
ルカ
20:1 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
ルカ
20:2 言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
イエス様の所に文句を言いに来たのは、祭司長や律法学者そして長老たちです。この人たちはサンビドリン、すなわち議会のメンバーであり、裁判所のメンバーなのです。と言う事は宗教に関しては一番の権威を持っているところなのです。その人たちが、イエス様が民衆に教え、福音を告げ知らせていることに対して、何の権威でこのような事をしているのかと、問い詰めたのです。この言葉の裏には、昨日は商人たちを神殿の庭から追い出し、今日は勝手に神の国を伝えているお前は、いったい誰の権威でこんなことをしているのか、と言う事を言おうとしているのです。その言葉の裏には、自分達にこそその権威があるのに、自分たちの承諾なしでなんで勝手な事をするのか、と詰問しているのです。その返答によっては捕えようとしているのです。イエス様はどのように答えたでしょうか。3節から6節です。
ルカ
20:3 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
ルカ
20:4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
ルカ
20:5 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
ルカ
20:6 『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
イエス様は祭司長たちの質問に対して、私の質問に答えたら応えようと言ったのです。そのイエス様の質問とは「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」というものでした。この質問の本質は、権威とは神様のものなのか、人のものなのかと言う事なのです。祭司長たちは、権威は自分たちが持っていると思って質問したのですが、イエス様は、権威とは神様のものではないのかと問いかけているのです。それで祭司長たちは困りました。『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろうし、『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろうと思ったからです。民衆は、その権威は神様から来るものであることを知っていたのです。その事を知らないふりをしているのは自分たちが権威を持っていると思っている人たちだけなのです。それで困ってこう答えました。7節と8節です。
ルカ
20:7 そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
ルカ
20:8 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
彼らは分からないと答えることで逃げました。そう答えたというのはその権威が神様からのものであることを知っているからなのです。と言う事はイエス様の権威もまた神様から来るものであることを認めたことになるのです。イエス様はあえてその事には触れないで、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい、と答えたのです。自明のことだからです。
イエス様はこの後群衆に対して、「ぶどう園と農夫」の譬えを語られました。これは、神様の権威を受け入れようとしない祭司長や律法学者たちが、どのような立場にあるのかを分かりやすく話すためでした。
この譬え話にはぶどう園と農夫たちと、その主人と僕と息子が出てきます。この譬え話で、イエス様はイスラエルと神様の関係の歴史を語っているのです。その中で神様の権威を受け入れなかった人たちがどうなるのかを語っているのです。ぶどう園とはイスラエルの事です。もしかすると私たちに神様から与えられた全てものです。農夫とは祭司長や律法学者達です。もしかすると私たちも含まれます。主人とは神様です。僕とは神様に遣わされた預言者たちです。息子とは神の一人子イエス様です。イエス様はこの譬え話で何を語ろうとしたのでしょうか。聖書の箇所を見てみましょう。9節から12節です。
ルカ
20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
ルカ
20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
ルカ
20:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
ルカ
20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
この主人は、ぶどう園を農夫たちに貸し出しました。そして収獲の時まで農夫たちに自由にぶどう園を使わせていたのです。この様にして、ぶどう園を経営している人は当時多くいたのです。この譬えでは、神様は私たちに、多くのものを与えて、それを自由に使わせていたと言う事です。私たちの身体や、健康や、能力や財産や神様から与えられたものを自由に使わせていたのです。ですが、神様はそれをただ使わせていたのではなく、収獲の実りを得させるためであり、それを神様にささげさせるためなのです。ところが農夫たちはその貸し出されているものを、いつのまにか全部自分のものだと思ってしまったのです。そして収獲の時に神様が遣わした僕、すなわち予言者たちを受け入れず、袋叩きにしたり、侮辱したり、追い返したりしたのです。予言者たちが言ったのは、あなたたちはすべて神様から与えられたものであり、あなた自身も神様のものだから、神様のもとに帰るように、ふさわしい実を結んで神様のもとに帰るように、と言う事なのです。ところがこの農夫たちは、これは自分たちのものだ、お前たちには渡さないと言って、袋叩きにして追い出したのです。この主人はそれではどうしたでしょうか。この主人はとても寛容な方で、三度も僕たちを遣わしたのですが、この農夫たちは言う事を聞かなかったのです。この予言者たちが言っているのはうそだと言って受け入れなかったのです。それでこの主人は最後の手段を使うことにしました。それは自分の息子を遣わすことでした。13節から16節です。
ルカ
20:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ
20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
ルカ
20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
ルカ
20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
この主人は僕を何度も使いに出したのですが、ひどい目にあって帰って来ても、それでもまだ寛容な姿勢を持ち続けて、自分の息子を遣わしたら敬ってくれて、受け入れてくれるだろうと思い農夫たちの所に遣わしました。この息子とはイエス様の事です。この息子に対して農夫たちはどうしたかというと、『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』と言って、息子をぶどう園の外に放り出して殺してしまったというのです。この譬えで、イエス様はご自分が神の子であることを言い表しており、殺されるだろうと言う事も言い表しているのです。この農夫たちは神様の言うことなど聞きたくなく、自分達の勝手にして生きたいために、その息子まで殺してしまうと言う事なのです。そうしたらこの主人は、もうこの農夫たちを赦すことなく、殺してしまい、そのぶどう園をほかの人達に与えるだろうと言いました。この農夫たちを殺すと言うのは、実際に命を取り去ると言う事ではなくて、信仰的に救われないものとなると言う事です。そしてそのぶどう園をほかの人達に与えると言うのは、神様を信じる信仰をユダヤ人から、異邦人に与えると言う事です。そして、実際にイエス様を殺した、ユダヤ人たちの国は滅び、その信仰は異邦人の世界に広まっていったのです。ですが聞いていた人々はそれに驚いて、「そんなことがあってはなりません」と言いました。普通に聞けばこのような話はとんでもないことで、寛容な主人に対し、その息子まで殺すようなことがあってはなりませんと、常識的な反応をしたのです。するとイエス様はこう言ったのです。17節から19節です。
ルカ
20:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』
ルカ
20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
ルカ
20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
イエス様がこれは何の意味かと言った、『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』という言葉は詩編118編の22節の言葉です。それに続く23節の言葉は「これは主のみ業、私たちの眼には驚くべきこと。」という言葉が続きます。もともとはダビデが、サウル王に捨てられ、迫害されたけれども、神様のみ業によって、王となり裁くものとなったことを言っています。ですがここでは、家を建てるものすなわち国を指導するものが捨てた石、すなわちイエス様の事ですが、それが神様のみ業によってよみがえって、隅の頭石、すなわち一番大切な土台となった、と言う事を言っているのです。祭司長や律法学者たちに捨てられて、殺される、イエス様が、蘇って、人々の一番大切な土台となっていくことを言い表しているのです。そしてその石は、人々を裁いていくだろうと言う事を言っているのです。
ここまで聞いた時、律法学者達や祭司長たちはイエス様が自分たちに当てつけて、この譬えを話されたと気づいたので、イエス様を捕まえようとしましたが、人々が熱心にイエス様の言葉に耳を傾けているので、無理に捕まえると暴動になることを恐れて、捕まえることができなかったのです。結局彼らは何も出来ずに引き下がるほかありませんでした。
転
ですがそのままで済ませるわけがありません。彼等には彼らの立場があるのです。何とか罠を仕掛けて、イエス様を捕えようと躍起になるのです。そこで次の機会を狙って、今度はイエス様を油断させて、罠を仕掛けた質問をするのです。20節から22節です。
ルカ
20:20 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。
ルカ
20:21 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
ルカ
20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
今度の人達は、正しい人を装う回し者です。そしてさも、良心的でイエス様を尊敬しているような振りをしてイエス様に質問するのです。その質問とは「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」という質問です。この問題は彼らの間でも難問として、未解決の問題でした。なぜならば、律法にかなっていると言っても間違っていると言っても困った問題を起こすからです。信仰者の立場で言えば、神様は皇帝よりも上の立場なので、神様以外の皇帝に税金を納めるのは間違っている、と言いたいところなのです。ところがそういえば、それは皇帝に背くものであるとして、総督に引き渡されることになるのです。この回し者は、イエス様は強い信仰的指導者なので、「間違っている」と言うだろうと踏んでいたのです。そうしたら、捕まえて、総督に引き渡そうとしていました。ところが、イエス様の答えた答えは予想外のものだったのです。23節から26節です。
ルカ
20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。
ルカ
20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、
ルカ
20:25 イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
ルカ
20:26 彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。
イエス様は回し者たちがそのような企みの問いかけをしているのを見抜いていました。それでも彼らの質問に誠実に答えたのです。それで、デナリオン銀貨を見せなさい、と言ったのです。デナリオン銀貨とはローマの通貨です。ユダヤ人たちはこの通貨を使っていたのです。そしてイエス様は「そのデナリオンには誰の肖像と銘があるか。」と言われました。すると彼らは、「皇帝のものです」と答えました。すると、イエス様は「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と言ったのです。皇帝は貨幣を発行する権利がありそれに伴って、税を徴収する権利もあるのです。そして神様は、もともと神様のものを取り戻す権利があるのです。これは先ほどのぶどう園と農夫の話と同じです。この回し者たちは、皇帝と神様とを同列においていました。そしてどちらが偉いのか選びなさいと迫ったのです。皇帝の方が偉いと言えば、神様を冒涜する罪でとらえようとし、神様の方が偉いと言えば、皇帝に謀反を起こすものとしてとらえようとしていたのです。ですが、イエス様の答えは、皇帝と神様の持つ権威は別のところにあることを言っているのです。皇帝は通貨を発行する権威をもって、税金を集める権利を有し、神様は人間に与えているもろもろの事において、その権利を持っているのです。この答えに彼らはびっくりしてしまって、何も出来なくなってしまったのです。
結
今日の聖書の話を学んで、私たちはいつの間にか神様と自分たちを同列において、どちらが正しいのかなどと考えているのです。ですが、私たちのものはすべて神様のものであり、神様に返すべきものです。権威はすべて神様から来ているものであり、人間の権威などはないのです。
◆権威についての問答では、イエス様の権威は神様からのものであることをイエス様は言おうとしています。◆「ぶどう園と農夫」のたとえでは、神様から与えられたものを自分のものとしている者たちが、裁かれることを語っています。そしてその中でイエス様はご自分が神の子でありこの世の権威によって殺されるが蘇って裁くものとなることを語っています。◆皇帝への税金
では、私たちは神様のものを神様にお返ししなければならないことを語られています。いずれにしても、権威は神様から来るものであり、私たちのものはすべて神様のものであることを知ることが大切な事なのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちはいつの間にか自分のものは自分で好きなようにしても良いように錯覚してしまいます。ですがすべてはあなたによって与えられたものであり、あなたの権威のもとにあるものです。そしていつかお返ししなければならないものであることを思います。どうかこの事をいつも正しく理解して、あなたのみ言葉に従い、賛美して歩むものでありますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆権威についての問答
ルカ 20:1 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
ルカ 20:2 言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
ルカ 20:3 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
ルカ 20:4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
ルカ 20:5 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
ルカ 20:6 『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
ルカ 20:7 そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
ルカ 20:8 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
ルカ 20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
ルカ 20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
ルカ 20:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
ルカ 20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
ルカ 20:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ 20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
ルカ 20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
ルカ 20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
ルカ 20:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』
ルカ 20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
ルカ 20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
◆皇帝への税金
ルカ 20:20 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。
ルカ 20:21 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
ルカ 20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
ルカ 20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。
ルカ 20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、
ルカ 20:25 イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
ルカ 20:26 彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。