家庭礼拝 2017年10月11日ルカ19章28‐48 エルサレムに迎えられる
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起
今日からいよいよイエス様がエルサレムに入られます。イエス様がエルサレムに入ってから、十字架につけられ復活されるまでの間はたったの8日間です。イエス様がエルサレムに入られたのは日曜日です。そして十字架で死んだのが金曜日です。そのあと復活されたのが次の日曜日です。ですが、新約聖書は、この8日間のために書かれたような書物です。イエス様は30年間生きておられましたが、この最後の8日間のために書かれた部分は、一番長いヨハネによる福音書で、全体の4割2分、マルコによる福音書で4割1分、マタイによる福音書は3割8分で、最も少ないルカによる福音書で2割3分がこの時期のために書かれているのです。ですから、新約聖書が、イエス様の死と復活について、いかに語ろうとしているのかが良く分かるのです。
イエス様は、前回のエリコからエルサレムに上って来られました。エリコからエルサレムまではおよそ30㎞です。標高差は結構あって約1000mです。これは大体昔の東海道の、小田原から箱根の峠を越える感じか、沼津から箱根の峠を越えていくくらいの感じです。この道は強盗も良く出て、物騒なところでした。イエス様の譬え話の良きサマリア人が追剥にあったのはエルサレムからエリコに向かう途中でした。この道を行くには丸一日かかる行程でしたから、その前の日はきっとザアカイの家で一泊したのだと思います。そうでなくてはこの道をエルサレムまで上り、しかも神殿から商人を追い出すようなことをするためには、エリコを結構朝早くに発たなければ出来ないことだからです。
イエス様がエルサレムに入る時には、イエス様はお尋ね者になっていました。それはヨハネによる福音書11章57節によると「祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居所が分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。」と書かれているからです。ですからこのような手配が出ていることはエルサレムの人々も知っていたのです。この様な中をイエス様がエルサレムに入るには、むしろ反対に堂々と正面切って入ってくる方が捕まえにくかったのです。それが、あのイエス様のロバに乗ってエルサレムに入城すると言う、劇場風の入り方になるのです。そしてそのあと行う、神殿から商人を追い出す話は、さらにその事を華々しく見せることになり、祭司長たちやファリサイ派の人々に宣戦布告するような態度をとっているのです。この様にして、イエス様のエルサレムでの戦いが始まったのです。それがどうなるかはイエス様はすべて分かっていたのです。分かっていながら、ただ神様の御心を行うものとして、神様に委ねて行っていたのです。
承
では、イエス様のエルサレムに登場する場面を見てみましょう。まず、28節から32節です。
ルカ
19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
ルカ
19:29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、
ルカ
19:30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
ルカ
19:31 もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
ルカ
19:32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
今日の話は、「イエスはこのように話してから、」という言葉で始まっています。この様に話したとは、ザアカイの話とその後のムナの譬えの話の事です。その話が終わるとすぐにイエス様は先に立って進み、エルサレムに上って行かれたと書かれています。このザアカイの話の時には彼の家に泊まって行こうという話をしているので、夕方の話だと思われるのですが、その夕方にザアカイの所に泊まらずにエルサレムに行ったならば、もう夜になってしまいます。ですから、きっとその日はザアカイの所に泊まって、次の朝早くにエルサレムに出発したものと思われます。でもエルサレムに向かうときにはイエス様が一番先頭になって歩いて行ったというのは、いよいよエルサレム入城の緊張感の伝わってくる書き出し方です。
そしてイエス様たちは、その千メートルの上り坂を上ったところにあるオリーブ畑と呼ばれる山のふもとのベトファゲとベタニアに近づきました。するとイエス様は二人の弟子を使いに出したのです。イエス様はエルサレムに入る時にはどのようにして入るかをすでに計画済みだったのです。そしてその二人の弟子にこう言いました。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」このように言ったのです。これはイエス様とその村の子ロバの持ち主とはすでに打ち合わせ済みだったのです。そしてその時、イエス様がロバを連れていくときには『主がお入り用なのです』というのが合言葉になっていたのです。これはたまたまそこにロバがいたのではなくすべて計画されたものです。そして、使いに出された者たちが出かけて行くと、まさに言われたとおりであったのです。
その後二人の弟子たちはどうしたでしょうか。33節から35節です。
ルカ
19:33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。
ルカ
19:34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。
ルカ
19:35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
弟子たちがロバの子をほどいていると、まさにイエス様の言ったとおりの事が起こったので、二人は「主がお入り用なのです」と言ってイエス様のところに連れてきました。そして、その子ロバに自分の服をかけて、イエス様をお乗せしたのです。イエス様は、この子ロバに乗ってエルサレムに入ると言う、計画をしていたのです。なぜでしょうか。それは手配されているものがこそこそ見つからないように入るのではなく、誰にでも分かるように堂々と入る事と、皆の注目を浴びれば、それだけ、役人たちが手を出しにくい状況になるからです。それと、この事は旧約聖書に予言されていることだったのです。ゼカリヤ書9章9節にはこう書かれています。
『娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられたもの。高ぶることなく、驢馬に乗ってくる。雌ロバの子であるロバに乗って。』この姿こそ預言された、イエス様がエルサレムに入る時の姿だったのです。なぜロバかと言えば、馬は軍事用の乗り物であり、驢馬は平和で謙虚な乗り物なのです。そして高貴な人が乗る乗り物と考えられていたのです。さらに進んでいかれると、人々はどうしたでしょうか。36節から40節です。
ルカ
19:36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
ルカ
19:37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
ルカ
19:38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」
ルカ
19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
ルカ
19:40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
イエス様が進んでいかれると、人々は自分の服を道に敷いたと書かれています。その行進は王の行進にふさわしいものだったので、人々は自然にそうしたのかもしれません。ヨハネによる福音書ではナツメヤシの枝をもって迎えに出たとも書かれています。弟子たちはいよいよエルサレムに入るオリーブ山の下り坂に差し掛かると、今まであったいろいろな奇跡を思い出して、喜んで声高らかに神を賛美し始めたのです。実はそれまで弟子たちも心配だったのです。一体イエス様はどうなるのだろうと思っていたのです。ですが、人々がイエス様を迎える姿に、その奇跡を信じ、これならば堂々とエルサレムに入れると自信を持ってきたので、喜んで神様を賛美し始めたのです。きっと神様がイエス様を守って下さっているのだと思ったのです。それで、弟子たちは、「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」と賛美しながら行進したのです。ところがファリサイ派の人々は、この賛美はイエスをメシアとするものだから、神様を冒涜するものだ。弟子たちを叱って黙らせてくださいと文句を言ったのです。するとイエス様は「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」と答えて、この喜びは誰も黙らすことができないものであることを言ったのです。
この場面はマタイにもマルコにも書かれていますが、ルカとはちょっと違った書き方です。ルカでは賛美したのは弟子たちとなっていますが、マタイとマルコでは、賛美したのは集まって来た群衆で、自分達の上着を道に敷き、葉のついた枝を道に敷いて賛美したのです。ファリサイ派の人々が文句を言った話は出てきません。大勢の人々に喜びをもって迎え入れられたことが語られているのです。
イエス様がエルサレムに近づき都が見えた時に、ルカだけにしか書かれていないことがここに語られています。それはイエス様が、都のために泣いたというのです。どうしてでしょうか。41節から44節です。
ルカ
19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
ルカ
19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
ルカ
19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
ルカ
19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
イエス様は、ご自分がもうすぐこの町で死ぬかもしれないために泣いたのではないのです。自分の言葉を受け入れず、滅んでいくエルサレムのために泣いたのです。時が来て、敵が攻め寄せて、人も街も残らず破壊されてしまうことを嘆いたのです。それは神様が訪れて下さったのに、それをわきまえずに無視したことから起こったことを嘆いたのです。実際にエルサレムはその40年後、AD70年に崩壊するのです。
転
イエス様の一行は、そのままエルサレムに入りました。そして最初にしたことは神殿から商人を追い出すことでした。これはイエス様の宮清めとして、マタイにもマルコにもヨハネにも書かれていることです。ですが、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書ではこの宮清めが、イエス様が十字架につけられるときのエルサレム入城の時に行われていますが、ヨハネだけはイエス様の公的生涯の一番最初に行われたように書かれているのです。即ち、イエス様の公的生涯は、このエルサレム神殿を清めることから始まったという書き出しなのです。ですからそれはヨハネによる福音書の2章13節と言う、とても早い時期に書かれているのです。ただ、ヨハネでは最後の過ぎ越しの時にエルサレムに来て、大勢の群集に迎えられる話もあります。イエス様はきっと毎年過ぎ越しにはエルサレムに来ていたのだと思います。
さて、ルカによる福音書によると、エルサレムに入ったイエス様はどのように宮清めをしたのでしょうか。45節から48節です。
ルカ 19:45 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
ルカ 19:46 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
ルカ 19:47 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
ルカ 19:48 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
これはイエス様の予定の行動なのです。この様にすればきっと祭司長や律法学者や指導者たちが、イエス様を殺そうとするに違いない事を知って、あえて挑発しているのです。ですがここにはイエス様の本心もまた現れているのです。それは旧約聖書に書かれているように、『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』はずなのに、この人たちは生贄の動物を売り、両替をし、しかもそれが宮の外で売られている10倍以上の値段をとって、利益をむさぼっていたのです。ですから、イエス様はそれは強盗の巣だと言ったのです。しかもその市場を支配し利益を得ていたのは、その年の大祭司カイアファとその姑アンナスなのです。この商売をしている神殿の境内の場所と言うのは、異邦人の庭と呼ばれる、異邦人たちが祈りを捧げる場所なのです。それなのに商売の声で落ち着いて祈れるような状態ではないのです。だから、イエス様は怒って、この境内から商売人たちを追い出したのです。それほどの事をしても、祭司長、律法学者、民の指導者たちはイエス様を捕まえることができませんでした。過ぎ越しのために集まって来た民衆はそのイエス様のとった行動をとても喜び、夢中になってイエス様の話を聞いていたからでした。これを無理に逮捕するというようなことをしたら、暴動が起こりかねなかったからです。それほど、イエス様の行動は民衆の共感を得ていたのです。ところがそれに反比例するように、祭司長、律法学者、民の指導者の憎しみは頂点に達し、なんとかイエス様を捕えて殺そうとしていたのです。そしてここからいよいよ、イエス様の十字架への道が始まります。
結
ついにイエス様は、エルサレムに入りました。そこにはいろいろと計画された行動がありました。人々はイエス様を受け入れましたが、祭司長たちの憎しみはますます募るばかりでした。ですがこの事もイエス様にとっては計画の内でした。神様の御心に沿った行いなのです。私たちの身体もまた、祈りの神殿であるべきなのだと言われています。その神殿を利己的な思いで用いていたなら、イエス様はその利己的な思いを払い出してしまわれるかもしれません。その時にそのことを喜ぶものになるのか、憎しみを覚えるものになるのか、分かれてくるものなのです。私たち自身の身体が、イエス様の宮清めによって、祈りの神殿へと変えられることを願うものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は、予定通りエルサレムに入り、そして宮清めをしました。まず神殿を本来あるべき姿にしなければならなかったのです。それがメシアの働きなのです。私たちも救い主に救われるためには、この神殿を清めていただくことが必要です。どうかイエス様のなさる、私達への宮清めが、喜びをもって受け入れていくことが出来ますように。自分の損得を捨てて、神様の御心に従うものでありますように導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆エルサレムに迎えられる
ルカ 19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
ルカ 19:29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、
ルカ 19:30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
ルカ 19:31 もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
ルカ 19:32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
ルカ 19:33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。
ルカ 19:34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。
ルカ 19:35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
ルカ 19:36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
ルカ 19:37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
ルカ 19:38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」
ルカ 19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
ルカ 19:40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
ルカ 19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
ルカ 19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
ルカ 19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
ルカ 19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
◆神殿から商人を追い出す
ルカ 19:45 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
ルカ 19:46 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
ルカ 19:47 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
ルカ 19:48 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。