家庭礼拝 2017年10月4日ルカ19章1‐27 徴税人ザアカイ

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起 

 先週、イエス様が必死に叫ぶ盲人をいやしたのはエリコに近づかれた時でした。そして今日の聖書の箇所はそのエリコに入られた時のことです。このエリコと言う町は、土地が肥沃で、棕梠の町とも呼ばれ、ナツメヤシとバルサムを市場に送り出していました。その様な産業が盛んなだけでなくエルサレムの入り口やヨルダンへの通り道などの交通の便があるために栄えていた町でした。イエス様はエルサレムに行くために、このエリコの町は通り過ぎていく予定でしたが、ここで一つの出来事が起こります。それは徴税人ザアカイとの出会いです。この話は有名なので、教会学校の子供たちも良く知っている話です。イエス様と出会って悔い改めたザアカイがイエス様を自分の家に招く話が語られています。すなわち、イエス様はザアカイの家で一泊するのです。そして次の日にはエルサレムに上って行って、ついにエルサレムに入ると言うときの話なのです。ですがこのザアカイの話はルカによる福音書にしか書かれていません。マタイによる福音書では、二人の盲人をいやしたのはエリコを出てからの事で、そのあとまっすぐにエルサレムに向かっています。しかも、イエス様はザアカイの家に泊まりたいと言い、人々はイエス様が罪深い男の所に行って宿をとったと書かれている割には、レビの時のように食事をした話もなければ、ムナの譬え話をした後、イエス様は先に立って、進んでエルサレムへ登って行かれたと書かれているのです。本当に泊まったのかどうかは良く分かりません。

 このザアカイと言う人は徴税人という仕事の頭をしていて金持ちでした。ですが、いくらお金があっても満たされていず、幸せではなかったのです。このエリコでは徴税人の仕事はとても儲かる仕事でした。徴税人と言うのはその当時支配していた、ローマの役人に代わって、ユダヤ人から税金を取る仕事をしていたのです。それは人頭税のように人にかかる税金や、通行税や入管税の様な通行や、荷物にかかる税金もありました。このエリコはエルサレムに行く人々やヨルダンに行く人々、ガリラヤに行く人々などの通り道になっていたので、その税金の収入が多かったのです。しかもその税金を取る時、ローマが決めた税率よりも多くとって、自分達の懐に入れていたので、ユダヤ人たちからはとても嫌われていました。むしろ罪人として、社会からの交わりから疎外されていたのです。神様からも救われない人々だとされてきたのです。その様な状況だったのでザアカイは孤独を感じ、神様からも阻害されているのではないかという不安を感じ、もしかするとこのイエスと言う人が私たちを受け入れて下さる方かもしれないという、うわさを聞いていたのです。ザアカイはイエス様によって救われるかもしれない期待をもって、イエス様の来るのを待っていたのです。

 実はこのザアカイにとても良く似た話がすでに出ているのですが、覚えているでしょうか。それは、ルカ5章27節に出てくる、「レビを弟子にする」話とそっくりなのです。その時は、イエス様の言った有名な言葉に、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」という話をしました。このレビと言うのは、マタイによる福音書では、マタイとなっています。すなわちイエス様の弟子となったマタイなのです。このマタイの話はガリラヤでの話しでしたが、このザアカイの話はエルサレムの近くのエリコでの話です。

 このザアカイの話をされた後にイエス様は、◆「ムナ」のたとえの話をされました。これも前に聞いたことのある話と非常に似ています。それはマタイによる福音書の25章14節に書いてある「タラントン」の譬えの話です。こちらの方が良く知られた譬え話かもしれません。ムナもタラントンもギリシャの通貨の単位です。ユダヤ人は自国の通貨と言うものを持たず、ローマやギリシャの通貨を使っていたのでこのような貨幣の単位を用いるのです。ところでムナとはあまり聞いたことのない単位ですが、タラントンとどう違うのでしょうか。1ムナとはギリシャの銀貨で、100ドラクメに相当します。ドラクメもギリシャの通貨です。そして、これはローマの通貨デナリオンと同じで、一日の賃金に当たる金額です。ですから、1ムナと言うのは100ドラクメですから、今で言うと、休みも入れると半年分の給料に相当する金額かもしれません。それではタラントンと言うのはどのような金額かと言うと、1タラントンは6000ドラクメに相当するので、今で言うと30年分の給料に相当すると言うとんでもない金額と言う事になります。タラントンのたとえでは僕に5タラントン、2タラントン、1タラントンと差をつけて渡しますが、「ムナ」のたとえでは10人の僕に1ムナずつ公平に与える話となっています。それでは、イエス様がなぜこの話をしたのか聖書に聞いてみましょう。

さて、イエス様はエルサレムへの旅をつづけ、ついにエリコの町まで来ました。もうすぐ長い坂を上って下ればそこはエルサレムになります。イエス様はその旅を急いでいました。ところが、もう一日エリコに留まることになりました。それはザアカイとの出会いがあったからです。1節から4節です。

ルカ 19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。

ルカ 19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

ルカ 19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

ルカ 19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

 このエリコの町でも評判になっていたイエス様が、過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに向かっていると言う話は、町中でも噂になっていました。そしていよいよエリコに来られると、人々はイエス様の周りに人だかりになって、イエス様の御利益にあずかろうとしたのです。ザアカイも、イエス様を一目見ようとその人だかりに行ってみましたが、見ることができませんでした。背が小さかったのと、徴税人と言う事で、ユダヤ人たちから意地悪をされて、見えないようにされたのかもしれません。そこで、イエス様の来そうなところに先回りをして、いちじく桑の木に登って、イエス様の通るのをよく見られるようにしたのです。するとイエス様はどうしたでしょうか。5節から7節です。

ルカ 19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

ルカ 19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

ルカ 19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

イエス様は、木にまで登って、イエス様を拝もうとしているザアカイに気が付いたのです。きっと周りの人も、ザアカイに気が付いて、あれはザアカイだと騒いだのかもしれません。するとイエス様は、上を見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言ったのです。イエス様の顔を拝むことの出来たザアカイは、きっとその喜びと感動に溢れていたのだと思います。そのことにイエス様は気が付いて、ぜひあなたの家に泊まりたい、と言ったのです。その人の家に泊まると言うのは、その人との親密な関係にあることを現すことです。ザアカイは、思いもよらないイエス様の言葉に驚き喜んですぐイエス様を家に迎えたのです。これはイエス様の予定外の行動でした。ザアカイのために一泊することにしたのです。ところがそれを見ていた人たちは皆つぶやいたのです。それはファリサイ派の人だけではなく他の人々もそうだったのです。それほど徴税人は嫌われ罪人だと思われていたのです。ですからイエス様が罪人のザアカイの所に泊まるなんて、なんて汚らわしい事なんだろうと思ったのです。

ですがイエス様と出会ったザアカイは、既に新しいザアカイに作り変えられていました。罪の思いに苦しんでいたザアカイは救われたのです。8節から10節です。

ルカ 19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

ルカ 19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

ルカ 19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

ザアカイは、もうお金よりも大切なものを見つけることが出来ました。自分は救われないのではないかと思っていたのが、イエス様によって受け入れられて救われ、それで喜んで立ち上がり、イエス様に言ったのです。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」ザアカイは自分の持っている財産の半分をまず貧しい人々の施しますと言ったのです。残りの半分はまだ自分のものなのですが、その残りの半分も、もし誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返しますと言ったのです。律法では盗んだものを返す場合には二倍にして返すことになっていたのですが、ザアカイはそれを4倍にして返すと言ったのです。もう不正は致しませんと宣言しているのです。このザアカイの言葉を聞いて、イエス様は「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」と言いました。救われたのはザアカイだけではありませんでした。救いがこの家を訪れたのです。その家族もその親類も、その友達にも訪れたのかもしれません。救いというのは、その人、個人だけではなくその周りの人にも波及するのです。今まで、このような徴税人たちは、罪人であってアブラハムの子ではないということが言われていたのです。ですが、イエス様は、この人もアブラハムの子なのだからと言ったのです。ザアカイは、イエス様に信頼されることによって立ち直ることが出来たのです。そしてイエス様はご自分の使命をこの様に言いました。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」この事はイエス様が15章以来見失った羊の譬えなどを語りながらずっと語ってきたことでした。イエス様は、失われたものを探して救うために来られたのです。この事を覚えて、深く感謝するものであります。ザアカイは失われた羊だったのです。

 イエス様は、このザアカイの悔い改めの出来事に人々もまた感動して、本当に神の国がすぐ近くに近づいているのではないかと思っていた時に、イエス様は、もう一つの譬え話をされました。それはイエス様がエルサレムに入る時その神の国の出来事が成就するのではないかという期待感が高まったからです。ところがイエス様は、神の国はすぐ来るようなものではなく、日々の生活を信仰をもって過ごして行くことの中で、与えられるものであることを語ろうとしたのです。11節から14節です。

ルカ 19:11 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。

ルカ 19:12 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。

ルカ 19:13 そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。

ルカ 19:14 しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。

 この譬え話では、王の位を受けて帰って来る主人と、10人の僕と、国民が登場してきます。しかもこの国民は彼を憎んでおり、使者を送って、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせたのです。この話は実際に起こった話とダブっているので、聞いている人にはすぐわかりました。それはヘロデ大王が死んだとき、ユダヤ地方は3人の息子の一人の、ヘロデ・アラケオに、分割されようとしていたのです。その時、ユダヤの住民は50人の使節団をローマに派遣して、彼を王にしないでくださいと訴えたという話が実際にあったのです。この事を、もじってこの譬え話は語られているのです。また、別の見方をすれば、この王の位を受けようとしている人はイエス様で、10人の僕はイエス様を信じる人たちで、彼を憎んでいた国民とは、ファリサイ派などの人達を指しているとも考えられます。10人の僕には10ムナ渡されたので、一人1ムナづつ公平に与えられたと言う事になります。そして、遠くに行ったその主人はまた帰ってくることになります。

 この人が王の位を受けて帰ってくると言うのは、イエス様の再臨の事です。その時に私たちはそれぞれイエス様のみ前に立って、イエス様がいない間、私たちがどのように生きていたのかを語らなければなりません。そのことが次の15節から20節に語られれているのです。

ルカ 19:15 さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。

ルカ 19:16 最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。

ルカ 19:17 主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』

ルカ 19:18 二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。

ルカ 19:19 主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。

ルカ 19:20 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。

 最初のものは1ムナで十ムナ儲けました。そして主人に褒められて、十の町の支配権を与えられました。それは儲けたからというよりも、小さなことに忠実であったからなのです。この主人を信頼して、忠実に過ごしたのです。二番目のものは、1ムナで5ムナ稼ぎました。そして5つの町を治めることになりました。ところが、10人いた中の残りの8人は『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。』と言ったのです。そのお金を生かすことをしなかったのです。ここでイエス様が言おうとしているのは、神様が私たちに与えて下さった賜物を生かすことが私たちの使命であると言う事であり、小さなことに忠実なら、その報いが与えられると言う事です。ところが残りの8人はそれを生かすことができませんでした。どうしてそれを生かさなかったのでしょうか。そしてこの主人はどのようにこの人たちを裁いたのでしょうか。21節から27節です。

ルカ 19:21 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』

ルカ 19:22 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。

ルカ 19:23 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』

ルカ 19:24 そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』

ルカ 19:25 僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、

ルカ 19:26 主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。

ルカ 19:27 ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』

 残りの8人が、リスクを冒してでもそのお金を生かそうとしなかったのは、その主人が恐ろしかったからです。その主人を信頼していなかったのです。これで商売をしなさいと言われたのにしなかったのです。どのように恐ろしかったかというと、預けないものをも取り立て、撒かないものをも刈り取られる方だと恐れていたのです。これは当時あった税金の取り立てのように思われます。その様に王様と言うものはするものだと思い込んでいたのです。この人たちは主人が言ったこれで商売しなさいという小さなことに忠実でなく、その主人を信頼もしていなかったのです。だから、この主人は、お金をもうけなかったことよりも、その言い訳をしたその言葉によって裁こうと言ったのです。すなわち、その僕たちが思い込んでいる恐ろしい王様になって、取り立てようと言うのです。自分たちの思い込みで感じていることが現実になってしまうのです。そして、『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』と言って取り上げようとすると、僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、その主人は言いました。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。』

 この譬えで言おうとしているのは、イエス様が天に上られて、再臨するまでの間に、イエス様が語ったことに信頼し忠実でありなさい、自分達に与えられたものを有効に活用して、実を結びなさい、そのような地道な働きをしながら、再臨の時を待ち望みなさいと言う事なのです。もうすぐ神の国がやってくると浮足立っている人々を、日常生活をしっかりして、忍耐強く最後まで神の国を待ち続けなさいと言う譬えで、理解させようとしたのです。

 それでは、この主人を憎んで、王にさせまいとして働いた国民はどうなったでしょうか。この譬えでは『わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』と激しい言葉で語っています。イエス様に敵対する人々に対してもこのような厳しい裁きが与えられるだろうと言う事を言っているのです。

 ザアカイは、イエス様の救いを信じて、イエス様に出会い救われました。ファリサイ派の人々は、イエス様を信じることなく、その救いには与ることがありませんでした。救われたザアカイにとって、もうお金は問題ではなくなりました。それよりもイエス様と共にあることを喜んだのです。

私達は、神の国を待ち望まなければなりません。それは日々の生活の中で、主を信頼し、み言葉に忠実に生き、私たちに与えられたすべての賜物を生かして、そして、再び再臨の主に出会うときにそのことを喜んで語れるものとなるのです。どうか私たちの日々の生活が主によって、祝福されるものでありますように。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、ザアカイは自分は救いから漏れているのではないかと不安に思っていましたが、イエス様に出会って救われました。イエス様によって、この人もまたアブラハムの子であると宣言されました。イエス様は私たちの失われた魂を探し求めて下さる方です。どうかこの方に信頼し、この方に信頼されて歩むことが出来ますように。私たちは日々の生活の中で、神の国を待ち望み、与えられた恵みを御心に従って生かすことが出来ますように。主を信じる者は主に信頼されるものとなり、信じないものは裁かれます。どうか御心にかなって主を信じるものでありますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆徴税人ザアカイ

ルカ 19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。

ルカ 19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

ルカ 19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

ルカ 19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

ルカ 19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

ルカ 19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

ルカ 19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

ルカ 19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

ルカ 19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

ルカ 19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

◆「ムナ」のたとえ

ルカ 19:11 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。

ルカ 19:12 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。

ルカ 19:13 そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。

ルカ 19:14 しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。

ルカ 19:15 さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。

ルカ 19:16 最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。

ルカ 19:17 主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』

ルカ 19:18 二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。

ルカ 19:19 主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。

ルカ 19:20 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。

ルカ 19:21 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』

ルカ 19:22 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。

ルカ 19:23 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』

ルカ 19:24 そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』

ルカ 19:25 僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、

ルカ 19:26 主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。

ルカ 19:27 ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」