家庭礼拝 2017年9月28日ルカ18章18‐43 金持ちの議員
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起
この18章は、よく読んでみると、祈りについて深く教えている章であることに驚かされました。それも、真実に願い求めて祈る人と、表面的なところにとどまった利己的な祈りする人とを対比させながら、本当の祈りの大切さを教える章であることに初めて気づかされました。
それまでは、これらの小見出しにある一つ一つの例話はそれぞれ独立にあった、それぞれの話をここに寄せ集めているのかと思っていました。ですが、心からの叫びの祈りという線で読んでいくと、ここに深い教えがあったことに気づかされたのです。
18章はまず、やもめと裁判官の譬えから始まりました。ここには神をも恐れないような裁判官に対して、必死になって願い求めるやもめの女の人の訴えに、根負けする裁判官を例に挙げて、神様に対して、諦めずに信じて必死に熱心に祈り求めることの大切さを教えました。
そしてその次には自分を正しいと己惚れて、他人を見下しているファリサイ派の人の利己的な祈りがあげられ、そのあとに徴税人の、罪人の私を憐れんでくださいと、へりくだって胸を打ち叩いて祈る真実な祈りが語られました。
そして先週の最後は神の国を受け継ぐ者とはこのような、心から信じることの出来る素直な子供のようなものであるとの教えを語りました。今日の話はこの話を受け継いで始まります。今日の小見出しは、◆金持ちの議員の話、◆イエス、三度死と復活を予告する話、◆エリコの近くで盲人をいやす話と続きます。◆金持ちの議員の話は、先週の神の国に入る者は子供の様に神の国を受け入れる人でなければならない、という話に続いているのです。イエス様が三度死と復活を予告する話は、この金持ちの議員が永遠の命を願ったことに続くのです。すなわちこの金持ちの人の祈りは、永遠の命を願う事だったのです。この金持ちの願いは先週の、ファリサイ人の神殿における祈りと同じように心の底から訴える祈りとなっていなかったのです。そして最後のエリコの近くで、盲人がイエス様に必死に叫び求めて、目をいやしてもらう話は、やもめが不正な裁判官に諦めずに願い求めたことや、徴税人が胸を打ち叩いて神様に憐れみを願い求めたことと同じで、必死になって願い祈り求める人々の姿を描いているのです。それと対照的にファリサイ派の人の神殿での祈りや、金持ちの議員が願い求めている永遠の命を願う祈りは、本当の心の底からの祈りになっておらず、まだ利己的な自己保身的な祈りなのです。そして、これらの話の間に、神の国に入る者、永遠の命を受け継ぐものが、子供のようなものや、イエス様の死をとおして復活する予言として語られているのです。このように、この18章は、祈りと神の国をテーマとして、真実なものと偽りのものを対比させながら語っている、奥の深い話なのです。
承
今日の話では、まず金持ちの議員がイエス様に質問するところから始まります。マタイではこの人は青年であると書かれています。18節と19節です。
ルカ
18:18 ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。
ルカ
18:19 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
この金持ちの議員がイエス様に質問する話はマタイにもマルコにも書かれています。それもその前の子供を祝福する話に続けて語られているので、神の国に入る者はどのようなものであるかを子供と金持ちの男とを対比させて書いてあると考えられるのです。この青年は金持ちであり、議員であるので社会的にも恵まれた人であるのにもかかわらず、何か欠けているものを感じて、イエス様に永遠の命について質問したのです。その時にユダヤ人ならばふつう使わない言葉を使いました。それは善い先生、と呼びかけたことでした。この人はイエス様に対して、特別の思いをもって善い先生と呼びかけたのです。ですからイエス様はなぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」と答えたのです。この青年は、神様に対するのと同じ思いで、イエス様に対して善い先生と言ったのです。そしてイエス様はこう答えました。20節21節です。
ルカ
18:20 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
ルカ
18:21 すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
イエス様はこの青年に対して、永遠の命を得るためには聖書の言葉に従いなさい、と語ったのです。ところがこの青年は、そういうことは皆、子供の時から守ってきたと答えました。それなのに、自分は永遠の命を受けていないという、救われない気持ちになっていたのです。すなわち、律法を守ることでは自分の救いにはなっていなかったのです。するとイエス様は、こう言われました。22節と23節です。
ルカ
18:22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
ルカ
18:23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
イエス様は、新しい教えを教えたわけではありません、従来の聖書の言葉に基づいて答えたのです。それはあなたに欠けているものがある、それは貧しい人々に施しなさい、と言う事だったのです。全財産を全て売り払い施しなさいと言われたので、この青年は驚いてしまったのです。この青年は自分はすべての律法を守ってきたと自負していました。ですが、イエス様に簡単に欠けている点を指摘されたのです。それは、貧しい人に施しをしていないと言う事です。利己的だったのです。この様に、自分は正しいと思っている人は、自分の都合の良い所だけを認めて自分は正しいと思っているのです。自分が貧しい人に施していないことには目をつぶっているのです。それを指摘されて、この青年は非常に悲しみました。大変な金持ちだったからです。そしてその財産を捨てきれなかったのです。これがこの青年に欠けている点だったのです。この青年はイエス様の言葉を十分には理解できていませんでした。イエス様の言葉の裏には、自分がささげたものの何倍ものものが与えられる、と言う事をまだ知らなかったので、すべてを失ってしまうと思っていたのです。イエス様はその有様を見てこう言われました。24節から27節です。
ルカ
18:24 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。
ルカ
18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
ルカ
18:26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、
ルカ
18:27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
この青年は自分がイエス様の言葉に従えないことを苦しみ、悲しみました。マルコではイエス様はこの青年を慈しんだと語っています。この青年の思いは純粋で、その求める思いは本当だったのでしょうが、それをそれ以上の力で阻んでいたのが財産と言うしがらみだったのです。結局この青年はイエス様の言葉に従えず、悲しんで去って行くのです。これが、先週の「子供の様に神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入る事は出来ない」という言葉が意味しているところです。この青年にはまだ大人の打算が残っていたのです。イエス様は、この青年の様子を見て「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言ったのです。それほどお金の執着から離れるのは難しいと言う事を言ったのです。子供の様に受け入れる事は出来なかったのです。それを聞いた周りの人々は、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言い合いました。誰もが、この青年に同情したのです。自分でも彼の立場なら出来ないだろうと思ったのです。きっと私たちも同じだと思います。ですがイエス様は、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われたのです。たとえそれが、ラクダが針の穴を通るようなことでもできると言うのです。すなわち、人間の力でできないと思ったら、神様に委ねなさい。神様に祈り求めなさい、神様がそれを成し遂げて下さると言う事を言っているのです。
するとペトロは、よく理解もしないで自慢げにこの様に言ったのです。28節から30節です。
ルカ
18:28 するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。
ルカ
18:29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、
ルカ
18:30 この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
ペトロが自分たちは、イエス様の言うように、自分の物を捨てて従ってまいりましたと得意になって言うと、それにはあまりこだわらずにこう答えました。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」イエス様は、神の国のためにこの金持ちの様な財産だけではなく、家、妻、兄弟、両親、子供さえも捨てたものは、それを失うだけではなく、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受けると約束してくれたのです。去って行った青年は、イエス様のこの教えを知ることがなかったのです。又知っていても信じることができないかもしれません。私たちはこの教えを受けました。失うことに捉われることなく、その何倍もの報いを受け永遠の命を受けると言う約束を与えられたのです。これを信じて歩んで行きたいと思います。
転
さてこのあとイエス様は12人の弟子を呼び寄せて、死と復活について語るのです。この話は、先ほどの神の国のために捨て去るものは何倍もの報いを受け、永遠の命を受けると言う話とつながっているのです。31節から34節です。
ルカ 18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
ルカ 18:32 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。
ルカ 18:33 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
ルカ 18:34 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
金持ちの青年は、財産を捨てることが出来なくて、永遠の命を得る事は出来ませんでした。イエス様は、この事に関連して自分の事を語るのです。それは自分は命を捨てて、永遠の命にあずかることを言っているのです。この事を、12人の弟子たちを呼び寄せてこう言ったのです。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」イエス様はこれで3度もご自分がエルサレムで、捉えられ、侮辱され、苦しめられて、鞭うたれ、そして殺されることを語りました。でもそれは、預言されていることだと言うのです。そしてもっと大切な事は死んで三日目には復活すると言うのです。これこそ金持ちの青年が得たかった永遠の命を得ることになるのです。ですが弟子達には、このイエス様の言葉が理解できませんでした。彼らの考えているメシア救い主と言うのは権力者を裁き、ユダヤ人の上に平和を与える権威ある王なる人というイメージだからです。その人となるべきイエス様がどうして殺されるのかが理解できなかったのです。
話しは変わり、イエス様たちは、そのあと旅を続けて、エルサレム近くのエリコまでやってきました。するとイエス様が来たというので、町中の評判になりました。そこに物乞いをしている目の見えない人がそのことを聞きつけて、騒ぎを起こすのです。35節から39節です。
ルカ 18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。
ルカ 18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。
ルカ 18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、
ルカ 18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
ルカ 18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
イエス様がこのエリコでどのような評判になっていたかというのはこの盲人が叫んだ言葉でわかります。この盲人は必死になって、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだのです。ダビデの子イエスよ、というのは、救い主イエス様、というのと同じことなのです。この人々にはイエス様は救い主として、病気の人をいやし、罪人を救い、貧しい人を助けて下さる方として、評判になっていたのです。この盲人は目が見えないので、人の気配を感じただけで近くにイエス様がいると思って叫び続けたのです。周りの人々はうるさいのでしかりつけて黙らせようとしましたが、それでもますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのです。この盲人の叫びと言うのは、裁判官にしつこく訴えたやもめの訴えや、神殿で胸を打ち叩いて、神様に憐れみを願った徴税人の祈りと同じなのです。この18章で語られている祈りは必死にもとめる祈りなのです。何もかも投げ捨てての祈りなのです。イエス様はこの事の大切さを語ろうとしているのです。何と言われても引き下がらない祈りなのです。するとイエス様はその声を聴いて立ち止まりました。40節から43節です。
ルカ 18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。
ルカ 18:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。
ルカ 18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
ルカ 18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。
イエス様はその盲人を、そば近くに呼び寄せて、「何をしてほしいのか。」と聞くと、盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言ったのです。イエス様に直接願いを語ることが出来たのです。するとイエス様は、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」と言うとたちまち目が見えるようになり、神様をほめたたえたのです。人から何と言われようと、どのように難しいことがあろうと信じて願い求めれば、神様はきっと哀れんでくださり聞き届けて下さることを教えてくださいました。そのためには利己的な思いではなく真実に神様を信じる信仰が大切であることをこの18章では語っているのです。
結
この18章では、必死になって願い求める人たちの祈りを聞きました。それは信仰をもって願い求める人たちが、その信仰を認められて、あなたの信仰があなたを救ったと言われて、救われていく姿でした。ですがその思いに、利己的な思いや、虚栄心や、自尊心があると、子供のような思いにはなれずに、神の国を受け入れることが出来なくなってしまう事も教えられました。イエス様は自らを手本にして、自分がその命を捨て、エルサレムで殺されるが、三日目に生き返って永遠の命に生きることを語りましたが、まだ弟子達にはそれが理解できませんでした。この事を信じることができる人もいれば、出来ない人もいます。いずれにしてもそれは自分の力で信じるのではなく、神様に委ね、神様の導きによって、祈りによって、導かれるものだと思います。聖霊が教えてくれるのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちに真実の信仰が与えられますように。本当には信じ切れない者ですが、信じるものへと変えられますように。すべてを捧げることができない者ですが、捧げることができるように、祈ることが出来ますように。何も恐れずに、捧げたものの何倍もの報いが与えられることを信じ、永遠の命を与えられるという約束を信じて、信仰を持って歩ませてください。ただあなたに委ね、御心にかなう者として歩ませてください。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆金持ちの議員
ルカ 18:18 ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。
ルカ 18:19 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
ルカ 18:20 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
ルカ 18:21 すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
ルカ 18:22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
ルカ 18:23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
ルカ 18:24 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。
ルカ 18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
ルカ 18:26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、
ルカ 18:27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
ルカ 18:28 するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。
ルカ 18:29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、
ルカ 18:30 この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
◆イエス、三度死と復活を予告する
ルカ 18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
ルカ 18:32 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。
ルカ 18:33 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
ルカ 18:34 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
◆エリコの近くで盲人をいやす
ルカ 18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。
ルカ 18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。
ルカ 18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、
ルカ 18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
ルカ 18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
ルカ 18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。
ルカ 18:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。
ルカ 18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
ルカ 18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。