家庭礼拝 2017年9月13日ルカ17章20‐37 神の国が来る

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 イエス様はずっと、弟子達やファリサイ派の人々に、神様とはどんな方か、人間とは何者なのか、信仰を持つとはどういうことかを話してこられました。そして、今日の説教の箇所に来るのですが、この箇所は、今までとはちょっと違った箇所です。それは、ファリサイ派の人々が訪ねた、「神の国はいつ来るのか」という質問にイエス様が答える形でこの話は始まるのです。

 この大切な質問がファリサイ派の人々によってなされたことと、イエス様がファリサイ派の人々を非難する話をずっとしていたのに、それでもまだ、この人々はイエス様の弟子達と一緒になって、イエス様の話を聞いていたのには驚かされます。そしてイエス様も、このような人々を排斥すること無しに、その質問に対しても丁寧に回答されているのです。

 それにしてもここの箇所は難解な箇所です。何故なら、神の国の事を語っており、それは終末の時であり、その時に何が起こるのかを語っているのですが、まるで禅問答のような感じの問答のようにも聞こえるのです。例えば一番最後の37節で

ルカ 17:37 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

といった答え方は、禅問答によくある答えです。質問には直接答えていないようですが、その背景の分かる人には答えているのです。それは、部外者にはわかりにくくとも、本人たちの間には通じる語り方なのです。ですから、ここの箇所は当事者でない私たちが、理解するのはなかなか難しいのです。私達がイエス様の時代の人になり、イエス様の弟子になったつもりで聴いてやっと少しわかるのだと思います。

 ですが、分かる範囲でその意味を理解していきたいと思います。一体イエス様は何を語ろうとしたのでしょうか。

まず最初に、イエス様に質問した、ファリサイ派の人々の言葉からです。20節と21節です。

ルカ 17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。

ルカ 17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 この話は、重い皮膚病を患っている10人の人をいやし、その一人が帰って来てイエス様の足元にひれ伏して感謝した時、イエス様が、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言った後でした。なぜファリサイ派の人々がこのタイミングで、神の国はいつ来るのかと尋ねたかというと、イエス様の宣教ではいつも、神の国は近づいた、悔い改めよと語っていたし、この重い皮膚病の人がいやされると言うのは、メシアが現れる時の一つのしるしだったのです。この奇跡をファリサイ派の人々が見た時に、もしかして、本当に神の国が来るかもしれないという恐れに捉われたのかもしれません。ですがこのファリサイ派の人々の考えている神の国とはイエス様の語っている神の国とは全く違うのです。この当時の救い主とは、ユダヤ人を抑圧し、虐げている異邦人の力から解放してくださる方の事を言っているのです。具体的にはローマ帝国から解放されて、ユダヤ人の独立国家をつくる方が救い主であり、その国が神の国なのです。このような認識の違いがあるのでイエス様の答えは、ファリサイ派の人々が期待したようなものではありませんでした。イエス様が答えて言われたのは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」という答えだったのです。ファリサイ派の人々の期待している神の国は、この国がユダヤ人のものになったという具体的なもので、目に見えるものですが、イエス様の神の国は、目に見えないもので、あなた方の間にある、と答えたのです。このあなた方の間にある、という言葉の意味が今ひとつわかりにくい所ですが、別の解釈では、あなた方の内にある、と言っているものもあります。このほうが、現実的なものと精神的なもの、又は信仰的なものと言う理解がしやすいのです。あなた方の間にある、という言葉から、私は人間と言う漢字の言葉を思い起こします。人と人との関係で成り立つものそれが人間です。それで、この間と言う言葉になにか特別の意味がないかと考えたのですが、その後の展開を考えると、神の国とは信仰的なものであると考えるほうが、理解しやすいのです。つまりイエス様は、神の国はあなた方の信仰の内にあると答えたのだと思います。

 イエス様がファリサイ派の人々に答えたのはこれだけで、ここから先は、弟子たちに向かって話しているのです。22節から24節です。

ルカ 17:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。

ルカ 17:23 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。

ルカ 17:24 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。

 それは、神の国が信仰の中にあると言う事を多少でも理解している弟子たちにさらに深い教えを与えるためでした。ファリサイ派の人々はそう考えてはいないので相手にしなかったのです。まずイエス様は、弟子たちに「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。」と言いました。これは、イエス様が、死んでしまうために、見たいと思っても見ることができないと言う事を語っています。そして、イエス様が、再臨なさって、あそこにいる、ここにいると人々が言ってもその言葉に迷わされてはいけないと言っているのです。イエス様が現れるときには、あそこだ、ここだというような特定の現れ方ではなく、稲妻が現れた時のように、誰もがその稲妻を瞬時に見るように、イエス様が現れるときには、探さなくてもみんなが一斉にその事を見るようになるだろうと言う事なのです。そしてそれは青天の霹靂のように、突然の稲妻が落ちてくるように、予告もなしに現れるだろうと言う事です。

 イエス様は、このあとイエス様が死んで、再臨するときにどのような事が起こるのかを、旧約の時代の出来事を例に挙げながら、このように語りました。25節から28節です。

ルカ 17:25 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。

ルカ 17:26 ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。

ルカ 17:27 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。

ルカ 17:28 ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、

ルカ 17:29 ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。

ルカ 17:30 人の子が現れる日にも、同じことが起こる。

 イエス様はまず、自分が迫害によって苦しめられ殺されるだろうことをこの様に言ったのです。「人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」それは誰かのせいだと言う事ではなく、それが神様によるイエス様の定めだと言う事なのです。イエス様はこの時代の人に殺される運命であると言う事を語っているのです。

 そしてその後に何が起こるのかを語りました。イエス様は再臨し、その時に何が起こるのかを旧約聖書の出来事を用いて語ったのです。まずは、ノアの箱舟での出来事です。神様が、大洪水を起こして、一人残らず滅ぼしてしまう前は、皆その事に気が付かずに、日常の生活をし、飲んだり食べたりいつものように生活していたというのです。イエス様が再臨される時もそうだと言うのです。

 ソドムとゴモラが滅ぼされた時もそうだったというのです。ロトがソドムから出て言ったその日に火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼされたのです。その時も住民は、何も気が付かずいつもの生活をしていて、突然滅ぼされてしまうのです。イエス様が、再臨される時も、人々はその事に気が付かずに日常の生活をしている中で、救われるべきものだけが救われ、他のものは皆滅ぼされてしまうだろうと言う事を言っているのです。

 そのような終末の時が来た時にどのようにしたらよいのかをイエス様はこう語りました。32節から37節です。

ルカ 17:31 その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。

ルカ 17:32 ロトの妻のことを思い出しなさい。

ルカ 17:33 自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。

ルカ 17:34 言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。

ルカ 17:35 二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」

ルカ 17:37 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

 この終末の時、最後の審判の時かもしれませんが、どのように理解したらよいのでしょうか。それは主の再臨の時として喜ぶべき時でしょうか。滅びの時として、恐れ嘆くべきでしょうか。ノアの時も、ロトの時も救われたのは信仰を持ったごくわずかの人だけで、後はみんな滅んでしまいました。いったい誰が生き延びることができるのでしょうか。イエス様はヒントを与えてくださいました。それは、「自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」これはイエス様の、自分の十字架を背負って、私に従ってきなさいと言う言葉と同じ気がします。たとえ滅びの災難がやってきたとしても、それを神様から与えられたものなら、ジタバタせずに受け入れるものにこそ、生きる命が与えられるという意味のような気もします。イエス様自身が、十字架の死を神様から与えられた使命として受け取り、そして復活の命にあずかったのですから。

 そしてイエス様はもう一つ不思議な言葉を語られました。それは、「その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」と言ったことです。これはどう理解すればいいのでしょうか。この男の二人も女の二人も、仕事や友情の絆で結ばれていた人たちだと思います。ですが、この世でのそのような絆や関係は終末の時には関係なくなると言う事だと思います。親子の関係や、この子だけは助けたいという親の思いがあったとしても、それはこの世だけのものであって、神の国では通じないと言う事ではないかと思います。

 この様な衝撃的な事を語られて、弟子たちは、ファリサイ派の人々と同じような質問をしました。ファリサイ派の人々は、神の国はいつ来るのかと尋ね、イエス様に神の国は見える形では来ないと言われました。弟子たちは、この衝撃的な話を聞いて、「主よ、それはどこで起こるのですか」と尋ねたのです。この答えは既にファリサイ派の人々に応えているのです。この質問に対して、イエス様は、ただ、「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」と答えました。多分この言葉は当時の諺だと思います。原因があれば結果は伴うと言う感じでしょうが、人間が腐敗したところ、罪に満ちたところで、起こるだろうと言っているのだと思います。

 今日のイエス様の話は、ファリサイ派の人々の神の国は何時来るのか、という質問と、弟子たちの滅びの終末は何処で起こるのかという質問に対する答えでした。イエス様の答えは、それは見える形では来ない、それは日常生活の中で突然起こる、そしてその時、自分の命を生かそうと努めるものはそれを失い、それを失うものは反って保つ、と言う事でした。そして、この世での人間関係には一切無関係に起こると言う事でした。イエス様は今までも、その時は盗人のように突然現れるから、いつも心の準備をしておきなさいと戒められておられました。私たちに求められているのは、その時がいつ来ても良いように、信仰を確かにして準備して待ち望むことです。そしてイエス様とともに、命を超えた永遠の命に至ることです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

神様、今日はイエス様の終末予言を聞くことが出来ました。はっきりと理解できることではありませんが、恐ろしくもあり、身の引き締まる思いです。ですが、私たちに求められていることは明らかです。この世の事に捉われることなく信仰をもってあなたを待ち望むことです。それは一人一人の信仰によるものであって、自分の力でどうすることも出来ないものです。神様、どうかあなたのみ業をすべて受け入れて、信仰をもって生きていくことが出来ますように、導いてください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆神の国が来る

ルカ 17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。

ルカ 17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

ルカ 17:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。

ルカ 17:23 『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。

ルカ 17:24 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。

ルカ 17:25 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。

ルカ 17:26 ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。

ルカ 17:27 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。

ルカ 17:28 ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、

ルカ 17:29 ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。

ルカ 17:30 人の子が現れる日にも、同じことが起こる。

ルカ 17:31 その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。

ルカ 17:32 ロトの妻のことを思い出しなさい。

ルカ 17:33 自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。

ルカ 17:34 言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。

ルカ 17:35 二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」

ルカ 17:37 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」