家庭礼拝 2017年7月26日ルカ14章1‐24大宴会のたとえ

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起 

 今日の24節までの、三つの小見出しの箇所はすべて宴会の席に関する話です。イエス様たちは、良く宴会の席に招かれていたようです。しかもファリサイ派の人々からの招待も良くあったようです。ファリサイ派と言えば、いつもイエス様に敵対しているようなことばかりしている印象ですが、イエス様はその招待を断らずに、そこにおもむいているのです。以前の箇所のルカ11章37節でもファリサイ派の人から食事に招かれて行っています。その時にはイエス様が食事の前に身を清められなかったことを見てファリサイ派の人が不審に思うと、イエス様はファリサイ派の人々と律法の専門家を形式だけにこだわるものとして非難したのです。

 洗礼者ヨハネは禁欲的で、良く断食をしていたようですが、イエス様たちはそのような事よりも、宴会で飲み食いすることが多かったので、人々からも大食いだ大酒のみだと非難されるようなこともありました。ですが、イエス様は、神の国とは宴会のようなものである、と譬えているのです。楽しい所だと言っているのです。敬虔な信仰者は、いつも真面目な暗い顔をしていなければならないと考えているファリサイ派の人々のような考えではなく、イエス様は、神の国を譬えて、神の国とは招待される資格のない者たちでさえも、招かれて、神様のもとで、飲み食いして、喜びを表すところだ、と言っているのです。

 今日の聖書の箇所では、ファリサイ派の議員の家の宴会にイエス様たちが招待されて行ったのです。その日は安息日でした。そしてそこにはファリサイ派の人々の罠のように、わざと病気の人、水腫を患っている人をイエス様の前においておいたのです。水腫と言うのは、体のリンパ液の流れが悪くなって、体に水がたまりむくんで病的になるような病気です。その症状は、顔が青白く四肢末梢が膨らみ、呼吸はゼーゼーと細かい気泡音を呈して少し運動しただけで呼吸困難に陥るような病気です。このような人がその宴会の席にいること自体が不自然な話なのです。そしてイエス様がその家に入られると、人々はイエス様がどうするかをうかがっていたのです。もちろんイエス様はその人をいやしてあげるのですが、この日は安息日です。その様な医療行為をしてはいけないと律法に定められている日です。ですがイエス様は今までも何度も安息日に病気の人をいやしているのです。福音書にはイエス様が安息日に、病気の人をいやした話が、7回も出てくるのです。

 イエス様は、この水腫の人をいやしてあげるのですが、この事をきっかけとして、宴会に招かれることについて、いろいろな話をするのです。それが今日の聖書の箇所の話となるのです。

まずイエス様のその時の状況が、1節と2節に書かれています。

ルカ 14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。

ルカ 14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。

この場面はちょっと異様な感じです。安息日にイエス様はこのファリサイ派の議員の家に招かれて、入っていくとイエス様の前に水腫を患っている人がいたのです。そして人々はイエス様がどうするかうかがっていたのです。イエス様は安息日に、癒しの行為を行って、律法違反をしていると言う事が、既に有名になっていたのです。ここでも、イエス様が、その律法違反をするかどうかと、周りの人たちはイエス様をうかがっているのです。これは全く罠のような感じです。このような話はルカの6章6節にもありました。その時は、イエス様が安息日に、会堂に入って教えておられると、右手の萎えた人がいて、その人をイエス様がいやすかどうかをファリサイ派の人々が注目している、という光景とそっくりの状況です。いずれもイエス様を律法違反で訴えようと、狙っているのです。

イエス様は今回は、いったいどうしたでしょうか、3節から6節です。

ルカ 14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」

ルカ 14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。

ルカ 14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」

ルカ 14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。

ここではイエス様は、先にファリサイ派の人々に問いかけたのです。それは、「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」と言う事です。ファリサイ派の人々はこの質問に対して黙っていたのです。もちろん彼らは知っていました。律法では安息日に命にかかわらない医療行為をしてはならない、と言う事になっていたのです。この水腫の人は今死にそうなのではないので、安息日以外の日に直せばいいという考えなのです。イエス様は彼らの考えはすべて分かっていたのです。この水腫の人もイエス様に対する罠としておかれていたことも分かっていたのです。ですが敢えて、その人を癒して、家に帰らせ、ファリサイ派の人々にこう言ったのです。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」このような事を、自分達もやっているのに、どうして、今ここで、水腫の人を癒してあげることが律法違反だと言えるのかと、ファリサイ派の人々を責めたのです。イエス様は、今回は先手先手でファリサイ派の人々に質問したのです。すると彼らはこれに対して答えることができなかったと書かれています。イエス様のなさっていることの方が神様の御心にかなっていたからです。

 この水腫の人の癒しについては、人々の納得を得たのかもしれません。みんなそのあと落ち着いて席につき始めたのです。ですがその時イエス様はあることに気が付いて、例え話をなさったのです。7節から10節です。

ルカ 14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。

ルカ 14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、

ルカ 14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。

ルカ 14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。

ルカ 14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 この宴会は結構大きな宴会だったようです。招待を受けた人が大勢いて、そこに招かれた人たちが、上席の方につこうとして、何やら問題を起こしていたようです。そこでイエス様はそれを諭すように、婚姻に招待されたら、上席についてはならないという譬え話をしたのです。このファリサイ派の議員の宴会は婚宴ではありませんでしたが、イエス様は婚宴の宴会を例に話をなさったのです。それは争って上席に座ると、後から身分の高い人が来た時に、席を下げられて恥をかくだろうと言う事です。反対に末席に座れば、もっと上席を勧められるようになって、名誉を与えられるだろうと言う事でした。それは誰でも高ぶるものは低くされ、へりくだるものは高められると言う事を言っているのです。この婚宴とはこの世の婚宴と言うよりも、天上の婚宴のような気がします。イエス様と教会の結婚式です。この地上での価値観は天上ではひっくり返されて、高ぶるものは低くされ、へりくだるものは高められると言う事を言っているのだと思います。イエス様の教えで、謙遜と言うのはとても大きな意味を持っているのです。それは神様の前ではだれでもが謙遜でなければならないからです。

 イエス様は、招かれた人たちだけではなく招いた人にも、このような話をして、諭しました。

12節から14節です。

ルカ 14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。

ルカ 14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。

ルカ 14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

 招く人への話と言うのは、ちょっと不思議な話です。招く場合、お返しの出来るような、友人や兄弟、親類、近所の金持などを招いてはいけないというのです。それは招く方も招かれる方もお返しを期待してやるようになるので、本当の招待にはならないというのです。これはもう宴会への招待というよりも無償の奉仕と言った方がいいような気がします。ですからそのような招待をする場合は貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさいと言うのです。その人たちはお返しが出来ないので、復活の時、あなたは報われるようになるだろうと言うのです。お返しを期待しない、無償の奉仕こそが、神の国では報われると言う事を言っているのです。

 仏教の方でも、六波羅蜜と言う修行の方法があって、その中で布施、というものがあります。これは布施をして貧しい人に施すと救われるという修行です。ある時、寺の住職さんが、お坊さんたちに、布施をしに行くときには金持ちの所に行くな、貧しい人の所に行けと言いました。その理由を聞くと、貧しい人は、貧しいからと言って布施をしないから救われないのだ。あなたたちが貧しい人の所に行って、布施をしてもらい、その人たちが救われるようにしてあげなさい、と言う事なのだそうです。どこの世界でも、無償の奉仕をするものは、奉仕する者もされる者も救われるのです。

 イエス様がこんな話をしていると、それを聞いていた人が感激したように、次の事を言ったのです。15節です。

ルカ 14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。

 この言葉を聞いて、イエス様はその人に水を差すような話をするのですがどうしてでしょうか。この言葉の何がいけなかったのでしょうか。この人はイエス様の話を聞いている内に、神の国で食事をしている気持ちになって嬉しくて言ったのですが、何がいけないのでしょうか。それは、この人は当然ユダヤ人なのですが、自分達ユダヤ人は、当然のように神の国に招かれて神の国で食事ができると言う事が前提で言っているからなのです。ですから、その時が来た時にはなんと幸いな事でしょうと言ったのです。ですが、イエス様は、ユダヤ人だからと言って、神様の招きに喜んで参加しないならば、共に食事をすることはできないと言う事を盛大な宴会の譬えを用いて話をしたのです。16節から21節です。

ルカ 14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、

ルカ 14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。

ルカ 14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。

ルカ 14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。

ルカ 14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。

ルカ 14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』

 盛大な宴会を催そうとしていたのは、神様です。招かれているのはユダヤ人です。ところが宴会の時刻になっても誰も来なかったので、僕を送って早くおいでくださいと催促させたのです。ところが、畑を買ったのでとか、牛を二頭ずつ5組買ったのでとか、妻を迎えたばかりなのでとか言って断ったのです。これは神様の事よりも、自分の都合の仕事の事とか、関心のある事とか、妻とかを優先させていると言う事です。最初の二人はまだ、自分達の言い分を恐縮して失礼させてくださいと謝っていますが、妻を迎えた人は当然のように妻を優先して謝ろうともしないのです。これは私たちの今の信仰生活においても、神様を優先するか、自分の都合を優先するかの選択になります。いろいろ都合を言って神様の招待を断ることは、神の国への招待を断る事なのです。

 それでその主人はどうしたでしょうか。家の主人は怒って、『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』と言ったのです。本来招かれるべき人が断ったので、招かれる予定の無い人たちが招かれたと言う事なのです。それは私たち異邦人の事であり罪人の事でもあるのです。神の国で食事ができると喜んでいたユダヤ人は自分たちが神様の招きを断っていることに気が付いていないので、イエス様はこんなたとえ話をしたのです。

 この主人は最後にこう言ったのです。それはユダヤ人たちを招いた神様の言葉です。24節です。

ルカ 14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」

 このように、ユダヤ人たちが招かれると思っていたことは、すべて幻影となったのです。

 今日の聖書の箇所は宴会に招かれる人、招く人、の話でした。招かれる人たちに大切な事は謙遜であることでした。招く人たちに大切な事は、無償の奉仕でした。そして、私たちが、神様の事よりも自分の事を優先するとき、それは神の国への招待を断っていると言いう事でした。

 神の国は、今日のイエス様のたとえではとっつきにくい、厳粛なものではなくて、色々な人たちが招かれて楽しく飲み食いし、神様に感謝をささげる、楽しい宴会のようなものでした。私たちも神の国の宴会に招かれて、皆と楽しく過ごせればと願っています。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。あなたの御国の宴会に招かれますように。あなたの招待を自分の都合で断ることがありませんように。招かれた時には謙遜に、奉仕するときには見返りを求めないでただ御国に宝を積むことが出来ますように導いてください。あなたの御国がより身近なものとなって、御国を感じることが出来ますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆安息日に水腫の人をいやす

ルカ 14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。

ルカ 14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。

ルカ 14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」

ルカ 14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。

ルカ 14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」

ルカ 14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。

◆客と招待する者への教訓

ルカ 14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。

ルカ 14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、

ルカ 14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。

ルカ 14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。

ルカ 14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

ルカ 14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。

ルカ 14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。

ルカ 14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

◆「大宴会」のたとえ

ルカ 14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。

ルカ 14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、

ルカ 14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。

ルカ 14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。

ルカ 14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。

ルカ 14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。

ルカ 14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』

ルカ 14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、

ルカ 14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。

ルカ 14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」