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起
先週の説教の箇所は、終末を迎えて、どうしたらよいのかと言う事が語られていました。そこでは、目を覚まして主の再臨を待ちなさい、と言う事が語られていました。今日の聖書の箇所は17節まではルカにしか書かれていない出来事です。そこには◆悔い改めなければ滅びる◆「実のならないいちじくの木」のたとえ◆安息日に、腰の曲がった婦人をいやすという、3つの話が語られています。ここで語られていることは、悔い改め、執り成し、癒しと続く神の国への道筋が語られています。神の国に至るまでに私たちに必要な悔い改め、イエス様が神様に対してなさって下さっている執り成し、そして今現在束縛されていることから解き放たれる解放、とその話は発展しているのです。そしてその発展していく様を小さな種から大きなものへと成長していく様を◆「からし種」と「パン種」のたとえで語っているのです。それは神の国の成長であり、私たちがその中に取り込まれていく様を語っているのです。このからし種とパン種のたとえは、マタイにもマルコにも書かれています。特にマタイではイエス様はガリラヤ湖のほとりでこの話をしているのですが、その時は種に関する話をいろいろしているのです。良く知られた、種を蒔く人のたとえや、毒麦のたとえなどです。そして辛子種とパン種の譬えを入れて、天国の様をみんなに理解できるように話をしているのです。マルコでもマタイと同じように種を蒔く人のたとえを語りますが、このからし種の譬えを語る前に、成長する種の譬えを前もって語っており、一層その成長が、人間には知られないところで行われていることを強調しているのです。
このようにルカは、イエス様が弟子たちに終末の時の心得を語った後で、神の国へ至る道筋と神の国について語っているのが今日の聖書の箇所と言う事になります。
承
それでは最初の話の◆悔い改めなければ滅びる、という小見出しの話です。1節から5節です。
ルカ
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
ルカ
13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
ルカ
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
ルカ
13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
ルカ
13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
ここには二つの事件について語られています。一つはピラトがガリラヤ人を殺戮した話、もう一つはシロアムの塔が倒れて18人が死んだ話です。その詳しいことは分かりません。ですがユダヤ人たちは自分たちの宗教観に合わせてその事についていろいろと噂していたのです。ガリラヤ人たちはどうしてあんな無残な死に方をしたのだろうか、きっと神様に対して罪を働いていたに違いないとか、あのシロアムの塔が倒れて死んだ人たちは、神様から死ぬように定められていたのだ。きっと生まれる前からの罪によって、そう定められていたに違いない、などと思っていたのです。そう思う一方で、自分達がこのように生きていられるのは、神様のご加護があるからに違いないと自分たちの信仰を讃えたりしているのです。
ですがイエス様の見解は決してそのようなものではありませんでした。イエス様はこう言いました。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と言ったのです。決してそれは他人ごとではない、あなた方自身の問題だ。あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びるのだ、と言ったのです。他人の事をああだこうだと言う前に、自分の罪を悔い改めなさいと言ったのです。神様の前に罪を犯していない人は一人もいないのです。ただ罪を犯しても悔い改める人だけが御国に入ることができるのです。
イエス様は、この悔い改めなければ皆滅びるという話をした後で、もう一つの話をしました。それは◆「実のならないいちじくの木」のたとえです。これは皆滅びるという話に対して、イエス様は皆をとりなして救おうとしていると言う事を語っているのです。6節から9節です。
ルカ
13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
ルカ
13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
ルカ
13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
ルカ
13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
当時この譬えを聞いただけで、その意味を理解できた人はいたのでしょうか。難しいような気がします。というのも、ご主人様とは神様の事で、園丁とはイエス様の事なのです。そしてイチジクの木とは私たちの事です。神様の園に植えられた私たちは、ただ生きていればいいというものではありませんでした。神様から実を結ぶことを期待されていたのです。いつまでも実を結ばないいちじくの木に対し、神様はそこの園丁に、3年も実を結ばないような木は切り倒してしまえと言ったのです。3年というのはイエス様が公に宣教していた期間です。一方で、私たちはほとんどが、実を結ばない木なのです。神様が切り倒せと言われた木なのです。その様にして切り倒された木が、災難にあったガリラヤの人であり、シロアムの塔で死んだ人たちかもしれません。でも誰でもがそうなる運命にあったのです。ですがそこの園丁が『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』と言ったのです。すなわち、イエス様は、神様が切り倒せと言った人々に対して、「私が面倒を見ていきますから、来年は実がなるかもしれません。それまで待ってください。それでもだめなら切り倒してください。」と取り成して下さったおかげで、猶予が与えられているだけなのです。ですからその間に悔い改めて実を結ばなければ、切り倒される運命にあると言う事を言っているのです。それはある人たちだけがそういう運命なのではなく、全員がそうであると言う事であり、人ごとのように言わないで、自分の問題として考えなさいと言う事なのです。
転
次に起こった出来事は、場所も日付も違っています。何とイエス様は久しぶりに安息日に会堂で教えられていたのです。イエス様は、会堂で話をすることを拒まれて、湖や山の中でその説教をすることが多かったのですが、ここでは、久しぶりに会堂でお話をなさっています。ですが、これがイエス様の最後の会堂でのお話なのです。そこである出来事が起こりました。10節から13節です。
ルカ 13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
ルカ 13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
ルカ 13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
ルカ 13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。
イエス様が会堂で教えられる日と言うのは安息日の日しかありません。その日に会堂で教えられていると、18年間も病の霊に取りつかれている女の人がいました。その人の腰は曲がったままでのばすことができず苦しんでいました。その女の人を見て憐れまれたイエス様はその人を呼び寄せました。そして、「婦人よ、病気は治った」と言ってその上に手を置かれると、その女の人の腰がまっすぐになり、神様を賛美したというのです。これだけなら、イエス様の癒しの奇跡を賛美する人たちが、また増えて、イエス様を信じるようになると言う事になるのですが、そうではなかったのです。というのも、ユダヤの律法では安息日に仕事をしてはならないという規則があって、この癒しもまたそのしてはならない仕事だというのです。
そして、その会堂の管理をする会堂長はイエス様に文句を言うのです。14節から17節です。
ルカ 13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
ルカ 13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。
ルカ 13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
ルカ 13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。
この会堂長は文句を言うのですが、イエス様に直接言ったのではありませんでした。周りの群集に対して、「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」と言ったのです。この会堂長にとって、信仰とは守るべき戒律をを守る事であって、人間はどうでもよかったのです。ですが、イエス様は、人間を憐れまれる神様を賛美する日が安息日なのだと言う事をこの様に言ったのです。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」イエス様は、会堂長と同じように考えている人々の事を、偽善者たちよと言いました。自分では信仰をしっかり守っていると言いながら、本当の神様の教えである愛を行うことをせず、自分たちに都合の良い律法を守る事しかしていないからです。それでいて、神様の教えに従えと人々に教えているからです。イエス様は、この女の人はこのように束縛された体になって18年も苦しんでいてもアブラハムの娘であるのだから、一日も早くその束縛から解いてやるべきではないか、たとえ安息日であってもそこから解放してやるのが、神様の御心だと言ったのです。こう言われると、反対者は皆恥じ入り、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ、と書かれています。群衆にはイエス様のおっしゃることが、神様の教えであると言う事がすぐにわかったのです。ところが律法主義者たちは、そのような知識にこだわり過ぎて、本当に人間を愛することを忘れてしまっていたのです。
人々がイエス様の奇跡と語る言葉とに感動して喜んでいるときに、イエス様は「からし種」と「パン種」のたとえを語って、神の国の宣教をするのです。イエス様の奇跡とは、そのあとで神の国の宣教をするために行っている様なものです。そうすることによって、人々はより神様を賛美するようになり、自然に悔い改めて、神の御国に入る者となるのです。18節から21節です。
ルカ 13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
ルカ 13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
ルカ 13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
ルカ 13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
ここでイエス様は神の国の事を譬えて言おうとしています。それは目に見えないほどの小さなものでも大きく成長していって、いつの間にか人々の安らぎの地になっていくというものです。それをからし種やパン種と言う言葉を使って表しています。辛子種の木は外面的な神の国を現し、そこには鳥が巣をつくると言っています。鳥の巣とは、国家を現している言葉なのです。ですから神の国の中にいろいろな国家が集まって巣をつくる様子を現しているのです。そして、パン種は内面的な神の国を現しています。その目に見えない神の国のパン種が心の内に植え付けられると、それはいつの間にか自分自身全体を神の御心が多いつくすようになると言っているのです。いずれにしてもそこには自分と言うものがいつの間にか消えて、ただ神の国の成長のみが残っているのです。イエス様は神の国とはそのようなものだと言ったのです。
結
イエス様は悔い改めることから、神の国へ行く道筋を示してくださいました。そして神の国とはどのようなものであるかを語ってくださいました。これは私たちにとっても大切な道筋です。私達もまた、自分達は神様に守られており、災難に会う人は神様から見放されていると考えがちです。ですが、神様から見れば皆同じであって、その事を謙遜に受け止め悔い改めることこそ私たちの必要な実を結ぶことになることをイエス様は語っています。そしてその実のならない私達のために、イエス様は絶えず聖霊を送って下さって私たちを養ってくださっているのです。私たちが今生きていられるのは、このイエス様の執り成しがあってのことです。この事を覚えて感謝する者でありたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私達に必要なのは謙遜に悔い改める事です。私たちに何一つ自分の権利を主張できるものはありません。私たちはイエス様の執り成しによって、生かされているものであり、悔い改めて、御国を目指す以外に救いはないものです。どうかこの事を覚えて、いつもあなたを見つめあなたを見上げて生きていくものでありますように。自分たちが生かされているのは、自分達の信仰によるなどと考えることがありませんようにお守りください。すべての人々に、あなたの救いが与えられますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆悔い改めなければ滅びる
ルカ 13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
ルカ 13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
ルカ 13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
ルカ 13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
ルカ 13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
◆「実のならないいちじくの木」のたとえ
ルカ 13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
ルカ 13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
ルカ 13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
ルカ 13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
◆安息日に、腰の曲がった婦人をいやす
ルカ 13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
ルカ 13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
ルカ 13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
ルカ 13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。
ルカ 13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
ルカ 13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。
ルカ 13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
ルカ 13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。
◆「からし種」と「パン種」のたとえ
ルカ 13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
ルカ 13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
ルカ 13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
ルカ 13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」