賛美歌404あまつましみず聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌405すべての人に
起
今日の小見出しのテーマは色々あります。◆目を覚ましている僕◆分裂をもたらす◆時を見分ける◆訴える人と仲直りする、と続きます。ですが一貫していることがあります。それは、終末の時を迎えて、どうすれば良いのかと言う事を、教えているのです。そこにはもう時間がない、その時が迫っていると言ったような緊迫感があります。◆目を覚ましている僕、というのは終末の時イエス様が再臨した時に、その時を準備して待つ僕に、どんな祝福が与えられるのかを語っています。◆分裂をもたらす、では、終末が近づき、御国が到来し平和が訪れる前に、世界では過渡的に分裂が生じ対立するものが争ってくることが語られています。◆時を見分ける、では天気を見分けるように、時を見分けて、終末の時が近づいていることを知りなさいと教えています。そして最後の◆訴える人と仲直りする、という話も単独では道徳的な話に聞こえますが、これも、終末の時に、神様と争うようなことはせず、悔い改めて仲直りしなさい、と言う事を言っているのです。すなわちすべて、終末に関係していることを理解しながら読む必要があります。
これらの事をイエス様が話をしているのは、ご自分が十字架につけられて死ぬ時が、遠い話ではなくなったので、その事を弟子たちにしっかりと理解して、その準備をしてほしいという意味で話をしているのです。そしてこれらの話は、先週お話しした◆思い悩むな、という話に繋がっているのです。これらの事が近づいている、でも思い悩むな、ただ神様をそしてイエス様を信頼して従ってきなさい、とイエス様は言っているのです。そしてそのように信頼するならば、あなたたちはこの終末の時に、正しい道を歩むことが出来るだろうと言う事を言おうとしているのです。
ルカはこれらの話を、終末を迎える弟子たちの準備としてここにまとめて話をしていますが、同じ話を記載しているのは、マタイ福音書だけです。ほかの福音書には書かれていないのです。しかもマタイ福音書に書かれている箇所はそれぞれ違う場面で語られており、ルカの様にまとまった話として語っているわけではありません。マタイ福音書では、◆目を覚ましている僕、の話はルカと同じように、終末の話をしているときに語っています。ですが、マタイではさらにこの話を発展させて、「十人のおとめのたとえ」も話しています。こちらの方が私たちには印象が深いかもしれません。◆分裂をもたらす、話では、マタイはこの話を12人の弟子を派遣するときの心構えとして話をしています。◆時を見分ける、話ではマタイでは、四千人の食事の後で、人々はしるしを欲しがる話をする中で、時代のしるしを見分ける話をしています。◆訴える人と仲直りする、という話はマタイでは、山上の説教の中で、腹を立ててはならないという話をする中で語られています。このように、マタイとルカではその話の取り上げている場面が違っているのですが、ルカはこれらの話を、終末を迎える弟子たちの心構えの話として理解しているようです。その様な背景があることを理解しつつ、聖書を読んでいきたいと思います。
承
最初は◆目を覚ましている僕、の話です。35節から37節です。
ルカ
12:35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
ルカ
12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
ルカ
12:37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
ここで言われている僕とは、いわゆる奴隷の事です。奴隷の中でも優秀な人は家令となって、家の財産の管理を任される大切な仕事をするものもいました。ここに言われる僕たちとはそのような奴隷の事です。主人がどこかに出かけた時に、いつでも主人が戻ってきたときにすぐに対応できるように、目を覚まして準備していなさいと言うのです。これは一般的な僕の心得を言っているのではなく、終末の時にイエス様が再臨される時に、信仰をもっていつもイエス様の再臨の時を待つものとなりなさい、と言う事を言っているのです。その時にイエス様をすぐに迎い入れることが出来るなら、あなたには大いなる祝福が与えられると言っているのです。イエス様はさらに泥棒の話も交えて、泥棒に対して用心して備えるように、何時来られるか分からないイエス様の再臨の時を目を覚まして準備して待っていなさいと言ったのです。
ペトロはこの時イエス様が誰に対してこの話をしているかわからなかったようです。そしてペトロはこのようにイエス様に聞いたのです。「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うとイエス様はそれには答えずに次の話の悪い僕の話をつづけたのです。その悪い僕と言うのは、他の奴隷たちを管理する家令の奴隷ですが、主人がいないことを良いことにして、自分の地位を利用して、自分勝手に乱暴を働いたり、飲食をしたりして、主人の意にそわないことをしていたというのです。ですが突然その主人がやって来て、その事を知り、その僕を罰したという話です。この他の奴隷を管理する家令の奴隷とは、すなわちイエス様の弟子たちの事です。イエス様はこの話をすることによって、ペトロの疑問に答えているのです。イエス様の話は人々に神の国を述べ伝える、リーダー的な弟子たちの事を言っているのです。それが、イエス様がいつ再臨するかわからないから、勝手な事をしていようと思ったら、きっと再臨の時に罰せられるだろうと言う事を言っているのです。そして最後にこう言ったのです。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」即ち、神様から多く与えられたもの、多く任された者にはその責任があり、それに答えていかなければならないと言う事です。私達が神様の祝福ばかり求めて、それに見合う責任を果たさないと、私たちは責任の大きさに応じて罰せられるかもしれないと言う事なのです。
転
つぎに、◆分裂をもたらす、という話が始まります。49節から53節です。
ルカ 12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
ルカ 12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
ルカ 12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
ルカ 12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
ルカ 12:53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
イエス様は、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」と言いました。イエス様は平和の王ではなかったのかと危ぶむ声も聞こえそうです。ですが、その平和は、何もしないでもたらされる平和ではないようです。イエス様のもたらす平和に抵抗する人々がいるからです。そしてそこには分裂が生じ争いが生じます。過渡的にはそのような状態になることを覚悟しなさいとイエス様は語っておられるのです。そしてその後に、本当の平和、神の国が来ると言っているのです。
次に、◆時を見分ける、話をしました。54節から56節です。
ルカ 12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
ルカ 12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
ルカ 12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
イエス様は終末が近づいていることを天気を見分ける話と関連付けて話をしています。イスラエルは日本のように、気候が目まぐるしく変わる地域なのです。イエス様の「種を蒔く人」の話のように、農作業をする人々も沢山いました。ですから、その日の天気がどのように変わるかを、いろいろな経験から、見分ける術をつかんでいました。ですがイエス様はそんな天気を見分ける話をしようとしたのではないのです。もうすぐ終末の時がやってくると言うのに、その兆候がいろいろと表れているのに、どうしてその事に気が付かないのかと言う事を言っているのです。そしてこのように言いました。
「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
即ち、ユダヤ人たちにそのことを知らせる徴候であるしるしをいろいろと見せているのにどうしてその事を、受け入れて知ろうとしないのかと言う事をイエス様は嘆いておられるのです。イエス様が偽善者よと言うのは、この人たちは、その事を知っているのに、知らないふりをして、自分たちに都合の良い事だけを言っているからなのです。
最後は、◆訴える人と仲直りする、という話です。57節から59節です。
ルカ 12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
ルカ 12:58 あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
ルカ 12:59 言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
この話も、争っている人と和解して仲良くしなさいと言う道徳の話をしているのではないのです。この話も終末の時の事を言っているのです。この訴えている人の裁判とは、最後の審判の事を言っているのです。この話の中では訴えられている人が一方的に悪いように語られています。そしてそんなことは自分で考えればすぐにわかる事だから、裁判を受ける前に、あなたを訴えている人と仲直りするように務めなさいと勧めています。訴えられている人が一方的に悪いのは当たり前なのです。訴えているのは神様であり、神様の前に自分の正しさを主張できる人は一人もいないからです。最後の審判が下される前に、あなたは神様と和解して、仲直りしたほうが得策ですよと勧めています。というのも裁判が始まれば、必ず負けて、その罪のために牢に投げ込まれるだろうと言っているのです。そして、最後の一円を返すまでは、決してその牢から出る事は出来ないから、手遅れになる前に悔い改めて神様と和解しなさいと言っているのです。
結
このようにイエス様は、弟子たちにこの終末の時が来る前にあなたたちはどのような心構えでいなければならないのかを、細かく教えさとしていたのです。ですが弟子たちは、その終末の時が何なのか、イエス様がどうしてこんな話をするのかさえも良く分からなかったと思います。弟子たちが理解できたのはイエス様が十字架につけられて殺され、そして、復活して蘇り、再び来ると約束された後のことになります。弟子たちはこれらの話を思い起こして、イエス様はこの終末の時の事を話されたのだと理解したのです。ですから、初代教会ではこのような終末論に基づいた信仰が、生き生きと語られていたのです。全ての信者は、今すぐにでもその時が来るかもしれないと、緊張感を持って待ち望んでいたのです。今の私達にも必要な緊張感です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様を通して語られた、終末に対する心構えが与えられ感謝いたします。私たちは、悪い僕のように、その終末の時はまだまだ来ないと思って、自分勝手な生活をしています。あなたの愛の業にふさわしくない、利己的な思いでいることもあります。私たちの命はあなたのものです。いつ取り上げられても、悔いのないように、どうかしっかりと準備し、あなたの御国にふさわしいものとなることが出来ますように導いてください。いつも信仰をもって備えていくことが出来ますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆目を覚ましている僕
ルカ 12:35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
ルカ 12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
ルカ 12:37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
ルカ 12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
ルカ 12:39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
ルカ 12:40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
ルカ 12:41 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
ルカ 12:42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
ルカ 12:43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
ルカ 12:44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
ルカ 12:45 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
ルカ 12:46 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。
ルカ 12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
ルカ 12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」
◆分裂をもたらす
ルカ 12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
ルカ 12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
ルカ 12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
ルカ 12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
ルカ 12:53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
◆時を見分ける
ルカ 12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
ルカ 12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
ルカ 12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
◆訴える人と仲直りする
ルカ 12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
ルカ 12:58 あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
ルカ 12:59 言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」