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起
11章から始まった、弟子達への教えは12章になってもまだ続きます。イエス様はエルサレムに入る前に、弟子たちに事前に必要な事、大切なことをしっかりと教えていく考えのようです。
最初にイエス様は祈り方を教えました。次に悪霊について教えました。そして真の幸いとは神の言葉を聞き、それを守る人であることを教えました。次に、イエス様にしるしを求めても、ヨナのしるしの他は与えられないと言いました。そのあとには、体のともし火は目であると言いました。その光が消えていないか調べなさいと言いました。ファリサイ派の人から食事に招かれた時にはファリサイ派の人々と律法の専門家とを非難しました。そして弟子たちに偽善に気を付けるように教えました。次には、体を殺してもそれ以上何も出来ない者どもを恐れるなと言いました。殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方を恐れなさい、と言いました。これは迫害への心得です。また、人々の前で、自分をイエス様の仲間であると言い現わすものだけを、イエス様は天使の前で仲間であると言うと言いました。そして、たとえ役人たちに連れていかれても、心配せずに、聖霊が教えて下さることを信じなさいと教えました。公に信仰を言い表すことの大切さを教えたのです。そして、今日の聖書の話に入ります。
今日の聖書もまた、弟子訓練のための話となります。小見出しでは最初に、「愚かな金持ち」のたとえがあり、次に「思い悩むな」という小見出しのテーマです。ですがこれは二つで一つの話です。愚かな金持ちの話を例にして、だから思い悩むな、と教えているのです。
聖書の読み方の中で大切なのは、これを福音として読むと言う事です。ですからそれぞれの話の中で、何が福音なのかを探し当てることが必要になります。そうしないで漠然と読むと、それが単なる道徳や倫理の話になったり、教訓の話になったりするからです。それでも自分にとってはいい勉強になると思って読んでいると、それは自分勝手な読み方になり、福音を聞くことにはならなくなってしまうのです。今日の聖書の話もまた、教訓として読むのではなく福音として読めるように、神様のみ心を思いつつ読みたいと思います。
承
今日の聖書の話では、イエス様が、弟子たちに話をしていると、突然、群衆の一人がイエス様に、遺産相続の相談を持ち掛けたのです。この時イエス様は弟子たちに、聖霊の話をしていました。「役人や権力者の所に連れていかれるようなことがあっても、何を言おうかなどと心配してはならない、言うべきことは、聖霊がその時に教えて下さる。」と、聖霊に委ねるようにと教えていたのです。その時、群衆の一人が、イエス様に相談を持ち掛けたのです。13節と14節です。
ルカ
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
ルカ
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
突然群衆一人が、イエス様の様な先生と呼ばれる人にこのような遺産相続の問題を持ち掛けたのは、この当時としてはよくある事でした。当時のラビと呼ばれる先生たちはファリサイ派の人や律法学者が多かったのですが、律法に詳しかったので、遺産相続についても律法的に解決してやることが出来たからです。多分この訴えてきた人は、兄が親の財産を全部相続して、弟には何も遺産を分けてあげなかったのだと思います。それに対して、律法的に見れば、弟にもなにがしかの遺産を受け取る権利があると、考えて、イエス様に相談に来たのだと思います。この相談が普通のラビの所なら、丁寧に教えてくれたでしょうが、相手はイエス様だったので、イエス様はこう言ってその人を叱ったのです。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」イエス様は、お金や財産にかかわるもめ事には一切かかわらなかったのです。イエス様の世界は神の国なのです。この世の事にはかかわりがないのです。つい先ほどまでイエス様は、弟子たちにこの世の事には心配するな、全て聖霊に委ねなさいと教えていたばかりなのです。ですからイエス様は、その相談に来た人に対して、「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。私はそのような事には関わり合いがないではないか」と言ってその事を斥けたのです。このような間違いは私たちも良くしているのです。私たちが、明日の試合には勝てますようにと祈ったとすれば、イエス様は、誰が私をあなた方の監督にしたのか、というかもしれません。又は、もっと株で儲かりますようにと祈れば、イエス様は、誰が私をあなたのトレーダーにしたのか、と言われるかもしれません。イエス様の御国は神の国であって、この世の事に関しては心配するな聖霊に委ねなさい、と答えるだけなのです。
そしてまた弟子たちに向かって、また弟子訓練を始めたのです。今の出来事を用いて、弟子たちに貪欲に用心しなさいと教えたのです。15節です。
ルカ
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
その遺産相続の相談に来た人は、既に、有り余るほどの財産を持っていたのに、もっと遺産を受け取ろうと貪欲になっていたのかもしれません。だからイエス様はこのようにどんな貪欲にも注意を払い、用心しなさいと言ったのかもしれません。イエス様が言いたかったのはむしろそのあとの、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである、と言う事です。財産に貪欲になって、命の事を忘れてはいけないと言う事を言っているのです。財産で命を救う事は出来ないのです。すなわち、この世の事に心を奪われて、神の国の事を忘れてはいけない、と言う事を言っているのです。先ほど例に挙げた、試合に勝てますようにと言う祈りも、株で儲かりますようにと言う祈りも、神の国を忘れて祈っている話なのです。そんなことよりも自分の命を大切にしなさいと、イエス様は教えているのです。
そしてイエス様は弟子たちが理解できるように、ある金持ちの譬え話をしました。16節から20節です。
ルカ
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
ルカ
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
ルカ
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
ルカ
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
ルカ
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
この金持ちのたとえは、有り余る財産を得ても、それを自分のために確保することに、汲々として、何の頼りにもならないものを頼りにしている愚か者だ、と言う事なのです。神様の事を少しも考えないで、自分の財産ばかりを大切にしている、愚か者だと言う事なのです。なぜならば、その財産よりも大切な命を、神様は取り上げることが出来るのだ、と言う事です。だから、そんな財産よりも、神様から与えられているその命を大切にしなさい。いつ召されても良いように、信仰をもって心がけておきなさい、と言う事なのです。
転
イエス様は、この世の事にばかり、心を奪われて、心配している金持ちの譬えを話しましたが、同じことは、金持ちでなくても起こっているのです。金持ちは、お金があってよかったと思ったかもしれませんが、神様はそんなものは何の役にも立たないと言います。また一方で貧しい人は、お金がなくて心配だと騒ぐのです。イエス様はそれに対しても、そんなことは問題ではないと教えています。それが次の「思い悩むな」の小見出しの話になります。22節と23節です。
ルカ 12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。
ルカ 12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。
イエス様はこの言葉を、金持ちの人にも貧しい人にも言っているのです。命のために、何を食べようか、体の事で何を着ようかと思い悩むな、と言いましたが、そのような事に捉われて悩んでいるのが私達です。ところがイエス様は、食べることや着ることよりも命や体の方が大切ではないか。今神様から与えられている、命と体があるならば、それを大切にし、着るものや食べるものは養ってくださる神様に委ねればいいことだと教えているのです。
そしてまた、その事を鳥や花の譬え話で弟子たちに教えました。24節から28節です。
ルカ 12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
ルカ 12:25 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
ルカ 12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
ルカ 12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
ルカ 12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
イエス様は、神様が鳥や花をどのように養ってくださっているかを話しました。鳥は、種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神様は烏を養ってくださる、と言いました。金持ちは種を蒔き、借り入れをし、豊作だったので、倉を建ててあとは優雅に過ごそうと考えました。でも命の生き死にの事は人間が努力した結果ではなく、神様の御心なのだと言う事です。自分の力や努力でできることではないと言う事なのです。どんなにそのことを思い悩んだとしても、寿命をわずかでも伸ばす事は出来ないのだと言っているのです。
そして次には野の花の事を語りました。野の花は働きもせず紡ぎもしなくても、神様はその花をソロモンよりも綺麗に着飾って下さる、と言っているのです。だから何を着ようかなどと思い悩むことはない。神様がその与えて下さった体に対して、一番良いものを備えて下さっているのである、と言う事です。そのことを喜びなさいと言う事なのです。あなた達人間はこのような鳥や野の花よりも勝ったものではないか、神様が放って置かれるはずはないのだから、ただ神様に委ねて、その恵みを受け取り、思い悩んではいけないと教えています。
そしてどうしたらよいのかを、弟子たちに話しました。29節から31節です。
ルカ 12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
ルカ 12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。
ルカ 12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
イエス様は、こう言ったのです。「私たちがいろいろ心配する前に、神様は私たちの事を良く知っておられる。だから思い悩んではいけない。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」これは、一言でいえば、何も心配してはならない、すべて神様に委ねなさい、と言う事です。心配することは神様に信頼していないことなのです。必要な事は心配して自分の力でどうにかしようとすることではなく、全てをご存知の神様を信頼して委ねることです。すると不思議な事にそれらのものは与えられると言う事です。私の信仰生活の中でも、この事は強く感じることがあります。そして私は比較的若いうちから、もう心配することはやめようと決心したことを覚えています。そうすると、どんなに人生が楽に歩めるかが分かります。それは奇跡的な事でした。自分の力でじたばたすることがどんなにつまらない努力なのかも良く分かってくるのです。思い悩むことなく、神様に委ねましょう。きっと道は開かれるのです。貪欲に捕らわれていた金持ちたちは、神様に委ねることが出来なくて、きっと一生心配して生きていかなければならなくなるのです。そして命が取り去られようとするとき、神様に背いていたことに気が付くのです。
そしてイエス様は、最後にこう言いました。32節から34節です。
ルカ 12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
ルカ 12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
ルカ 12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
イエス様は再び弟子たちに向かって、こう言いました。それは恐れるな、神様はあなた方に神の国をくださる、と言ったのです。だから、この世の物には頼るな、自分の持ち物を売り払って施しなさい、そうすれば天に宝を積むことになり、そこからいつでも宝を取り出すことが出来るようになる。そこには盗人も近寄らず、朽ちることもないので、倉を建てる必要もないのだ。そう言ったのです。そして、あなた方の富のあるところに、あなた方の心もあるのだと言いました。私たちが天に宝を積んでいれば、私たちはいつも神様の事を思い、神様を忘れることはなくなると言っているのです。
結
イエス様は、遺産相続の相談に来た人を撥ねつけました。それはイエス様の神の国はこの世の物ではなく、むしろこの世の財産に頼ることなく、それらを全部売り払って施し、天に宝を積みなさいと教えているのです。貪欲な思いは心をこの世につなぎとめ、神様の御心から遠ざけて、心配ばかりしている人生を歩みます。神様を信頼するものは、天に宝を積むことになり、必要なものは何時でも豊かに与えられる、と教えられたのです。何事も心配することなく、思い煩うことなく、ただ神様を信頼して委ねていきましょう。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちはこの世にあって、体の事を心配し、命の事を心配して、思い煩っています。ですが、私たちはそのことによって、何一つ確かにできることはないのです。すべては神様が与えて下さっているものです。どうか思い煩うことなく、ただ神様を信頼して委ねていくことが出来ますように。すべての事を神様が良くしてくれた結果だとして受け取っていくことが出来ますように。そして天に宝を積んで、あなたの恵みを受け取るものとなることが出来ますように。私たちが日々の貪欲にとらわれることなく歩めますようにお守りください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆「愚かな金持ち」のたとえ
ルカ 12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
ルカ 12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
ルカ 12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
ルカ 12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
ルカ 12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
ルカ 12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
ルカ 12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
ルカ 12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
ルカ 12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
◆思い悩むな
ルカ 12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。
ルカ 12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。
ルカ 12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
ルカ 12:25 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
ルカ 12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
ルカ 12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
ルカ 12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
ルカ 12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
ルカ 12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。
ルカ 12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
ルカ 12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
ルカ 12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
ルカ 12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」