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起
今日の聖書の箇所は、先週のファリサイ派の人々と律法の専門家を非難する出来事の続きです。違うところは、先週はファリサイ派の人々と律法の専門家に対してイエス様が直接非難をし、問答すると言う事でしたが、今日の箇所ではそれを引き継ぎながらも、話をする相手は弟子たちになります。そして、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちを警戒しなさいと教えるのです。
イエス様は、このファリサイ派の人々が、イエス様に対しても弟子たちに対しても危険な存在になってくることを予言して、弟子たちに対してその人たちによる迫害が生じた場合どうしたらよいのかと言う事をあらかじめ教えているのが今日の箇所になります。
イエス様とこのファリサイ派の人々や律法学者達とはどうしてここまで深い対立関係になってしまったのでしょうか。それはこの人々の偽善と言う事があるのです。イエス様はそのことを激しく非難しました。その偽善がどうしてそこまで非難されなければならないかと言うと、その偽善は、自分達を正しいものとして、悔い改めようとしないからです。自分たちは正しいことをしているのだと思っているから、何を言われても、何が起こっても、間違えているのは相手だと思い込み、そこから一歩も出ようとしないのです。そこに神様が現れても、間違っているのは神様だと言っているようなものなのです。それでいて自分たちは神様に一番忠実な僕であると思い込んでいるのです。だからイエス様はその偽善を強く非難しているのです。自分で自分を救いようのないものにしているからです。
承
それでは聖書を読んでみましょう。まず1節です。
ルカ
12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
この場面は、イエス様がファリサイ派の人から食事に招待されて、その家に行き、イエス様が手を洗わないことに、心の中で不審に思ったファリサイ派の人々達を外見だけを整えようとする偽善者と非難しました。そして、その人々と決裂して外に出たところが、今日の場面なのです。その事を聞いてか、聞かずか、イエス様の周りには数えきれないほどの群集が集まってきました。そのすごさは、足を踏み合うほどに集まったというのですから、満員電車で押し合いへし合いしているような状況なのです。そこでイエス様は語り始めました。状況からすると、集まって来た群衆に対して語り出したような気がします。ですが、イエス様はまず弟子たちに話し始めたのです。弟子たちが、群衆を見て有頂天にならないように、まず、足元の弟子たちをしっかりと教えたのです。何を教えたのかというと、「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。」と言う事を教え始めたのです。パン種と言うのは、ほんの少しの種をパンに混ぜるとそれが全体に発酵が進んで、全体が膨れるのですが、ほんの少しのものが知らないうちに全体に影響するような働きを持っているものをパン種と言って語ったのです。注意しなければならない、ファリサイ派の人々のパン種とは、偽善だと言う事です。このような偽善は、自分自身も気づかないうちにそれに支配されるようになり、それでも自分は正しいと思って行動するようになるからです。そうなってしまった人は反省することが出来なくなるので悔い改めが起こらないのです。そうならないように注意しなさいとまず弟子に教え、そのことがこの群衆にも伝えられることを期待しているのです。
偽善とは、言っていることと実際にしていることが違うではないかと言う事です。ファリサイ派の人々は、一般の人々に、神様に仕えるための教えをいろいろと教えているけれども、自分達はその言っていることを自分たち自身が行っていないではないかと言う事です。ですからイエス様は、こう言いました。2節と3節です。
ルカ
12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
ルカ
12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
偽善者のように、心に思っていることは知られないだろうとか、誰も見ていなければ大丈夫だろうとか、陰で言っていることとは反対の事をしていても、大丈夫だろうと思っているその人々に対し、そのような事は皆知られるようになる、とイエス様は言いました。「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」と言いました。何事においても裏表なく誠実に真実に歩みなさいと言う事です。一度偽善を行ってその味を占めると、それこそパン種のようにその心全体を占めていくようになるからであるというのです。
転
次にイエス様が弟子たちに教えた教えは、恐れてはならないと言う事でした。それはこれからファリサイ派たちの迫害が激しくなり、殺されるような危険な目に合うようになるだろうから、この事を知って、恐れてはならないと教えたのです。4節と5節です。それは、
ルカ 12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。
ルカ 12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
イエス様はここで、恐れてはならないものと、恐れるべきものとをはっきりと言われたのです。そして恐れるべきものを恐れ、恐れてはならないものを恐れてはならないと言われたのです。それは何かというと、体を殺しても、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない、と言う事でした。人間が出来ることは体を殺すことまでです。それでお仕舞だと考えてはいけないというのです。死んだ後でもその霊は生きているというのです。その霊に対して何もできない人間を恐れてはいけないというのです。では何を恐れるべきかというと、それは殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方、すなわち神様を恐れなさい、と言っているのです。死んだ後その魂までも支配する方が神様なのだから、その方を恐れて、神様に従いなさいと言うのです。
それでは死んでから後も地獄に投げ込む権威を持っている神様は、とても恐ろしい方なのかというと、そうではないと言う事を言おうとして、次のように言いました。6節と7節です。
ルカ 12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
ルカ 12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
神様を信じているけれども、自分も地獄に投げ込まれてしまうのではないだろうか、神様は恐ろしい方だ、と思っている人々に、イエス様はそうではないと言ったのです。神様は私たち一人一人を皆よく知っている。たとえ女子供であってもどのように軽んじられるものであろうとも神様はその人々を忘れることはない。5羽で二アサリオンで売られているような、一匹5円もしないようなスズメでさえも、神様は忘れることなく皆知っておられる、というのです。それどころかあなた方の髪の毛までも一本残らず数えられている、あなたたちの事はすべて神様に知られて居るから、心配するな恐れてはならない、あなた方はスズメよりもはるかに勝っているではないかと言ったのです。イエス様は最初神様を恐れなさいと言った後、あなたたちはスズメよりも勝っているのだから神様を恐れてはならないと言いました。何か矛盾したことを言っているような気もしますがそうではないのです。最初の神様を恐れなさいと言うのは、畏敬の念をもって畏れなさいと言う事なのです。そして心配するな恐れてはならないというのは、神様はあなたたちを恐怖に陥れるような方ではないから、そのような恐れかたをしてはいけないという意味なのです。神様は、慈しみ深い方であり、死んでからも裁かれる方であるから、畏敬の念をもって畏れなさいと言っているのです。そして、体だけしか殺すことの出来ない人間を、恐れてはならない、と言っているのです。
そして次に三つめの教えを教えました。これらの教えはすべて、今、弟子たちに教えているのです。それでは死んでからでも救われる人々と言うのは、弟子たちの他にどんな人々が救われるのだろうかという思いが弟子たちに出てきます。そこでイエス様は、誰が私たちの仲間なのか、救われる人々とはどのような人々なのかを語られたのです。8節と9節です。
ルカ 12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。
ルカ 12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。
イエス様はイエス様の仲間とは誰かを言われました。それは誰についてもです。たとえ罪人であろうと、女子供であろうと、異邦人であろうとです。人々の前で公に、自分をイエスの仲間であると言い現わすものは、イエス様も神の天使たちの前で、その人を私の仲間であると言い現わすというのです。イエス様の仲間となったものは、神様からの恵みを受けるものとなるのです。しかし人々の前でイエス様を知らないというものは、神の天使たちの前でイエス様も知らないと言うだろうと言うのです。これは私たちの洗礼式の信仰告白を現しています。公の前で、イエス・キリストを信じますと告白して、私たちはこの信仰に入っていくのです。そしてイエス様の仲間となったのです。洗礼を受けたものは、たとえその道からそれたとしても、神様がその仲間としていつまでも見守って下さっていることを信じたいと思います。
そして4つ目の大切なことを弟子たちに教えられました。それは聖霊についてです。10節から12節です。
ルカ 12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。
ルカ 12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
ルカ 12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
聖霊についての一つ目は、聖霊を冒涜する者は赦されないと言う事です。その一方でイエス様の悪口を言うものは皆赦されると言いました。イエス様を、人間だと思って、イエス様の悪口を言い冒瀆しても、イエス様はそれらすべてを赦すことが出来るのです。それはイエス様はその人たちの外にあって、許すことが出来るからです。一方聖霊は、その人の中にあって、導くものです。聖霊を冒涜するものはその聖霊を自分の中から追い出してしまっているのです。ですから、聖霊が自分の中に無くなった人は聖霊に導かれることがなくなるのです。すなわち、聖霊が許さないのではなく、許してくださる聖霊を追い出してしまって、赦してもらうことが出来なくなるのです。自分で自分の首を絞めているようなものなのです。聖霊を信じないものは聖霊に導かれることはないと言う事です。ですが、イエス様を信じない者でも、イエス様に出会えるかもしれません。聖霊がまだとどまっていれば、聖霊が導いてくれるからです。
聖霊の働きの二つ目は、どうすべきか分からなくなった時、どう言ったらよいか分からない時、聖霊がどうしたらよいか教えて下さり、言うべきことも教えて下さると言う事です。もちろんこれは聖霊の働きを信じて、自分の内に聖霊を宿している人の話です。これをイエス様が言ったのは、ファリサイ派の人々の迫害が激しくなって、会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときでも、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない、と言う事なのです。何も心配してはならない、全てをご存知の神様が聖霊を通して、言うべきことを教えて下さる、と言う事なのです。私達の日常生活でも、迫害は無くてもどのようにしたらよいかわからなくなることはよくあります。その様な時でも、イエス様は心配をしてはならない、全てを聖霊に委ねなさい、そうすれば、聖霊が一番良い方法を教えて下さる、と教えているのです。私達は心配すれば何かいい考えが出てくるのではないかと思って、心配して神経をすり減らしてしまうことがあります。ですがよい考えは心配している人に現れるのではなく、神様を信じて委ねて、その教えが降りてくるのを待っている人に降りてくるのです。ですから心配するよりも信じて委ねることが大切なのです。
結
今日の聖書の箇所ではイエス様は弟子たちに、これから起こる迫害に備えて大切な事を教えました。一つ目は、偽善に気をつけなさいと言う事です。ファリサイ派の人々が知らずにやっている偽善があなた方の中に入り込まないように気をつけなさい、と言う事です。それほど偽善は知らないうちに入り込んでしまうのです。良かれと思ってやっていることが偽善になってしまうのです。これは今の教会、今のクリスチャンにも実際起こっていることです。
二つ目は、死んだ後の魂までも裁かれる神様を恐れなさい。体だけしか殺せない人間を恐れてはいけないと言う事です。
三つめは、公にイエス様を信じますと告白するものが、イエス様の仲間となれると言う事です。陰でこそこそ信じていますと言っても、それはだめだと言う事です。
四つ目は、聖霊を信じて、心配することなく聖霊に委ねなさい、と言う事です。そうすれば必要な事は聖霊が教えて下さるのです。ところが聖霊を冒涜すれば、その教えて下さる聖霊はいなくなってしまうので、許されることがなくなると言う事を教えてくださいました。
これらは今の私たちの信仰生活にもとても大切な事です。この言葉を、心に抱いて信仰生活を歩みたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、今日はイエス様が迫害の恐れのある中で、弟子たちにこれから心得るべき大切な事を教えられました。偽善に気を付け、恐れるべきは神様だけであり、仲間は公に信仰告白したものであり、聖霊に委ねて、導きを得るというものでした。私たちの日常の信仰においても大切な教えです。神様どうか私たちもイエス・キリストの弟子として、この教えに従って行くことが出来ますように。どうか聖霊が導いてくださいますようにお願いいたします。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆偽善に気をつけさせる
ルカ 12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
ルカ 12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
ルカ 12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
◆恐るべき者
ルカ 12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。
ルカ 12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
ルカ 12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
ルカ 12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
◆イエスの仲間であると言い表す
ルカ 12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。
ルカ 12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。
ルカ 12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。
ルカ 12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
ルカ 12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」