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起
72人を派遣する話は、ルカ福音書にしか書かれていません。平行記事が多い共観福音書ですが、この話はなぜかルカしか報告していないのです。これとよく似た話に、9章の12人を派遣する話があります。こちらの方はほとんど同じ表現で、マタイもマルコも、ルカにも書いてあるのです。
72人と言うのは12のちょうど6倍です。ですから相当大掛かりな宣教活動が行われたことになります。この話が、ルカにしかないというのは、ルカが何らかの意図を込めてこの話を入れているのだと思います。12人の弟子が派遣された時は、ガリラヤ宣教の途中でした。5千人の食事をする、直前でした。そして、72人の弟子が派遣されたのは、エルサレムにのぼる旅の途中でした。今日の聖書の10章の話は、皆そのエルサレムに向かう途中の話を記録しているのです。72人が派遣される前に起きた出来事は、サマリア人がイエス様にその土地を通過するのを拒絶したと言う事がありました。そしてイエス様はサマリアを避けて遠回りをして、エルサレムに向かう途中なのです。そして、今日の72人の弟子を派遣する話は、12人を派遣するときよりもルカは詳しく語っています。
この聖書では72人となっていますが、これがヘブル語の聖書では70人となっているそうです。それを約したギリシャ語の聖書は70人訳となっています。ユダヤ教の中では70と言うのは特別な数字で、モーセが民を指導する長老に選んだ人々の数が70人であり、ユダヤ人の最高会議サンヒドリンの議席数も70人であり、世界の国の数は当時70カ国だと思われていました。そうすると、モーセの長老に相当する人々が、世界中に散らされて、その宣教をしたと言う事を象徴的に語っていると解釈している人もいるのです。そしてこの宣教の結果、悔い改めない町々の罪が明らかになり、イエス様はその町々を強く叱っているのです。ルカは、この72人の派遣によって、世界中の諸民族への宣教は完全に為されたと語ろうとしているのかもしれません。そして、その宣教を聞いて悔い改めない者の罪は重いと言う事を言おうとしているのだと思います。
承
さて聖書の話を読んでみましょう。1節と2節です。
ルカ
10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
ルカ
10:2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
イエス様はここでも二人一組にして、72人を遣わしました。これは、イエス様自身が行くつもりのすべての町や村であって、先に弟子たちを遣わしたとあります。ですからイエス様もその後で行ったのかもしれません。イエス様はこの時、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と言いました。イエス様の宣教は、時至って実り、あとは刈り取るばかりとなっているという状況なのです。そのための働き人を、神様に願いなさいと弟子たちに言ったのです。それほど宣教の成果に満ちていたのです。この時が、イエス様に従うもののピークの時期だったのかもしれません。
イエス様は、12人の弟子を派遣した時のように、注意事項や心得をあらかじめ派遣する弟子たちに話しました。それはむしろ以前よりも詳しく話をしているのです。3節から9節です。
ルカ
10:3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
ルカ
10:4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。
ルカ
10:5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
ルカ
10:6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
ルカ
10:7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。
ルカ
10:8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
ルカ
10:9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
イエス様は、あなた方を遣わす、と言いながら、それは、狼の群れに子羊を送り込むようなものだ、と言いました。それは自分自身にはなにも守る力がないのに危険なところに行くと言う事です。それなのにどうしてイエス様は遣わすことが出来るのでしょうか。それは神様が守って下さると言う信仰があるからです。自分で自分の身を守るのではないのです。神様に委ねるのです。ですから、財布も袋も履物も持って行くなと言いました。その様なものに頼っても何にもならないからというのです。その様なものに頼ろうとすると、心配だからもっといろいろなものを持って行こうと言う事になるのです。ここでも頼れるのは神様だけだからと言う事を言っているのです。そして、途中で誰にも挨拶をするなと言いました。この宣教は挨拶などに時間を取られるようなのんびりした旅ではないのです。目的の事だけに集中していきなさいと言うのです。派遣された弟子たちが、どこで生活をしたらよいかというと、それは彼らを支えてくれる人のお世話になると言う事です。その家は、神様が備えてくれるからそれに従えと言います。イエス様はこう言いました。「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」弟子たちが、お世話になる家は、『この家に平和があるように』と言った時の反応で分かると言うのです。それを受け入れるものは弟子たちをも受け入れ、受け入れないものはその平和を受け取ることが出来ないというのです。このようにして弟子たちを受け入れてくれる家が見つかったなら、次の様にしなさいとイエス様は言いました。「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」これは、弟子たちが受け入れてくれた人の出してくれた食べ物を食べ、そして飲みなさい、自分でこれがいい、あれがいいなどと思わず、出されたものは神様が用意してくださったものとして受け取りなさいと、そのことに対して遠慮はいらないと言う事なのです。それは家から家へと渡り歩くなと言う事も同じなのです。家から家へ渡り歩くと言うのは、もっと居心地のよさそうなところを選んで歩くと言う事で、神様の差し出されたものを受け取ろうとしていないで、自分を満足させようとしていると言う事なのです。そして弟子たちがそこで為さなければならないことは、その受け入れてくれた町で、その町の病人をいやし、『神の国はあなたがたに近づいた』と言う事なのだと事細かに教えてくれたのです。
一方、弟子たちを受け入れることの出来ない町に入った場合に、弟子たちがどうしたらよいのかについてもこう言いました。10節から12節です。
ルカ
10:10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。
ルカ
10:11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。
ルカ
10:12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
弟子たちは、その町に対して何の借りもないことを、公の場所の広場でみんなに聞こえるように言いなさい、と言ったのです。そして、それでも「神の国が近づいたことを知れ」と言いなさいと言ったのです。この事はしっかり伝えておくと言ったのです。と言うのも、この神の国を受け入れない町は、終末の日には、神に滅ぼされた、ソドム以上の罰を受けるであろう、と言う事を宣言しなさいと言われたのです。
転
そしてイエス様は、今まで宣教をしてきて、神の国を受け入れなかった町々の事を名指しで挙げて、叱ったのです。13節から16節です。
ルカ 10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
ルカ 10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。
ルカ 10:15 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
ルカ 10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
イエス様はまずコラジンと言う町をあげました。この町の名前はここにしか出ていませんが、この町にも多くの宣教をしたようです。次のベトサイダもカファルナウムもガリラヤ湖の北側にある町々で、イエス様が拠点として活動をしていた近くの町々です。それらの町々が、イエス様の宣教や奇跡の業にもかかわらず、悔い改めなかったことを不幸だと言い、強く叱っているのです。彼らの間で行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、きっと深く悔い改めただろうと言うのです。このティルスやシドンと言うのはガリラヤの北にあるフェニキアの港町です。この異邦の地でこのような奇跡を行ったら、皆きっと深く悔い改めただろうと言うのです。だから、その宣教の言葉や奇跡を見てもまだ信じない、コラジンやベトサイダやカファルナウムの罪は重いというのです。そしてこれから派遣する弟子たちに言いました。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」イエス様はこれから派遣する弟子たちに、あなたたちは自信を持って宣教してきなさい、と言ったのです。あなたたちの語ることは自分で語るのではなく、私や神様が語っているのだ。だからあなた方を拒むものは私や神様を拒むものである、と言ったのです。イエス様や神様の権威をもって、大胆に語りなさいと教えたのです。
このように励まされた弟子たちは派遣されて宣教し、そして帰ってきました。その顔は喜びに満ちていました。17節から20節です。
ルカ 10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
ルカ 10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
ルカ 10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
ルカ 10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
帰ってきた72人は、喜び勇んでイエス様にこう言ったのです。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」弟子たちがイエス・キリストの名によって命じると、悪霊に命じれば、悪霊たちを追い出したり、静めたりすることが出来たのです。それによって病気も直すことが出来たのです。その様な権能を授けられてイエス様の業をすることが出来た弟子たちは、得意になって喜んで帰って来たのです。
するとイエス様は言いました。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。」イエス様はこの事によって、サタンはイエス様の前で力を失ったことを言っているのだと思います。ですから弟子たちはどこでも害を受けなかったのだと言ったのです。派遣する前には、イエス様は狼の群れの中に子羊を送り込むようなものだと心配していたのですが、今や、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を私はあなた方に授けたと、言い切っているのです。
でもそこでイエス様は、多少浮かれ気味になっている弟子たちに対して、とても大切な言葉を語りました。20節です。
ルカ 10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
それは、自分が何が出来たからと言って喜んではならない、と言う事です。自分にできることは皆神様から与えられた力です。ですから、そのような事は当然な事なのです。それよりもその基となって、神様によって受け入れられたこと、あなた方の名が天に書き記されたことを喜びなさいと言ったのです。いろいろ大きな宣教の業を行う人も、病気のために寝たきりになっている人も、その名前が天に書き記されているとすれば、何が出来るかと言う事よりも、その名前が天に書き記されていることこそ大切であると言いました。私達も、信仰をもって何かをしなければと焦る必要はないのです。必要な事は神様が備えて下さり、聖霊の導きによって行わせてくださるのです。ですから、信仰を与えられたことこそいちばんに喜ぶべきことなのです。私たちの名は天に書き記されているのです。そのことを喜びましょう。
結
イエス様は弟子たちを、再び派遣しました。その数は72人で、全ての人に神の国を述べ伝えるに等しい数でした。弟子たちはイエス様に、その働きをする権能を与えられて、素晴らしい働きをすることが出来ました。弟子たちはその働きが出来たことを喜び、得意になって、その事をイエス様に報告しました。ですがイエス様は「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言ったのです。私たちの喜ぶべきことは何が出来るかではなく、私たちの名が天に書き記されて、神様に覚えられていることなのです。この信仰が与えられていることこそいちばんに喜ぶべきことなのです。その事を教えられた、イエス様の御言葉です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。イエス様は弟子たちが悪霊をも従わせることが出来るようになって、奇跡の業を行えるようになった事を喜んで有頂天になっていることに対して、「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言いました。私達が喜ぶべきことは、何が出来るかではありません、あなたに覚えられており、天にその名が記されていることです。どうかいつもあなたと一つとなって信仰を大切にし、恐れることなくあなたに委ねて行くことが出来ますように。あなたの御国がいつも私たちと共にあることを覚えていくことが出来ますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆七十二人を派遣する
ルカ 10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
ルカ 10:2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
ルカ 10:3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
ルカ 10:4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。
ルカ 10:5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
ルカ 10:6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
ルカ 10:7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。
ルカ 10:8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
ルカ 10:9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
ルカ 10:10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。
ルカ 10:11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。
ルカ 10:12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
◆悔い改めない町を叱る
ルカ 10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
ルカ 10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。
ルカ 10:15 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
ルカ 10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
◆七十二人、帰って来る
ルカ 10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
ルカ 10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
ルカ 10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
ルカ 10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」