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起
今日の聖書の箇所は、共観福音書によくある平行記事で、マタイ、マルコ、ルカに共通に取り上げられた箇所、というわけではありません。ここで、三つ一緒のものは一つしかないのです。最初の小見出しの、一番偉いもの、というところが三つの福音書で一緒に取り上げられた箇所です。ですが、次の逆らわないものは味方、という箇所はマルコとルカだけ、サマリア人から歓迎されない、の所はルカしか記述していません。最後の弟子の覚悟の所はマタイとルカだけです。このように、取り上げている箇所が違うのです。
ですが、これらに共通していることは何かといえば、イエス様の弟子として従って行くには、どのような考えでいなければならないか、と言う事をイエス様が教えていると言う事です。
実は今日の聖書の箇所の途中から、大きく流れが違っている箇所があるのです。むしろそこから章が変わった方が良い所です。その個所と言うのは、イエス様のガリラヤ宣教が終わるところで、逆らわないものは味方、と小見出しにあるところで終わりなのです。その後のサマリア人から歓迎されない、という小見出しの所からは、イエス様がエルサレムに向かって行かれようとするときの旅の記録のようなものなのです。10章はまさにこの旅の記録がずっと続いていくのです。
今日の聖書の箇所はそのような流れの背景があることを念頭において、まずはここではイエス様に従うものの考え方、覚悟について学んでいきたいと思います。
承
まずは、最初の小見出しの◆いちばん偉い者、という箇所です。46節です。
ルカ
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
この話は弟子たちの間で、大分激しく議論されていたテーマのようであります。弟子たちはまだまだイエス様の考えにはついて行けず、神の国の王国ではなく、地上の王国を考えていたようです。ですからイエス様の次の位には誰が付くのか弟子たちの順位はどうなっているのか、と言う事を議論していたというのです。折角イエス様が、5千人の食事の奇跡であるとか、悪霊に取りつかれ人をいやす奇跡とかを示して、皆神様の偉大さに心を打たれていたはずなのに、すぐに現実に戻って、誰が一番偉いのかなどと言う議論をして弟子たちの間で争っていたのです。どうしてこんなことになってしまったのかと言うと、どうも、イエス様が3人の弟子だけを山に連れて行ったものだから、それに嫉妬して、誰が偉いのか白黒つけようという考え方になって来たようです。その時イエス様はどうしたでしょうか、47節と48節です。
ルカ 9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
ルカ 9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
イエス様の弟子たちに教える教え方にはいつも感心させられます。普通の先生ならば、弟子たちが間違った議論をしていたならば、それは間違っているから、そんなことをしてはいけないと叱るかもしれません。イエス様は弟子たちの心の内を見抜いたとありますが、どのように見抜いたのでしょうか。弟子たちは、この世の国の権力者になろうと考えていたのです。イエス様に続く権力者は誰であるのかを考えていたのです。権力者は人の上に権力をふるって、非人とを自分に奉仕させる人です。ところがイエス様はそれと反対の事を言ったのです。そのことを説明するために子供を用いました。子供と言うのはこの当時、いまよりももっと力なく弱弱しいものでした。イエス様は、その弱い子供を受け入れるものは私を受け入れるのであると言ったのです。ここで言っている受け入れると言うのは、あなたが正しい方ですと言って受け入れ従う事です。そして奉仕することです。子供を受け入れる者とは、子供に従い奉仕するものです。そしてその様に、力ない子供を受け入れるものはイエス様を受け入れるものであるというのです。イエス様を受け入れるが、力のない子供は受け入れないというのではなく、まず、力のない弱い子供を受け入れると言うのです。
以前テレビで見たドキュメンタリーですが、その人は慈善事業をしていて、貧しい人のために食事を作り、食事の出来ない人たちのために食事を与えていました。イエス様が自分達と共に居て下さることを信じて、そのような慈善の働きをしていたのです。ところが、その食事をもらいに来た人々の列の中に、イエス様がいらっしゃると言う事を感じたそうです。イエス様は良いことをしている自分たちの方にいると思っていたら、イエス様は食事も食べることの出来ない、弱い人々の中にいたのです。その時からその人はその貧しい人々を受け入れる思いが変わったのです。その様に、イエス様はこの力ない子供の中に私はいる、私はその仲間だと言っているのです。その人たちを受け入れられないものはイエス様をも神様をも受け入れられないのです。「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」という言葉は、最も小さいものにこそ仕えるべきなのであり、イエス様も神様もそうしていると言う事です。その様に言って、イエス様は弟子たちの中で誰が偉いかと言っている話を、最も小さいものにこそ仕えなさいと言う話に置き換えて気づかせようとしたのです。マルコでは、この話の中で、「一番先になりたいものは、全ての人の後になり、全ての人に仕える者になりなさい。」と語っています。イエス様に有っては、仕える者こそ偉いものなのです。
次に、ヨハネの語った、◆逆らわない者は味方、の小見出しの話があります。珍しくヨハネが次の小見出しも含めて、二回もイエス様に語り掛けています。49節と50節です。
ルカ 9:49 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」
ルカ 9:50 イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
イエス様はキリスト教を広めようとしたのではありません。神様の言葉を広めようとしたのです。ですからイエス様は、キリスト教を広めようとしたのではないのです。ですがこの世の宗教はすぐに、何々教とか何々派のようなグループとか組織とかに結びついて、そこに属する人はその組織を守ろうと考えるのです。これが組織宗教に属する者の大きな間違いなのです。ヨハネもまた、いつの間にか、イエス派と言う教派の一人になっていたのです。それで、自分達と同じようにしないものを排除しようとしたのです。ヨハネはこういったのです。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」ヨハネは得意になって、良かれと思ってやったことをイエス様に報告したのです。ところがイエス様の答えは意外でした。こう言ったのです「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」イエス様の考えは、人はそれぞれいろいろなやり方があるから、みんな自分たちと同じようにやらなくても良い、と言う事なのです。キリスト教会の中でも他の教派を批判したりすることがよくありますが、イエス様は、神様の御国に仕えるならばどちらでもよいと考えて、自分たちの方法だけが一番良いという決めつけはしていないのです。とても寛容なのです。ところが実際の教会はとても心が狭く、すぐ他の所を批判するようです。自分の教会を守ろうとしすぎるのです。イエス様は、自分達に逆らわない者ならば、いつか気づいて自分たちの味方となってくれるだろうという期待を持って見守っているのです。
転
さて、ここまでがガリラヤ伝道の中での話ですが、次からはいよいよエルサレムに旅立たれる話となります。51節から53節です。
ルカ
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
ルカ
9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
ルカ
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
イエス様にはご自分がいつ、天にあげられるかが分かっていました。そしてその場所はエルサレムです。いよいよその準備に取り掛かるのです。イエス様はエルサレムに向かう決心をするとまず、先に使いのものを出されたのです。イエス様がエルサレムに行かれた時、子ロバが用意されていたり、最後の晩餐の場所が用意されていたのに驚くのですが、これは奇跡ではなく、イエス様が先に使いの者を出されて準備していたのです。その使いの者たちは先を急ぐのと安全のために普通は通らないサマリアを通っていくことにしました。その頃サマリアとユダヤの国は犬猿の仲でした。ユダヤ人たちはサマリア人たちを汚れていると言って、話しかけることも付き合うこともしなかったのです。一方サマリア人はエルサレムから離れていくものはサマリアの土地を通させましたが、これからエルサレムに行って礼拝するような人々は、決して通そうとはしなかったのです。イエス様たちはサマリアへの伝道も考えていたので、サマリアの人々にとっては喜ばしい話でもあったのですが、村人はイエス様たちを歓迎しなかったのです。それはサマリア人が嫌っていたエルサレムに向かおうとする人々だったからです。
サマリア人たちが、イエス様たち通そうとしなかったことに弟子たちは腹を建てました。54節から56節です。
ルカ
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
ルカ
9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
ルカ
9:56 そして、一行は別の村に行った。
このころ、弟子たちはとても自信をつけていたようです。イエス様から癒しの権能を与えられて、自分達で宣教もできるようになり、その奇跡の力を用いることが出来るようになったので、何でもできると勘違いしていたようです。先ほどの逆らわないものは味方、という話も、自分達の方が偉いのだと思っているし、弟子たちの中で誰が一番偉いものかと議論したのも、自分達の力を誇示したい思いになっているのです。そしてこのサマリア人たちの話に対しても、弟子のヤコブとヨハネはとんでもないことを言い出しました。それは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言ったのです。自分達は正義の中心にいると思って、自分達の言う事を聞かないものは排斥するか滅ぼそうという考えになっているのです。弟子たちもイエス様の言った「信じる者には何でもできる」という言葉を信じるようになってきたのかもしれません。それにしても、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」という言葉は、なんと尊大な言葉ではないでしょうか。これはヨハネと言うよりも怒りっぽいヤコブの言葉だと思います。これに対して、イエス様は二人を戒められたのです。イエス様にとって、滅んでよい人はいないのです。すべてが救いの対象なのです。そのことを弟子たちはまだ理解していないのです。イエス様たちは、そのあと別の村に行ったと書かれていますが、これはサマリアの中の別の村に行ったと言う事ではないのです。サマリアを通るのはあきらめて、ヨルダン川東岸の異邦人の地を通って行ったのです。イエス様たちはユダヤ人の地を通ることに警戒していたのです。それでより安全な異邦人の地を通ったのです。それほど、この時は身に危険を感じていたのです。
イエス様たちがその様に、ユダヤ人たちを避けて旅をしていると3人の人がイエス様にお願いをして、従わせてくださいと言って来ました。57節と58節です。
ルカ
9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
ルカ
9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
ここでは3人の人がイエス様に、一緒に従って行く許可を求めているように書かれていますが、これはむしろ、そのようなお願いの話と言うよりも、イエス様に従おうとしている人には3種類の人間がいる、と言う事を語ろうとしているようです。
まず最初の人に対しては、イエス様は厳しい答えをしています。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」これはイエス様に従うと言うのは、安心してくつろぐところもない厳しいものだとと言う事を言っているのです。ですからイエス様に従うためには、軽い気持ちで従うのではなく、そのような苦難を受け入れる覚悟でいなくてはだめだよと言っているのです。このタイプの人は、簡単にイエス様にあこがれてついて行こうとしている人々であって、そのような人に対して厳しく言っているのです。
次の人にはこう言いました。59節と60節です。
ルカ
9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
ルカ
9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
この人は、自分からイエス様に従いたいと言ったのではないようです。むしろイエス様の方から、見込んで「私に従いなさい」と言われたのです。ペトロやヨハネに言われたように言われたのです。ところがその人はイエス様に従いたい気持ちはあったのですが、ペトロやヨハネが家族や財産を捨ててイエス様に従ったようにはできなかったのです。その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言ったのです。これだけ読むと、今まさに父が死んで葬儀が行われているように思いますが、そうではないのです。この国の言葉ではこの意味は、今現在父親が元気なので、父親が死んでから自分の自由が利くようになってから従わせてくださいと言う意味なのです。この人にとっては、父親に従うことがまず第一だったのです。ところがイエス様は、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」と言いました。この事の意味は、神様に従うことを第一にしなさいと言っているのです。当時父親は、子供の命を奪うことが出来るほどの権力者だったので、誰でも父親には従わなければならなかったのですが、イエス様はそれよりも神様に従う方が第一であることを言っているのです。そして神の国を言い広めなさいと、その使命を与えたのです。
次に3人目の人もこう言ったのです。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」と言いました。先ほどの父親を葬らせてくださいと言うのは何時になるか見当もつかないくらい先の話ですが、こちらはとにかく今、家族といとまごいをして、きっちりけじめをつけて従わせてください、と言っているので、とても理解しやすい話です。聖書では61節と62節です。
ルカ
9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
ルカ
9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
そのような状況の人の理解できる話ではありましたが、イエス様はこう言いました。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われたのです。12弟子の召命の話にもよく出てきますが、イエス様に弟子に招かれて従ってきなさい、と言われると、それぞれすぐに立ち上がってイエス様に従ったのです。イエス様に従うとはその様に、まっすぐに前だけを見て進むことであり、少しでも後ろを振り返ることは、神様の国のものとしてはふさわしくない、と言う事を言っているのです。
結
今日の聖書の話では、イエス様の弟子となるものの考え方や覚悟がいろいろと語られていました。イエス様に従うものは、最も小さなものを受け入れる者であり、一番最後になってみんなに奉仕するものです。そして、たとえ自分たちと違ったやり方をしていても、逆らわない者ならば、その人たちをも受け入れるものであります。そしてたとえ自分たちに敵対しているように思えても、その敵をも愛し、争わないことであることがサマリアの話で語られています。そして弟子の覚悟として、安心して暮らせるようなことは望まず、労苦を受け入れ、何よりもまず、神の国の事を第一として、イエス様に従って行くことが語られていました。このような弟子の覚悟を誰でもできるものではないのかもしれませんが、イエス・キリストに従うものの心得としてしっかり受け止めていきたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちにはイエス様の弟子としての心構えが求められています。自分ではできるかどうか自信のない所もありますが、自分の力でするのではなく、聖霊に委ねて、聖霊によって、背中を押されて、行うことが出来るようにと願うものです。イエス様は一番小さいものが一番偉いとおっしゃいました。何もできないものが一番偉いというのです。その様なものの中にこそイエス様は一緒にいて下さって、聖霊によって導いてくださるのです。私たちもその事を信じて歩んでいくことが出来ますように導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆いちばん偉い者
ルカ
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
ルカ
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
ルカ
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
◆逆らわない者は味方
ルカ
9:49 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」
ルカ
9:50 イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
◆サマリア人から歓迎されない
ルカ
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
ルカ
9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
ルカ
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
ルカ
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
ルカ
9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
ルカ
9:56 そして、一行は別の村に行った。
◆弟子の覚悟
ルカ
9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
ルカ
9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
ルカ
9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
ルカ
9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
ルカ
9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
ルカ
9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。