家庭礼拝 2017年4月26日ルカ9章28‐45イエスの姿が変わる

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起 

 今日の聖書の箇所も、共観福音書の平行記事です。マタイにもマルコにもルカにも書かれている出来事ですが、ヨハネには書かれていません。この9章は、神の国の栄光と現実の世界の混乱とが交互に出てくる感じで、その対比を鮮明にしているところです。ですから、何かイエス様にこれから大変なことが起こるかもしれないという予感を与える箇所です。

 この9章は、まずこの現実の世界に福音を述べ伝えるためにイエス様は12人を派遣しました。そして、その後イエス様は弟子たちを休ませようと思ってベトサイダに退いたのですが群衆がついてきたために、イエス様は祈りを捧げて5千人もの人に食べ物を与えると言う奇跡を行い神の栄光を現しました。この驚くべき出来事を見て、ペトロは、あなたは神からのメシアですとその信仰を告白しました。ですが、イエス様は、自分は祭司長たちに殺され三日目に甦ると言う、恐るべき現実を話しました。ここからが今日の聖書の箇所に入るわけです。ここからもまた、神様の栄光が語られ、現実に戻りと言う事が続くわけです。これは、神様の栄光の世界を際立たせるために、現実の世界と比較しつつ、その素晴らしさを語ろうとしているのだと思います。

今日の聖書の話がいつ起こったかというと、イエス様が死と復活の話をしてから8日目の事です、すなわち5千人の食事をしてから8日目と言ってもいいことだと思います。ですが、マタイとマルコでは6日の後、とはっきり書かれていますが、ルカでは8日ほどたった時と、少し漠然とした雰囲気で語られています。28節です。

ルカ 9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。

ルカでは祈るために山に登られたと書かれています。マタイとマルコでは特に祈るためとは書かれていません。この山はヘルモン山だと考えられています。ペトロの信仰告白を受けて、弟子の中にイエス様を正しく理解しているものが出てきたことを感じたイエス様はペトロ、ヨハネそしてヤコブを連れて、山に登られたのです。この3人はイエス様の大事な働きをするときには特に弟子訓練のために連れて行ったようです。特に信仰の進んでいるものと見ていたのかもしれません。この山にイエス様はなぜ上ったのでしょうか、ルカの言うように祈るためだったのでしょうか。29節から31節です。

ルカ 9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。

ルカ 9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。

ルカ 9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。

 イエス様が山で祈っている時、イエス様の顔の様子が変わって、服は真っ白に輝いたとあります。ここでもマタイとマルコでは祈っている時と言う言葉はありません。とにかくイエス様の様子が急に変わって輝きだしたというのです。マタイでは、顔は太陽のように輝いたとありますが、マルコにはその記述はありません。もしかするとこの時、雲の切れ間から急に光が差し込んでイエス様を照らし、顔は太陽のように輝き、服は真っ白に輝くほどまぶしく見えたと言う事かもしれません。たとえそのような事が起こったとしても、この山の上で、イエス様の姿が光り輝く神々しい姿に変わられたのは間違いないようです。これもまた神様の御業なのでしょう。

その時弟子たちはどうしていたのでしょうか。そして何が起こったのでしょうか。30節から32節です。

ルカ 9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。

ルカ 9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。

ルカ 9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。

 弟子たちがそのイエス様を見ていると、二人の人がイエス様と話し合っていたのです。その二人はモーセとエリヤであったとあります。この二人も栄光に包まれて現れ、イエス様と話し合っていたのです。その話とはイエス様がエルサレムで遂げようとしている十字架での最後の事なのです。なぜ、モーセとエリアが現れたのでしょうか。ほかの人ではいけなかったのでしょうか。この場面は、時代が旧約の時代から新約の時代に切り替わる、引継ぎの場面なのです。モーセは律法を表し、エリアは預言者を表すのです。旧約聖書では神様は律法と予言者を通して語られたのです。それが、新約ではイエス様が直接語るようになるのです。それが成就するためにはイエス様の十字架の死と復活が必要なのです。イエス様はそのことが間違いのない事であることを確認し、旧約の代表者たちからの信任を得て、新しい時代に入ろうとしているのです。そういった意味では、ここからが新約時代と言ってもいいかもしれません。

弟子たちがその時どうしていたかというと、ペトロとその仲間たちはひどく眠かったのです。これだけ見ると、とても怠惰な弟子のように見えますが、これは眠かったというよりも、疲れ果てていたのです。イエス様が12弟子を派遣されてから後、ほとんど休む暇もなく疲れ果てていたのです。それでもうろうとした意識の中でも、じっとこらえてイエス様の光り輝く姿を見ていると、そこに二人の人が立っているのが見えたのです。ペトロはその姿を見て感動し、天にも昇る気持ちとなりました。そしてこういったのです。33節と34節です。

ルカ 9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。

ルカ 9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。

 ペトロには、この三人が共に居て話し合っていると言う事が、限りなく栄光に満ちたすばらしい時に思えたのです。ペトロは、この時間がずっと続いて欲しいと思いました。ペトロは恍惚とした思いで、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」と言いました。ペトロは自分でも何を言っているのかわからなかったのですが、とにかくこの素晴らしい時間が過ぎ去らないように、何かしたいと思って、仮小屋を三つ建てると言ったのです。

ですがその時はすぐに消え去りました。雲が現れて彼らを覆ったのです。そして彼らは雲の中に包まれて消えていったので、弟子たちはそのことを恐れました。この事は旧約が終わったことを示しています。その事は次の35節36節に書かれています。

ルカ 9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。

ルカ 9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

弟子たちは、雲の中から、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という言葉を聞いたのです。旧約では神様は律法と予言者すなわち、それを代表するモーセやエリヤのような人を通して語られました。ですが神様はこれからは「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言われたのです。すなわち、律法と予言者を通して聞くのではなく、イエス様の言葉に聞き従いなさいと言う事を言われたのです。新しい時代が始まったのです。新約の時代なのです。

 さて、ペトロは何時までも栄光の山の中に居たいと思いましたが、イエス様は翌日にはすぐに山を下りました。そこは栄光に満ちた世界とは大違いの現実の混乱に満ちた世界でした。ですが、イエス様は何時までも山の上にいることなく、現実の世界の下界に降りたのです。そしてひとつの出来事に出会いました。37節から40節です。

ルカ 9:37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。

ルカ 9:38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。

ルカ 9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。

ルカ 9:40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」

 山に登ったのはイエス様とペトロ、ヤコブ、ヨハネだけですから、残りの弟子たちは下界で待っていました。その間に病気の人や悪霊に取りつかれた人々をいやしていたのです。イエス様が山を下りてくると、大勢の群集がイエス様を出迎えました。何故かと言えば、弟子達には直すことの出来ない病気の人達がいたからです。一人の男の人が大声で言いました。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」これは癲癇のような症状ですが、この時代はこのような癲癇も悪霊の仕業と思われていました。悪霊が取り付いて叫び出したり、けいれんを起こさせたり、泡を吹かさせたりしているように思っていたのです。弟子達にはこの病気をいやすことが出来ませんでした。それで先生のイエス様なら癒すことが出来るだろうと思って、イエス様のところに来たのです。

それを見て、イエス様はこう言いました。41節から43節です。

ルカ 9:41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」

ルカ 9:42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。

ルカ 9:43 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。

 ルカはこの場面をとても淡々と描いています。医者のルカがこの病気が癲癇であることを知らないはずはないのですが、その事も言っていません。マタイでははっきりと癲癇と書いています。ルカが、この場面で言おうとしているのは「なんと信仰の無い、よこしまな時代なのか」と言う事と、「いつまで私はあなた方に我慢しなければならないのか」と言う事です。そしてイエス様は汚れた霊を叱り子供をいやして父親にお返しになりました。人々は皆、神の偉大さに心を打たれたと言います。

 この事を一番詳しく書いているのはマルコです。それによると、子供の病気は幼い時から起こっており、父親はイエス様に、「おできになるなら、私どもを憐れんでお助け下さい」と必死に訴えました。するとイエス様は「できれば、というか。信じる者には何でもできる。」と言うと、その父親はすぐに叫んで、「信じます。信仰の無い私をお助け下さい」という有名な言葉を引き出しています。また、マタイでは弟子たちが悪霊を追い出せなかった理由をイエス様に尋ねると「信仰が薄いからだ。もし辛子種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、ここからあそこに移れ、と命じてもその通りになる。あなた方にできないことは何もない。」という大切な言葉を聞きだしています。これもまた有名な言葉です。いずれにしても人々はイエス様の力に驚き、神様の偉大さに心を打たれたのでした。すなわち弟子たちも群衆も神の栄光に心を奪われた体験をしていたのです。

 ところが、イエス様は、また弟子たちを現実に引き戻すことを言いました。43節の後半から45節までです。

イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。

ルカ 9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」

ルカ 9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。

 弟子たちも群衆と一緒になって、神様の栄光に酔いしれているときに、イエス様は弟子たちに「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」と言ったのです。イエス様が十字架で死なれることを語ったのはこれで二回目ですが、弟子たちはその意味が分かりませんでした。こんなに素晴らしい力を持った方が、どうして、人々の手に引き渡されることがあるのだろうと、信じることが出来なかったのです。そして怖くてその言葉について尋ねることすら出来なかったのです。すなわち、彼等には理解できないように隠されていたのです。

今日の聖書の箇所には素晴らしい神様の栄光と、混乱に満ちた人間の世界とが交互に対比させて書かれていました。そしてその中で、イエス様は山の中で、モーセとエリヤに出会い、新しい時代への引継ぎをし、神様からもこれからは、この人に聞けとの、お墨付きを得るのです。これでイエス様の十字架への道は確定しました。下界に降りて幾らすばらしい奇跡の栄光を現したとしても、本当の栄光は十字架の内にあることを弟子達にはまだ少しも理解できてはいなかったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イエス様は進むべき道を神様に祈りつつ確認し、モーセとエリヤと言う旧約を代表する人たちと了解を得て、新しい時代へと進むことを決心しました。これはイエス様の考えではなく、神様による、律法と予言の成就です。新しい時代は始まりました。ですが人間の世界はまだ混とんとして、古い世界のままです。弟子たちすらもまだ理解できていなかったのです。もしかすると私たちもイエス様を知っているつもりで同じような間違いを犯しているかもしれません。神様どうか私たちが、本当にイエス様を神の子と信じて、イエス様に聞いて従うものでありますように。イエス様が与えて下さる救いの意味を本当に理解することが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆イエスの姿が変わる

ルカ 9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。

ルカ 9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。

ルカ 9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。

ルカ 9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。

ルカ 9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。

ルカ 9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。

ルカ 9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。

ルカ 9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。

ルカ 9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

◆悪霊に取りつかれた子をいやす

ルカ 9:37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。

ルカ 9:38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。

ルカ 9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。

ルカ 9:40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」

ルカ 9:41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」

ルカ 9:42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。

ルカ 9:43 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。

◆再び自分の死を予告する

イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。

ルカ 9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」

ルカ 9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。