家庭礼拝 2017年4月5日ルカ8章26-56 ヤイロの娘とイエスの服に触れる女

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起 

 今週は、悪霊に取りつかれた人の話と、長血を患って苦しんでいた女の人の話と、死んだヤイロの娘がよみがえった話の三つが語られている箇所です。これは先週の突風を静める話の続きなのです。ここにはいろいろなイエス様の奇跡が語られているのです。全部で4つの奇跡が語られているのです。そこには嵐のような自然に対する奇跡、悪霊の力のように人間の力では及ばない事に対する奇跡、誰にもいやせないような病に対する奇跡、そして神様だけが成し得る死に対する奇跡、の4つの奇跡が語られています。この4つはいずれにしても、人間の力を超えた奇跡なのです。人間にはどうしようもない事の奇跡なのです。

 ルカはこれらの奇跡物語を通して、イエスさまこそ神の子である、救い主メシアであると語っているのです。

今日の聖書の箇所の最初は、「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」話です。26節と27節です。

ルカ 8:26 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。

ルカ 8:27 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。

イエス様はなぜ、ガリラヤの向こう岸の異邦人の地ゲラサに来たのでしょうか。異邦人宣教をするためでしょうか。それとも、ユダヤ人たちの激しくなってくる批判をかわすために、しばらくこの地にやってきたのでしょうか。それとも、この悪霊に取りつかれた人の声なき声を聴いて、この人を救うためにやってきたのでしょうか。結果的にはこれら全部が成されているのです。そして、この悪霊に取りつかれた人をいやした後はすぐにまたガリラヤに戻っているのですから、この人を救うためにやってきたと考えた方が良いのではないでしょうか。そして、この人はイエス様に救われたことによって、この地方一帯にイエス様の事を言い広めたのです。イエス様に代わって宣教したのです。

イエス様たちがガリラヤの向こう岸につくと、悪霊に取りつかれている男がやってきたと書かれています。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場をすまいとしていた、と書かれています。後で出てきますが、この人は何回も悪霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足かせをはめられて監視されていたというのです。ですがそれをも引きちぎって、暴れたのです。この悪霊に取りつかれた人は、凶暴な精神異常者だったのです。もうだれも対処仕様がなく、鎖でつないでも引きちぎり、墓場へと追いやられて、人々からは隔離された生活をしていたのです。墓場はもともと汚れた場所です。墓場は悪霊の住む場所と言われていました。そこにこの男の人は住んでいたのです。イエス様はまるでこの人を目指していったように、陸につくとすぐに、この人と出会うのです。するとこの人はどうしたでしょうか、28節と29節です。

ルカ 8:28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」

ルカ 8:29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。

 この男の人はイエス様を見るとわめきながらひれ伏して大声で叫んだというのです。何を言ったかというと、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」と言ったのです。ここには凶暴な精神異常者の姿ではなく、苦しんで哀願している哀れな男の姿が描かれているのです。何故かというと、イエス様が汚れた霊に、男から出るように命じられたからだと言います。イエス様は、この男と声をかわす前に、すでにその姿を見て、悪霊にその人から出ていくように命じていたのです。頼むから苦しめないでほしいと願ったのは、果たして悪霊だったのでしょうか、それともその人の本心だったのでしょうか。私はその人自身が願ったのだと思うのです。多分いままでにも、いろいろな人がその人から悪霊を追い出そうと、いろいろな事をして、その人を苦しめてきたのです。ですが、人の力ではどうしようもなく、ただ苦しめるだけに終わっていたのです。この人はイエス様の事を、いと高き神の子イエス、と呼びかけてはいますが、本当に癒されるとは思っていなかったのです。イエス様の力が強ければ強いほど、自分自身が悪霊とイエス様の間で引き裂かれそうな苦しみに会うことを恐れていたのです。今までもダメだった、だからもう構わないでくれ、私の悪霊はどうしようもないのだと、この男の人は癒されることに諦めていたのです。悪霊に完全に降伏して、悪霊の奴隷になってしまっていたのです。悪霊を追い出す事など、考えることすら出来なかったのです。

そこでイエス様はこう尋ねたのです。30節31節です。

ルカ 8:30 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。

ルカ 8:31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

 イエス様は、まずその悪霊の正体を暴こうとして、「名は何というか」とお尋ねになりました。すると「レギオン」と言いました。すなわちこの人はレギオン、すなわちローマの軍団で6000人の兵士からなる連隊、のような強大で凶暴で残虐な悪霊に取りつかれていると思っているのです。この人は、もしかすると小さいころ、このレギオンの軍団を見たことがあり、その凶暴な悪魔的な仕業を目撃して、精神に異常をきたしたのかもしれません。そのレギオンのように、大勢の悪霊が自分に取りついて、自分を奴隷のように、振り回していると思っていたのかもしれません。その悪霊どもは、イエス様に、底なしの淵へ行けと言う命令を自分たちに出さないようにと、願ったというのです。悪霊がどうして底なしの淵を恐れているのかはわかりません。むしろこの男の人が悪霊と共に底なしの淵に落とされるのを恐れていたという風に考えられます。悪霊たちは、イエス様が自分達に命ずる力があることを認めていたのです。

すると悪霊たちはイエス様に、別の願いを申し出ました。32節と33節です。

ルカ 8:32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。

ルカ 8:33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。

 そのあたりの山では、たくさんの豚が放牧されていました。放牧されているものとして、羊や牛がよく知られていて、それを守る羊飼いや牛飼いなどがいることを私たちはよく知っています。ですが、この異邦人の土地では豚も放牧されていて、それを守る豚飼いと言うのもいるのです。このような豚飼いの話は、ギリシャ神話などにもよく出てきます。イエス様たちが話をしているときに、丁度たくさんの豚がやって来て餌をあさっていました。悪霊どもはあのような汚れたものにならば入ることが許されるだろうと考えて、豚の中に入る許しをイエス様に願ったのです。するとイエス様はそれを赦されました。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入りました。すると豚は、何に驚いたのか、群は崖を降って湖になだれ込み、おぼれ死んだのです。イエス様が悪霊たちに、豚の中に入れと言った時に、この悪霊に取りつかれた人は自分から悪霊が抜け出て行って豚に入ったことを感じたのだと思います。その時、男の発した悲鳴のような声に驚き、豚は驚いて崖から落ちて湖の中に入ったのかもしれません。ですが、この取りつかれていた人にとっては、その驚くべき事実によってまさに悪霊が抜け出て、いなくなったことを明らかに実感することが出来たのです。そして正気になったのです。

その時側でこの出来事を見ていた豚飼い達はどうしたでしょうか。34節から37節です。

ルカ 8:34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。

ルカ 8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。

ルカ 8:36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。

ルカ 8:37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。

 ちょうどその現場に居合わせた豚飼い達は、そのことに驚き町や村にこの事を知らせました。町や村からは大勢の人々がその出来事を見にやってきました。するとそこには悪霊に取りつかれていたはずの男の人が服を着て正気になってイエス様の足元に座っているのを見て、恐ろしくなったのです。なぜ恐ろしくなったのでしょうか。それは自分達ではどうしようもなかったその悪霊をイエス様が追い出したからです。すなわちイエス様はその悪霊よりも力ある方であることを認めたのです。だとすればそれは悪霊の頭ベルゼブルか神様しかいないと言う事になります。一部始終を見ていた豚飼い達は、悪霊に取りつかれていた人がどのように救われたのかを人々に語りました。人々はそれを聞いて喜び、賛美したのではありませんでした。神様の使いが来たとは思わなかったのです。それで、ゲラサ地方の人々は皆、自分達の所から出て行ってもらいたいとイエス様に願ったのです。この人々が出来なかったことを、イエス様は代わってやってあげたのに、その事は喜ばれませんでした。なぜならば、それには犠牲が必要だったからです。この人々は犠牲は払いたくなかったのです。犠牲を払うくらいなら、今までのままでよいと思っていたのです。人が救われるよりも、豚の方を大切にしたのです。自分たちの暮らしを変えられるのを嫌ったし、それを恐れていたのです。私たちはゲラサの人々が愚かだと思うでしょうか。私達にも自分たちの生活を変えられるよりも豚の方を大切にしていることはないでしょうか。イエス様に自分の生活をひっくり返されるのを恐れてはいないでしょうか。その様な人々は、イエス様にもう来ないでくださいと言うのです。ゲラサ地方の人々は皆、自分達の所から出て行ってもらいたいとイエス様に願ったのでイエス様たちはまた船に乗って帰ろうとしたのです。この人々に直接救いの話をしても無駄だと思ったのです。

その時悪霊を追い出した貰った人がイエス様にお願いをしました。38節と39節です。

ルカ 8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。

ルカ 8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

その男の人は、イエス様にお伴をしたいと願ったのでした。この男の人は、自分の住んでいる村人たちの冷淡さに堪えられず、イエス様と共にこの村を去りたかったのです。ですがイエス様の言った言葉はこのようでした。「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は、イエス様の言葉を受け止め、その場所を立ち去り家に帰りました。周りの視線はきっと冷たかったと思うのですが、それに耐えながら、イエス様が自分にして下さったことをことごとく町中に言い広めたのです。イエス様はこの場所を離れなければなりませんでしたが、代わりにこの人が、イエス様の事を言い広めてくれていたのです。この事はあとでイエス様がまたこの地を訪れた時に、この地方に多くの信者が生まれていたことで分かるようになるのです。イエス様の御用をするのはイエス様に従うだけでなく、その地にあって、語り続けることによっても大きな働きをすることが出来るのです。

 次の奇跡物語は「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」の話ですが、この話はヤイロの娘の話の中に、イエス様の服に触れる女の話が割り込んでくるような、ちょっと変わった構成の話になっています。ここに出てくる登場人物は非常に対照的です。

ヤイロの娘とは会堂長の娘で12歳です。会堂長と言うのはその地域の指導的な役割をする人で、お偉方であり、ふつうは裕福な家です。その娘が12歳というのは、丁度少女から女性に変わる時で、このころから女性は結婚できるようになるのです。ですから、この会堂長もいろいろと計画したり楽しみにしたりしていたと思います。それもこの娘は一人娘で、この会堂長の希望はこの娘に有ったのです。もう一方のイエスの服に触れる女は、12年も出血が止まらず、医者に全財産を使い果たし、若さも失い財産も失い、長血と言う汚れを負っているために社会的な交わりも失った女性なのです。この二人の女性は、もう人間の力ではどうしようもないところまで、追い詰められ、イエス様に助けを求めてやってきたのです。その様な中でイエス様がその奇跡の力を示すのです。

イエス様が先ほどのゲラサから帰って来られると人々は喜んでイエス様を待っていました。40節から42節です。

ルカ 8:40 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。

ルカ 8:41 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。

ルカ 8:42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。

 イエス様を待っている人たちは、イエス様に病気をいやしてもらうために待っていました。その中でも深刻なのはヤイロと言う人の娘でした。このヤイロと言う人は会堂長であったので、実はイエスさまとはあまり良い関係ではないのです。なぜならばエルサレムのサンヒドリンあたりからの指令で、イエス様を会堂に入れないように指示がなされていたのです。ですが、この会堂長にとっては一人娘が今にも死にそうになっていたので、そんなことには構っていられなかったのです。それでイエス様の足元にひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願いました。イエス様はその家に行こうとすると、大勢の人々が周りに押し寄せてきたのです。その時別の事件が起こったのです。それが長血の女の話です。43節から46節です。

ルカ 8:43 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。

ルカ 8:44 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。

ルカ 8:45 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。

ルカ 8:46 しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。

 この時代、血を流すものは不浄なもの汚れたものとされていました。ですからこの12年間も長血で患った女性は、人々の集まる所には出られなかったのです。持っている財産を全部使い果たしても、治ることがありませんでした。この女性は直してくださるのはイエスさましかないと信じました。その服の房にでも触れば、癒されるかもしれないと思っていたのです。ですが、人前に出る事は出来ませんでした。ですから後ろからそっと、その服の房に触れたのです。するとその出血が止まったことを感じました。癒されたことが分かったのです。その時、イエス様はご自分から力が出ていったのを感じて、「わたしに触れたのはだれか」と言われました。イエス様はきっとその人が誰であるか分かっていたのです。でもその人が、自分から人前で告白することを希望したのです。弟子たちは、そんなことは分からなかったので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。誰が触ってもおかしくないでしょう、と言ったのです。それでもイエス様は「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われました。この時イエス様は、周りを探るようにじっと見たのだと思います。そして、47節と48節です。

ルカ 8:47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。

ルカ 8:48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」

この女の人は、震えながらイエス様に触れた理由と癒された次第を話しました。イエス様が待っていたのはこの事でした。この女の人が進んで、公にその信仰を告白することだったのです。この女の人がそのようにするとすぐにイエス様は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われました。このようにイエス様に許しを与えられ、認められたこの女性はどんなに気持ちが軽くなり、喜びに満たされたことでしょうか。あなたの信仰があなたを救った、という言葉は、信仰者の誰もがイエス様に言ってほしいと願っている御言葉ではないでしょうか。そしてイエス様が願っているのはその信仰を私たちが公に告白することではないでしょうか。

 この長血の女の話はこれで終わりです。ですがまだヤイロの娘の話はまだ続きます。49節50節です。

ルカ 8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」

ルカ 8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

 イエス様は途中でいわば道草を食っていたのです。この事を、今にも死にそうな娘を抱えている会堂長はどう見ていたでしょうか。一分でも一秒でも早く家に行ってほしいと願ってたと思います。自分の娘が今死のうとしているときに、この長血の女の事など後回しでいいではないかと思っていたと思います。そう思っている内に、会堂長の家から人が来て言ったのです。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」この会堂長はとても悔しい思いをしたと思います。それにこの使いの人の言った言葉の、この上先生を煩わすことはありません、と言った言葉が、自分の行った行為を責めているようで辛かったと思います。この会堂長は、悔しくて、悲しくて、つらかったのです。会堂長としてイエス様に敵対している自分の立場を捨てて、イエス様にひれ伏したのに、それが何の報いにもならなかったのです。その様子を見てイエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」と言ったのです。果たして、この会堂長はその言葉を信じたでしょうか。51節から53節です。

 ルカ 8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。

ルカ 8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」

ルカ 8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。

 この使いの人も、使いを出した人たちも、もう死んでしまったのだから、あなたの出番はありませんよと言って、イエス様に来なくていいと言ったのですが、この会堂長はそれでもイエス様に希望を託していたのです。そしてイエス様を家まで連れて行ったのです。イエス様はその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかったと言います。イエス様は大切な事をする場合にはこの3人の弟子だけをそばにおいて行うのです。親類縁者も他の弟子たちも家の外で待っていたのです。外にいる人々は、皆娘のために泣き悲しんでいたと言います。これはこの地方でも中国や韓国でも行われていることですが、葬儀には泣き女と言うものがいて、死者のために大声で泣く人が雇われてくるのです。そこでイエス様は、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」と言いました。この人たちは、すでに死んでしまった娘に出会っているので、そんな馬鹿なことはないとイエス様をあざ笑ったのです。するとイエス様はどうしたでしょうか。54節から56節です。

 ルカ 8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。

ルカ 8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。

ルカ 8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。

 イエス様は3人の弟子と両親とを連れて、家の中に入り、娘の手を取って、「娘よ、起きなさい」と言ったのです。するとその娘は、霊が戻ってすぐに起き上がりました。イエス様はそれが幻ではないことを証明するように、娘に食べ物を与えるように指図されたのです。当然娘の両親は非常に驚きました。きっと声をあげて騒いだと思います。ですが、イエス様は、この出来事を誰にも話さないようにと命じたのです。まだその時が来ていなかったからです。イエス様のその時はイエス様が十字架にかかった後に来るのです。それはイエス様の復活の時です。

イエス様は、自然の猛威をも、悪霊をも、病気をも死をも、その支配下に置かれました。人間にはできないこともイエス様は、行うことが出来、従わせることが出来たのです。イエス様は救い主であることは間違いがない事としてルカは描いています。ですがそのことがはっきりするのは、イエス様の復活が成されてからなのです。イエス様はその時まで誰にも話さないようにと命じておいたのです。その時には聖霊が語らせてくれるからです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。あなたがイエス様を通してなされた奇跡の数々は素晴らしいものです。これでも、ある人はこれを信じ、ある人は信じることが出来ませんでした。私たちはこれを信じることを受け入れたものです。あのイエス様に敵対していたはずの会堂長でさえも、イエス様の前に跪きその御言葉を受け入れた時、大いなる奇跡を見ることが出来ました。信じる者にはその恵みが与えられます。どうか私たちも、信じる者として歩んでいくことが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす

ルカ 8:26 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。

ルカ 8:27 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。

ルカ 8:28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」

ルカ 8:29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。

ルカ 8:30 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。

ルカ 8:31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

ルカ 8:32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。

ルカ 8:33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。

ルカ 8:34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。

ルカ 8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。

ルカ 8:36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。

ルカ 8:37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。

ルカ 8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。

ルカ 8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

◆ヤイロの娘とイエスの服に触れる女

ルカ 8:40 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。

ルカ 8:41 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。

ルカ 8:42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。

ルカ 8:43 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。

ルカ 8:44 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。

ルカ 8:45 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。

ルカ 8:46 しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。

ルカ 8:47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。

ルカ 8:48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」

ルカ 8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」

ルカ 8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

ルカ 8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。

ルカ 8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」

ルカ 8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。

ルカ 8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。

ルカ 8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。

ルカ 8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。