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起
今日の聖書の話の女性は、有名な話で、4つの福音書に全部書かれている話です。とても印象深い話として、福音記者に取り上げられたのだと思います。その話とは、女の人がイエス様の足に香油を注ぎ、自分の髪の毛でぬぐったという話です。
マタイとマルコそしてヨハネによる福音書では最後の晩餐を行う直前の出来事として書かれています。そして、それは死の前の準備として香油を注ぐ話として、書かれています。そのことが起こったのは、エルサレムの近くのベタニアです。ここまでは三つの福音書では同じなのですが、マタイとマルコの話では、そこの家は重い皮膚病を患っている人シモンの家だと書かれています。ヨハネでは、その家はマルタとマリア、そしてよみがえったラザロの家となっています。このシモンはマルタの夫だという説もあるので、もしかするとそこはマルタとマリアの家と言ってもいいかもしれません。そしてそこで香油を注ぐ一人の女とはマリアの事ではないかとも言われているのです。
ところが、今日の聖書の箇所である、ルカによる福音書では、同じ香油を塗る話でも、イエス様の死の準備としての話ではないのです。しかも、その家はベタニアの家ではなく、ファリサイ派の人の家なのです。多分ガリラヤです。ですから、ルカの話は、マタイ、マルコ、ヨハネの香油を塗る話とは別の話として扱われているのです。しかもこの香油を塗る女の人は罪深い女であり、このルカ福音書でのテーマは「誰が多くの罪を赦されるか、」という話になっているのです。このファリサイ派の人と罪深い女の人を対比させて、イエス様は、「多くの罪を赦されたものは、多く愛し、許されることの少ないものは、愛することも少ない。」と言う事を語ろうとしているのです。
承
それでは聖書を読んでみましょう。36節から始まります。
ルカ 7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
ここでちょっと不思議なのは、いつもイエス様に敵対し、意地悪をするようなファリサイ派の人がここでは、イエス様に一緒に食事をしてほしいと願ったのです。ですからファリサイ派の人が全てイエス様に敵対していたのではなく、中にはイエス様と仲良くしたい、有名な先生とお近づきになりたい、と思っている人もいたのです。このファリサイ派の人は、決してイエス様を陥れようとしたり、悪意を持っていたりしていたわけではありません。ですから、イエス様も、特にこだわることなくその家に入って食事につかれたのです。当時の食卓は低いソファーのようなところに寝そべって食事をするというのが普通でした。評判の先生がそのファリサイ派の家に来ているというので、その話を聞きこうとしている他の人々も居たし、かなり自由に出入りできる家だったのです。
そこで一つの出来事が起こりました。37節と38節です。
ルカ 7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、
ルカ 7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
その主人公は、一人の罪深い女です。普通に罪深い女と言うと、娼婦の事です。きっとその女の人は自分の行っている罪深いことに耐えきれなくなって、罪を赦し、癒してくださるというイエス様の評判を聞いて、この人ならば、私の苦しみを理解してくださるかもしれないとすがりつく思いで、このファリサイ派の人の家にやってきたのかもしれません。そして、この女の人は、寝そべって食事をしているイエス様の足元に後ろから近寄り、持ってきた香油を塗ろうとしたのです。その香油は、その女の人が罪深い仕事をして得た、たった一つの宝物の高価な香油なのです。その女の人はイエス様の足を見ている内に、思いがこみ上げてきて、泣き始めたのです。そしてその足に涙をこぼしたのです。そしてその足の涙を自分の髪の毛でぬぐい、イエス様の足に接吻をして香油を塗ったのです。髪の毛で涙をぬぐったのですから、その髪はきちんと編み上げられておらず、長く垂れ下がった髪をしていたはずです。この時代に女の人がそのような髪を編まずに長い髪のまま人前に出ることはとてもだらしない事だったのです。自分の家で、夫にしか見せることのない姿なのです。その様な姿のままであったのですが、この罪深い女の人は是非イエス様にあって、この香油を塗りたかったのです。自分の出来る精一杯の事をしたかったのです。そしていざそのことが出来そうになった時に感極まって泣いたのです。なぜそこまでこの女の人はイエス様に香油を塗りたかったのでしょうか。ですがファリサイ派の人の受け止め方は全く違っていました。それはファリサイ派の人によくある、人を裁く姿勢だったのです。39節です。
ルカ 7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
このファリサイ派の人は、もしかするとイエス様は偉い預言者かもしれないと思って、食事に招待したのです。自分もその評判にあやかりたいと思ったのです。ですが、この人はこの女の人のすることを見て、イエス様にがっかりしました。なぜならば、この人が立派な預言者ならば、自分に触れている女がどんな女かわかるはずだ、罪深い女に足を触らせるとは、自分も汚れてしまうではないか。そんなことも分からないような人が予言者であるはずはないだろう。そう思ったのです。すなわち、このファリサイ人は、この女は罪人で、このイエスは偽預言者だと決めつけたのです。
転
イエス様は、その女の人がどんな人で、どのような思いで涙を流し、髪でぬぐい、香油を塗ったのかを良く分かっていたのです。そして、それを見ていたファリサイ派の人がその時心に何を思ったのかもわかったのです。それでイエス様はこのファリサイ派の人に一つの譬え話をして、何かを教えようとしたのです。非難するためではなく、自分で気づくように語ったのです。それは何だったでしょうか。40節から43節です。
ルカ 7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
ルカ 7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
ルカ 7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
ルカ 7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
イエス様が語ったのは、たくさんお金を借りていた人と少なく借りていた人が両方ともその借金を帳消しにしてもらった時、どちらの方が多くその金貸しを愛するだろうかという話でした。イエス様がこの分かりやすい話で、例えようとしたのは罪の許しの話なのです。その事に気が付かず、このファリサイ派の人は、当然のように、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えました。そのお金は今で言うと1ヶ月分の賃金と1年分の賃金分くらいの価値がありました。シモンはお金をいっぱい得したほうが喜ぶだろうと思ったのです。イエス様はその通りだと言いました。そして本題に移るのです。44節から47節です。
ルカ 7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
ルカ 7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
ルカ 7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
ルカ 7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
イエス様は女の人を振り向いて、この女の人がイエス様にどのような事をしてくれたかを語り出しました。それは女の人がいかにイエス様を愛して、心の底からそれを行ったかを表していました。そして、反対に、ファリサイ派のシモンが表面的にはイエス様を敬っているようで、少しも愛してはいなかったことを言ったのです。普通、客人を家に招くときは、外を歩き回って汚れた足を洗い、挨拶の接吻をし、さっぱりするように、頭にオリーブ油を塗ってもてなしてくれるのです。ですが、このファリサイ派の人はそれをすることはなかったのです。ですがこの罪人の女の人はイエス様の足を涙で濡らし、髪の毛でぬぐい、足に接吻をし、足に香油を塗って、私をもてなしてくれたというのです。どちらが多くイエス様を愛してくれたかというのです。
この話は、前の箇所の洗礼者ヨハネとイエスの話で出ているファリサイ派の人への批判から続いているのです。そこでは、「民衆はみなヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。」と言いました。ファリサイ派の人々は、見かけや形式で人を判断し、その心の思いを見ようとしていないことを非難したのです。そして、この罪深い女のしたことも、ファリサイ派の人はその見かけで判断し裁いたのですが、イエス様はその心の思いを評価したのです。ファリサイ派のシモンは、心からイエス様を受け入れることはせず、罪深い女の人は心の底からイエス様を受け入れていたのです。それはヨハネの時と同じようでした。そしてイエス様はこの話のテーマであるこの言葉を語りました。「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」つまり、この罪深い女の人は、多くの罪を赦されており、ファリサイ派のシモンは、少ししか許されていないというのです。これはシモンが今まで考えていたことと反対なのです。罪深い女は赦されておらず、自分のように神に仕えているものは赦されていると思っていたのですが、イエス様は反対の事を言ったのです。
そしてイエス様は、とどめを刺すようにこう言ったのです。48節から50節です。
ルカ 7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカ 7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
ルカ 7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
イエス様は、シモンのように、心の中で女の人を罪人と決めつけるのではなく、反対に「あなたの罪は赦された」と宣言したのです。このような事を言えるのは、神様か、神様の御使いの人しか言えないのです。ですから同席の人達は、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めたのです。きっとファリサイ派の人々はイエス様は神様を冒涜していると思ったかもしれません。ですが、イエス様は女の人に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。何かを行ったから救われたのではないのです、ただイエス様を信じ受け入れたから救われたのです。そしてもう何も心配しないように、安心していきなさい、神様が共に居られるのだから安心していきなさいと、この女の人の背中を押したのです。
結
ファリサイ派の人は外面を見、形式にとらわれて、人を判断し、人を罪人だ、善人だと決めつけていました。そして自分の事は自己満足的に正しいと思っていました。ですが、イエス様はその心を見られました。その信仰を見ていたのです。立派そうに見えていたファリサイ派の人は、実は許されていない人でした。それは少ししか愛さない姿勢で分かりました。罪人とされた女の人は、実は多く赦されている人でした。それは多く愛したことで分かりました。私たちも見かけで判断してしまうことが多いものです。そうではなくて、その思いの向かって居るところがどこなのか、本当に、信仰をもって神様を愛しイエス様を愛して従おうとしているのかを知る必要があります。それは多く赦された者こそ、多く愛することが出来るからです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちは自己満足に陥る時、本当に愛する思いがなくなってしまうものです。自分にはそんなに許してもらう必要はないと思ってしまいます。それはファリサイ派の人と同じです。自分にどれだけ赦してもらう必要があるのかを心から悔い改めて見つめるならば、神様はそのことを赦して下さいます。そしてその許しを知った時、私たちは本当に多く愛することができるものへと変えられます。どうか神様、私たちがあなたの許しを必要としているものであることを悟らせてください。あなたに従えない罪の深さを思い、嘆き悲しみ悔い改める者でありますように。そしてあなたの許しを得ることが出来ますように。土屋
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆罪深い女を赦す
ルカ 7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
ルカ 7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、
ルカ 7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
ルカ 7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
ルカ 7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
ルカ 7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
ルカ 7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
ルカ 7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
ルカ 7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
ルカ 7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
ルカ 7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
ルカ 7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
ルカ 7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカ 7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
ルカ 7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。