家庭礼拝 2017年3月8日ルカ7章18-35 洗礼者ヨハネとイエス

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起 

 今日の聖書の箇所には、突然のように、囚われていた洗礼者ヨハネの話が出てきます。洗礼者ヨハネと、イエス様は特別の関係があります。洗礼者ヨハネはイエス様の事を、人間の中で一番最初に、この方こそ神の子であると証した人なのです。ヨハネ福音書の1章ではこう書かれています。

ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

ヨハ 1:30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

こう言った後、さらにこう言ったのです。

ヨハ 1:33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。

ヨハ 1:34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

これを書いたのは、その時洗礼者ヨハネの弟子となっていた若き日のイエスの弟子であるヨハネです。その次の日にイエス様がまた現れた時に、洗礼者ヨハネが「見よ、神の子羊だ」といった時、このヨハネとアンデレはイエス様について行って弟子となるのです。この事は直接体験した弟子が書いていることなので、確かな事なのです。

 一方、共観福音書のマタイ、マルコ、ルカにはこの事は書かれていません。これらの記者は、直接にはこの事を聞いていないからです。この洗礼者ヨハネはイエス様の事を神の子と認め、イエス様は洗礼者ヨハネの事をメシアが現れる前の先駆者の預言者と認めていました。ですからこの時点で、一番イエス様の事を理解していたのは洗礼者ヨハネなのです。ですが、そのヨハネは領主ヘロデを批判したために捕らえられ、牢に入れられていました。そしていつ殺されるかもしれない不安の中にいたのです。そしてイエス様が本当に救い主ならば、どうして、すぐに革命がおこり、自分は救い出されないのだろうかと思っていたのかもしれません。この牢の中に入っているヨハネの所には弟子たちが、何らかの方法で、イエス様の働きを伝えていたのです。このヨハネも救い主イエス様が立ち上がるのを今か今かと待ち続けていたのです。

 そしてヨハネの弟子たちが次にヨハネに伝えたことは、百人隊長の僕が、言葉だけで癒された話と、ナインの町で死人が復活した話でした。このような出来事は、メシアのみが行う事の出来る業でした。その様な状況をヨハネの弟子たちはヨハネにそのすべてを伝えたのです。その時ヨハネはどのように反応したでしょうか。それが今日の聖書に書かれていることなのです。

では7章の18節と19節を読んでみます。

ルカ 7:18 ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、

ルカ 7:19 主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。

イエス様のなさった不思議な業の事を聞いて、ヨハネは弟子たちを遣わして、こう言わせたのです。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」これはどのように理解したらよいのでしょうか。ヨハネはその不思議な業を聞いて、この方こそメシアに違いないと思ってこのことを確認しようとしたのでしょうか。それとも、「この方こそ、神の子である」という確信が揺らいだのでしょうか。もうすでに神の子であると信じているならば、このような質問をする必要はないのです。

ルカは、洗礼者ヨハネがイエス様に洗礼を授けけられた時、この方こそ神の子であると証したことを知らないでいたかもしれないので、イエス様の事を、本当にメシアが現れたのだという喜びをもって、弟子に確認をさせたのかもしれません。また自分が死んだ後、この方こそメシアであると言う事を自分の弟子たちに示したかったのかもしれません。

その質問を受けてイエス様はどうしたでしょうか。21節から23節です。

ルカ 7:21 そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。

ルカ 7:22 それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

ルカ 7:23 わたしにつまずかない人は幸いである。」

 イエス様のお答えはこうでした。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」こう答えたのです。この事はマタイによる福音書にもほとんどそっくりの形で記録されています。ここに書かれていることはメシアが現れるときにはこのようなことが行われるだろうと旧約聖書に予言されていることでした。その中でも死者の蘇りは大切です。ルカはこの言葉をイエス様が語る前に、ナインの町での死者の蘇りの奇跡を記録しています。ところが、ほとんど同じ内容の事を語っているマタイによる福音書ではその死者の復活の事には触れられていないのです。このほかに死者の復活の事が書き記されているのはヨハネによる福音書のラザロの復活です。洗礼者ヨハネは、イエス様の行っている業の数々を聞いて、これは預言されたメシアであると確信したと思います。ですが、ヨハネが期待していたのは、「私がメシアである」とはっきりと答えてくれることだったと思うのです。そうすれば、ヨハネの弟子達にもはっきりとそのことが分かるからです。ではなぜイエス様は、自分がそのメシアであるとはっきり言わなかったのでしょうか。それは、洗礼者ヨハネやその弟子達が期待していたメシアと、イエス様が表そうとしていたメシアが違っていたからです。洗礼者ヨハネが期待していたメシアは旧約のメシアであり、政治的なメシアが現れて、ユダヤの民を異邦人の支配から解放してくれることなのです。ところがイエス様のメシアは、それではなくて、罪や病から解放する霊的なメシアだったのです。そこで、イエス様の「わたしにつまずかない人は幸いである。」という言葉が出てくるのです。

洗礼者ヨハネも、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダも期待していたメシアは政治的なメシアだったのです。ヨハネは最初躓いたのかもしれませんが、イエス様の答えを聞いて受け入れたかもしれません。ですが、ユダは最後まで受け入れることが出来なかったのです。この後しばらくして、洗礼者ヨハネはヘロデの命令で、首を切られて死んでしまうのです。

そのヨハネの使いがイエス様の答えを聞いて帰って行ったあとイエス様は群衆に向かって、ヨハネについて語り始めました。24節から26節です。

ルカ 7:24 ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。

ルカ 7:25 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。

ルカ 7:26 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。

 イエス様にはヨハネの悲惨な運命が分かっていたのです。そしてその最後になって、躓きそうになっている気持ちもわかっていたのだと思います。ですが、洗礼者ヨハネはイエス様の事を一番理解していた人でした。その人をイエス様は人々に語らずにおられなかったのです。この洗礼者ヨハネの功績を人々にも理解してほしいと思ったのです。それで、イエス様は群衆に向かって、「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。」と言いました。イエス様は洗礼者ヨハネの事を預言者以上のものと言いました。それまで大預言者と言われる人は何人か出てきましたが、それ以上のものであると言ったのです。それほどすごい人物であると言ったのです。

そして洗礼者ヨハネの事を、メシアが現れる前に旧約聖書で予言された預言者であることを語ったのです。37節と38節です。

ルカ 7:27 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。

ルカ 7:28 言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」

 先ほどヨハネの弟子たちに伝えたイエス様の数々の奇跡のことも、イエス様はメシアであると言う事を言い表したものですが、ここでは群衆に向かって、私は旧約で予言されたメシアであり、ヨハネは旧約で予言された、メシアに先立つ先達者であることを、聖書の言葉を使って『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。』と言ったのです。そして、こうも言ったのです。「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」なぜイエス様はこんなことを言ったのでしょうか。女から生まれたもののうち、ヨハネより偉大なものはいないと言いました。これはヨハネは、旧約的な考え方、この世的な考え方をするものの中ではもっとも偉大な人間であることを言っているのです。ですが、イエス様の国はこの世のものではありません。霊によって生まれる者であり、神の国に生きる者なのです。すなわち新約の世界に生きる者なのです。イエス様は、この事を、神の国で最も小さなもの、すなわち福音に生きるものは誰でも、旧約で最も偉大である洗礼者ヨハネよりも、偉大であると言っているのです。神の国に生きる者のすばらしさを語っているのです。

 洗礼者ヨハネの偉大さを語った後、イエス様はファリサイ派の人々や律法学者たちを非難し始めました。それは彼らが、洗礼者ヨハネを受け入れなかったからでした。29節と30節です。

ルカ 7:29 民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。

ルカ 7:30 しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。

イエス様は、言いました。民衆はみな洗礼者ヨハネの教えを聞いて受け入れ、洗礼を受け、神様の正しさを認めたのに、ファリサイ派や律法学者たちは、洗礼を受けず、神様の御心を拒んだのだと非難しました。そして彼らのよこしまな態度を次の様に表現して、自己中心的な姿勢を非難したのです。31節から34節です。

ルカ 7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。

ルカ 7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』

ルカ 7:33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、

ルカ 7:34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。

ルカ 7:35 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

 ここでイエス様は今の時代の人達はと言っていますが、それは今の時代のファリサイ派や律法学者などの宗教的指導者の事を言っています。一般の民衆の事を言っているわけではありません。その人たちを譬えて、笛を吹いたのにおどってくれなかった、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかったと、自分の思い通りにならないと文句を言う子供のようだと言っているのです。その様な人たちですから、洗礼者ヨハネがパンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あれは悪霊に取りつかれていると言い、イエス様が罪人や弱い人たちと仲良く飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言って非難するというのです。自分たちと違ったことをすると、それが良い事か悪い事か関係なくただ非難するような子供のような人たちだと言っているのです。全て自分たちが中心で、自分達の思い通りにならないことや自分たちと違うことをしているとそれを非難し受け入れようとはしないのです。でもイエス様は言うのです。その知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される、と。イエス様は、民衆の良識を信じていたのです。そして、聖霊の導きを信じていたのです。自己中心で自己保身的な宗教指導者の言う事ではなく、正しいものを受け入れようとしている民衆の良識を信じていたのです。そしてイエス様は神様の導きに従ってその正しいことを行っていったのです。

 洗礼者ヨハネは偉大な人でした。少なくても旧約的な意味からすると最大の人だったのです。その洗礼者ヨハネは、イエス様を受け入れました。もしかすると牢の中で不安になって少し疑いを持って躓いたのかもしれませんが、きっとイエス様の言葉で、また確信を持ったのではないかと思うのです。ですが、その旧約の教えを信じていると言っているファリサイ派の人々や律法学者たちは洗礼者ヨハネを受け入れることをせず、またイエス様の事も受け入れようとしなかったのです。彼らの考え方は自己中心的で、自分達のようにしないものを受け入れない人たちだったのです。ですが神様の計画は着実に進められました。洗礼者ヨハネが現れ、メシアの先駆けとしての働きをし、そしてその後メシアが現れました。きっとその事に一番最初に気づいたのはこの洗礼者ヨハネであり、その事をイエス様は最も偉大なものと誉め称えたのだと思います。イエスを主と告白するものはその神の国に入ることが出来るのです。

 


(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。私たちが自己中心的になるとあなたを受け入れられなくなってしまいます。自分を偉いもののように思うものは、その考えに捉われてしまいます。どうか私たちが謙遜に、あなたのみ前にへりくだり、あなたのなさったことを聖書から学んでそれを受け入れていくことが出来ますように。そしてあなたが私たちの救い主であり、私たちの罪と恐れから解放してくださる方であることを信じて、歩んでいくことが出来ますように導いてください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆洗礼者ヨハネとイエス

ルカ 7:18 ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、

ルカ 7:19 主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」

ルカ 7:20 二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」

ルカ 7:21 そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。

ルカ 7:22 それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

ルカ 7:23 わたしにつまずかない人は幸いである。」

ルカ 7:24 ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。

ルカ 7:25 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。

ルカ 7:26 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。

ルカ 7:27 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。

ルカ 7:28 言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」

ルカ 7:29 民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。

ルカ 7:30 しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。

ルカ 7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。

ルカ 7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』

ルカ 7:33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、

ルカ 7:34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。

ルカ 7:35 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」