家庭礼拝 2017年3月1日ルカ7章1-17 百人隊長の僕をいやす

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起 

 今日の聖書の箇所には、二つの小見出しがあります。百人隊長の僕をいやす話と、やもめの息子を生き返らせる話です。先週までのイエス様の説教の話は終わって、ペトロの実家のあったカファルナウムに行きました。そこを拠点にしてまたガリラヤ地方の宣教を始められたのです。ですがここでは説教の話ではなく、癒しの奇跡物語が始まりました。ここではイエス様の癒しの奇跡がまた行われたというよりも深い意味がありそうです。それはイエス様の宣教がどこまで広く深く行われたのかを語っているからです。

 最初の百人隊長の僕をいやす話では、イエス様の恵みは異邦人の百人隊長たちまでも与えられたのです。すなわちその広さにおいては、ユダヤ人だけでなく、異邦人も含めた全人類が宣教すなわち救いの対象となったと言う事です。この話はマルコ福音書には書かれておらず、マタイとルカだけに書かれた話です。ここでの話のテーマは、癒しでも奇跡でもなく、この異邦人の信仰がテーマになっているのです。

 次のやもめの息子を生き返らせる話は、ルカ福音書にしか書かれていない話です。そしてこの話の意味するところは、イエス様の恵みはその深さにおいて、死んだ後の世界まで与えられたことを表しています。ですからこの話は実際に死んで、イエス様に復活の奇跡を与えられたとみるべきでしょう。ですが、他の見方では、この息子は実際には死んでおらず、気を失っていたのをイエス様が、その事を見抜いて、意識を取り戻す処置をしたのだという、医者のルカらしい見方をする人もいるのです。当時はそのような人がたくさんいて、死んだと思って葬られる人があったのです。

 ですが、ここではイエス様の宣教が、その恵みの業が、どれほど広く、どれほど深くいきわたるのかを表しているとみる方がよさそうです。その恵みの業には、限界がなく、全ての人に与えられたのです。

さて、イエス様は、山の中で12人を弟子に選び、山を下りた平地で、病人をいやし、弟子たちに平地での説教を与えて教育し、そして今回のカファルナウム、すなわち都会に入ってきたのです。そこにはペトロの実家もあり、前に来た時にはペトロの姑目の熱病をいやしたこともありました。

その時一つの出来事がありました。それまでイエス様が癒されて来たのはユダヤ人たちであり、特に貧しい人たちや苦しんでいる人たちだったのですが、ここで初めて異邦人に対する話が出てくるのです。その異邦人と言うのは、ローマの兵隊の百人隊長に選ばれているものでした。多分この地区の警備を任されている、社会的にも影響力のある実力ある百人隊長だったでしょう。その隊長から、イエス様に願い事があったのです。1節から3節です。

ルカ 7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。

ルカ 7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。

ルカ 7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。

 この百人隊長は、部下思いで、信仰深い人でした。ですからイエス様の評判を聞いて、この人ならば癒していただけるかもしれないと思ったのです。そしてユダヤ人の長老たちを使いにやって部下を助けに来てくださるようにと頼んだというのです。ですがここで気になることがあります。どうしてこの百人隊長は、自分で直接イエス様に頼まないで、ユダヤ人たちを使いに出したのでしょうか。そんなに自分の方が偉いと思ってユダヤ人たちを使いに出したのでしょうか。実はこの話のことはマタイ福音書にも書いてあって、そこでは、百人隊長が直接イエス様に近づいて懇願したと書かれているのです。そしてそこでは部下ではなく、私の僕が中風で寝込んでいてひどく苦しんでいます、と訴えたのです。

この当時、ユダヤ人は異邦人と接するのを嫌っていました。異邦人と付き合うと汚れるという考えがあったのです。ですから、同じ異邦人だったルカはユダヤ人の考え方を知っていて、百人隊長が直接イエス様にお願いすることなどありえないと考えたのかもしれません。それでユダヤ人たちに頼んで、癒しをお願いしたと言う事になったのではないでしょうか。長老たちはどのように頼んだのでしょうか4節と5節です。

ルカ 7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。

ルカ 7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」

 そしてこの百人隊長に頼まれた長老たちは、マタイ福音書にはなかった話をしてイエス様を説得したのです。それは、「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」とイエス様に言ったのです。この百人隊長は威張ってユダヤ人を使いに出したのではなく、自分が直接イエス様の所に行くと、きっと異邦人と言う事で嫌がられるだろうと思っていたので、この百人隊長を信頼していたユダヤ人の長老たちが、代わりに行ってお願いしてみようと言う事になったのです。なぜならば、この百人隊長はユダヤ人の信仰を大切に思っており、ユダヤ人を愛して、会堂までも作ってくれたからなのです。このようにユダヤ人から愛されるローマ人というのはとても珍しいのです。いつもはそこには敵対関係の深い溝があるのです。イエス様はユダヤ人たちの願いを聞いて、そのローマの兵隊をいやしに行きました。6節から8節です。

ルカ 7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。

ルカ 7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。

ルカ 7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

この百人隊長は、イエス様が、その家の近くまで来ると友達を使いにやりました。もう近くまで来たのだから、自分で直接出迎えればいいのにと思うのですが、この百人隊長は、ユダヤ人に対してとても謙遜な態度をとっていたのです。この使いに出された友達というのもきっとユダヤ人だと思いますが、その友達がこの百人隊長に代わってこう言ったのです。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」この百人隊長は、この偉いユダヤ人の先生すなわちイエス様に会うことも家の中に入れることも異邦人の自分にはふさわしくないものであると考えていたのです。それで出迎えることも出来ないでいたのです。そして、「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」といったのです。これがこの百人隊長の信仰だったのです。そこには、軍人らしい根拠もあったのです。それが軍隊の中で、権威ある上官が、部下に対して、行けと言えば行くし、来いと言えば来る、これをしろといえばその様にするという、言葉の力を信じていたのです。ですからイエス様の権威ある言葉が与えられれば、その病の原因になっているサタンは追い出されるだろうと考えていたのです。この百人隊長の信仰は、たとえ見ることも触っていただくことがなくとも、その言葉だけで癒されるという信仰だったのです。これにイエス様は感動したのです。9節と10節です。

ルカ 7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

ルカ 7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

イエス様は集まっていた人々の方を振り向いて言われました。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」といったのです。イエス様の信仰に対する考えは見ないで信じる信仰だったのです。信じるためにはこうでなければと条件を付ける信仰ではなくて、見なければ信じないと言ったものではなく、無条件にその言葉を信じる信仰を大切だと思っていたのです。ですからイエス様はその無条件の信仰をたたえて、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない、といったのです。イエス様はこの後癒しの言葉を語ったと思います。ですがその事はもうどうでもいいのです。イエス様がこの百人隊長の信仰を認めたところでもうすでに癒されているのです。使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていたのです。ここでの話しは癒しの奇跡の話が大切なのではありません、この百人隊長が、見ないで信じたことが、その言葉だけで信じた信仰こそが大切なのです。そしてこの出来事は、イエス様の救済の御業は信仰さえあれば異邦人にも及ぶことが明らかにされたのです。

それから、イエス様はこのカファルナウムからナザレの方角にある、ナインという町に行きました。そこはカファルナウムから歩いて一日くらいかかる距離にある所でした。そこでイエス様は葬儀の集まりに出会ったのです。11節と12節です。

ルカ 7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。

ルカ 7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。

 イエス様は、旅をしながら宣教をしていたのですが、そこには弟子達や大勢の群集も一緒でした。イエス様がナインという町の門に近づくとそこで葬儀の集まりに出会ったのです。棺が担ぎ出されるところだったのです。それは息子の葬儀でした。しかもこの母親はやもめであり、一人息子が死んでしまったのです。これは当時としてはとても悲惨な状況なのです。やもめであり、一人息子がなくなったと言う事は、これからは一人で生きていかなければならず、しかもその糧を得る手段もないという、お先真っ暗な悲惨な状況なのです。きっとこの母親はそのお棺にすがりつき、激しく泣いていたのだと思われます。それをイエス様はご覧になったのです。そしてイエス様はその母親を憐れに思いこう言ったのです。13節から15節です。

ルカ 7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

ルカ 7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。

ルカ 7:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。

 イエス様は、その泣き叫んでいたと思われる母親を見て、憐れに思いました。イエス様はどんなことにも心が動かされない超越した方ではなく、私たちと同じ目線で、悲しんでくださり、憐れに思ってくださる方なのです。そしてその母親に、もう泣かなくともよいと言われたのです。そして近づいて棺に手を触れられたのです。直接遺体に触れたのか、棺に触れたのかはわかりませんが、それは周りで見ている人たちにとっては驚くべきことでした。なぜなら、ユダヤでは、遺体に触れることは汚れることであり、決してしてはならないことだったからです。ですから担いでいる人たちはビックリして立ち止まったのです。するとイエス様は、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われたのです。すると死人は起き上がって物を言い始めたとルカは語ります。そしてイエス様は息子を何事もなかったかのように、その母親に返しました。この話はルカにしか書かれていないので、どの伝承から来ているのかはわかりませんが、ルカはいろいろとイエス様の伝承を調べて書いているので、この地方にそのような伝承が残っていたのだと思います。そしてこの話が、イエス様の働きは死をも超えて、陰府に至るまで働いていることを現しているのです。そしてこの息子がこのナインで復活したと言う事には、もう一つ因縁があるのです。それは昔、預言者エリシャが、やはりやもめの息子を生き返らせたというゆかりの地であったのです。もしかするとこの話と混同して、ルカは書いている可能性もあります。それでは、それを見ていた人々はどのような反応を示したでしょうか。16節と17節です。

ルカ 7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。

ルカ 7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

人々はみな恐れを懐きました。そして神様を賛美したのです。そして、「大預言者が我々の間に現れた」といい、「神はその民を心にかけて下さった」と言いました。昔現れた、大預言者エリシャの話を思い出していたのかもしれません。ですが、このような不思議な出来事を目撃した人々はそのことを語らずにはおれませんでした。そして、この話は、ユダヤ全土だけでなく、周りの地方一帯にまで広まったのです。

 ルカは、この百人隊長の部下の癒しと、やもめの息子の復活の奇跡の話を通して、単なる奇跡物語を語りたかったわけではなく、イエス様の救いが、異邦人にまで及び、全世界の人々に及ぶことを語り、そして、たとえ死んでしまった人々に対しても、イエス様の救いの恵みの業は及んでいるという、その限りの無い、制限のない救いの業を語って、異邦人の信仰者を励まそうとしたのではないかと思います。私達もまた、その、限りの無い恵みと救いを信じて、イエス様の御言葉を信じて救われるものとなっていきたいと思います。

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、あなたの救いの業は限りなく、異邦人にも死人の上にも及びました。私たちはあなたのその御力を信じます。あなたは私たちを見て憐れんでくださる方であり、分け隔てなく救いを与えられる方です。あなたが教えて下さる御国へと歩むことが出来ますように、御言葉を受け入れさせてください。あなたの聖霊の導きがありますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆百人隊長の僕をいやす

ルカ 7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。

ルカ 7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。

ルカ 7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。

ルカ 7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。

ルカ 7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」

ルカ 7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。

ルカ 7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。

ルカ 7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

ルカ 7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

ルカ 7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

◆やもめの息子を生き返らせる

ルカ 7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。

ルカ 7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。

ルカ 7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

ルカ 7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。

ルカ 7:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。

ルカ 7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。

ルカ 7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。