家庭礼拝 2017年2月15日ルカ6章20-36 幸いと不幸

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起 

 先週の聖書の箇所で、イエス様は12人の弟子を選びました。これはイエス様の教えを特別に少数の人に教えていくためでした。もうあまり時間はなかったのです。それで、12人に集中して教える方法をイエス様は取ったのです。そしてその教えた内容が、今日の聖書の箇所です。

 今日の聖書の箇所はよく知られた有名なところです。この箇所によく似た個所はマタイによる福音書の山上の説教です。それに対して、このルカによる福音書の話は平地の説教とも言われています。この書き出しは、「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。」とあるように、弟子たちに対して話されたものであって、一般群衆にではありません。すなわちこれが、イエス様の12人の弟子に対する、特別教育なのです。私たちは山上の説教などのイメージで、この言葉は、集まってきた一般の群集の人々に語られたような気になっていますが、マタイによる福音書の山上の説教の書き出しは、「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、教えられた。」となっています。イエス様が山に登られたのは、群衆が集まって来たからです。ですが、群衆に教えるために、声が届くように山に登られたのではありません。返って、群衆を避けるために山に登られたのかもしれません。そして、イエス様はラビがするように、教えるときは腰を下ろし、弟子たちも近くによってその話を聞いたのです。ここでも、イエス様は、弟子たちが近くに寄ってきたので、イエス様は口を開き、教えられたのであって、教えたのは弟子たちに対してなのです。

 ここではイエス様の教えの真髄を語っています。それは何が幸いであって何が不幸なのかと言う事です。これは誰でもそれを知りたいと思う事であり、その人の行動を決める価値観です。ですがイエス様の教えはまるで今までの常識とは違います。逆説的なのです。それはなぜかと言えば、私たちはこの世の幸いを求め、この世の不幸を避けようとするのですが、イエス様は、この世の幸いを求めず、神の国の幸いを求め、この世の不幸を避けることなく、神の国で不幸になることを避けなさいと言っているからです。本当にこれは驚くべき教えです。誰もこのような教えを語ったことがありませんでしたから、聞いた弟子たちも驚いたと思います。これは弟子たちに対して、神の国に入る者の心構えを教えたのです。イエス様に従うならば、このような心構えでいなさいと言う事です。すなわち、私たちもイエス様に従うものとして、この心構えを身につける必要があるのです。

では最初に、イエス様の語った幸いと不幸について学んでいきたいと思います。マタイによる福音書では、9つの祝福と言われる言葉を語りました。それらはみな幸いである、という言葉で結ばれているのです。それに対して、ルカでは幸いであると語られているのは4つです。最初の三つは貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々は幸いである、と言っています。そして四つ目の幸いであるには、憎まれる時、追い出される時、ののしられる時、汚名を着せられるときに幸いであると語られているのです。最初の三つは、その人たちに対して幸いであると言い、四つ目ではその状況にある人は幸いであると言っているのです。

そしてそれに続いて、幸いである人と対比するように、不幸な人について書かれています。先ほどの、貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々は幸いである、と言ったことに対して、富んでいるあなた方、満腹している人々、笑っている人々、に対して、不幸であると語っているのです。そして四つ目の状況に対する言葉としては、やはりののしられる時幸いであるという反対の状況、すなわち、褒められるとき不幸である、と言っています。

では最初の三つの幸いについて読んでみましょう。20節と21節です。

ルカ 6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。

ルカ 6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。

 これらに相当する言葉は、マタイの山上の説教でも語られていますが、それとは少しずつニュアンスが違います。ルカの貧しい人々は、マタイでは心の貧しい人々となっており、心という言葉が付け加えられ、より精神的なものとなっています。また、ルカの飢えている人々は、マタイでは義に飢え渇く人々となっており、義という言葉が付け加えられてより精神的なものとなっています。また、ルカの泣いている人々に対応するものとしては、マタイでは悲しむ人々となっています。このようにマタイではより精神的なものに昇華しているような気がしますが、ルカでは素朴に現実を語っているような気がします。

イエス様はこの言葉を語る時、目をあげて、弟子たちを見て言われたのです。その時弟子たちは貧しく、飢えており、泣いている人々のように見えたのかもしれません。その様な不幸に思える現実に対して、イエス様はいやそうではない、あなた方は幸いなのであると言っているのです。ですから、ここで語られた言葉は、一般論を言っているのではなく、今目の前にいるあなた方、すなわち弟子たちに対する言葉として語っているのです。イエス様が言っているのは、あなた方の現実は貧しく不幸に見える、だがそうではない、あなた方は神の国では幸いなものとなるのだ、と言っているのです。同じように、飢えている弟子達、泣いている弟子たちに対しても現実は不幸に見えるが、神の国に入れば、飢えている人は満たされ、泣いている人々は笑うようになる、だからこの世の現実に目を奪われるのではなく、神の国の希望を受け継いで、御国に生きる者になるようにしなさいそうすれば幸いなものとなるとイエス様は言っているのです。

そしてさらにこう言ったのです。23節です。

ルカ 6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

 イエス様は、その日にはすなわち神の国に入る時には、すなわち終末の時には、喜びおどりなさい。天には大きな報いがある、と語られました。今不幸に思えても天に入る時には、大きな報いと喜びがあるから、その希望に生きなさいと言っているのです。そしてあなたたちが迫害され不幸に思える状況は、この人々の先祖たちも預言者たちに同じことをしたのであり、あなたたちは預言者たちと同じ仲間になって、神の国で、大きな報いを得ることが出来るのだと、教えたのです。イエス様の教えは、この世で幸せになる事ではなく、神の国で幸せになる事であり、そのためにはどうしたらよいのかと教えることだったのです。

そしてその幸いな人々を強調するかのように不幸な人々について語り出しました。24節から26節です。

ルカ 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。

ルカ 6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。

ルカ 6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

 こちらの言葉の方が弟子たちにとってはショックが大きかったかもしれません。なぜならばこちらの方ではあなた方は不幸であると、弟子たちに直接不幸であると語り掛けているからです。あなた方は富んでいる、あなた方はもう慰めを受けている、あなた方は、いま満腹しているだから、あなた方は不幸である、と言っているのです。そして、人に褒められようとするのは偽預言者と同じで、不幸であると言ったのです。この言葉に思い当たらない弟子たちはいなかったと思います。今現在の状況はまさにこの状態なのです。弟子たちはまだ、富んでおり、慰めを受けており、満腹していて、さらに人々から褒められたいと思ってイエス様に従ってきているのです。ですがイエス様は私に従って来るならば、いつかあなた方は貧しいものとなり、飢えるものとなり、泣くものとなり、迫害されるものとなることを予言し、そして、幸いなものとして神の国に入ることを予言しているのです。イエス様に従うと言う事はそのような状況を受け入れていかなければならず、この世の幸せを捨て去らなければならないと言う事なのです。その時、天には大きな報いが待っていると言う事なのです。これは単なる人生訓を語っているのではなく、イエス様に従う者の覚悟を問うているのです。あなたはこの世の幸いを求めるのか、神の国での幸いを求めるのかと言う事なのです。そしてイエス様に従うものは、この世の幸いを捨てて、神の国の幸いに生きる希望を持ちなさいと言う事なのです。

ですがイエス様は突然話の方向を変えられて、敵を愛しなさい、と言う事を語り出しました。27節と28節です。

ルカ 6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

ルカ 6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

なぜイエス様はこの言葉を語り出したのでしょうか。私はこの二つの事はイエス様の大切な教え、「神様を愛し、隣人を愛しなさい」と言う事を語ろうとしているのだと思うのです。先ほどの幸いな人の話は、神の国を愛しなさい、すなわち神様を愛しなさいと言う事を具体的に教えているのです。ですがそれだけでは、迫害にあった弟子たちが隣人に対して、本当に愛する者となるとは限りません。隣人とは、自分の近くにいる人たちだけではありません、自分に身近な人や愛してくれる人々だけを言うのではありません。自分に敵対する人々や、遠くにいる見知らぬ人々をもさしているのです。すなわち、私たちに少しでもかかわりを持つすべての人を言っているのです。その中でも最も愛することが難しいのは、自分に敵対する人々です。イエス様は隣人を愛しなさいと言う事を、敵や、憎むものを愛しなさいと置き換えて話しているのです。これが出来て初めて隣人を愛することが出来ることを言っているのです。愛するとは、感情に委ねて愛することではないのです。愛するとは意志なのです、相手がどのような人であっても私は愛するという意志なのです。ですから、イエス様は、愛することを命じることが出来るのです。愛することは自然に起こってくる感情ではなく、イエス様に命じられたことなのです。ですからそれを守ることは意志の問題になってくるのです。

イエス様に従って行くとき、「いつかあなた方は貧しいものとなり、飢えるものとなり、泣くものとなり、迫害されるものとなる」と言う事が予言されているのですが、たとえそうなっても、あなた方の敵になり、迫害し、憎むものを憎んではならない。そうではなくて、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」と言う事を教えているのです。これはすごい事です。これを聞いた弟子たちはどんな思いになったでしょうか。イエス様に従うものとしてとても身の引き締まるのを感じたのではないでしょうか。本当にそれが出来るだろうかと疑う者もいたでしょう。ですが、私たちもイエス様に従うものです。この事を私たちもイエス様の命令として受け止めて従って行かなければならないのです。日常生活の中で、「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」という言葉を、イエス様の言葉として守っていかなければならないのです。これが隣人を愛すると言う事です。

イエス様はさらに具体的に、どのような状況になっても愛し続けるとはどういうことなのかを語りました。29節から31節です。

ルカ 6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

ルカ 6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

ルカ 6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

これは、その嫌な状況をも受け入れなさいと言う事なのです。先ほど、悪口を言うものと侮辱するものが出てきましたが、実はこれがエスカレートするとどういうことになるかをイエス様は続けて言っているのです。まず人の心に憎しみが生じて、悪口を言い始めると、次にはさらに強く侮辱するようになり、さらに高まると、あなたの頬を打つものとなり、さらにはあなたの持ち物を奪い去ろうとし、最後には命をも奪い去ろうとする、憎しみのサイクルをイエス様は語っているのです。ですが、どのような状況にあってもその憎しみに逆らってはならない、敵に逆らってはならない、すべて受け入れなさいと言う事を言っているのです。それが敵を愛することであり隣人を愛することだと言っているのです。この事を究極的にイエス様が示したのが、十字架なのです。イエス様は隣人のどのような憎しみをも迫害をも抵抗することなく受け入れて、十字架で死に、そして神の国で幸いなものとなったのです。これがイエス様の教える神を愛し、隣人を愛しなさいと言う教えなのです。イエス様の教えは、それまでの賢人たちが教えてきた、人の嫌がることをしてはならないという、悪いことはしないという美徳から、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という積極的な慈愛の美徳にその価値観を変えようとしているのです。何もしないことが大切なのではない、行うことが大切なのだと教えているのです。その行う事とは人にしてもらいたいことを行う事なのです。それが、隣人愛の行動指針となっているのです。隣人愛とは、どんな状況の中にあっても、たとえ隣人が敵であっても、その人を受け入れ、その人がしてもらいたいと思うことを行う事なのです。それがイエス様に従うものの務めだと言っているのです。私達にもそれが出来るでしょうか。自分の力ではできないかもしれませんが、イエス様の助けをもって行うことが出来るのです。祈り続けることが大切になってきます。

そしてイエス様はこの事をさらに分かりやすくこう語りました。32節から36節です。

ルカ 6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。

ルカ 6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。

ルカ 6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。

ルカ 6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

ルカ 6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

 ここで語られている一つ一つを、また解釈していく必要はもうないでしょう。私たちはイエス様の隣人愛を学んできました。敵を愛すると言う事を学んできました。ですが、ここにとても大切な一言があるのです。それは36節の言葉です。これはイエス様が一番語りかった言葉だと思います。それは、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」という言葉なのです。神様は、憐み深い方なのです。ですがそれを理解せず、敵となって神様から離れ、神様に敵対し、神様を憎む者たちが現れたのです。私たち人類はみなその仲間なのです。その人たちは最後には神様の最愛の独り子であるイエス様をも十字架の上で殺したのです。ですが神様はそれをも受け入れ許したのです。神様はそれほど、憐み深い方なのです。神様はそのように憐み深い方であるから、あなた方も憐み深いものとなって、隣人を愛し、敵をも愛しなさいと言う事を教えているのです。私たちが習うべき方は、神様であり、独り子のイエス様なのです。

 今日はとても大切な教えを学びました。イエス様の、「神様を愛し、隣人を愛しなさい」という言葉を改めて学びました。神様を愛するというのは神の国を愛することです。神の国を愛する者は、この世の幸いを求めることなく、神の国での幸いを求めます。なぜならそこでは、喜び踊りたくなるような大きな報いがあるからです。イエス様に従うものはその神の国の幸いを求める者なのです。

 そして、敵をも愛しなさいと言う事を言われました。私たちの愛そうとするのは、自分の気に入った人たちばかりです。ですがイエス様の愛しなさいという人たちには敵であり、自分を憎んでいる者たちをも愛しなさいと言っているのです。そしてその人たちの望んでいることを受け入れ、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」と教えられました。それが隣人を愛することであることを改めて教えられました。私たちがこの事を、受け入れられるのは、神様が慈しみ深く、憐み深い方であるからです。私たちはいつも神様の敵となって逆らい、多くの罪を犯しているのです。それにもかかわらず、神様の憐れみによって許されているのです。だからあなた方もその様にしなさいと教えられました。今日の教えは本当にイエス様の教えの核心です。どうかこの教えを肝に銘じて、イエス様に従うものの心構えをしっかりと身に着けることが出来ますように。私にはできないという代わりに、イエス様にどうかその力を与えてくださいと祈ることが出来ますように。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、今日はイエス様に従うものの心構えとして、神の国を愛し、敵をも愛することを学びました。とても、大きく深い教えで、私のようなものに出来るだろうかという思いが出てきますが、どうか神様、あなたの御力によって導かれ、新しく変えられて、イエス様に従うものとなることが出来ますように。イエス様の教えて下さった、神様を愛し隣人を愛することを、神の国を愛し、敵をも愛する者として具体的に行うことが出来ますように。どうかあなたの御国の栄光が来ますように。私たちがみなあなたの憐れみによって救われるものとなりますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆幸いと不幸

ルカ 6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。

ルカ 6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。

ルカ 6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。

ルカ 6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

ルカ 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。

ルカ 6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。

ルカ 6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

◆敵を愛しなさい

ルカ 6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

ルカ 6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

ルカ 6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

ルカ 6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

ルカ 6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

ルカ 6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。

ルカ 6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。

ルカ 6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。

ルカ 6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

ルカ 6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」