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起
今日の聖書の箇所は、二つのでき事について書かれています。レビを弟子にする話と断食についての問答の話です。レビとは12使徒のマタイの事です。マタイ福音書ではそのままマタイと書かれていますが、ルカとマルコではレビと書かれています。特にマルコではアルファイの子レビと書かれており、もう一人の弟子アルファイの子ヤコブと兄弟ではないかとも言われています。なぜルカとマルコではマタイという名前を使っていないかというと、既に初代教会ではマタイは重要な使徒としての働きがあったので、その名前を出すのを憚ったという説もあります。なぜならばレビはその当時罪人として、会堂に入ることも許されず、多くの人々から軽蔑の目で見られていた職業の人だったからです。その職業とは徴税人なのです。
マタイ福音書とルカ福音書のレビを弟子にする話は非常に似通っていて、ほとんどルカ福音書に書かれているレビという言葉をマタイと言い換えればマタイによる福音書の記述になるほどです。マルコ福音書では若干異なるところもありますが、これもほぼ似たような内容となっています。
もう一つの話の、断食についての話は、この断食の事を話しながら、イエス様の新しい時代が到来したことを語っており、イエス様はその時代を現す、メシアであることを間接的に表現しているのです。すなわち、今まで続いた予言者の時代が終わり、メシアの時代が始まったのです。そこで人々はその意識を変える必要へと迫られているのです。イエス様は新しいものを新しい視点で見ることを語ります。しかしそこにはイエス様が取り去られることも預言されており、イエス様は既にこの時には、十字架の死を覚悟されて、宣教されていることが分かります。
承
さて、まず初めにレビを弟子にする話から始めます。27節と28節です。
ルカ 5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
ルカ 5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
この話はその後、という言葉で始まっていますが、これは屋根からつり降ろされて癒された中風の人の奇跡がなされた後、という意味です。イエス様がその家を出て行って、道を歩いておられると、レビと言う徴税人が収税所に座っているのを見ました。徴税人というのは、当時の支配者であるローマに代わって税金の取り立てをする人の事です。税金にもいろいろあって、人頭税や所得税、通行税や、商品税、財産税などいろいろありました。この徴税人はローマに対して、その税金を取り立てる権利を入札で買い取り、そして儲けるために買いとった以上の税金を取り立てて、自分の利益を得るという仕事でした。ですから、しばしば、規定以上の税金を取り立てて、人々を苦しめていたので、人々からは嫌われ、罪人とされ、ローマの使い走りとみられ、ユダヤ人の社会の中には入り込めなかったのです。このレビが収税所に座っていたというのですから、その前を通る人々から通行税のようなものや、商品の中身を調べて、商品税を取ったり、動物たちの種類や数に応じて税金を取っていたのです。その様な働きをしていたレビですが、きっと心の中は寂しく暗いものだったのかもしれません。自分でも罪人であることを意識していたのかもしれません。
イエス様が丁度そこを通りかかった時、イエス様はレビを見て、レビの心を見抜き、「私に従ってきなさい」と声をかけたのです。レビは驚きました。まさか自分のような罪人に、イエス様のような神の人が声をかけてくれるとは思わなかったのです。レビはとても喜びました。そしてレビは、何もかも捨ててイエス様に従ったのです。何もかも捨てたのですから、もうその職業もすてて、それには戻れないのです。でもそれ以上にイエス様に声を掛けられ、従って行くことの方がうれしかったのです。何もかも捨ててでも従いたかったのです。レビすなわちマタイはイエス様の弟子の中でも優秀な弟子でした。それはなぜかというと、徴税人をするような人は、読み書きが出来て、計算が出来る人でなければならなかったからです。いわゆる知的職業なのです。ほかのほとんどの弟子は漁師なので、そのような知識は持ち合わせていなかったのです。ですから、マタイはイエス様に従って弟子として歩んでいる時は、そのイエス様の言葉を書き留めて、マタイ語録というものを作ったようです。それが後にまとめられて、マタイによる福音書になったと言われています。
イエス様の弟子にされたマタイはそれからどうしたでしょうか。29節です。
ルカ 5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
救われて弟子にされたマタイは、イエス様を自分の家に招いてイエス様のために盛大な宴会をもようしたのです。マタイは自分の友達も大勢招きました。その友達というのは同じ仲間の徴税人や人々から罪人とされているような職業の人たちでした。罪人は罪人同志で友達になっていたのです。なぜなら、ユダヤ社会からは疎外されている人たちだったからです。
イエス様はその人たちが罪人と言われる人たちだと言う事を少しも気にすることなく、一緒に飲んで食べて楽しく過ごしていたのです。
ところが、イエス様を監視している、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、心の中でつぶやき始めたのです。この人たちは律法で定められたことをしっかりと守ることが、一番大切な事と考えている人たちだったので、このような罪人と一緒に食事をすることを、罪を犯すことと考えていたのです。30節から32節です。
ルカ 5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
ルカ 5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
ルカ 5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
ついに、ファリサイ派の人々や律法学者たちはイエス様に直接ではなく、イエス様の弟子たちにこう言ったのです。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」この人たちは、先生と呼ばれるような神の国を語る人ならば、律法を守り、罪人たちと交わるようなことはしないはずだろう、と言う事を言ったのです。この人たちは無学な弟子たちを相手に、懲らしめようとしたのです。ところがそれを聞いていたイエス様が代わりにこう答えました。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」イエス様は完ぺきな答えをしました。イエス様は、病人である罪人を招いて悔い改めさせ、その病をいやすために来たのだ、というのです。自分を正しいと思っている人は、医者を必要としない人たちなので、そのような人は招かないのだと言っているのです。罪の悔い改めを求める人々をイエス様は招いてくださり、救いを与えて下さるのです。どんなに惨めな状態にあっても、イエス様はパリサイ人たちの様に見捨てることなく、罪人を招いてくださり共に居て下さるのです。パリサイ人と言うのは、自分達こそ清く正しいものであって、罪人とは違うと言う事を主張する人たちなのです。ですからそこには深い溝があり差別があったのです。
転
次に、話は断食の話に入ります。33節です。
ルカ 5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
このルカ福音書の話の流れからすると、この質問をした人たちは先ほどの律法学者やファリサイ派の人々が矛先を変えて、イエス様を攻撃しているように思いますが、他の共観福音書では若干ニュアンスが異なります。例えば、マルコによる福音書では、こうなります。マルコ2章18節です。
「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食をしていた。そこで人々はイエスのところに来ていった。『ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』」となります。ルカの場合とは違って、ヨハネの弟子たちも断食しているのに、どうしてなんですかという、単純素朴な質問のように見受けられます。そして質問した人々も必ずしも律法学者やファリサイ派の人々ではないようです。
さらにマタイによる福音書になると、マタイ9章14節にこう書いてあります。「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『私達とファリサイ派の人々は良く断食しているのに、なぜあなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った」と書かれています。こちらの方になると質問したのはヨハネの弟子たちと言う事になり、イエス様も洗礼者ヨハネの一派とみなされていたことから、断食しないのは間違っているのではないのかという、非難にもなっています。
この様に福音書によって若干その状況が違うのですが、そのような弟子たちが断食をしないことに関して、どうしてなのかという疑問と非難が沸き起こってきたのです。
そこでイエス様はこう答えられました。34節と35節です。
ルカ 5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
ルカ 5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
イエス様は断食しない理由を、婚礼に例えて話をしました。これはどうしてかというと、安息日の断食であっても、婚礼の期間中は、断食をしなくても許されていたからです。イエス様は、ご自分を婚礼の花婿に例えて、今は、婚礼の花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることはできないでしょう、といったのです。ですがその後、花婿が奪い取られる時が来る、といいました。イエス様は既にこの時から、ご自分が奪い取られる、すなわち十字架で死ぬことになっていることを知っていたのです。ですから、その様になったならば、その時は彼らは断食をすることになると言ったのです。ですが、この事の意味を理解できる人たちはまだ誰もいませんでした。
それでもう一つの譬え話をしたのです。それはあの有名な、新しいぶどう酒は、新しい革袋に、という譬え話です。36節から39節です。
ルカ 5:36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
ルカ 5:37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
ルカ 5:38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
ルカ 5:39 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」
婚姻の話は、メシアの時代が始まったのだという意味を語ろうとしたのですが、ほとんど理解されませんでした。それで、新しい時代が始まったのだと言う事を説明するためにこの譬え話をしたのです。最初は古い服のつぎあてに新しい服の布切れを使うことはない、そんなことをすれば新しい服も古い服もダメになってしまうと言う事でした。これは新しいものには新しいものを、古いものには古いものを充てるのが良いと言う事を言おうとしたのです。さらにイエス様はぶどう酒と革袋の話をしました。それは、誰も新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もぶどう酒もダメになると言いました。これは新しいぶどう酒はまだ発酵作用がありガスが出るので、古い革袋のように伸びきって弾力性の無くなった皮は破れてしまって、ぶどう酒も革袋もダメになると言う事です。すなわち新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなければならないと言う事を言っているのです。新しいぶどう酒とは、イエス様の新しい教えの事です。古い革袋と言うのは、律法主義で凝り固まってしまった従来の信仰です。ですからイエス様の教えは、律法主義の枠の中には収まらない、新しい枠組みの中で成長していくのだと言う事を言っているのです。すなわちもう新しい時代は古い律法主義の教えに捉われることはないと言う事なのです。これが律法主義に基づいた断食をしない理由なのです。
また古い律法主義になじんできた人たちは、そこから抜け出せず、『古いものの方がよい』と言うのだと言う事なのです。だから、なかなか新しいイエス様の教えは受け入れられなかったのです。
結
イエス様の教えは、いままでの律法主義者たちの教える教えとは違っていました。罪人たちと交わり、断食もせず、新しい福音を教えていたのです。そのことをいぶかしがる人々に対して、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」といい、「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなさい」と言い、新しい時代の到来、メシア時代の到来を告げたのです。ですがまだそのことを理解できる人々はいませんでした。これから律法学者たちとファリサイ派の人々の激しい非難が続くようになります。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は新しい時代の到来を語りました。罪人は招かれ、形だけの信仰は拒否されました。信仰は長くなるほど、形に捉われてきます。私たちも長い信仰生活の中で、形だけの信仰になっているかもしれません。どうかいつもあなたの教えに立ち返り、あなたが教えて下さったことを行っていくものでありますように。特にあなたが愛するようにと教えて下さったその愛を実践することが出来ますように。その愛によってすべての隔てを取り除き、一つのものとなっていくことが出来ますように。愛の力を信じて行わせてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆レビを弟子にする
ルカ 5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
ルカ 5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
ルカ 5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
ルカ 5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
ルカ 5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
ルカ 5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
◆断食についての問答
ルカ 5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
ルカ 5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
ルカ 5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
ルカ 5:36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
ルカ 5:37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
ルカ 5:38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
ルカ 5:39 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」