家庭礼拝 2016年12月28日ルカ4章1-12 誘惑を受ける
賛美歌258 まきびとひつじを聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌259急ぎ来たれ、主にある民
起
今日の聖書の箇所は、イエス様が洗礼を受けられたのち、荒野に導かれ、悪魔の誘惑を受ける箇所です。この箇所は、ヨハネ福音書には書かれていません。マルコによる福音書にはとても簡単に書かれており、たった二節だけで、「霊によって荒野に送り出され、40日間サタンの誘惑を受けられた」ことだけが書かれています。それに対して、ルカ福音書とマタイ福音書はこの荒れ野での誘惑の事をとても詳しく書いています。ルカとマタイで違っているのはその書いている試練の順番が違っていることだけです。そこにも福音記者の意図があるのかもしれません。
皆さんは、なぜイエス様が荒れ野に行ったと思っているでしょうか。洗礼を受けた後、修行するために荒れ野に行って断食したのでしょうか。イエス様が荒れ野に行ったのは、自分の意志で行ったというよりも、霊によって送り出されたのです。霊によって荒野に行きなさいと言う導きがあったのです。ここの場面の共観福音書の書き方が、それぞれ微妙に違っていることに注意をひかれます。マタイ福音書では、「悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」となっており、この霊が天使の霊のようも、悪魔の霊のようにも受け取ることも出来るような書き方をしています。穏やかに導かれている感じです。ところが、マルコ福音書になると、「霊はイエスを荒れ野に送り出した。」となっており、有無を言わせず、イエス様を荒れ野に送り出したという様子で、もしかすると悪い霊によるのかもしれないと思わせられます。これが、ルカによる福音書になると、「荒れ野の中を、霊によって引き回され、40日間悪魔から誘惑を受けられた。」となって、もっと乱暴に霊によって引き回されたと書かれているのです。どうもこの霊は悪霊のようです。悪霊がイエス様を荒れ野で誘惑して試したという書き方をしているのです。
イエス様は洗礼を受けて、自分が神の子であるという思いが決定的になりました。そして、人々を救いに導くためにいよいよ活動に入らなければならないことを覚悟し始めたのです。そしてイエス様はどのようにして人々を、神様の所に導いて、救いへと導くことが出来るのだろうと言う事を考え始めたのです。イエス様の救いの方法が決められようとしていたのです。この時に悪魔はそのイエス様の働きを邪魔しようとして誘惑するのです。サタンの働きは神様の働きをさせないことです。イエス様が神様の働きをしようとするときに、あなたは本当に神の子なのですかと、疑いを持たせるような誘惑をして、神様から遠ざけようとしているのです。この荒れ野での誘惑の物語は、イエス様が、どのようにして、人々を救いへと導いていったらよいかということに対して、悪魔から誘惑を受けたと言う事を忘れてはいけないのです。単に悪魔の誘惑を受けたと言う事ではなく、その救いの方法について、悪魔の誘惑を受けたのです。しかもその誘惑は聖書に書かれているように短期間の間に次から次に起こって、そしてすぐに去っていったというようなものではないのです。40日間悪霊によって荒野を引き回される中で、いろいろな誘惑を受けたのです。そして、ここに書かれている三つの誘惑とは、イエス様がどのような方法で人々を救いへと導くことにしたかという決定的な方法を確定したことを示す誘惑なのです。そのことをここにまとめて書いてあるだけなのです。それでは、聖書を一節ずつ読んでみましょう。
承
では、まずイエス様が誘惑に入ったところの序文に相当するところを読んでみましょう。1節と2節です。
ルカ 4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
ルカ 4:2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
私は、イエス様が荒野に入られたのは、自分から進んで断食して瞑想するために荒野に入り、そして、神様の御言葉を待っていたと理解していました。そしてその時悪魔が邪魔をしに来て誘惑したのだと思っていました。ですが今回改めてここを読んでみた時、だいぶ違っていることに気づかされました。イエス様は自分で荒野に入ったのではなく、悪霊によって、荒野の中を引き回されていたのです。そして40日間も悪魔から誘惑を受けられており、その間何も食べることが出来なかったと言う事なのです。まるで、拷問のようなものです。
イエス様はこの間どんな誘惑を受けられたのでしょうか。それはここには記されていないのです。イエス様の受けられた誘惑と言うのは私たちの受ける誘惑とは違います。誘惑と言うのは、あれかこれかを選択するときに受ける誘惑なのです。あれもこれもできない時には誘惑は受けないのです。怒ることも出来るし怒らないこともできるときに、腹が立って怒りたいという誘惑が生じるし、正直に語ることも出来るし、嘘をついて逃げることも出来るときに、嘘をついて逃げたいという誘惑を受けるのです。スポーツが全く下手な人に、オリンピックの選手になろうかなるまいかという誘惑を受けるはずがなく、歌の下手の人が歌手になろうかという誘惑を受けることもないのです。ですから、私たちにはできないことでもイエス様にはできるというところでイエス様は誘惑を受けるのです。果たしてどんな誘惑を受けたのでしょうか。
この聖書の中で出てくる40日というのは意味のある日数です。これは試練の日々を表しているのです。ノアの箱舟が流されていた時の洪水の雨は40日40夜であり、モーセが荒野をさまよったのは40年であり、モーセが十戒の石の板を神様から与えられた時、山にこもっていたのは40日40夜です。このように40日というのは神様の試練の時であり、新しい時代に至る通過儀礼の日数なのです。この40日を通して、モーセは律法を与えられ、イエス様は福音を与えられたのです。そして、その40日が過ぎた時に空腹を覚えられたと書かれています。イエス様の試練は山を越えたのです。
転
さて、この40日が過ぎた後で、イエス様は三つの誘惑を受けられたと書かれていますが、それは40日間の誘惑を克服した結論として、この三つが残ったというべきでしょう。いずれにしても、イエス様はどのようにして人々を神様のもとに導いていったらよいのかのその方法について、いろいろ考え、その時に悪魔の誘惑を受けていたと言う事なのです。そしてその結論の第一は3節と4節です。
ルカ 4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
ルカ 4:4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
この荒れ野には石灰岩のかけらの石が多く、それがパンのように見えていたという話があります。それに引っかけて、悪魔はイエス様にこう言って誘惑したのです。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」悪魔がイエス様にこのように言って誘惑したというのは、イエス様にはすでにその奇跡の力が備わっていたと言う事なのです。そうでなければ、誘惑にはならないはずなのです。そして、悪魔のこの誘惑の意味は「お前が神の子なら、この石にパンになるように命じて、人々に分け与えれば、みんなお前に従うようになるだろう。そうすれば、お前の目的は達成できるだろう。」という誘惑なのです。まるでイエス様の使命を助けるような言い方ですが、悪魔の狙いはその反対です。すなわち、悪魔はイエス様を経済的な誘惑に陥らせようとしているのです。それに対して、イエス様は聖書の言葉で答えたのです。それは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった、と言う事なのです。マタイによる福音書では、その後に「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という言葉が添えられています。すなわち人々を神様の所に導くのに、お金や物のようなもので導こうとしても無駄であると言う事なのです。「神様の口から出る一つ一つの言葉で導かなければいけない」、というのが、イエス様の経済的誘惑に対する結論だったのです。どんなに人々がパンを欲しがっても、まず第一に神様の言葉を与える。すなわち御言葉によって導く、これが人々を導く第一の原理なのです。これは5千人の食事の時や4千人の食事の後にパンだけが欲しくて従ってきた人々に対して、イエス様がそれを拒否した姿勢なのです。
そして二つ目の誘惑は政治的誘惑です。5節から8節です。
ルカ 4:5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
ルカ 4:6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
ルカ 4:7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
ルカ 4:8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
次に悪魔は何をしたかというと、イエス様を高く引き上げて、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せたというのです。これは世界中の権力と繁栄とを見せたと言う事でしょう。この世界中の権力と繁栄があるならば、人々は皆イエス様についてくるようになるだろう、と言う事を言うために見せたのです。そして、悪魔はイエス様と取引をしようとしました。それは「もし私を拝むなら、私のものである、これら一切の権力と繁栄とをイエス様にあげよう。そうすれば人々は喜んでイエス様に従って来るだろうと言っているのです。私たちはこの世の権力や繁栄は、神様から与えられるものであると思っていますが、悪魔は、それらのものはみな私のものだ、私に任されているものなのだ、と言っているのです。イエス様に一切の政治的な力を与えるから、その代わりに私を拝めと悪魔は誘惑したのです。私たちの思いには権力や繁栄は良いものだという思いがあります。ですからそれが悪魔のものであるなどという思いはありません。ですが、この世の物はみな悪魔が管理しているのです。ですからこの世の物に捉われる人は、悪魔に管理されているのです。そして、この世のものの権力やお金や財産に捉われてそれを大事にしている人たちは、実はこの世の悪魔を拝んでいると言う事なのです。この時イエス様が受けられた誘惑はそのような誘惑です。悪魔の言った、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる、と言う事は、そのようなこの世の物を一番大切だと思うならば、みなあなたのものになると言う事なのです。その様なことに魅力を感じる人は多いのです。ですからそのような権力と繁栄に満たされたイエス様を見れば、人々はみなイエス様に従うだろうと誘惑しているのです。その様に考えた弟子もいました。それはイエス様を裏切ったユダです。それに対してイエス様はどう答えたか、それがイエス様の人々を導く二つ目の結論なのです。イエスはこのようにお答えになりました。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」これは聖書の言葉なのです。悪魔の誘惑に対しては聖書の言葉で答えるのが一番なのです。イエス様の答えの意味は、この世の権力や繁栄に頼ることなく、ただ神様を第一として、神様を拝み主に仕えなさい、と言う事なのです。それが人々を導く第二の原理なのです。イエス様のこの世での権力と繁栄を夢見たユダは、それを拒否されて、絶望に陥るのです。
そして三つめの誘惑です。これは信仰的な誘惑です、奇跡に対する誘惑です。9節から13節にはこう書かれています。
ルカ 4:9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
ルカ 4:10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』
ルカ 4:11 また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
ルカ 4:12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
ルカ 4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
イエス様は荒れ野で悪魔の誘惑を受けていたのですが、悪魔はイエス様をエルサレム神殿の屋根の上の端に連れて行ったというのです。その場所は屋根から地上までが高いだけでなく、そこから下はさらに深い谷になっている崖の上でもあるのです。ですから、そこから落ちた者が生きて帰るはずはないのです。その神殿の屋根の上の端に立たせて、悪魔はこういったのです。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
イエス様が、悪魔に聖書の言葉で切り返してその誘惑をはねのけたので、今度は悪魔の方が聖書の言葉を使ってイエス様を誘惑しようとしているのです。ここでよく考えなければならないことは悪魔でさえも聖書の言葉をうまく使うことが出来ると言う事です。聖書の言葉を語る人は皆正しいと言う事ではないことに気を付けなければなりません。悪魔の場合もあるのですから。
この悪魔の誘惑と言うのは、そこの屋根の上から谷に飛び込んでごらんなさい、そうすればあなたは天使に守られて、石に打ち付けられて死ぬことはないでしょう。そしてそれを見た人々はその奇跡に驚いて、あなたを神の子と認め、みなあなたに従って来るでしょう、という誘惑なのです。これは信仰を持っている人たちが受ける誘惑なのです。もし信仰があるならば、この川を歩いて渡りなさい、と言われて、本当に川に飛び込み死んでいった人たちもいました。その人たちは神様お守りくださいと祈りつつ死んでいった事でしょう。聖書には天使が守ってくれると書いてあるのだから、きっと守ってくれるに違いないと信じて行うことも出来るのかもしれません。ですがイエス様はその誘惑には乗りませんでした。
イエス様の答えはこうでした。「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになったのです。私たちは信仰に関して勘違いしているのです。きっと神様はこうしてくださるに違いないと信じて行うのは、神様を信じているのではなく、神様を自分に従わせようとしていることなのです。ですから、イエス様は、『あなたの神である主を試してはならない』と答えたのです。私たちが信仰によって行うのは、神様がこのようにしなさいと語られたことに対して、アーメンと言って、忠実に行う事なのです。神様が語ってもいないことに対して、このようにしてくださいと祈ることは、神様がやってくれるかどうかと試すことになるのです。これは奇跡を起こすことの誘惑でもあるのです。イエス様は奇跡を起こす力があるので、悪魔からこのような誘惑を受けたのです。ですからイエス様はそこから飛び込んでも死ぬことはなかったでしょう。でもその様にすることはしなかったのです。それは神様の御心ではないからです。ところが、間違った信仰の自信を持っている人は、自分には奇跡を起こす信仰があると思って、とんでもないことをしてしまうのです。それが神様の御心でない時、その奇跡は決して起こらないのです。イエス様は奇跡を起こすことが出来る方でした。でも決して奇跡に頼ることはなかったのです。イエス様が奇跡に頼らずに人々を導くことが出来たのは、この荒れ野での悪魔の誘惑に打ち勝つことが出来たからです。このような最大の誘惑はイエス様の十字架の上で起こりました。人々はイエス様が十字架の上で苦しんでいるのを見て、神の子ならばそこから降りてみろ、そうしたら信じてやろうと言ったのです。イエス様は本当にそのようにできたのですが、その誘惑には従わなかったのです。
このように第三の誘惑は、信仰の誘惑、又は奇跡の誘惑でした。イエス様は奇跡によって、人々を導くことはしない、というのが第三の原理になるのです。
これらの誘惑の後、悪魔はイエス様を離れました。ですが、イエス様の宣教の間、ずっとイエス様を誘惑し続けたのです。5千人の食事の時、ユダの裏切りの時、十字架の上でののしられていた時、イエス様はその誘惑を斥けて、神様の御心に従ったのです。
結
イエス様はこの荒れ野での誘惑によって、人々を神様に導く三つの原理を与えられました。一つ目の原理は、経済的な誘惑に対するもので、物によってではなく、神様の言葉によって導くと言う事です。二つ目の原理は、政治的誘惑に対するもので、権力や繁栄によってではなく、ただ神様を第一として礼拝することによって導くと言う事です。三つめの原理は信仰的誘惑に対するものであり、奇跡に頼ることなく、神様を試すような導き方はしない、と言う事です。このようにイエス様はその後の宣教の骨格となる、三つの原理をこの荒れ野での誘惑を通して確実なものにしたのです。この三つの原理はイエス様が十字架の上で死ぬ時まで従順にしたがった原理なのです。私たちはこのイエス様の荒れ野での誘惑を、子供の物語のように聞くのではなく、イエス様の宣教の真髄を聞くように聞かなければならないのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は荒れ野で悪魔の誘惑を受けられました。そしてその中から、これから宣教を開始するうえでの大切な原理を見出されました。それは決して悪魔の言いなりにはならないという強い決心でした。私たちは、良いと思ってすることが、この世の思いとなり、悪魔に操られていることが多いものです。イエス様はそのことをしっかりと見つめられて、悪魔の思いを斥け、ただ神様に仕える道だけを求め続けました。神様、どうか私たちも、良かれと思って悪魔の誘惑の道を歩むのではなく、しっかりと思いとどまって、あなたの道を歩むことが出来ますように。安易な道ではなく、試練の道を歩む事が出来ますように導いてください。今年一年間あなたに導かれて、この家庭礼拝を続けて来れましたことを感謝いたします。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆誘惑を受ける
ルカ 4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
ルカ 4:2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
ルカ 4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
ルカ 4:4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
ルカ 4:5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
ルカ 4:6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
ルカ 4:7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
ルカ 4:8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
ルカ 4:9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
ルカ 4:10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』
ルカ 4:11 また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
ルカ 4:12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
ルカ 4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。