家庭礼拝 2016年12月14日ルカ3章1-20 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
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起
いよいよイエス様の公生涯の活動が始まります。ユダヤの民衆は皆、救い主が現れて、自分たちを抑圧している為政者、この時はローマ帝国ですが、そこから解き放たれることを夢見ていました。ところがこのころのユダヤには、預言者が現れなくなっていたのです。ソロモンの死後、ユダヤが南王国のユダと北王国のイスラエルに分かれた頃から数百年の間、預言者の時代とも言われる、偉大な預言者が沢山現れて、国の人々に警告し、また励まして、神様の言葉を取り次いだのです。私たちのよく知っているエリヤやエリシャ、イザヤやエレミヤなど多くの預言者が現れて、神様の言葉を語ったのです。ですが、イエス様の時代の400年前ごろにマラキが最後の予言者として立ってからはずっと預言者が現れなくなったのです。人々は再び預言者が現れるのを待ち続けました。それはメシア救い主が現れる前には預言者が現れると言われていたからです。その様な民衆の預言者期待、メシア期待の高まっているところに、本物の預言者ヨハネが現れたのです。実に400年ぶりなのです。
人々はこの出来事に非常に驚き興奮しました。そしてこぞってこのヨハネのもとに集まったのです。このヨハネはヨルダン川で洗礼をさずけたので、洗礼者ヨハネと呼ばれました。この洗礼者ヨハネを多くの民衆は預言者として受け入れましたが、時の権力者や権威ある宗教家たちはヨハネを預言者とは受け入れなかったのです。このヨハネは、イエス様の現れる先駆けとして現れ、もうすぐメシアが来られる、悔い改めよと叫び続けたのです。ですが時の権力者のヘロデ・アンティパスに首を切られて殺されました。
この洗礼者ヨハネの出現は、預言者の時代、すなわち旧約の時代が終わって、新約の時代すなわちイエス様の教えの時代に移るそのターニングポイントにあるのです。そこには古いものが滅びて、新しいものが生まれてくる予感が満ち溢れているのです。今日の聖書の箇所はそのような箇所なのです。
承
さて、ルカは洗礼者ヨハネの出現を単なる物語としてではなく、実際に起こった歴史的事実として、その根拠を事細かく記しています。1節と2節です。
ルカ 3:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
ルカ 3:2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
ここで、神様の言葉が荒れ野で、ザカリアの子ヨハネに下ったと言う事が記されています。ついに神様の言葉が下ったのです。すなわち、ヨハネは預言者として400年ぶりに語り出したと言う事なのです。しかもその場所は神殿ではありません。人々はみな、神様は神殿にいるものと思っていました。ところが神様の言葉は神殿に下ったのではなく、荒れ野にいるヨハネに下ったのです。これは、全く新しいことが起こると言う事です。今まで崇められていた神殿は荒れ野にとって代わられたのです。
そのことがいつ起こったかというのが、ルカらしい慎重さで三重の背景で語っているのです。一つは当時の最も権威ある世界共通の歴史的背景です。それはローマ帝国での歴史の見方です。ルカはそれを、皇帝ティベリウスの治世の第15年と記しました。今でいうと西暦2016年と表現するような方法です。この時ユダヤをローマの総督として支配していたのは、イエス様を十字架につけたポンティオ・ピラトです。このように、まず、ローマの支配から見た歴史的位置を明確にしたのです。次にユダヤ地方の歴史の見方です。ルカはそれをヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、の時代であると言っています。この三人の領主、ヘロデ、フィリポ、アビレネはその父親のヘロデ大王の子供たちで、ヘロデ大王は王様なのですが、その子供たちは統治能力をローマに疑われて、領主にしかならなかったのです。しかもそこにはローマの総督と言うお目付け役をおいた、地方の領主なのです。このような時代の表し方は、日本でいうと昭和何年とか平成何年とかと元号で呼ぶようなものと同じです。ちなみに、イエス様が生まれた時はヘロデ大王の時で、イエス様が十字架につけられた時はその息子のヘロデ、すなわち、ヘロデ・アンティパスの時代なのです。そして三つめの歴史的背景の表し方は宗教的時代の表し方です。ルカはそれを、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、と言っています。大祭司と言うのは一人しかいないはずなのに、ルカは二人の名前をあげています、どうしてでしょうか。実際の大祭司はカイアファです。アンナスはその前の大祭司です。そしてアンナスはカイアファの妻の父親で義理の父親と言う事になるのです。それで実際の大祭司はカイアファなのですが、アンナスはその黒幕として、カイアファを操っていたので、ルカはアンナスとカイアファとが大祭司であった時と書き記しているのです。このようにルカはその時代背景を、ローマの歴史、ユダヤの歴史、信仰の歴史から特定できるように書いてあるのです。すなわち、預言者ヨハネの出現はどこから見ても、歴史的事実であると言う事です。
転
さて、預言者ヨハネはいったい何をしたのでしょうか。3節から6節までを読んでみましょう。
ルカ 3:3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ルカ 3:4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。
ルカ 3:5 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、
ルカ 3:6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
ヨハネがしたことは、罪の許しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えたことです。それを何処でやったかというと、ヨルダン川沿いの地方一帯です。すなわちガリラヤ湖から出たヨルダン川の水が、死海にそそぐ流域一帯です。死海に近づくほど荒れ野が増えてきます。このヨハネがその荒れ野でやっているさまが、預言者イザヤの書に書いてある通りであったというのです。その聖書の箇所はイザヤ書40章3−5節です。そこには荒れ野で叫ぶものの声がする、と書かれています。そのことが洗礼者ヨハネのイメージとぴたりとつながったのです。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』という言葉は、この時代、王様がその地方に行くという計画が出ると伝令がまず道を調べて、道をきれいにして、その道筋を整えるのです。今でいうと、天皇陛下が来ると言うと、その通る道が事前に整備されるようなことと同じです。洗礼者ヨハネの働きはそれと同じだとルカは言っているのです。すなわち洗礼者ヨハネの働きは、主なる神様が来られる前に、その道をまっすぐにする、と言う事なのです。ここで言われている道とは道路ではなく、人の心の事なのです。罪に覆われて曲がりくねり汚くなった心を、悔い改めて浄めてまっすぐにしなさい、と言っているのです。洗礼者ヨハネの働きは、このように、王様が来る前に、伝令がお触れを出すように、救い主が来られる前に、ヨハネが予言者として、悔い改めなさい、とお触れを出すことなのです。
すると、このヨハネこそ本物の預言者だ、400年ぶりの預言者が出現したと大騒ぎになったのです。そして続々とヨハネのもとに人々は集まってきました。何のために集まってきたのでしょうか。その時の状況が7節から9節に書かれています。
ルカ 3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
ルカ 3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
ルカ 3:9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
ヨハネを預言者と認めて続々と集まって来た人たちは、ヨハネに洗礼をさずけてもらうために集まってきたのです。当時洗礼と言うのは、異邦人が改宗してユダヤ教に入る時に、浄めとして行われるものでした。ですから、生まれながらのユダヤ人には必要がないとされてきたのです。それが、この洗礼者ヨハネは、たとえ生まれながらのユダヤ人であっても罪に汚れている、洗礼によって清くなりなさい、そして主を待ち望みなさいと、語っていたのです。そう言われたものですから、自分は罪に汚れていると思った人々は続々とヨハネのもとに集まってきたのです。その人たちにヨハネはなんといったかというと、よく来てくれた、良き信仰者たちよと言ったのではなく、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。」と叱ったのです。この荒れ野にはあちこちから蝮が出て、そこにいる者たちを悩ませていたのです。その様な蝮のようだと人々を叱りつけたのです。それは洗礼さえ受ければその罪を消してもらえるというような安易な気持ちで来ていたからです。ヨハネが言ったのは、「悔い改めにふさわしい実を結べ」といったのです。本当に悔い改めて、洗礼を受けるつもりならば、それにふさわしい実を結ぶことこそ大切なのだと言ったのです。当時ユダヤ人たちは、自分たちは特別に選ばれた民族である、アブラハムの子孫であるというプライドを持っていたのです。ですから本当は洗礼など受けなくてもいいのだけれども、一応受けておこうかといった者たちも混じっていたのです。その様な考えがあるのを分かっていたヨハネは、こう言いました。「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」といったのです。ヨハネはユダヤ人の選民意識を捨てて、本当に謙遜なものになり悔い改めて、主の前に立つことを宣べ伝えていたのです。そうでないと、「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と、悔い改めてよい実を結ぶものになることを叫び続けたのです。
集まってきた人々は、良い実を結べと言われても、具体的にどうすれば良いのかわかりませんでした。それで口々にヨハネにどうすれば救われるのですかと尋ねたのです。10節から14節です。
ルカ 3:10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ルカ 3:11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
ルカ 3:12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
ルカ 3:13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
ルカ 3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
まず最初に、普通の人々に対してこう言いました。「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」ヨハネはこうすれば救われるという意味で行ったのではなく、恵みを与えられたものならば、その恵みをもっと貧しいもののためにわかちあって、共に生きるものとなるだろうと言う事を言ったのです。それが良い実なのです。慈しみの心なのです。次には徴税人に対して言いました。それは決して難しい事ではなく「規定以上のものは取り立てるな」と言う事だったのです。でもそれは本当は難しい事だったのです。徴税人たちは事前にローマの役人たちにこの仕事を請け負うために、お金を支払っているので、それを取り戻すためには規定以上のものを取り立てて、なんとかもうけを出していたからです。ヨハネは、徴税人の仕事をやめなさいと言ったのではなく、ごく当たり前に、規定以上のものは取り立てるな、といったのです。三番目には兵士に言いました。これもごく当たり前のことですが難しい事だったのです。それは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言う事です。兵士たちの給料は安かったのです。ですから、自分たちは武器を持っているという強みを生かして、人から金をゆすり取ったり、だまし取ったりしていたのです。そうしないとなかなか自分たちの生活が出来なかったのです。ヨハネはそのような事をせず、自分の給料で満足しなさいと言ったのです。どれも特別の事ではなくごく当たり前の事なのです。
人々は、ヨハネの語る言葉に権威を感じて、この人こそ待ち望んでいたメシアではないかと思い始めたのです。15節から18節です。
ルカ 3:15 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
ルカ 3:16 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
ルカ 3:17 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ルカ 3:18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
人々は、400年も預言者が現れなくなったにもかかわらず、メシアが現れるのを今か今かと待っていたのです。そしてこの時代はその高まりが最高潮になった時代と言っても良いのです。ですから、洗礼者ヨハネが現れた時、この人こそメシアではないかと思って、ヨハネのもとに洗礼を受けに来たのです。ですがヨハネは自らその期待を否定しました。ヨハネは自分をメシアではなく、そのメシアの来る先駆けだとしたのです。そしてこう言いました。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ヨハネは、謙虚にも自分は後から来られる方の、履物の紐を解く値打ちもない、といいました。当時は、履物の紐を解くのは、奴隷の中でも低くみられる奴隷の役割だったのです。ひざまづいて、汚い履物の紐に触るなどというのはごく低い奴隷の身分でもないとしなかったのです。ヨハネはその奴隷ほどの値打も自分にはないと言ったのです。ヨハネは水で洗礼をさずけましたが、その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになると言いました。聖霊は、神様の御心によって人を生かすものです。火は、悪いものをことごとく滅ぼし去るものです。ですから、メシアが現れると、この世から悪いものをことごとく滅ぼし去って、聖霊によって生かされるものだけが残ることを言っているのです。
ところがこの洗礼者ヨハネは、領主ヘロデに捕らえられ牢に入れられてしまったのです。ユダヤの権力者や金持ちや、学者たちの中にはヨハネを預言者として受け入れない人々もいたのです。しかもヨハネは領主ヘロデを非難していたのです。19節と20節です。
ルカ 3:19 ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、
ルカ 3:20 ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。
ヨハネがヘロデの何を非難していたかというと、妻としているヘロディアとの結婚を非難していたのです。この結婚の流れは非常に複雑で、理解が難しいものですが。簡単に言うとヘロデはヘロデ大王の子供であり、ヘロディアはヘロデ大王の腹違いの孫なのです。その関係はヘロディアはヘロデの義理の妹であり、姪でもあるのです。なおかつ、ヘロディアはもともとヘロデの異母兄弟と結婚していたのに、ヘロデに誘惑されて、ローマから連れてこられて結婚したのです。ですから、どこから見ても二人が結婚できる道理はなかったのです。この結婚は近親相関であり、兄弟の妻との姦通の罪なのです。それは律法にかなっていない、罪であると非難されて、一番怒っていたのはヘロディアなのです。ヘロディアは何時かこの結婚を邪魔するヨハネを殺してやろうと狙っていたのです。牢に入れたヘロデ・アンティパスも悪い領主なのですが、実は洗礼者ヨハネの事を尊敬していたのですぐには殺すことが出来なかったのです。
結
このようにして、メシアが現れる前の先駆けとしての洗礼者ヨハネは現れ、人々に悔い改めの洗礼を与えました。ですが、領主ヘロデに捕らえられ、最後には首を着られて殺されてしまいました。ルカはこの出来事を、物語としてではなく、実際に起こったこととして、その時代背景をしっかりとあらわして、この事を書き留めました。そして、次に現れるイエス様が、旧約聖書に予言された救い主であることを証明しようとしたのです。このさきがけのヨハネの運命はイエス様の運命を予感させるものとなったのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様の先駆けとして、洗礼者ヨハネが世に遣わされました。400年ぶりに予言者が現れ、悔い改めよと言い、救い主の現れる前にその道をまっすぐにするために、人々に語り出しました。ですが、多くの人はヨハネの事を誤解し、メシアだと思ったり、又は預言者でもない偽預言者だと思ったりして、正しく受け入れることが出来ませんでした。今の世に、もしヨハネが現れても同じかもしれません。ましてや、救い主が現れたとしてもその事に気が付くわけがありません。その事に気が付くように、ヨハネはその心をまっすぐにしなさいと悔い改めの言葉を語ったのだと思います。神様、どうか私たちの心がまっすぐなものとなり、イエス様が現れた時にそれと気が付くものでありますように。いつも待ち望んで、あなたの御声を聞き漏らすことがありませんように。ヨハネの様に謙遜な者こそ、そのみ言葉を聞き分けるのかもしれません。私達にもその謙遜な心を与えてください。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
ルカ 3:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
ルカ 3:2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
ルカ 3:3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ルカ 3:4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。
ルカ 3:5 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、
ルカ 3:6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
ルカ 3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
ルカ 3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
ルカ 3:9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
ルカ 3:10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ルカ 3:11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
ルカ 3:12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
ルカ 3:13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
ルカ 3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
ルカ 3:15 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
ルカ 3:16 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
ルカ 3:17 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ルカ 3:18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
ルカ 3:19 ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、
ルカ 3:20 ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。