家庭礼拝 2016年11月30日ルカ2章22-38 神殿で捧げられる

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起 

今日の聖書の話の主人公は、神殿で出会ったシメオンと言う老人とアンナと言う老婆です。どちらも神殿に仕える者でも、学者でもありません。ただ、救い主の現れるのを待ち続けていた人たちです。この神殿に、マリアとヨセフは生まれて間もない赤ん坊を連れて行ったのです。何のために行ったのかというと、今日の小見出しにもあるように、「神殿で捧げられる」ためなのです。ユダヤ教は、律法によっていろいろな決まりが沢山決められていました。子供が生まれた場合の、決め事も沢山あったのです。すでに話に出てきたように、生まれて8日目には、割礼をさずけ、名前を付けました。そしてその子が長子である場合、すなわち最初に生まれた男子である場合には、その子を聖別、すなわち神様にささげなければならないと言う事が、律法によって決まっていました。遠い昔には実際に、長子は犠牲として、神様にささげられていたらしいのです。ですが、イエス様の時代ではそのような事は行われず、形だけ子供を神殿にささげ、そして、お金を神殿に払って買い戻すと言う事が行われていたのです。その支払いは生後31日目に支払われていました。

男の子を生んだ女の人は、40日間の間汚れたものとされていたので、神殿に入る事は出来ませんでした。ですが、その期間が終わると、燔祭のために子羊を、罪祭のために小鳩をもって神殿に昇らなければならなかったのです。子羊を捧げることのできない貧しい人は、その代わりにもう一羽鳩を持って行きました。マリアたちは、この貧しい人々のするように鳩を一つがいもって神殿に行ったのです。

今日の聖書の箇所の出来事はその時に起こったことです。ですから、イエス様は生まれて40日目の頃となるのです。この話はルカ福音書にしか書かれていません。この時期はマタイによる福音書では、エジプトに逃げて行っているころなのです。ルカはどこからこの情報を手に入れたのだろうかと不思議です。でもルカは科学者の目をもってこの話を根拠ある話として、この福音書に書き記したのです。ここでの話で大切なことは、ルカは、イエス様が、ユダヤ民族の救い主としてではなく、人類の救い主として現れたと言う事を語っていることです。

では聖書の話に戻りましょう。イエス様が両親に連れられて神殿に行ったときの話です。22節から24節です。

ルカ 2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

ルカ 2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

ルカ 2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

 ここで言われている、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間というのは、男の子供を産んだ女の人が清められる期間の事で、先ほど言った40日に当たります。その期間が過ぎて、マリアとヨセフは、その子を主にささげるため、エルサレムに連れて行った、と書かれています。実際にはもうイエス様は、神殿にささげられ31日後に買い戻され、その後、燔祭と罪祭を捧げるために神殿に行ったことを、あまりユダヤ教に詳しくない異邦人のルカは、それを神殿にささげるためと誤解したのかもしれません。また、もしかするとそれらの買戻しと、燔祭、罪祭の捧げものは同時に行われたのかもしれません。主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるから、その様にささげられ、そして、律法にあるように、燔祭と罪祭を捧げるために山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるために、3人で神殿に向かったのです。お金のある人は子羊を捧げるのですが、お金のない人は鳩を捧げたのです。それは子供の代わりに、生贄の犠牲となってもらうためなのです。

その神殿に行ったときに、マリアとヨセフは不思議な人たちに出会いました。その一人はシメオンと言う老人でした。25節と26節です。

ルカ 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

ルカ 2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

 このシメオンについての人となりが書かれています。シメオンは正しい人で、信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた、というのです。祭司でも預言者でもないのですが、この人は聖霊の人なのです。聖霊が彼にとどまっており、聖霊によって生かされている人でした。ほかの人々にも信仰のあつい、正しい人はいたでしょうが、それは律法を正しく守ることによってでした。ルカはここで、このシメオンが聖霊によって生きる人であることを強調しています。このシメオンは、聖霊からのお告げがあって、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なないと言われていたのです。ルカは聖霊という言葉に、特に大きな意味を持たせています。ヨハネは、母の胎にいるときから聖霊で満たされており、マリアは聖霊によって身ごもりました。羊飼いたちには聖霊という言葉ではなく天使という言葉が使われていますが、これもまた聖霊に満たされ、聖霊に導かれて救い主なる幼子を見つけたのです。聖霊という言葉は、キリスト教の大きな要素なのです。

このシメオンが、霊に導かれて神殿の境内に入ってきたとき、その幼子の救い主に出会ったのです。27節から32節です。

ルカ 2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

ルカ 2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

ルカ 2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。

ルカ 2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

ルカ 2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、

ルカ 2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

シメオンが神殿の境内に入ってきたとき、イエス様の両親は、幼子のために律法の規定通りに生贄の鳩を2羽捧げようとして来ていたのです。シメオンは聖霊の人ですから、その聖霊に導かれて、イエス様のところにやってきたのです。そして一目見た時にその方は救い主であると言う事が分かったのです。他の人々にはそのことが全く見えなかったのですが、この聖霊に導かれるシメオンにははっきりとわかったのです。そして、シメオンはその幼子を腕に抱き、神をたたえていったのです。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」シメオンは喜びに満たされて神様を賛美したのです。一つは、神様は人々の救いとなる、救い主をここに送って下さったと言う事を目撃したからです。ルカはこの救い主の事を、万民のために整えて下さった救い、だと言いました。ユダヤ人だけのための救いではなく万民のための救いだというのです。ですからそれは異邦人を照らす啓示の光、でもあったのです。その子はイスラエルの中に生まれたのです。ですから、あなたの民イスラエルの誉れですと言って褒め称えました。ルカはこのようにイエス様の誕生を、全人類の救いのための誕生だと宣言しているのです。シメオンには、この事によって、もう一つの喜びがありました。それは、救い主を目撃したので、安らかに死ぬことが出来るという喜びでした。シメオンは、聖霊によって、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なないと、お告げを受けていたのですが、それは、どんなに苦しくてもつらくても、メシアと出会うまでは死ぬことができないという苦しさでもあったのです。そして、いま、そのメシアに出会うことが出来て、やっと解放されて死ぬことが出来るようになったのです。救い主を知って、死ぬことが出来ると言う事はそんなにも幸せな事なのだと言う事をつくづく思わされます。

イエス様の両親は、突然シメオンがイエス様を抱きかかえてこの様な事を言ったので、驚いてしまいました。33節から35節です。

ルカ 2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

ルカ 2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。

ルカ 2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 シメオンは幼子を抱いたまま、マリアもヨセフをも祝福し,その後マリアに対して不思議な言葉を投げかけたのです。それは、イエスさまがどのように成長していくかと言う事を語ったのです。それは、「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」と語り掛けたのです。マリアにとってはそれは理解しがたく不思議な言葉だったに違いありません。シメオンはイエス様の事を、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりする、といいました。イエス様に出会う人はイエス様を信じるか信じないかで、救われたり救われなかったり大きな裁きを受けることになると言う事です。そしてそのような働きは、この世にあっては反対を受けるものとなると言ったのです。そしてマリア自身の事もこう言いました。それは、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と言う事でした。この時は何のことかわからなかったでしょうが、イエス様が十字架につけられるのを目の当たりに見て、その心は剣で刺し貫かれたようになることになるのです。そしてそのことによって、人々の心に本当にイエス様を信じる者と信じないものとがはっきりとあらわされるようになると言う事なのです。でもまだマリアにはこの言葉の意味はまだ分からなかったのです。それが理解できるようになるのはきっと、イエス様が十字架にあげられた後の事になるのだと思います。

 神殿では、もう一人不思議な人に出会いました。それはアンナと言う年老いた女預言者でした。36節から38節にこう書かれています。

ルカ 2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、

ルカ 2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、

ルカ 2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

 この女預言者は、年は84歳になっており、神殿を離れずに、断食したり祈ったりして、夜も昼も神様に仕えていたと書かれています。彼女は祭司でも神殿に仕える者でもなく、ただ預言者として、神殿を離れずに祈りを捧げて神様に仕えていたのです。この女預言者が、ヨハネとマリアの所に近づいてきたのです。そして神様を賛美し始めたのです。それはどういうことかというと、イエス様を見て、この子はエルサレムを救う、救い主、その方が、今ここに現れた、と言って賛美し、人々にその幼子の事を、救い主だと言って話したのです。

マリアもヨセフも、周りにいた人々も皆驚いたと思います。でも誰もそれを真に受けることもなかったのだと思います。これは、その場その時の話で終わっているからです。ですが、きっとマリアはシメオンの出来事と共に、その不思議な出来事を全て心に納めて、思いめぐらしていたのだと思います。あの羊飼いたちがやってきたときに思いめぐらしたように。

 イエス様が生まれた時に、天子の声に促されて、羊飼いたちがやってきたように、イエス様が神殿にささげられるとき、聖霊の声に促されて、聖霊の人シメオンと預言者アンナがやってきました。二人とも他の学者達や律法に制約されている信仰者とは違っていました。ただ聖霊に満たされた人たちだったのです。神様と共にあって祈りをもっぱらにしている人たちだったのです。イエス様の到来はそのような人たちに告げられたのです。ほかの人々は全く気が付く事は出来ませんでした。教えられても信じることも出来ませんでした。ですが、マリアはきっとその事を心に納めて、思いめぐらし、この幼いイエス様を、神様からの預かりものとして育てていったのだと思うのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イエス様の到来は、聖霊に満たされ、導かれている人たちにだけ告げられました。それは、何かをすることによって与えられたのではなく、ただ心を神様に無心になって向け続けている人々に対してなされました。ここに新しいキリスト教の土台があります。それは、聖霊が、働いてくださる、と言う事です。主なる神様、私たちが、父と子と聖霊なる神様を信じ、聖霊の働きを信じて委ねていくことが出来ますように、導いてください。ただひたすらにあなたに心を向けた時に与えられる、あなたの御言葉に耳を澄ますことが出来ますように。この世にイエス様が与えられたことに感謝を捧げます。この人々はこの方こそ、この世に救いを与える、主なるイエス・キリストと崇め賛美を捧げたのです。私たちも共に賛美の祈りを捧げます。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆神殿で献げられる

ルカ 2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

ルカ 2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

ルカ 2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

ルカ 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

ルカ 2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

ルカ 2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

ルカ 2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

ルカ 2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。

ルカ 2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

ルカ 2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、

ルカ 2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

ルカ 2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

ルカ 2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。

ルカ 2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

ルカ 2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、

ルカ 2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、

ルカ 2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。