家庭礼拝 2016年11月16日ルカ1章46-80洗礼者ヨハネの誕生

 賛美歌151 主をほめたたえよ聖書朗読  祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌152恵み深き主に

 

起 

今日の聖書の箇所は、洗礼者ヨハネの誕生を語っているところですが、その前後に、マリアの賛歌とザカリアの予言があります。この予言はザカリアの賛歌と言ってもいいものです。ですから、この箇所は聖書の中でもとても喜ばしい所なのです。

ルカは異邦人のためにあまり良く分からない旧約聖書からの引用は少ないと言いましたが、実はこれらの賛歌や予言は、その旧約からの引用がとても豊富なのです。ですが、それが、旧約からの引用であることが分からなくても、その賛歌そのものが詩的に整っているので、十分に味わうことのできるものなのです。

特にマリアの賛歌は「わたしの魂は主をあがめ」で始まりますが、これはラテン語でマグニフィカトという言葉になり、このマグニフィカトという題名の賛歌が数多くつくられているのです。その意味で、マリアの賛歌は教会の最大の賛歌の一つなのです。有名なのはバッハのマグニフィカトで、インターネト上にもたくさんその音楽がありますので、一度聞いてみるとよいかもしれません。マリアはこの賛歌を、まだ子供を授かる前にそれを信じて歌ったのです。

このマリアの状況に似た賛歌が実はもう一つあります。それは、サムエルが授かった時に歌ったハンナの賛歌です。ハンナはどちらかというと、ザカリアの妻エリサベトと似た状況にありました。子供が与えられず、嘆き苦しんで祈ったところ恵みによって与えられたのです。そして、ハンナは祭司エリに対して、「私はこの子を授かるようにと祈り、主は私が願ったことを叶えてくださいました。私はこの子を主に委ねます。この子は生涯、主に委ねられたものです。」と言って、与えられた子供サムエルを神殿の祭司エリに預けたのです。そしてハンナの賛歌を歌ったのです。

エリサベトに念願の子供ヨハネが与えられた時には、その喜びをその夫、ザカリアが予言としてうたったのです。ザカリアはその子が、主に先立つ預言者として成長するだろうことをうたっているのです。すなわち、既にここに主の到来が語られているのです。

これらの賛歌は皆、驚くべき形で子供が与えられた時に歌われた賛歌です。その喜びと驚きがどれほど大きかったものかを思わされます。ここに主の不思議な御業を感じ、覚えてみな声高らかに賛美を捧げたのです。ではその個所を見てみましょう。

まずマリアの賛歌、マグニフィカトです。この歌は、マリアに受胎告知があって、エリサベトが身ごもって6カ月たった時、旅をしてエリサベトに会いに行き、そして挨拶した時に歌われたものです。それはエリサベトがマリアに「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と言った時に、マリアの口から出た賛歌なのです。46節から48節です。

ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。

ルカ 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

ルカ 1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、

マリアは、ここで何よりも、神様が身分の低い私のようなものにも目を止めて下さった、と言う事を喜びたたえているのです。そしてマグニフィカト「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」という賛美が出てきたのです。そして自分がいかに幸いな事かを、「いつの世の人も、私を幸いなものと言うでしょう」と言ったのです。それはマリア自身の運命よりも、主イエス・キリストを生んだ母親として幸いなものと言うだろう、と言う事なのです。

そして次には、その生まれてくる子がどんなに尊く、憐み深い主となるのかを予言するのです。それはキリストの賛歌となるのです。49節から55節です。

ルカ 1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、

ルカ 1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。

ルカ 1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、

ルカ 1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、

ルカ 1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。

ルカ 1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

ルカ 1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

 その生まれてくる子を、マリアは既に主と呼んでいますが、それはその子が神によって生まれてくる子だからです。そしてその主が、どのような方であるかをこう語ります。

まず、道徳的な事です。それは、思い上がるものを打ち散らすと言います。キリスト教は謙遜な道徳を持つ宗教なのです。二つ目は政治的な事です。それは権力にあるものを引き下ろし、身分の低いものを高く上げる、と言う事です。それは民衆に善いことをしない権力者は退けられ、善いことをするならば身分が低くても高くあげられる、と言う事です。三つめは経済的な事です。飢えた人を良いもので満たし、富める者を空腹のまま追い返されると言います。これは経済的な平等を言っているのかもしれません。主はそのような方であり、イスラエルを受け入れて、憐み深い方です、と称えているのです。それは先祖の予言が成就すると言う事です。

このように、マリアはまず不思議な御業を為す神様を賛美し、そして、その結果生まれてくる神の子イエスを賛美しているのです。この後マリアは3か月間エリサベトのところにいて、自分の家に帰りました。ですから、エリサベトはもうお腹の子が9ヶ月になり、もうすぐ生まれようとしているときに、マリアは3か月の身重になって帰っていくのです。

いよいよエリサベトは、出産の時を迎えました。それは普通に出産されみんなで喜んだのですが、事件は8日目に起こりました。8日目というのはユダヤでは男の子に割礼を施す日で、これの無いものはユダヤ人にはなれないのです。これは創世記17章にも書いてあるように、アブラハムと神様との契約によって割礼を施すことになっているのです。それによってユダヤ人は神の民となるのです。そして、その日までには名前を付けなければなりませんでした。さていったい何が起こったのでしょうか。57節から61節です。

ルカ 1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。

ルカ 1:58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

ルカ 1:59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。

ルカ 1:60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。

ルカ 1:61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、

ルカ 1:62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。

ルカ 1:63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。

 当時は子供に、親の名前や先祖の名前を付けるのが普通でした。それで、8日目に割礼を施すために来た人々は、父の名をとってザカリアと名付けようとしました。ところが母親のエリサベトは、名はヨハネとしなければなりません、といったのです。そこで議論となって、そんな名前の人はあなたの親類にはいないのに、どうしてそんな名前を付けるのだと言う事になったのです。決着がつかないので、父親のザカリアに「この子になんと名をつけたいか」と手振りで尋ねました。ザカリアは口がきけないだけではなく、耳も聞こえなくなったのかもしれません。ザカリアは字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書きました。それは天使が現れた時に、その子の名前をヨハネと名付けなさいと言われていたからです。ザカリアが書いた字を見た人々は皆驚いたと書かれています。二人ともヨハネという名前を選んだからです。

そこでまた奇跡が起こったのです。それまで口のきけなかったザカリアが突然、話すことが出来るようになったのです。64節から66節です。

ルカ 1:64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。

ルカ 1:65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

ルカ 1:66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

 ザカリアが口がきけなくなったのは、ヨハネが生まれる時までではなく、生まれた子にヨハネと名付けるまで、すなわち天使ガブリエルの命令をすべて実行するときまでだったのです。そしてそれを実行した時ザカリアの口は開き、舌がほどけたのです。そしてその時、まず行ったのは神様を賛美することだったのです。この事を知った近所の人々は、神様の御業を知って皆恐れを感じて、ユダヤの山里中で話題になったと言います。そして「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と驚きをもって心に留めていたのです。その子ヨハネには神様の力が及んでいることが皆分かったからです。

ザカリアは、この奇跡の出来事が神様によってもたらされたことを思い、深く聖霊に満たされました。そして、語る事の出来るようになったその口を通して、賛美と予言を語ったのです。それは前半と後半の部分からなっており、まず前半は68節から75節です。

ルカ 1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

ルカ 1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、

ルカ 1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。

ルカ 1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。

ルカ 1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

ルカ 1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。

ルカ 1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、

ルカ 1:74 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、

ルカ 1:75 生涯、主の御前に清く正しく。

ザカリアはまず、イスラエルの神をほめたたえよと、語り出しました。それは自分に子供が与えられたからというのではありませんでした。ザカリアがこの出来事を通して、聖霊に満たされて知ったことは、救い主が現れるのは近い、と言う事でした。その救い主はその民を解放するために、ダビデの子孫から生まれ、預言者たちに語られたことを実現するだろうと言ったのです。それは、我らの敵から救い出してくださると言う事であり、先祖と約束した契約を覚えて実行してくれるだろうと言う事でした。そして救われ解放された人々は主のみ前に清く正しく、恐れなく主に仕えるだろうと予言したのです。このように、前半の部分では、救い主が予言通りにこの世にあらわれて、人々を敵から解放してくださる、という予言になっているのです。

それでは後半には何が書かれているのでしょうか。それは神様から授かったヨハネの事について予言しているのです。76節から80節です。

ルカ 1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、

ルカ 1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

ルカ 1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

ルカ 1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」

ルカ 1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

ここで語られている幼子と言うのは、神様から与えられた子供のヨハネの事です。そのヨハネの事を、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる、といいました。この子は生まれた時からその使命が与えられており、預言者となることが定められていたのです。その使命というのは、「主に先立って行き、その道を整え、人々に罪の許しによる救いを知らせる。」と言う事なのです。ヨハネは、主が現れる前に人々に、主が来られる日は近い、悔い改めよと言って、その道を整え、主は人々の罪を許してくださり、救ってくださる、と言う事を知らせる働きをするということをザカリアは預言しているのです。その救い主は、罪の闇の中にいる者も、死の陰府の中にいる者にも光を与え、救いを与えて、平和の道に導くだろうと言っているのです。

このザカリアのもとに生まれたヨハネは、その後、身も心も健やかに育って、イスラエルの人々の前に預言者として現れるまでは、荒れ野で神様と向き合いながら一人で生活していたのです。

 ここには、救い主が与えられることの賛美が多く語られています。マリアの賛歌も、ザカリアの予言も、神様の不思議な御業によって、救い主イエス様が与えられる、そしてその先達となるヨハネが与えられると言う事が声高らかに、歌われているのです。それは二人とも普通ではありえない奇跡の形で身ごもり生まれてくるからです。マリアは、処女なのに聖霊に満たされて身ごもり、エリサベツは年老いて、もう子供を授かる年ではないのに、天子が告げたように身ごもりました。そしてその天使の言葉はみな実現したのです。マリアは天使の言葉をそのままに受け入れました。ザカリアはとても信じられなくて、証拠を求めたので、子供が生まれるまで口がきけなくなりました。すべてが天使が語った通りになったので、その御業に驚き、マリアもザカリアもこのような賛歌と予言の言葉を語ったのです。


(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、マリアには救い主イエス様が与えられ、エリサベツには洗礼者ヨハネが与えられました。この小さな国の小さな片田舎で起こったことが、そのあと歴史を変える大きな出来事となりました。人々はイエス様のもとにひれ伏し、そのみ言葉に生きるものとなっていきました。私たちも救われて、いまこのように家庭礼拝をしています。どうか疑うものではなく、その奇跡の御業を受け入れるものとして、歩ませてください。私たちにはわからないことが多いのです。知っているつもりで、的を外すことがありませんように。あなたの御心を歩ませてください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>

◆マリアの賛歌

ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。

ルカ 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

ルカ 1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、

ルカ 1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、

ルカ 1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。

ルカ 1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、

ルカ 1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、

ルカ 1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。

ルカ 1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

ルカ 1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ルカ 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

◆洗礼者ヨハネの誕生

ルカ 1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。

ルカ 1:58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

ルカ 1:59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。

ルカ 1:60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。

ルカ 1:61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、

ルカ 1:62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。

ルカ 1:63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。

ルカ 1:64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。

ルカ 1:65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

ルカ 1:66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

◆ザカリアの預言

ルカ 1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

ルカ 1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、

ルカ 1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。

ルカ 1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。

ルカ 1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

ルカ 1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。

ルカ 1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、

ルカ 1:74 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、

ルカ 1:75 生涯、主の御前に清く正しく。

ルカ 1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、

ルカ 1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

ルカ 1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

ルカ 1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」

ルカ 1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。