家庭礼拝 2016年11月9日ルカ1章26-45イエスの誕生が予告される
賛美歌148 全地よ、主に向かい聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌149わがたまたたえよ
起
今日の箇所は、有名なマリアの受胎告知の場面です。天使が降りてきて、マリアに、イエスの誕生を知らせる場面です。この場面は有名な画家などにも、多くの絵画として表されている場面です。ですがこの受胎告知の話は、マタイとルカによる福音書にしか書かれていないのです。しかもこれは処女降誕の話です。ユダヤ教の長い歴史の中でもこのような事は一度も起こらなかった話です。ですが、イエス・キリストの誕生が特別なものとして、どこかに伝承されていたものをルカは丹念に調べて、それを書き記したのだと思います。もしかするとマタイが書き記した内容をも調べていたかもしれません。マタイの方は少し早く書かれていたからです。ですが、マタイはその受胎告知の話を書いていますが、必ずしもそれは処女降誕と理解できるわけではありません。天使は、マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである、と言っただけなのです。それをルカは処女降誕と結びつけたのはルカがよく知っているギリシャ神話世界ではそのような話が多かったからだと思います。
処女降誕の話は無理に信じなくてもいいとも言われています。無理に信じても信仰的にそれが良い事とも思われないのです。処女降誕の話がこの聖書の中だけの話かと思うと、実は世界中に処女降誕の話が、あふれるほどあるのです。むしろ異教世界の中に多いのです。実は聖徳太子もお釈迦様も処女降誕なのです。処女降誕どころか古事記などを読めば、人間がどんなものからも生まれてくることが記されています。死体の中からや、血しぶきの中からや、岩の中からなど、別に男女の正常な行為によらなくとも子供はどんどん生まれてくるのですから、処女から子供が生まれるのはまだましな方なのです。
先週は洗礼者ヨハネの誕生を巡って、祭司ザカリアとその妻エリサベトの話がありましたが、今週はイエス様を巡って、マリアの話が出てきます。そこに共通して現れるのは天使ガブリエルです。ここにはいろいろな対比が表されており、マリアの出来事を際立った色彩で描いているのです。マリアはヨセフのいいなづけでまだ結婚はしていませんでした。多分年齢は15歳くらいのおとめです。ですが、このユダヤの社会ではいいなづけ、すなわち婚約者との関係は、ほとんど結婚しているのと同じ法的な扱いなのです。ですから、この婚約を解消するには、法的な儀式が必要なくらいなのです。マリアがこのような若い乙女であるのに対して、ザカリアの妻エリサベトは子供が与えられず、もう年老いて、子供を望む年齢でもなくなっていたのです。この状況はアブラハムの妻サラと似ています。そして、天子ガブリエルが現れて、子供が与えられることを告げられた時、ザカリアはその言葉を信じることが出来ず、その罰として、ヨハネが生まれるまで、口がきけなくなってしまいました。一方天使ガブリエルがマリアに子供が与えられることを告げた時、マリアは驚きましたが、お言葉通り、この身になりますようにとその言葉を受け入れました。この事は、もしかするとマリアが死罪になるかもしれない危険な事だったのです。なぜならば、事情を知らない人たちはその子が姦淫によって生まれた子供と受け取るからです。
マタイによる福音書では、この受胎告知はマリアに対してではなく、いいなづけのヨセフの夢の中に現れて告知されるのです。それもマリアの場合のように、身ごもる前に現れたのではなく、マリアが身ごもったので離縁しようかどうか悩み、縁を切ろうと決心したその時の夜に夢で現れたのです。このように、この受胎告知の話には、いろいろな状況が隠されています。その事を心に留めて、今日の聖書の箇所を学んでいきたいと思います。
承
さて、このマリアに天使ガブリエルが現れるのは、ザカリアの所に現れてから半年後の事でした。26節と27節です。
ルカ 1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ルカ 1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
マリアのいい名づけヨセフはダビデ家の人なので、生まれてくるイエス様はダビデの子となりますが、マリアもまた、ダビデ家の系統であるとも言われています。マリアはガリラヤ地方のナザレと言う名もない小さな村に住んでいました。そこに天使ガブリエルは現れたのです。28節から30節です。
ルカ 1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
ルカ 1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
ルカ 1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
天使ガブリエルは、ザカリアの所に現れた時には、「恐れることはない、ザカリア。」と、恐れないようにという言葉が最初でしたが、マリアの所に現れた時には「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共に居られる。」と、祝福の言葉を語りました。この違いはなぜでしょうか。それはザカリアには祭司としての知識があり、天子を見るものは死ぬかもしれない、という恐怖が先に来たのです。それに対して、マリアはいなかの教育を受けていないまだ幼い女性です。天使が現れた時には、恐れを感じていなかったのです。むしろ天使の言葉を聞いてから、その意味が分からなくて、恐れたのです。ですからそのあと天使は「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」とその意味を教えたのでした。それにしても、この天使の挨拶は、天子自身がその祝福を共に喜んでいて、つい、自分自身の喜びを先に出してしまったような気がします。きっと私たちの人生の中にも、天子が現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」を言われる時がきっとあるような気がします。もしかするともう言われているのかもしれません。その時その言葉を素直に受け取れる、思いをいつも持っていたいものです。
天使はその祝福の意味を、さらにもっと具体的に語り出しました。31節から33節です。
ルカ 1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
ルカ 1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
ルカ 1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
ここの箇所は、天子がザカリアに語った言葉と比較してみると、とても参考になります。
ザカリアは、あなたの妻エリサベトは男の子を生む、その子をヨハネと名付けなさい、と言われましたが、マリアも同じように、あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい、と言われました。天使から、既に名前までも決められていたのです。イエスと言うのは「神は救いである」という意味の名前です。その後、ヨハネの場合は、その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる、と言いましたが、イエスの場合は、その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる、と言っており、その格の違いがはっきりしてきます。さらに、その使命は、ヨハネの場合、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち返らせる、と言いましたが、イエスの場合は、彼は永遠にヤコブの家をおさめ、その支配は終わることがない、と語られており、ヤコブが人々を神のもとに連れて行き、イエスが永遠の支配者として、君臨することが言われています。ここに、ヨハネの使命とイエスの使命の立場の違いがはっきりと表れているのです。
天使がマリアに、あなたは身ごもると言った時に、マリアは驚きました。まだ結婚もしていないからです。そしてこう言いました。34節と35節です。
ルカ 1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
ルカ 1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
結婚もしていないのに子供が生まれるとすれば、姦淫をしたと言う事になります。マリアはそれも否定して、自分が無垢な事を天子に訴えて、そんなはずはありませんと言ったのです。すると天子はこういったのです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」天使は人間的な営みによって、子供が生まれるのではなく、聖霊があなたに下って、その力によって、生まれるのだと言ったのです。これを、マタイ福音書では、「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである、」と言ったのです。このころの考え方の中に、子供が生まれるのは男と女の関係だけでなくそこに聖霊が働かないと生まれないのだという考え方があったのです。ですから、聖霊が下って生まれたというのは必ずしも聖霊だけで生まれたと言う事にはならず、処女降誕と決めつけることはできないのです。そしてマタイが引用した、「見よ、乙女が身ごもって男の子を生む」という予言者の言葉は、このおとめと言うのは必ずしも処女の事ではなくて、若い女性の事を言っているだけの事だという解釈もあるのです。
天使ガブリエルは、自分の言った言葉が真実であることを、エリサベトを例に出してこう言いました。36節から38節です。
ルカ 1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
ルカ 1:37 神にできないことは何一つない。」
ルカ 1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
天使は、不妊の女と言われたエリサベトでさえ、年をとっても男の子を身ごもって、既に6か月になる、神様にできないことは何一つないのだ、と言う事をマリアに伝えました。だからガブリエルは、マリアに子供が与えられると言う事は必ず実現することを言ったのです。その時マリアはそれでも信じられないと言ったのでしょうか。そうではなかったのです。その天使の言葉をそのままに受け入れて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言ったのです。私たち人間が神様に対する姿勢はこのようなものでなければならないのです。たとえそれがどんなことであっても、お言葉通り、この身になりますように、と喜んで受け入れる態度が必要なのです。自分の気に入ったことだけを受け入れるのではだめなのです。理解できないことは受け入れないというザカリアの姿勢ではいけないのです。天使はマリアが天使の言葉を受け入れたことを確認して去っていきました。
転
マリアはその後、ザカリアの家のエリサベトに会いに行きました。実はマリアとエリサベトは親戚関係にあったのです。ですから生まれてくるイエス様と洗礼者ヨハネも親戚関係にあるのです。昔の小さな地域では、皆なにがしかの親戚関係にあることは、日本の地方にもよくあることです。39節と40節です。
ルカ 1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
ルカ 1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
エリサベトはユダの町に住んでいたので、ガリラヤからは3日ほどかかる道のりでした。でもマリアは、天子が告げたエリサベトにあって、話を聞いてみたかったのかもしれません。そして、マリアはエリサベトに会い挨拶を交わしたのです。41節から45節です。
ルカ 1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
ルカ 1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
ルカ 1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
ルカ 1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
ルカ 1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
マリアがエリサベトに挨拶をすると、エリサベトのお腹の子がおどったというのです。するとエリサベトはその不思議な出来事に驚き、聖霊に満たされて、声高らかにこう言ったのです。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
エリサベトはすぐにマリアに祝福の言葉を語りました。これは聖霊に満たされて語ったので、エリサベトが語ったというよりは、聖霊が語っているのです。それは、マリアもそのお腹の子も祝福されているという言葉です。祝福されているとはどのような事でしょうか。きっと良い事幸せな事で満たされていることのように思うかもしれません。ですが、この祝福はイエス様が成長し、人々のために十字架にかかって死ぬことが祝福なのです。祝福とは神様に従順に従って、全てを受け入れていくことなのです。
エリサベトは不思議な事を言いました。私の主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういう訳でしょう、と言ったのです。これはマリアのお腹の子が、神の子メシア、主であることを信仰告白しているのです。そしてマリアのすばらしさをこう言ってたたえたのです。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」マリアのすばらしさは、主が語ったことを必ず実現すると信じたことなのです。それはザカリアとは違った反応の仕方だったからなのです。そしてそのように信じられることを、なんと幸いな事でしょうと褒め称えたのです。信じるとはこのように、信じられないことをも信仰をもって信じることなのです。ですから、この処女降誕の話ももし信仰をもって信じることが出来るならば、それは、なんと幸いな事でしょうと褒め称えられることかもしれません。ですが、本当は信じていないのに、無理に信じようとするのは、二重に過ちを犯すことであることをも知っておきましょう。
結
今日はマリアの受胎告知について学びました。ここには信じることのすばらしさが語られています。マリアは何の疑いもなく、天子の言葉を受け入れました。それは聖霊に満たされていたからです。そしてエリサベトはそのマリアを祝福しました。エリサベトもまた、聖霊に満たされて、マリアに語ることが出来たからです。信仰は聖霊に満たされることです。何かモノマネのように、型通りの事をすることではないのです。どうか私たちの主が、私達にも聖霊を下されて、聖霊に満たされて、全てを見ることが出来るように、神様を賛美できるようにと、願うものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。イエス様は聖霊によってマリアに身ごもりました。マリアは聖霊に満たされて、その事を信じました。エリサベトは聖霊に満たされて、マリアを賛美しそのお腹の子を主と認めました。私たちの信仰は聖霊によって導かれるものです。それは聖霊を信頼し聖霊に委ねるところに起こる奇跡です。神様どうか私たちの信仰も聖霊によって満たされるものでありますように。何よりも聖霊を求めていくことが出来ますように、導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ルカによる福音書)>>
◆イエスの誕生が予告される
ルカ 1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ルカ 1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
ルカ 1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
ルカ 1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
ルカ 1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
ルカ 1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
ルカ 1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
ルカ 1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
ルカ 1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
ルカ 1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
ルカ 1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
ルカ 1:37 神にできないことは何一つない。」
ルカ 1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
◆マリア、エリサベトを訪ねる
ルカ 1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
ルカ 1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
ルカ 1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
ルカ 1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
ルカ 1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
ルカ 1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
ルカ 1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」