家庭礼拝 2016年10月19日Uテサロニケ3:6−18怠惰な生活を戒める

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起 

このテサロニケ第二の手紙は、2章の終わりで、テサロニケの人々に祈り、3章の初めで、私たちのために祈ってくださいと言って、これで手紙が終わりになるのかなと思うと、そうではなくて、又最後に釘を刺す様に、教会の中の一部の人の、怠惰な生活を戒める言葉が続きます。これは、パウロがよほどこの事が気になって仕方がなかったのだと思います。

この第二の手紙を書いた理由は、第一の手紙を出した後で、テサロニケ教会の一部の人が、再臨の時がもう近いと言う事に過剰に反応して、もう終末の時なのだから、この地上の生活を今までの様に続けてもしょうがない。もう仕事も何もかもやめてしまって、イエス・キリストの再臨を待っていればいいのだと、極端な考え方に走ってしまった人々がいたからでした。そして他の人々にもいろいろなうわさ話をまき散らして、人々を不安にさせていたのです。その事については既に2章で語っており、お互いの祈りをして、もう終わりかなと思った時にもう一度念には念を入れて、この仕事もしないで噂話をまき散らす、怠惰な人々の事を非難しているのです。この事がパウロの一番の気がかりだったからなのです。

今日で、このテサロニケの手紙が終わりますが、新約聖書の中で一番古く書かれたものがこのテサロニケの信徒への手紙であり、アジア宣教から、ヨーロッパ宣教へと移行した時の手紙として、記憶しておいた方が良い手紙なのです。

それでは、聖書に移りましょう。パウロは最後に念を押すように、主イエス・キリストの名によってテサロニケの教会の人々に命じました。即ちこれは厳格な命令なのです。6節です。

2テサ 3:6 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。

 パウロが最後に厳格に命じたのは、怠惰な生活をして、私達から受けた教えに従わないでいる全ての兄弟を避けなさい、と言う事でした。ここでいう怠惰な生活をしている人と言うのは、ただ怠けている人々と言うよりも、終末の時は近いと思って、もう仕事をやめて、パウロ達から受けた教えに従わないで、日常の生活を諦めてしまった人々の事です。この人々は、自分たちが仕事をしないだけではなく、他の人人にも仕事をしないように勧めたり、変なうわさを流したり、仕事をしないので、食べるものをほかの人にねだったり、教会にとっては迷惑な人々なのです。パウロはそのような人々を避けなさい、と言っているのです。付き合うのはもうやめなさい、それはイエス・キリストの教えに従っているのではないと言っているのです。その様な人も、イエスの教えに従っているのだと考えて、付き合ったり助けたりするのはもうやめなさいと言っているのです。

パウロは、自分たちを例に挙げて、テサロニケの人々が誰にどのように倣えばよいのかをこう語りました。7節から9節です。

2テサ 3:7 あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。

2テサ 3:8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

2テサ 3:9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。

パウロは、テサロニケの人々に、「あなた方自身、私たちにどのように倣えばよいか、よく知っています。」と切り出しました。それは、パウロ達のような生活を、模範としなさい。その生活をテサロニケの人々はよく知っているではありませんか、と言う事です。パウロ達は神様の事を教える、ラビすなわち先生と言われる立場の人でした。その立場を利用して、生徒に当たる人々から、いろいろなもてなしを受けて、自分では働かずに食べさせてもらっている人々もいました。でもパウロ達は違いました。誰からもパンをただでもらって食べたりはしませんでしたと言いました。さらに、誰にも負担を掛けまいと夜昼大変苦労して、働き続けたのです、と語ったのです。この事は裏返せば、教会の中に、働くことをしないで、誰からかパンをただでもらって生活し、迷惑をかけている人々がいたと言う事です。基本的にユダヤ法では、ラビは報酬を受けて教えてはならない、と書いてあるのです。パウロ達はそれに忠実に従い、大変苦労したのですが、中には報酬を受け取ることをもっぱらにする人々もいました。パウロはこの事を、「援助を受ける権利が私たちになかったからではなく、あなた方が私たちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。」と言いました。パウロはもともとテント職人だったので、そのような仕事をして報酬を得たのだと思います。パウロ達が宣教の合間を縫って働いていたのは、テサロニケの人々もそれにならって働いて欲しいと考えたからだというのです。

そしてパウロがテサロニケにいた時になんと言っていたかというと、10節から12節です。

2テサ 3:10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

2テサ 3:11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。

2テサ 3:12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。

 パウロ達は、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました、と言いました。これと似たような言葉があるので混同しやすいのですが、何か分かるでしょうか。共産主義国などで言われていた、「働かざる者、食うべからず」という言葉です。この言葉と、「働きたくない者は、食べてはならない」の違いが分かるでしょうか。パウロが非難している人々と言うのは働かない人々ではないのです。いろいろな事情で働けない人もいるのです。その様な人も食うべからずと言っているのではないのです。パウロが非難している人々と言うのは、働けるのに、働こうとしない人々なのです。いろいろ理屈を言って働こうとしない人々です。もう再臨の時、終末の時は近いのだから、働く必要はないと言って、働こうとしない人々の事を言っているのです。この人々をパウロは怠惰な人々と言っているのです。この人々は少しも働かずに、余計な事をしているというのです。教会の中で、いろいろうわさを流して、不安にさせたり、余計なことをしたり、人に食べ物をねだったり、教会の厄介者になっているのです。その様な人々にパウロは、主イエス・キリストに結ばれたものとして命じ勧めますと言って、キリストの権威に基づく強い命令の言葉を言うのです。それは「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。」と言う事です。

そしてパウロはいよいよ最後通告をします。13節から15節です。

2テサ 3:13 そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。

2テサ 3:14 もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。

2テサ 3:15 しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。

 その最後通告は、あなた方従うものは、たゆまず善いことをしなさい。従わない者がいれば、かかわりを持たないようにしなさい、と言う事でした。たとえ従わない者であっても、クリスチャンとして、教会として、かかわりを持たないようにするのが正しいのだろうかというためらいを持つ優しい人もいるかもしれません。でもこれは、神様がいつも行っていることなのです。神様は、従うものには祝福を与え、従わない者には顧みを与えない方なのです。かかわりを持たないようにすることが、神様の罰なのです。でもその様に突き放したとしても、それは敵となったというのではないのです。それでもやはり兄弟なのです。その人たちが立ち直れるように、警告しなさいとパウロは薦めているのです。安易な助けはその人をだめにするが、正しい警告はその人を立ち直らせるのです。

これでパウロは言いたいことを語り終えました。一度言ったことが言い足りない気がして、また念を押して言う気の持ちようでした。でもこれで終わりです。パウロはいつものように、目が悪いため口述筆記してもらった手紙に、自分のサインを入れるように,自分の手で、目の見えないため大きな字で最期の挨拶を書きました。16節から18節です。

2テサ 3:16 どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。

2テサ 3:17 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。

2テサ 3:18 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。

 16節は口述筆記かもしれません。17節と18節がパウロの直筆だろうと思われます。パウロの手紙の最後には、いつも主があなた方一同と共に居られるように、という祈りで終わります。これは人間が相手の人に対して願える一番の事だからだろうと思います。相手が誰であろうと、その人のために一番良いことは、主があなたと共にありますように、という祈りなのです。ですから私たちも、いつもこの祈りを、相手の人のために祈り続けるのが良いのです。そして、その言葉の前には、「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。」という祈りが祈られています。いついかなる場合でもです。どんな苦しみの中にあっても、どんな悲しみの中にあっても、あなた方に平和をお与えくださるように、という祈りです。苦しみがなくなるのが平和なのではありません。悲しみがなくなるのが平和なのではありません。その様な状況の中にあっても、いついかなる場合でも平和があるように、と言う事です。なぜならば、平和の主が、私たちの内に居て下さるからなのです。

手紙としては一度ここで終わります。そしてそこにパウロがサインをするように、「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。」と書きました。そして最後の言葉は先ほどの口述筆記の最後と同じ言葉が書かれています。それは、「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。」という言葉でした。同じ言葉ですが、これはパウロの直筆の言葉であるというところに、その重みがあるのです。

 これでテサロニケの手紙、TとUが終了しました。パウロはテサロニケでは落ち着いて宣教する暇もなく、迫害にあって逃げ出さざるを得ませんでした。ですがその時蒔いた種はいつの間にか立派に成長していたのです。ですが、そこにはパウロ達の手によらない種も成長していたのです。パウロは教会がこれからどうなるかが心配でした。それで、手紙を出して、教えきれなかった事柄を教えたのです。手紙だけでは伝えきれないところがあったために、テサロニケ教会では過剰反応をする人も出てきて、教会が混乱しました。仕事を放り投げて、ただ再臨の時を待っている人もいたのです。ですがパウロの勧めは、しっかりと自分の働きをつないでいって、再臨の日を待ちなさいというものでした。私たちが再臨の時、終末の時を待つにあたって、いままでの日常を手放す必要はないのです。もしかするとその日常の中に終末の時が現れるのかもしれません。これは人間でははかりかねることです。ただ慌てることなく、落ち着いて、主の再び来たり給う時を待ち望んでいこうではありませんか。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、テサロニケの信徒への手紙を学ぶことが出来感謝であります。テサロニケでは終末を迎えるにあたって、いろいろな出来事が起こっていました。でもパウロの教えは、日常の生活を落ち着いて過ごして、その時を待ち望みなさいと言う事でした。私達も日常の生活を落ち着いて平和に過ごしつつも、この再臨の時を一時も忘れることなく、希望を持って待ち続ける者でありますように。その時その日がどのようなものであるかはわかりませんが、ただ主、イエス・キリストの愛と慈しみを信じ、委ねて歩んでいくことが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇テサロニケの信徒への手紙一)>>

◆怠惰な生活を戒める

2テサ 3:6 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。

2テサ 3:7 あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。

2テサ 3:8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

2テサ 3:9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。

2テサ 3:10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

2テサ 3:11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。

2テサ 3:12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。

2テサ 3:13 そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。

2テサ 3:14 もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。

2テサ 3:15 しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。

◆結びの言葉

2テサ 3:16 どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。

2テサ 3:17 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。

2テサ 3:18 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。