家庭礼拝 2016年8月31日Tテサロニケ4:1−12神に喜ばれる生活
賛美歌17 聖なる主の美しさと聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌18心を高く上げよ
起
今日の聖書の箇所には、パウロがテサロニケのキリスト教信者に対して、「神に喜ばれる生活」とはどのようなものであるかを語っています。それならば私たちにとってもとても参考になるような話のような気がします。ですが、その内容を読んでみると、ちょっと意外な気もするのです。なぜなら、そこに書かれているのは、みだらな行いを避け聖なるものとなりなさい、と言う事だからです。もっと霊的な信仰的な勧めが書かれているのかとおもうと、そうではなくて、かなり現実的な肉的な話となっています。ですが、このような話を理解するにはその時代と地域の背景を理解しなければなりません。
前にも言いましたが、このテサロニケの信徒への手紙は、パウロの現存する一番古い手紙です。新約聖書の中で、一番最初に書かれたものです。そしてこの手紙が出されたのは、ギリシャを一番南端とするバルカン半島にある、テサロニケと言う町の信徒たちへの手紙です。すなわちここは、いまでいうヨーロッパに属する地域での最初の頃の宣教になります。キリスト教はエルサレムのあるユダヤ地方から現在のトルコのある、アジア地方、そしてギリシャのあるバルカン半島、すなわちヨーロッパへと広まっていくのです。ですから、テサロニケは、全くの異邦人の町になるのです。当然その文化的影響はギリシャの影響が強く残っており、自由奔放なところがありました。ユダヤ人たちはユダヤ教を信じ、その律法を固く守ることによって、神様に仕えていくものでありました。そこには結婚や男女の守るべき掟など、厳格にそれを守らなければ、ユダヤ人として認められないものでした。ところが、ギリシャ文化の影響を受けた地域では、結婚の束縛は緩く、男女の守るべき掟も、ひどくルーズなものだったのです。ですから、パウロは「神に喜ばれる生活」を語る時、非常に初歩的なところから始めたのです。それも無理はありません。テサロニケの教会は、異邦人の教会であり、その周囲の人々の生活習慣も、ユダヤ人たちとは違いすっかりギリシャ的だったのです。ですから、テサロニケの人々に教えるのは、全く初歩的な事からだったのです。さて、一体何を教えたのでしょうか。聖書を一つ一つ読み解いていきたいと思います。
承
パウロは、神様に喜ばれるためにどのように歩むべきかをテサロニケの人々に次のような言葉で切り出しました。1節です。
1テサ 4:1 さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。
パウロはテサロニケの人々に対して、「あなた方は、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、私たちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後もさらに続けてください。」と言いました。テサロニケの人々は、既に神様から喜ばれる生活をしていたのです。いったいどのように歩んでいたのでしょうか。それは、3章の所に書かれていた、テモテからもたらされた、うれしい知らせの事です。それはテサロニケの人々が信仰と愛とにおいて、パウロから学んだとおりに実践し固く守っていたことです。パウロはその事を喜び、その歩みを今後もさらに続けてくださいと言って励ましたのです。
それでは、パウロはさらに何を教えようとしているのでしょうか。それはギリシャ文化に影響されている人々にとっては、罪とは思えないようなことでした。普通一般になされていることでした。それを避けるように言っているのです。2節から5節です。
1テサ 4:2 わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
1テサ 4:3 実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、
1テサ 4:4 おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、
1テサ 4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。
パウロの教えは、ユダヤ教にとっては最も基本的な初歩的な教えでした。それはパウロが主イエスの名によって命じたことでした。それは、みだらな行いを避け、聖なるものとなりなさい、と言う事でした。ユダヤ教の倫理観においてはみだらな事が、ギリシャ風の風習においてはごく普通の事であり、みだらとは思えず、テサロニケの人々もその風習から逃れることが出来ていなかったのです。ですから、パウロはテサロニケの人々が聖なるものとなるために、みだらな行いを避けなさい、情欲に溺れてはいけない。妻と尊敬の念を持って生活しなさいと、繰り返し教えているのです。信仰者にとって、清いものになると言う事が、基本的な事項なのです。信じさえすれば何をしてもいいのだと言う、傾向がこのテサロニケの教会にもあったのです。すでに救われているのだから、その事を信じるならば、あとは何をしても救われるのだと思って、みだらな生活をする人々もいたのです。ですからパウロはまずその事を修正しようとしたのです。ギリシャ文化のもとでは、女性の地位はユダヤ人たちよりも低く、男性たちの思うように好き勝手になされていたのです。パウロはまず、そのような生活を清めなさい、と勧めたのです。
そして、そのような情欲から、男女間の問題だけでなく、様々な問題が発生していることをも指摘しました。6節から8節です。
1テサ 4:6 このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
1テサ 4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
1テサ 4:8 ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
パウロは、このような情欲に溺れることによって、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしている人々のいることを聞いていました。だから、以前から、厳しく戒めていたと言うのです。というのも、それらは罪であり、主がこれらすべての事について罰をお与えになると言っているのです。そして、パウロは再び同じことを繰り返して言います。それは、「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。」と言う事です。汚れた生き方ではなく、聖なる生活をしなさいと繰り返し言うのです。それが、神様に喜ばれる生活だと言うのです。
そしてパウロは強く警告します。それほどこの問題は信仰において重要な問題なのです。パウロはこのように警告しました。「これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。」テサロニケの人々の中には、そんなことまでパウロに言われたくないと思っている人々もいたのです。みんなもやっているような自分たちの楽しみを奪われたくないと思っていたのです。ですから他の事は従っても、この事に関しては、これはパウロが言っていることだと言って拒んだのです。ですがパウロは、この警告を拒むものは、人を拒むのではなく、ご自分の聖霊をあなた方の内に与えて下さる神を拒むことになるのです、と言いました。この警告は神からのものであり、神様を拒んではいけないとパウロは言ったのでした。
転
さて、パウロはテサロニケの人々を厳しくとがめる言い方を避けるように、一転して、テサロニケの人々の良いところを褒め始めます。9節から10節です。
1テサ 4:9 兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。
1テサ 4:10 現にあなたがたは、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に、それを実行しています。しかし、兄弟たち、なおいっそう励むように勧めます。
テサロニケの教会の人々の一番良い所は、兄弟愛を持っているところです。互いに愛し合うことに関しては、神様の御言葉として受け入れ、愛し合い助け合っていたので、パウロには何も言う必要はなかったのです。それは単に自分の教会の事だけではなく、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に対しても、愛し合うこと助け合う事を実行していたのです。それをパウロは、なお一層励むようにと励ましました。
これほどに、互いに愛し合う事においては優等生であったテサロニケの人々にも、パウロから見ると気がかりなことが二つあったのです。一つは、今まで話が出ていた、みだらな生活を避けると言う事、もう一つは、もう終末の時は近いのだから、仕事をしたり、苦しんだりするよりも、この世で楽しく生きればいい、と言った、間違った終末論に陥る人々がいたことです。11節と12節です。
1テサ 4:11 そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。
1テサ 4:12 そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。
パウロは、互いに愛し合う生活をこれからも続けなさいと言った後、「わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」と言いました。これは終末が近いと教えられた人の中には、もう仕事が手につかなくなり、終末の事ばかり気になって落ち着かず、この世の楽しみに溺れてしまう人々もいたのです。ですからパウロは、日々の生活を落ち着いて続けなさい、と命じていたのです。パウロは、このような人々に、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」と命じたのです。そして、「そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。」と勧めました。このような間違った終末を信じている人々は、仕事を投げ出し、自分で糧を得ることも出来ないため人に頼って迷惑をかける人々もいたし、品位を損なう行動に出る人もいたのです。ですからそのような事にならないように、落ち着いた生活をし、仕事をし、自分で糧を得るようにしなさいと勧めたのです。
結
テサロニケの教会の人々は、パウロの残した教えをしっかりと守りその信仰と愛とを実践していたので、パウロはとても喜びました。ですが気になることもあったのです。一つはみだらな生活をしていると言う事です。パウロは清い生活をするように、そして聖なるものとなるようにと勧めました。二つ目は、間違った終末を期待して、現在の生活をおろそかにし、仕事をしないで、人に頼ったり品位を貶めたりするような落ち着かない生活をする人々がいたことです。この人々に対しては、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい、と勧めました。
テサロニケの教会の人々は、まだ未熟で、成長過程にある教会でした。ですから、環境の色々な刺激に惑わされて、極端な方向へと走ってしまうこともありました。この教会は、まだ正しく指導される必要があったのです。パウロがまず勧めたのは、みだらな行いを捨て聖なるものとなって、神様に喜ばれる生活をしなさいというものでした。皆がしているからいいのではないかという考え方は私達にもあります。このくらいは皆もしているからという言い訳です。ですが清い生活とは、そのような人の基準で生きることではなくて、神様の基準で生きることです。それが神様を喜ばせる生活となるのではないでしょうか。神様を喜ばせる生活を続けましょう。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたの恵みに感謝いたします。テサロニケの教会の人々は信仰において愛することにおいて立派なものでした。ですが、生活環境においては、周囲の影響に流されてしまいました。私達にもこのような片手落ちはよくあることです。どうか自分をごまかさず、あなたの御心に従った清い生活をすることが出来ますように。どうかあなたを喜ばせる生活が出来ますように導いてください。どのような誘惑をも、あなたに委ねることが出来ますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇テサロニケの信徒への手紙一)>>
◆神に喜ばれる生活
1テサ 4:1 さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。
1テサ 4:2 わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
1テサ 4:3 実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、
1テサ 4:4 おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、
1テサ 4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。
1テサ 4:6 このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
1テサ 4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
1テサ 4:8 ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
1テサ 4:9 兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。
1テサ 4:10 現にあなたがたは、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に、それを実行しています。しかし、兄弟たち、なおいっそう励むように勧めます。
1テサ 4:11 そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。
1テサ 4:12 そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。