家庭礼拝 2016年8月3日Tテサロニケ2:1−12 弁明するパウロ

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起 

パウロ達は、エーゲ海を船で渡って、アジアからヨーロッパへの伝道を開始するのですが、最初についた町は、テサロニケではなく、フィリピです。テサロニケはフィリピから逃げて移り住んだ2つ目の町なのです。パウロ達がヨーロッパに移ってからの宣教は多くの迫害があり、大変なものだったのです。最初のフィリピでの話は、使徒言行録の16章11節から40節までに書かれています。そして17章1節からはテサロニケの騒動の話が書かれているので、その関連をよく読んでおいた方が良いと思います。

フィリピで宣教を始めたパウロ達は、占いの霊に取りつかれた女奴隷が、パウロ達を、この人たちはいと高き神の僕、と言って付きまとったので、パウロはたまりかねて、その霊に「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出ていけ」と命じたのです。するとその霊が出て行ったので、その女奴隷は占いが出来なくなり、この女奴隷の主人たちが金儲けが出来なくなったことを怒って、役人に引き渡しパウロ達は牢に繋がれたのです。その夜、牢の中で賛美歌を歌っていた所、大地震が起こって、たちまち牢の戸が皆開いて、全ての囚人の鎖も外れてしまったのです。牢の看守は、囚人たちが逃げたと思い、剣を抜いて自殺しようとしたところ、パウロから止められ、あの有名なパウロの言葉を聞いたのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言う言葉です。こんな騒動が起こったので、パウロ達はフィリピを去って、テサロニケに来ていたのです。

ですがパウロ達のうわさはここのテサロニケでも有名になっており、いろいろな非難中傷が飛び交っていたのです。そして、ユダヤ人たちはパウロを捕まえようとして暴動を起こし、捕えようとしたのですが、逃げられたので、パウロを世話していたヤソンと言う人たちを町の当局者たちの所へ引き立てて、「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。」と言って訴えたのです。

パウロ達は、難を逃れて、アテネへ行きそしてコリンとへ行ってそこから、このテサロニケに手紙を出したのです。パウロ達はテサロニケの人たちの信仰が失われないだろうかと心配していたのです。と言うのも、パウロ達を非難中傷する話がたくさん入って来たからです。ですから、このテサロニケの信徒への手紙には、その非難中傷に対して、反論している箇所がたくさんあるのです。

特に今日学ぶ2章の前半は、この非難中傷に対して、一つ一つ反論している箇所ですから、その言葉の裏に、パウロ達を非難している言葉を読み取らなければなりません。パウロ達がどのように非難されており、それに対してパウロがこの手紙でどのように反論しているかです。この時代のマケドニヤやギリシャには、哲学や宗教を教える先生たちがたくさんいたのです。その人たちは人の喜ぶようなことを言って、金銭や接待を受け、そしてみだらな事をも平気でやるような人たちがいたのです。ですから、パウロ達もその人たちと同じ類の人であろうと言う非難が一般的に強かったのです。それに対して、パウロがどのように反論しているかを聖書の中で、読み解いていきたいと思います。

2章の初めで、パウロはテサロニケに宣教をしたのは無駄ではなかったと述懐しています。パウロ達は滞在たったの3週間で迫害の暴動に会い、テサロニケを去らなければならなかったのですが、しっかりとその信仰の芽が成長し、周りの町々にも評判になるほどだったのです。1節と2節です。

1テサ 2:1 兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。

1テサ 2:2 無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。

 ここで、先ほど話した、フィリピでの騒動の事を語っています。辱められて、投獄されてきたことを語っているのです。その様なめにあっても、パウロ達は、神様に勇気づけられて、テサロニケの人々に神様の福音を語ってきたのだと言うのです。そしてその信仰がその地に根付いてきたことを喜んで無駄ではなかったと語っています。

そして3節からいよいよ人々の中傷非難に対する反論に入ります。これは教会の外でも内でも言われてきた中傷非難なのです。3節と4節です。

1テサ 2:3 わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。

1テサ 2:4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。

ここの言葉の裏にどんな非難の言葉が隠されているでしょうか。それは、パウロ達の宣教は、不純な動機すなわち金銭や接待や欲望や利己的な思いで行っていると言う非難なのです。それを神様に仕えているようなふりをするごまかしの宣教をしているのだと言う非難なのです。それに対して、パウロは私たちの宣教は決してそんなものではない。私達は神様に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っているのだと言うのです。パウロの自己認識が語られているのです。パウロは自分が神様に認められ福音をゆだねられたものと強く認識しているのです。ですからその語る言葉は人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神様に喜んでいただくためにしているのだと言うのです。町を渡り歩いている教師たちは良い収入を得るために、人の喜ぶことだけを話していたのです。ですがパウロは違うと言うのです。自分は人に喜ばれるためではなく、神様に喜んでいただくためにするのだと言うのです。ですから、人から嫌われることも非難されることも甘んじて受け入れ、神様に喜んでいただくためにだけしているのだと言うのです。パウロ達は気違いだと非難されたこともあります。その新しい教えがその世界となじまない時には気違いと言われることがあるのです。イエス様でさえもその兄弟達から、気が違ったと思われて捕えられそうになったのです。何よりもまず、私たちの語る神様の言葉は人に喜んでもらうためではなく、神様を喜ばせるものであることを心したいと思うのです。

さらにパウロは、ユダヤ人たちの批判に対し、自分たちがどんな思いで、福音を伝えているのかを語りました。5節から8節です。

1テサ 2:5 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。

1テサ 2:6 また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。

1テサ 2:7 わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、

1テサ 2:8 わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。

 ここにも隠されたユダヤ人たちの批判があります。パウロ達は人々にへつらったり、口実を設けて、金品をかすめ取ったりしている偽善家だと言う批判です。そして、人から褒められようとして、良い事をしているふりをしているだけだと言う批判なのです。このような振る舞いは、当時の町を渡り歩く、哲学者の先生と言われる人たちが良くとる態度だったのです。パウロ達も同じではないかと思われていたのです。そしてキリストの使徒だと言ってその権威を振り回して、独裁者のようにしているのではないのかという批判なのです。

それに対して、パウロは、私たちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしていません、その事は神様が証して下さいますと、身の潔白を神様に委ねているのです。そして、誰からも人の誉れを求めることはしなかったと言います。それにキリストの使徒として権威を主張することもできたのですが、むしろ幼子のように謙遜で従順でした、と言ったのです。権威を振り回すどころか、母親が子供を大事に育てるように、いとおしく思っていたので、自分の命さえ喜んで与えたいと思ったほどなのです、とさえパウロは言いました。それほどまでにテサロニケの人々の事を愛する者としていたのです。

パウロは、自分たちが、どれだけ誠実に利己的な思い無しに、ただ福音のために奉仕しているのかと言う事を切々と訴えました。9節から12節です。

1テサ 2:9 兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。

1テサ 2:10 あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。

1テサ 2:11 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に

1テサ 2:12 呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。

 パウロは自分たちが、どんなに苦労しても誰にも負担を掛けまいとし、夜も昼も働きながら、神様の福音を述べ伝えてきたことを語りました。ユダヤ人たちが言うように、利己的な思いで金品を得るためではなく、ただ福音を与えるために奉仕していることを言ったのです。そして、そのようなユダヤ人たちの批判とは反対に、どれほど敬虔に、正しく、非難されるところが無いように振舞ったかを、あなたたちも知っているし、神様もそれを証して下さるのです、と言いました。そしてパウロは、自分たちが、父親が子供に対するように、あなた方一人一人に呼びかけて、神様の御心に沿って歩むように励まし、慰め、強く勧めたのだと言うのです。そして、神様はあなた方を招いて、神の御国の栄光にあずからせようとしているのだと語ったのです。パウロ達の思いは母親のようであり父親の様であるのです。パウロのテサロニケの人々に対する思いは、母親がその子供を大事に育てるように、いとおしく思い、命を与えたいと思うほどであり、父親がその子供に対するように、一人一人に呼びかけて、神様の御心に沿って歩むように励ますのです。そこには何の利己的な思いも、偽善的な思いもなくただ、神様の御国と栄光にあずかることが出来る様にとの思いだけなのです。

 パウロは、自分たちが決してユダヤ人たちが言うような、いかがわしい教師ではなく、敬虔に、正しく、非難されることの無いように振舞って、神様の福音を述べ伝えたことを語るのでした。ユダヤ人たちの誹謗中傷は激しいものだったのです。そのためにテサロニケの人々の信仰が揺らぐこともありました。ですが、パウロはその信仰がしっかりと立って行けるように、テサロニケの教会を励まし続けたのです。

パウロ達の宣教はいつも、ユダヤ人たちの激しい迫害や誹謗中傷の中で行われる苦しいものでした。その中にあって、いつも誠心誠意、ただ神様のみに仕え、喜ばれるものとして、その福音を述べ伝えました。パウロにとって、福音を述べ伝えることは、母親のように、慈しみ、父親のように、励まし慰めることなのです。ですからそこには何の利己的な思いはなかったのです。その事をパウロはテサロニケの人々に強く訴えかけ、イエス・キリストを信じるようにと述べ伝えたのです。

 

 

(一分間黙想)(お祈り)

 

天の父なる神様、パウロの宣教はただあなたの御心を伝えたいと言う純粋なものでした。何ら利益を求めず、名誉や誉れをも求めない、無垢なものでした。それでもユダヤ人たちの執拗な誹謗中傷に会いながらも、テサロニケの人々にその福音を語り続け、その福音の内に留まることを訴えました。私たちもこの福音を受け取りました。これはパウロ達の苦難と労苦の中で伝えられてきた福音です。私たちも、ただあなたの御心にかなって、喜ばれるものとなることが出来ますように。そして、あなたの御国と栄光にあずかることが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇テサロニケの信徒への手紙一)>>

◆テサロニケでのパウロの宣教

1テサ 2:1 兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。

1テサ 2:2 無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。

1テサ 2:3 わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。

1テサ 2:4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。

1テサ 2:5 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。

1テサ 2:6 また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。

1テサ 2:7 わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、

1テサ 2:8 わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。

1テサ 2:9 兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。

1テサ 2:10 あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。

1テサ 2:11 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に

1テサ 2:12 呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。