家庭礼拝 2016年7月13日フィレモン1-7フィレモンの愛と信仰 

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起 

このフィレモンへの手紙は、聖書の中ではとても変わった手紙です。まず第一に、とても短く章も付いていない手紙です。一番短い手紙なのです。次に、この手紙は教会に宛てられた手紙ではなく、全く個人的な要件で出された手紙なのです。ですから、普通パウロの手紙にあるような、自分を紹介する使徒パウロより、という言葉はなく、イエス・キリストの囚人パウロから、という言葉に変えられているのです。

先週まで学んでいた、コロサイの信徒への手紙と非常に関連のある手紙で、共通の内容の事が書かれています。それはオネシモと言う人物の事が書かれていて、この人はフィレモンのところから逃げた逃亡奴隷だと言う事です。当時は逃亡奴隷は、見つかると普通は殺されてしまいました。又は額に焼き印を押されて、逃亡奴隷であることが分かるようにされました。

このオネシモと言う人はどういう訳か、フィレモンの所から逃げ出した後、多分ローマで捕らわれの身になっていた、パウロの所にやって来て、弟子となり信仰者となって、パウロの役に立つ人になっていたと言うのです。ですが、パウロはそのままにしておくのは良くないので、フィレモンに取り成しの手紙を書いて、一度フィレモンのところに返し、そこでまた奴隷として使ってもらうのか、解放されて又パウロの所に戻るのかを願って、パウロはこの逃亡奴隷のオネシモをティキコと言う弟子と一緒に帰らすのです。これはとても、危険で勇気のいる決断でした。なぜならば、間違えば殺されてしまうのですから、オネシモは逃げ出すかもしれないし、フィレモンはパウロの執り成しにもかかわらずオネシモを殺すかもしれないからです。ですがパウロは信仰的決断により、オネシモをフィレモンのところに返すのです。この手紙は、今日ともう一回で終わる学びです。コロサイの続編として、見ておいた方がよさそうなので、続けて学びを続けました。そのコロサイとの関連をも良く理解しておきましょう。

まず、パウロの、どの手紙にもあるように、挨拶があります。1節から3節です。

フィレ 1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、

フィレ 1:2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。

フィレ 1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 この手紙は教会に宛てられたものではないので、コロサイの信徒への手紙の様に、コロサイにいる聖なるもの達へ、と言った言葉はありません。そこには個人的にあてた、「私たちの愛する協力者フィレモン」へのあて先があります。協力者とありますから、フィレモンもイエス・キリストを信じるものだったのだと考えられます。そしてその家族にもあいさつが述べられています。姉妹アフィアとはその奥さんで、戦友アルキポとはその息子と考えられています。ですから、この手紙はフィレモンとその家族に対して出された、ごく個人的な手紙なのです。ですがその挨拶の相手の最後に、並びにあなたの家にある教会へ、と言う事も書かれています。このフィレモンの家は、教会としても使われていたようです。ですから、フィレモンは愛する協力者と呼ばれ、息子は戦友アルキポと呼ばれて、教会に仕える者として、たたえているのです。そしてその人たちに、「私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。」と祝福の言葉を述べているのです。

この手紙は、逃亡奴隷のオネシモを許してもらうために書かれた、執り成しの手紙なので、いつも教会に出す時に名刺のように差し出す、使徒パウロより、と言った権威をにおわす言葉はありません。それどころか、あなたよりずっと低い所にいる、「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから」のお願いです、と腰を低くして切り出しているのです。テモテもまた、パウロと共にいつも行動を共にしている弟子として、よく知られていたのです。

この、フィレモンの家族はどこに住んでいるのでしょうか。コロサイの信徒への手紙を読んでいる時には、コロサイにいるのではないかと思われましたが、両方をよく読み合わせてみると、どうもラオディキヤにいるようです。コロサイの手紙の最後に書かれているラオディキヤから回って来る手紙とは、このフィレモンへの手紙の事のようです。ですからそこにはこのように書かれています。「ラオディキアから回って来る手紙を、あなた方も読んでください、アルキポに、『主に結ばれたものとして委ねられた務めに意を用い、それを良く果たすように』と伝えてください。」とわざわざ、息子のアルキポの名前まで出して、務めを良く果たすようにと言っているのは、フィレモンへの手紙に書かれている依頼に協力してくれるようにと言う事ではないかと思います。それを、コロサイの教会の人々もバックアップしてくださいと言う事ではないかと考えられます。

さて、パウロは低姿勢な挨拶をした後、いよいよ本題に入ります。でもいきなり本題に入るのではなく、そのお願いに入る前にまず、相手をほめます。これはパウロがいつも行っている方法です。お願いの前には、相手を褒めるか、相手に謝るかをするのがパウロの方法です。

まずパウロはこう言いました。4節と5節です。

フィレ 1:4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。

フィレ 1:5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。

パウロは、相手を褒めるのに、あなたの愛と信仰は素晴らしいものですと、直接褒めるようなことはしませんでした。それですと、褒めるものと褒められるものの上下関係が出来てしまいます。パウロの褒め方はあくまでも間接的です。それは間に神様がおり、仲間たちがいるのです。パウロは直接褒めるのではなく、祈りのたびに、あなたの事を思い起こして、いつも私の神に感謝しています、と言いました。ここでも、あなたに感謝しますではなく、私の神にあなたの事を感謝していますという言い方になります。あくまでも神様を中心にして、褒めているのです。どうして感謝しているかと言えば、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なるものたち一同に対するあなたの愛とに聞いているからです、と言いました。私たちも直接褒められるよりも、皆があなたの事をこのように褒めていますよと言われると、とてもうれしくなるものです。その褒め方に信憑性が出てくるのです。直接褒められた時には、その人の主観や思惑があるかもしれないけれども、他の人がほめていますよと言われると、それは客観的に褒められていると感じるからです。それも褒めている内容が、主イエスに対する信仰と信者たちに対する愛の業について褒めているのです。このように褒められて、その言葉から外れるわけにはいきません。このように言っているのは、これからオネシモの事をお願いするのに、信仰的思いをもって、聞いてくださいと言う事の布石になります。

そして次にはこのように言います。6節と7節です。

フィレ 1:6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。

フィレ 1:7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

 6節では、あなたの信仰の交わりが活発になるように祈っています、と言いました。それはキリストにおける愛の交わりが、私たちの所でどのようになされているかを聞いて、あなたもまた、同じように信仰による愛の交わりを活発にすることが出来るようにと祈っていると言う事です。それは、罪あるオネシモとの交わりの事を暗に語っていて、愛をもって交わってほしいと言う事を言おうとしているのです。

そして7節では、「私はあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。」と言いました。ここにはすでにフィレモンが愛を実践しているので、喜んでいることを語っているのです。聖なるもの達の心があなたのおかげで元気づけられたからです、と言っているのも、オネシモやこちらにいる信仰の仲間たちも、あなたが愛のある方であることを聞いて、これならばきっと許してもらえるに違いない、和解できるに違いないと喜んでいることを言っているのです。

ですがこれらの事はまだフィレモンには、何のことかわかりません。まだパウロは本題を語っていないのです。ですが、語る前から、フィレモンの信仰と愛をほめたたえて、つぎの話を切り出しやすくしているのです。それは決して策を練っているのではなく、信仰によって、主と一つになることによって、きっと和解が成立するに違いないと信じて語っているのです。

 パウロは、オネシモの許しを願う前に、フィレモンの信仰に訴えかけました。フィレモンの愛と信仰が活発になって、オネシモの事を聞き、許すことが出来るようにと訴えかけました。パウロが相手を説得するのは、相手に直接語りかけるのではなく、そこに介在する信仰に語り掛けているのです。そして、信仰が自分で一番良い事を決定することが出来るようにと願っているのです。私たちも、自分の願いがかなえられるようにと祈る時、直接働きかけるよりも、神様の働きを願い、信仰の働きを願って、祈ることの方が良い結果が得られるのかもしれません。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。今日はフィレモンへの手紙を読むことが出来感謝です。パウロが如何に神様に信頼し、神様に祈りつつ行っているのかが教えられました。きっと、オネシモも、その神様の働きに委ねて、普通ならば危険と思われる、フィレモンの所に戻ると言う決断をしたのだと思います。フィレモンもまた、最終的にそのような信仰的な決断をしました。私達は信仰に生きるものです。どんなことにもあなたがそこに働いてくださることを祈り願ってすることが出来ますように。あなたの御心がなりますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇フィレモンへの手紙)>>

◆挨拶

フィレ 1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、

フィレ 1:2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。

フィレ 1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

◆フィレモンの愛と信仰

フィレ 1:4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。

フィレ 1:5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。

フィレ 1:6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。

フィレ 1:7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。