家庭礼拝 2016年6月8日コロサイ1章24‐2章5節 パウロに与えられた務め

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今日の聖書の箇所は、「パウロに与えられた務め」と言う小見出しのもとで、1章24節から2章5節に渡っています。この箇所は、その前の23節の言葉を受けて、パウロがどのように神様に仕えているか、と言う事を語っています。23節では、「揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなた方が聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中いたるところに人々に述べ伝えられており、私パウロは、それに仕える者とされました。」パウロはここで、私はその福音に仕える者となりましたと言っています。そして、今日の箇所では、パウロが神様にどのように仕えているのか、どのような勤めを持っているのかを、熱心に語り出すのです。

パウロにとって、コロサイの人々は、まだ、顔を合わせていない未知の教会の人々でした。ですが、そのような教会のために、パウロがどんなに労苦しているのかを分かってほしいと訴えているのです。この短い箇所に、パウロは、あなた方のために苦しむとか、私は労苦しているとか、どれほど労苦していて闘っているか、とか、パウロにしては、自分が苦労している姿を3度も訴えて、コロサイの人々に理解を求めているのです。それは、コロサイの人々が、グノーシス主義者の巧みな議論に騙されないように、そして、キリストに対する固い信仰を持つようにと訴えて、正しい信仰に留まるように切々と訴えているのです。コロサイの人々は、いま気持ちが揺らいでいるのです。グノーシスの方が分かりやすくて正しいのではないかと思い始めているのです。パウロはそこに危機感を感じて訴えているのです。ですから何度も揺るぐことなく信仰に踏みとどまりなさい、と語り続け、そのために自分がどんなに労苦しているかを語るのです。

今日の聖書の中では、パウロはどのような姿勢で、コロサイの人々に対しているのかを語りました。24節です。

コロ 1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています

パウロは、コロサイの人々のために苦しむことを喜びとしていると言いました。苦労を苦労と思わず、それを厭うことなく喜んであなたたちに仕えたいと思っていると言うのです。あの人たちのために苦しむなら喜んで苦しもうと言う姿勢です。ですがこの事の背後にあるのは、それをキリストは望んでおられるのであるから、キリストのために喜んで苦しもうと言う事なのです。コロサイの人々のために苦しむことは、イエス・キリストのために苦しむことでありその事はパウロにとって、この上ない喜びなのです。なぜならば、教会はキリストの身体であり、そのキリストの体の苦しみを今自分が担うことが出来ると言う事がパウロにとっては、大きな喜びなのです。

どうしてパウロは、教会のためにそんなに苦しみを受け入れることが出来るのか、と言う事を25節でこう語りました。

コロ 1:25 神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。

このように、それは神様が、パウロにその勤めを与えられたからだと言うのです。その務めとは、あなた方に御言葉を余すところなく伝えると言う務めであり、そのためにパウロは教会に仕える者となったと言う事なのです。神様がこのようにパウロに直接その務めを与えたのだから、そのために苦しむことなど、厭う訳がなく、むしろ喜びだと言う事なのです。パウロはこのように、神様から教会に仕える務めを与えられました。それが使命というものです。私たちの使命は何でしょうか、神様は私達に、何に仕えるようにと言っているのでしょうか。それを知ることが私たちの使命を知ることであり、生きる目的を知ることでもあります。

パウロは、自分が教会に仕える務めがなんであるかを具体的に語りました。26節と27節です。

コロ 1:26 世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。

コロ 1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。

そのパウロの務めとはキリストの福音を伝えることです。実は、神様には、世の初めから代々に渡って隠されていた、秘められた計画があったのです。その計画は隠されていて、誰も知ることがなかったのです。その計画が、今、神の聖なるもの達、すなわちクリスチャンの人々に明らかにされたのです。それが福音です。そのキリストの福音は、ユダヤ人だけでなく、イエス・キリストを信じるすべての人に与えられる福音です。それは、神様とイエス様を信じる者はすべて救われると言う計画だったのです。それが隠された救いの計画であり、今、明らかにされた救いの計画なのです。ですからこの秘められた救いの計画が、異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神様は知らせようとされたのです。パウロはその計画とは、あなた方の内におられるキリストであると言いました。それは、イエス様を信じて、心に迎い入れる人々には、その救いの計画が成就すると言う事であり、栄光の希望であると言う事なのです。一方グノーシスの教えは、この宇宙には隠された秘密があり、それはごく一部の人しか知りえないと言う考えであり、キリスト教のようにすべての人にその秘密が啓示されているものとは異なるのです。

パウロは、自分たちが何のために労苦して戦っているのかを語りました。それはこのキリストのためです。救いの源となったキリストを伝えるためなのです。28節29節です。

コロ 1:28 このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。

コロ 1:29 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています。

 パウロ達の働きは、秘められた計画であった救いの計画が、イエス・キリストによって明らかにされ、誰でも信じ受け入れることによって救われると言う事を述べ伝えることだと言うのです。ですから、すべての人がキリストに結ばれて完全なものとなるように、知恵をつくして、すべての人に教えていると言うのです。パウロは、このために自分は労苦しているのだと言います。それは自分の力で戦っているのではなく、自分の内に力強く働いている、キリストの力によって戦っているのだと言うのです。私たちがキリストの働きを求めるならば、キリストは私たちの内に働いて、キリストの力によって戦うことが出来るのです。その働きは、イエス・キリストの働きとなって、自分の思いを超えた、大きな働きとなっていくのです。どうか私たちもキリストの力によって戦っていけるようにと願おうではありませんか。自分の力で出来ないことも、きっと出来るようになるでしょう。それは自分の思いで決めることなく、主に委ねて従う事から起こるでしょう。

パウロは、自分がまだあなたたちと会ったこともないけれどもあなたたちのためにどんなに労苦しているか分かってほしいと訴えました。これはパウロにしては珍しい事です。2章1節です。

コロ 2:1 わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。

ここで突然ラオディキアと言う町の名前が出てきますが、これはコロサイの近くにある大きな町です。この地方の政治的中心地です。そしてヒエラポリスと言う大きな町、これは商業の中心地ですが、これと合わせてこの三つの町をひとくくりでパウロはその地方の人々の事を考えているのです。その中ではコロサイは一番小さな町なのです。ですから、パウロはあなた方とラオディキアにいる人々のために、とこの地方の人々をまとめて言っているのです。そしてパウロは、この地方のまだ直接顔を合わせたことの無いすべての人のために、自分がどれほど労苦して戦っているか、分かってほしい、と訴えました。パウロがそんなにも、見知らぬ人々のために労苦し、戦っている理由を2章2節でこのように語っています。

コロ 2:2 それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。

と言う事なのです。コリントでは、いろいろ教会を惑わす話が出てきて、自信を失い、迷いそうになっている人々がいました。このような時、パウロが見知らぬ人々のために頑張っているのは、その人々の心を励まし、愛によって強く結ばれ、理解力を豊かに与えられて、神様の計画であるイエス・キリストの救いを悟ることが出来るようになるためだと言っているのです。

そして、2章の3節4節でこう語りました。

コロ 2:3 知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。

コロ 2:4 わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。

パウロは知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れていますと言いました。それは正しい知恵と知識は皆、キリストの内にあると言う事です。それは、他の考え方やグノーシス主義の中にあるのではないと言う事なのです。グノーシスと言う意味はもともと知識と言う意味です。グノーシスの人々はもっともらしい知識で、キリスト教信仰者を論破し、その信仰に疑問を抱かせる様にしていたのです。だからパウロは知恵と知識の宝は、全てキリストの内にあると言ったのです。そして、あなた方が、グノーシスの巧みな議論に惑わされないようにとくぎを刺しているのです。

このコリントの信徒への手紙はこのように、異端思想、グノーシス主義との戦いの手紙なのです。初め教えられた信仰だけでは物足りないと思ったり、キリストの救いそのものがまだ信じられないような人々を誘惑する、非常に知的で、新しい考え方の信仰に惑わされてしまう人々を何とか救いたいと思って、パウロは必死になってこの手紙を書いているのです。

そして25節でこう言いました。

コロ 2:5 わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。

パウロは、「私は体で離れていても、霊ではあなた方と共に居る」と言っています。霊ではあなた方と共に居る、というのはどのような状態なのでしょうか。私たちの霊が飛んで行ってその人々と一緒になっていると言うのでしょうか。そうではないと思います。これはその人々のために真剣に祈っている状態なのではないかと思います。そして祈りの中で、霊的に一体化している状態なのではないでしょうか。

 このように、パウロはまだ見ぬコリントの信徒のために自分がどれだけ心配し労苦し、戦っているかを語りました。コリント人々が、初めに語られた信仰から離れて、グノーシスの巧みな議論によって惑わされ、その信仰から離れていきそうな感じだったからです。パウロは、何度も固く信仰に留まりなさい、と訴えます。グノーシスが求めるのは議論です。ですがパウロが求めるのは信仰に留まりなさい、と言う事です。信仰と言うのはどこかつかみどころがなく、何かもっとしっかりした根拠が欲しいと思うことはよくあることです。そのためにユダヤ人たちは律法を沢山作ってそれを守ることに安心を求め、コリントの人たちは、キリスト教の信仰よりも、もっと斬新で、論理的で、説得力のあるグノーシスにひかれてしまったのです。ですが信仰はただ信じなさい、イエスキリストを信じなさいなのです。この事に固くたって信仰を守りなさいとパウロは訴え続け祈り続けていたのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、私たちはただ信じると言う事が何かしら不安になってしまうものです。ですが信仰は、ただイエスキリストを信じることです。この事に徹することによって私達はその秘められた計画であった、救いにあずかることが出来ます。どうか私たちも迷うことなく、その信仰の上に固く立ち、その救いの業にあずかることが出来ますように。いや、すでに救われていることを固く信じて歩むことが出来ますように導いてください。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇コロサイの信徒への手紙)>>

◆パウロに与えられた務め

コロ 1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。

コロ 1:25 神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。

コロ 1:26 世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。

コロ 1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。

コロ 1:28 このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。

コロ 1:29 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています。

コロ 2:1 わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。

コロ 2:2 それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。

コロ 2:3 知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。

コロ 2:4 わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。

コロ 2:5 わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。