家庭礼拝 2016年6月1日コロサイ1章9‐23節 御子キリストによる創造と和解
賛美歌515 きみのたまものと聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌518主にありてぞ
起
今日の聖書の箇所は、教理的な理解の必要なところで、なかなか難しい所です。なぜパウロはこんな難しい話をコロサイの人々に話をしているかと言えば、コロサイの教会にグノーシス主義と呼ばれる異端的教えが広まりだしていたので、それに対抗するための理論武装が必要だったのです。
グノーシス主義の考えはどちらかと言うとキリスト教の「ただ信じなさい」と言うだけの信仰では物足りない人たちがいろいろ、知的に哲学的に理屈を考えて、さも深遠な思想があるように装っていたので、あまり知識の無い人々はそれに惑わされていたのです。
信仰は何よりも神様を信じ神様に委ねることです。この単純な信じることと言うのが案外難しいのです。ユダヤ教の律法学者たちも、この単に信じることと言うのが何か心もとなく感じて、いろいろな律法を考えてこれらを守ることが信じることなのだと言って、信じることよりも律法を守ることにそれていったのです。そしてそれを守れない人は信仰の弱い罪人だと言って非難しました。
今度はキリスト教で、似たようなことが起こってきたのです。しかもグノーシス主義では、善は霊的なものであり、悪は物質であると言う考えがありました。即ちこの世の目に見える世界はすべて悪でありそれを作った神様も悪だと言うことになるのです。それなら善なる神様はどこにいるかと言うと、この物質的な世界からずっと離れたところにいて、そこからだんだんに汚れた物質の世界に近づく神様を作っていって、最後に物質を作り出した、すなわち創造の神様を作り出し、この世が出来たと言うのです。イエス様もその一人だと言うのです。ですからこの物質の世界を作った者も作られたものも悪に染まったものとして、本当の神様に敵対しているのだと教えていたのです。
これはとても危険な教えでした。ですが、知的興味のある人々には魅力的な教えだったのです。ですから、パウロはこの教えにきちんとした論理でもって、論破しようとしているのです。ですからここの話はとても難しくなります。私達にもその覚悟がないとなかなか理解できないのです。ですが、当時はこの話を理解できないと、自分たちの信仰は失われてしまうと言うほどの危機感を持ってパウロの言葉を聞いていたのです。
承
パウロは何時もコロサイの人々のために祈り、感謝していました。それはこの1章の3節でも語っており、ここの9節でも語っているのです。ではその9節です。
コロ 1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、
コロ 1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
この事を聞いた時からとは、何を聞いた時からでしょうか。それは3節4節にあるように、「あなた方がキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、全ての聖なるもの達に対して懐いている愛について、聞いたからです」と言う事を指しているのです。コロサイの人々の、イエス・キリストにおける信仰と信仰者に対する愛を聞いて、パウロはいつも祈りいつも神に感謝していたのです。その事をまたここの9節でもう一度言っています。ここでは、「私たちは、絶えずあなた方のために祈り、願っています。」と語っています。信仰者にとって、その人のために誰かが真剣に神様に祈ってもらえていると言うのは本当に心強いものです。その事のためにパウロは祈り、願っていたのです。パウロは何を願っていたのでしょうか。それは神様の御心を十分に悟ることです。それは単に頭だけで知ることではなくて、「霊によるあらゆる知恵と理解によって」神様の御心を知ることなのです。知恵だけでもダメであり理解だけでもダメなのです。それには霊によって知ることが必要なのです。とにかく信仰者にとって、神様の御心を知ることが一番大切なのです。信仰者の祈りとは神様の御心を知ることなのです。それなのに、神様の御心はそっちのけで自分の思いだけを祈っているとすれば、それは神様に聞いてもらえる祈りとはならないでしょう。そして、神様の御心を知るようになれば、自然と神様に喜ばれるように、神様に従うものとなり、あらゆる善い業を行うようになるのです。そうするとますます喜びが満ち溢れて、感謝をささげ、神様をますます深く知るようになるのです。パウロはコロサイの人々がそのようになるようにと願ったのです。
そして、パウロの願いはまだ続きます。11節と12節です。
コロ 1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、
コロ 1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。
コリントの人々は色々な誘惑や困難に直面していました。そこで必要とされることをパウロはこのように行ったのです。それは戦う事でもなく、逃げることでもなく、「どんなことにも根気強く耐え忍ぶように。」パウロは忍耐することを勧めたのです。それは自分の力だけではできることではありません。神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められることが必要なのです。そしてその助けを借りながら、根気強く耐え忍ぶようにと教えられたのです。そして、喜びをもって、神様に感謝するようにと言いました。それは、光の中にある聖なるもの達の相続分にあなた方が与れるようにして下さったからだと言うのです。私たち信仰者は光の中に移されているのです。もう闇の中で迷うのではなく光の中で、神様をしっかりと見つめて生きることが出来るのです。これが信仰者の相続分なのです。その様な相続を与えられているのだから、神様に感謝するようにと言っているのです。
そして光の中にいることの意味をこのように説明しました。13節と14節です。
コロ 1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
コロ 1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
私達が光の中にいると言うのは、神様が私たちを闇の力から救い出して、その愛するイエス様の支配下に移してくださったと言う事なのです。これからは闇の力に動かされるのではなく、イエス様の恵みによって導かれる生活となると言う事です。そして、私たちはこのイエス様によって、贖われたのです。すなわち罪の許しを得たのです。闇の力から、抜け出すことが出来たのです。
転
パウロはここで、一つの独立した文章を語り出しました。それは15節から20節です。この文章はこれだけで完結している文章です。それはイエス様の神様との関係を示し、イエス様の人間との関係を現す、大切な言葉です。これは当時、原始キリスト教の式文として用いられたのではないかと言われています。私たちが主の祈りや信仰告白を礼拝の式文として、唱和するように、当時の人たちはこの言葉を共に語って主の信仰を現していたと考えられます。それでは15節から20節を読みます。
コロ 1:15 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
コロ 1:16 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
コロ 1:17 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。
コロ 1:18 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
コロ 1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
コロ 1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
この文章は、私たちが、救われて、神様の愛する御子の支配下に置かれた、という言葉を受け継いで、それではその御子とはどんな方かを現すために用いています。イエス様の事を言い表すのに、パウロ自身の言葉で語っても良かったでしょう。でもそれはあえてせず、皆のよく知っている式文を用いて、そのイエス・キリストの信仰に立つようにと勧めているのです。
この文章は、大きく二つに分かれています。前半は15節から17節です。そこでは、イエス様は神様であり、天地を創造された神様である、と言う事が語られています。これはグノーシス主義者の言う、イエス様は天使の一人にすぎないと言う事に反論するために用いられているのです。
そして後半は、18節から20節で、イエス様は、私たちを神様と和解させてくださった救い主であることが語られています。そして教会の頭であることも語っています。
私達の信仰告白が、そのキリスト教の長い歴史の中で、異端と戦うために、最も根本的な信仰を教えそこに立ち返るために用いられたように、今パウロはこのグノーシス主義と言う異端と戦うために、立ち返るべき教えを、この式文に託したのです。この言葉に戻りなさいと言っているのです。
では前半部分を学んでみましょう。15節です。
コロ 1:15 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
ここで、御子は、見えない神の姿であると言いました。神様は見ることが出来ないのです。霊的なものです。ですが、イエス様は見える方なのです。その神様と同じ霊的なものが肉体を持って現れたのがイエス様なのです。そして、イエス様は、人間としてのイエス様の誕生日に生まれたのではなくて、宇宙に何もまだ作られていない、一番最初に生まれてきた方であると言うのです。そして、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたと言うのです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られましたと言う事なのです。この式文は、この事を繰り返し語っているのです。イエス・キリストこそはすべてのものに先立っておられた方であると、17節でもこのように言っています。
コロ 1:17 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。すなわち、天地を創造されたのは、神の御子イエス・キリストであると言う事です。
そして後半に移ります。ここではイエス様がこの世にあって、私たちとどのような関係にあるかを語っています。まず語られるのは、イエス様が、教会の頭であることです。18節です。
コロ 1:18 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
イエス様が教会の頭であることと一緒に言われたのは、死者の中から復活した最初のものであると言う事です。不思議に思わないでしょうか。イエス様はラザロや会堂司の娘などの様に何人かの人を死者の中から生き返らせました。旧約聖書の中でも、このような死人の中からの蘇りの記事が出ています。イエス様が十字架で死にそして復活したのはその後ですから、どうして死者の中から復活した最初のものとなるのでしょうか。これはイエス様の復活はそれまでの復活やよみがえりと言われたものとは次元が違うと言う事です。それまでの蘇りは、そのあとまた普通の人と同じように死んでしまうのです。ところがイエス様の蘇りは、もう死ぬことの無い蘇りであり永遠の命なのです。このような復活の最初のものとしてイエス様が現れ、そのあと救われて復活するものとして私たちも続くことが出来ると言う事です。私達にも永遠の命が与えられるのです。
イエス様はその十字架の死によって、天にある者も地にあるものも生物も無生物もすべて神様と和解させられたのです。それは19節と20節にこう書かれています。
コロ 1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
コロ 1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
物質までも和解したと言うのはどういう事でしょうか。これは、グノーシス主義者たちの言っていることに反論しているのです。グノーシス主義者たちは物質は悪だと言っています。無生物も私たちの身体もすべて物質的なものは悪だと言い、本当の神様はそのようなものに直接触れることはないと言っているのです。ですがここで言われていることは、イエス様は、その十字架の死によって、私たちの魂だけでなく、その体も、この世にある物質もすべて神様と和解させ、善なるものとしてくださったと言う事なのです。イエス様の十字架の血によって、この世に平和が打ち立てられ、全てのものが神様と和解させられたと言うのです。イエス様は、神様のものを全てそのうちに満たされた方だからです。
このように、当時の信仰告白となるこの式文は、グノーシス主義に揺らぐことが無いように、イエス・キリストは創造主なる神様であり、すべての物質的なものをも含めて神様と和解させられ、十字架の死によって、この世に平和を打ち立てられたのだとパウロは言ったのです。
そしてまた、この式文の言葉を受けて21節からパウロは自分の言葉で、コロサイの人々に語り出しました。21節から23節です。
コロ 1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
コロ 1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。
コロ 1:23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。
パウロはこう言うのです。「あなた方は確かに以前はグノーシス主義者が言っている様に、神から離れ、悪い行いによって心の中で神様に敵対していました。しかし今はもう違うのです。グノーシス主義者たちは、いまもあなたたちは悪いものだと言って不安にさせていますが、あなたたちはイエス様の死によって、神様が和解してくださったのだから、御前に、傷の無いものとがめるところの無いものとしてくださったのです。」と、既に清くされていることを言ったのです。これがグノーシス主義者と全く違う事なのです。
パウロは、だから、ただ揺るぐことなくこの信仰に踏みとどまって、あなた方が聞いた福音の希望から離れてはいけませんと、パウロが一番語りたかったことを伝えたのです。あなたたちの信仰は正しいものです。そこから離れてはいけません。この福音は世界中いたるところの人々に述べ伝えられているのです。私パウロはそれに仕える者として、このように言っているのです、とコロサイの人々の信仰を励まし、強める言葉を語ったのでした。
結
パウロは、キリスト教信仰が、当時異端としてその教えが広まっていたグノーシス主義の考え方とどのように違うのかを話して、あなたたちが聞いたその正しい信仰の上に留まりなさい。忍耐してとどまりなさい。そして希望と喜びをもって主に従いなさいと教えていったのです。キリスト教は、その歴史の中で、いろいろな考え方と戦いながら、その信仰をしっかりと固め強めていったのです。ですから私たちは、たとえ自分では反論できないような教えにぶつかったとしても、先人たちのすばらしい教えのもとで、しっかりと信仰に立って歩んでいくことが出来るのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私達はイエス様がどのような方であり、私たちがイエス様によって救われて、清いものとされ平和なものとされていることを教えられ、感謝です。この世のものは全て清められました。すべて神様と和解しました。すべてのものが神様によって良しとされたのです。私達は罪あるものですが、それさえもイエス様の十字架の死によって、浄められました。どうかこの事を心に刻み、いつも御心に感謝しつつ、この世においても後の世においても歩んでいくことが出来ますように。すべて救われたものが、兄弟姉妹として平和に過ごしていくことが出来ますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇コロサイの信徒への手紙)>>
◆御子キリストによる創造と和解
コロ 1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、
コロ 1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
コロ 1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、
コロ 1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。
コロ 1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
コロ 1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
コロ 1:15 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
コロ 1:16 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
コロ 1:17 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。
コロ 1:18 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
コロ 1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
コロ 1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
コロ 1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
コロ 1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。
コロ 1:23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。