家庭礼拝 2016年5月18日フィリピ4章10‐23節 贈り物への感謝

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起 

今日でいよいよ、フィリピの信徒への手紙の最終回です。この手紙のもともとの目的は、フィリピの教会から獄中のパウロを援助するために遣わされた、エパフロディトが病気になったために、フィリピの教会に送り返すための挨拶が目的でした。ついでにテモテもそちらに訪問するからと挨拶を送っているのです。パウロはこの用件だけではなく、信仰上の大切な事を語り、また、フィリピ教会が直面している様々な問題についても、どのようにしたらよいのかを信仰的に語りました。

そして、いよいよ最後になった時、またフィリピの教会からの贈り物について感謝をささげたのです。それはフィリピの教会から遣わされた、エパフロディトが持ってきたものです。それがどんなものであるかは分かりませんが、パウロは丁寧にその感謝とお礼を言っているのです。パウロにとってうれしかったのは、その贈り物が有り難かった言うよりも、フィリピの教会の人々が、パウロの事を思ってそのような贈り物を捧げてくれたことがうれしかったのです。その贈り物の事をパウロは、「それは香ばしい香りであり、神が喜んでくださる生贄です。」と語っています。ここにはパウロが何に喜び、何に満足しているかが良く書かれています。この喜びと満足は、私たちがこの世に生きていて、いつも求めているものですが、それはパウロの喜びや満足と同じものでしょうか。それをここの聖書の箇所から学んでみましょう。

パウロはこの手紙の締めくくりを、さて、という言葉でフィリピ教会の心遣いについて語り始めました。10節です。

フィリ 4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。

これは、フィリピの教会が、エパフロディトをパウロの援助に遣わし、また、贈り物を持たせて、パウロの助けにしようとしたことが書かれています。パウロは実は、教会からは何も受け取らないと言う事が原則でした。と言うのも、当時教師と言う名目で、教会から教会を渡り歩いて、金銭や贈り物を無心する、偽教師がたくさんいたのです。ですからそのような人たちと一緒にされないように、そして、言うべきことはしっかりいえるように、何も受け取らなかったのです。そのことがコリント教会などでは一つの不満になっていたようです。パウロはむしろ対立した意見を言うとき、私はあなたたちの教会からは何も受け取ったことはないと、はっきり言っているのです。その時も、フィリピ教会からだけはわずかな支援を受けていることを言いました。フィリピ教会は、パウロが安心して、品物を受け取っても、誤解の少ない教会だったのです。そういった意味で、パウロとフィリピの教会には信頼関係があったのです。

この10節で、パウロは、「あなた方が私への心遣いを、ついにまた現してくれたことを、私は主において非常に喜びました。」と言いました。他の教会から受け取ることは頑として受け付けなかったのですが、フィリピの教会の心遣いは、非常に喜んでいるのです。その喜びは自分の喜びではなく、主においての喜びだったのです。多分この贈り物は久しぶりの贈り物だったようで、フィリピの教会にその思いがあっても、それを現す機会がなかったのでしょうと、思いやっているのです。

パウロは、その様に喜ぶと、フィリピの教会の人々は、もっと贈り物をしなくてはと思ってしまうのではないかと思って、そうではありませんと、その喜びの意味を語り出したのです。11節から13節です。

フィリ 4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

フィリ 4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

フィリ 4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。

パウロは、まずその喜んだ理由が、物欲しさにこう言っているのではありませんと、誤解の無いように釘を刺しています。なぜならば、パウロは自分の置かれた境遇に満足することを覚えたと言っているのです。それはいかなる境遇にあっても満足することが出来るのです。すなわち不満というものがないのです。貧しくても、豊かでも、満腹していても空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、その様な事には捉われることなく、その時その時の状況の中で満足することが出来るのだ、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっているのだ、というのです。この獄中の中にあってもパウロは満足しているのです。その理由は13節にあるように、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」と言っているのです。神様のおかげで、どのような状況の中でも満足することが出来るのだと言っているのです。

哲学的に、このような考えを持つギリシャの哲学学派の人々がいました。それはストア派と呼ばれる学派です。この人々は、欲望を断ち切ればごくわずかなもので満足できるとして、その欲望を自分の力で押さえつけて、どんなに貧しい中でも満足できる術を身につけました。ですが、それはある意味我慢していることで、パウロの満足とは違うのです。パウロは我慢するのではなく、神様に命を与えられていることに感謝し、満足しているのです。貧しさの中にも神様の意志と恵みを感じ取って満足しているのです。ですから、そこには喜びがあるのです。ストア派の満足にはその喜びが欠けているのです。今ではストイックと言う言葉の中に、その禁欲的な意味が残っています。

さて、パウロはまたフィリピの人々の話に戻ります。14節から16節です。

フィリ 4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。

フィリ 4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。

フィリ 4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。

 パウロは、フィリピの教会の人々がいつも支援してくれていたことを感謝してこう言いました。14節で、それにしても、あなた方は良く私と苦しみを共にしてくれました、と言いました。フィリピの教会にとっても、パウロを支援することは大変だったのです。パウロが苦しい中で、フィリピの人々も共に苦しんでパウロを助けたのです。そして、パウロは誇らしげに、フィリピの人々をたたえるのです。パウロの福音宣教の初めのころマケドニア州を出た時、贈り物の支援をした教会は、フィリピの教会しかなかったと言っています。他の教会の人々が謝礼的な意味合いで、金銭的な贈り物をしようとしたことはあるのです。ですがパウロはそれを受け取らなかったのです。ですがフィリピの教会の人々の贈り物は受け取りました。それは謝礼ではなく、パウロに対する愛と、神様に対する感謝によって贈り物をしていたからです。パウロがテサロニケにいた時にも、パウロの窮乏を救おうとして何度も物を送ってくれたとも言っています。パウロとフィリピの教会の人々は主によって結ばれた、信頼関係の中にあって、一つになっていたのです。

そしてまた、このようにフィリピの教会の人々の贈り物を喜び感謝するのは、決してまた贈り物を欲しいと思うからではないことを誤解の無いように釘をさすのです。17節と18節です。

フィリ 4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。

フィリ 4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。

 パウロが贈り物を喜んでいるのは、その贈り物がパウロに物質的な喜びを与えているからではないのです。パウロにとってその物質的なものはあってもなくてもいいのです。それよりもフィリピの教会の人々が、神様の働きを助けようとしていることを喜んでいるのです。それをパウロは、「むしろ、あなた方の益となる豊かな実を望んでいるのです。」と言いました。そしてパウロは既にあらゆるものを受けており、豊かになっています、と言いました。これは神様によって与えられたもので十分満足し豊かであると言う事です。そして、フィリピの教会の贈り物に対しては、「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」と言いました。パウロは既にフィリピから遣わされたエパフロデイトから受け取ったもので十分に満ち足りていると言いました。それはパウロにとって、香ばしい香りであり、神様が喜んで受け取って下さる捧げものとして、パウロはその贈り物を喜んでいるのです。自分が贈り物を喜ぶよりもフィリピの教会の人々の善い行いが神様から喜んでいただいていると言う事を、パウロは喜んでいるのです。

そしてパウロは最後に、フィリピの教会の人々を祝福するのです。19節と20節です。

フィリ 4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

フィリ 4:20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 パウロにこのように良くしてくれた、フィリピの教会の人々は、神様によって、イエス様によって、必要なものをすべて満たされるだろう、と祝福しています。そしてその喜びが極まって、神様を賛美します。「わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

この様にパウロはフィリピの人々に感謝と喜びを伝え、そして祝福したのです。パウロは目が悪かったので、ほとんどの手紙はパウロが語り、誰かに書き留めてもらいました。多分ここではテモテがこれを書いたのだと思います。そして最後に署名の様に、パウロは目の良く見えない状態で、大きな字で、直筆で最後の挨拶を書くのがいつもの事でした。それが、21節から23節の結びの言葉です。そこにはこう書かれています。

フィリ 4:21 キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。

フィリ 4:22 すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。

フィリ 4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

パウロは信仰の仲間たちによろしくと伝えました。そしてこちらにいるパウロの信仰の兄弟達もあなた方によろしくと言っていますよと書きました。そしてその次にちょっと分かりにくい言葉が出てきます。それは、「皇帝の家の人たちからよろしく」とあるのです。これは皇帝の親族と言う事ではなく、皇帝に仕える人々、すなわち今でいうと公務員に相当する人々ではないかと言う説と、皇帝の近くで、働いていた人々が、その後いろいろなところに散らばって働いている仲間たちの事を言うのではないかと言う説があります。いずれにしても、皇帝の近くにもクリスチャンが浸透していて、そのような人々ともパウロは交流があったと言う事になります。パウロを監視する役のローマ兵たちで、パウロと親しくなった人々もその中に含まれていたのではないかと思います。

そしてパウロは、最後の23節で、祝祷を語ります。主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、という言葉です。私たちが良く聞く言葉は、あなた方一同と共にあるようにと言う言葉ですが、ここではあなた方の霊と共にあるようにと言っています。私たちに与えられるキリストの恵みは、私たちの霊のあるところに与えられるのです。これは一度思いめぐらす必要のある大切な言葉ではないでしょうか。

 さて、これでフィリピの信徒への手紙が終わりました。パウロとフィリピの教会の強い絆を感じる手紙です。そして、喜びの書とも呼ばれるように、どのような状況下でも満足し喜ぶことが出来ることをパウロは私たちに教えています。もしも私たちが何かに不満を感じたとしたならば、私たちに与えられている神様の恵みを思い起こして喜びましょう、そして満足し、感謝と賛美を捧げましょう。与えられているものが足りないものよりもずっと多い事を思いましょう。私たちが神様に生かされて喜んでいるならば、すべての人はきっと不思議に思い、私もそうなりたいと思うでしょう。私たちはそのためにこの世に遣わされ生かされているのかもしれません。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様。フィリピの信徒への手紙を最後まで学ぶことができ、感謝いたします。私たちはすぐに不満を持つ、愚かなものです。旧約聖書のユダヤ人の過ちも、神様の恵みを忘れて、不満をもって自分たちの考えや力に頼って、大きな罪を犯してしまったことです。もし私たちが、あなたの恵みを正しく受け取り理解するならば、私たちはいつも喜んでいることでしょう。神様どうか私たちの思いをあなたへの感謝へと導いてください。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇フィリピの信徒への手紙)>>

 

◆贈り物への感謝

フィリ 4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。

フィリ 4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

フィリ 4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

フィリ 4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。

フィリ 4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。

フィリ 4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。

フィリ 4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。

フィリ 4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。

フィリ 4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。

フィリ 4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

フィリ 4:20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

◆結びの言葉

フィリ 4:21 キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。

フィリ 4:22 すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。

フィリ 4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。