家庭礼拝 2016年4月27日フィリピ4章2‐9節 勧めの言葉

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起 

パウロにとって、フィリピの教会は一番親しみのある教会であり、模範となる教会として誇っている教会のはずでしたが、そこにはいろいろな問題もありました。その中でもキリストに敵対する勢力があって、間違った教えを良しとするような人々がいたことです。この人々は自分たちが救われたものとして、この世の楽しみを味わおうとするような考え方の人々でした。パウロは彼らの行きつくところは滅びであると言いました。

この様に明らかに、キリストに敵対する勢力とは別の心配事がパウロにはありました。それはキリストに忠実な僕同志なのに、互いに仲たがいして、教会を分裂させてしまいかねない問題でした。それは、エボディアと言う女性とシンティケと言う女性の確執でした。この二人がどのような女性たちであり、どのような問題で争っていたのかはわかりません。ですがパウロにとっては、二人とも福音のために共に戦ってくれた同志なのです。だからパウロが願うのは二人が和解しえくれることです。それでフィリピの教会の人々にもどうかこの二人を支えてくれるようにとお願いしているのです。

パウロにとっても、フィリピの教会の人々にとっても一番の心配事は教会が分裂してしまうことです。明らかな外敵の場合には、皆一つになるのでそれほど心配はしていません。神の手に委ねて戦えばいいのです。ですが、同じ信仰を持つ仲間の分裂は、教会にとってとても大きな痛手なのです。その場合どちらかに加担すると言うのではなく、両方にとって良い解決を願うのが信仰者の在り様です。

フィリピの教会の人々は、この事で心を悩まし心配していました。どうしたらよいのかをパウロに教えて欲しかったのだと思います。そこでパウロはとても素晴らしい解決方法を教えてくれました。これは今の私たちにとっても、信仰者が何か問題に突き当たり、心配したり恐れた時にどのようにするのが信仰者なのかを教えてくれます。私自身も、人生の中で悩みにある時ここのパウロの言葉にどれだけ励まされ、慰められたかもわかりません。そしてこれからもきっとそうなのだと思います。ここの言葉に励まされる時、神様は本当に生きておられるとの実感に満たされるのです。

さて、本文に入りましょう。2節と3節です。

フィリ 4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。

フィリ 4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

 ここで初めて、その争いの当事者のエボディアとシンティケについて語りだします。この二人は女性なのだそうですが、教会の中である指導的な立場をもって争っていたようです。今の教会でもそうですが、教会は昔から女性がその働きの大きな部分を担って、指導的な働きをしていたのです。どちらも主のために、福音のためにとやっていることなのですが、その方法などの意見が異なって争ってしまったようです。このような事は今の教会でもいくらでもあることなのではないでしょうか。ただそのことが教会を分裂にまで導くとなると、大問題なのです。パウロはこの二人に対して、主において同じ思いを懐きなさい、とだけ言いました。争ってはいけないとか、具体的な問題の解決策を言うのではなく主と同じ思いを懐きなさいと言っているのです。そうすれば、おのずと二人の思いは同じ思いとなり一つ思いになるだろうと言っているのです。実はこの提言はその前の一節の言葉、「主によって、しっかりと立ちなさい。」と言う言葉を受けている言葉なのです。

私達が問題や困難に突き当たるとその問題の小さな出来事や利害損得にだけ気を取られて、主によってしっかりと立ちなさい、と言う事を忘れてしまうのです。問題解決の方法はその小さな出来事の中にあるのではなく、まず主においてしっかりと立つことの中で、解決方法が与えられるのです。ましてや同じ信仰者同志の争いならば、その争いの現実に目を奪われるのではなく、まず主において同じ思いを懐くことからその問題解決は始まるのです。パウロは具体的なこの世的な解決方法を与えたのではなく、信仰にしっかりと立つことによって、その解決は与えられると教えているのです。

そして二人の問題を、そのまま突き放すのではなく、周りにいる人たちにも協力をお願いするのです。「真実の協力者よ、あなたにもお願いします。」と言って、協力者にお願いしているのですが、それが誰なのかはわかりません。ですが、二人の事をパウロと共に心配している人であると思うのです。そしてパウロはその人に、この二人の婦人を支えてあげてください、というのです。どちらの意見が正しいと言うのではなく、どちらをも支えてあげてください、とお願いするのです。そしてこの二人がパウロにとってもどれだけ大切な人であるのかをこう言うのです。「二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」ここで、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちとは誰の事でどんなことをした人なのかはわかりません。ですが、命の書に名を記されているのですから、神の国にあって既に救われている人なのだと思います。もしかすると、もうこの世にはいない人なのかもしれません。その様な神様に愛される人々と一緒になって、この二人は福音のためにパウロと共に戦ってくれた同志なのだから、大切に支えてやってほしいとパウロはお願いしているのです。

そして、パウロは色々心を悩ませ、心配しているフィリピの教会の人々に素晴らしい励ましの言葉を与えました。4節から7節です。

フィリ 4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

フィリ 4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

フィリ 4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

フィリ 4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

それは、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」と言うのです。あなたたちの悩み苦しみ心配は分かるけれども、それでも喜びなさい。どんな状況であっても喜びなさいと言うのです。主を信じる者には、その様な困難や苦しみよりも数段すばらしい喜びが与えられているのだから喜びなさいと言うのです。そして、「あなた方の広い心がすべての人に知られるようにしなさい。」と言いました。あなた方の教会の中には敵対者も、対立者もあるかもしれない、でもそれらをすべて受け入れて、主によって歩みなさい、というのです。そうすればあなた方の広い心がすべての人に知られるからというのです。なぜなら、救いの主がすぐ近くにおられるからだと言うのです。その様な素晴らしい大きなことが起こっているのに、小さなことにこだわって、争う必要はない、ただ主にあることを喜びなさいと教えているのです。

だからパウロはこう言いました。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」パウロはどんなことでも、思い煩うのはやめなさい、と言っています。フィリピの教会の人々は心配で思い煩っていたのです。ですがパウロはどんなことでも思い煩うのはやめなさいと教えています。それは今の私達にも言っているのです。私たちがどんなことで思い煩ったとしても、それだけでは何も変えられないし、むしろ思い煩うことは反って悪い事を招いてしまうのです。私は、クリスチャンになってから、この事はいつも心に抱いています。もう思い煩うのは止そう、心配しても何の役にも立たない、とそう思っています。そしてパウロが言っているように、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」と言う言葉を実行するようにしています。そうすると心配が消えて、いつの間にか問題としていたことも消えていくことを、私も何度も経験しました。そして、神様が今も生きていると実感することがたびたびありました。この事は信仰を持っていない人には、まずわからないと思います。この事を今までいろいろな人に話してきましたが、本当にわかる人はあまりいないのです。パウロもこう言っているのです。「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」全く同感です。思い煩うよりも、神様に祈り、神様に委ねた方がよほどよい結果が得られるのです。この言葉は私にとっても人生の大きな指針です。この言葉に従うだけでどれだけ大きな平安が与えられるか、計ることもできません。人知を超える神の平和が訪れるのです。

そして最後にこう言いました。

フィリ 4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

フィリ 4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 私たちには、敵対したり、争ったり、心配したりするようなこの世的な事よりも、もっと大切なことに心と精神とを向けなければならないとパウロは言うのです。それは、「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値すること」だと言うのです。この様な大切なことに心を向けないから、つまらない争いや心配に心を奪われてしまうのです。

真実な事とは何でしょう、嘘やごまかしのない事です。例をあげれば偽善ではないことです。気高い事とは何でしょう。それは聖なる尊厳を持つものであって、軽率で軽々しいものではありません。正しい事とは何でしょう。ここでは論理的に正しい事を言っているのではありません。神様に対して正しい事を言っているのです。清い事とは何でしょう。それはこの世の思いにとらわれないことです、利己的な思いから離れたことです。愛すべきこととは何でしょう。それは愛を引き起こすようなことです。それは親切や、同情や、寛容などによって、愛する思いを引き起こされることです。名誉な事とは何でしょう。ここでは人に褒められる名誉などは考えられません。ただ神様のみ前に良しとされる名誉だけです。徳や称賛に値する事とは何でしょう。ここでも人に称賛されることなど論外です。パウロは徳や称賛に心を向けなさいと言っているのではないのです。徳や称賛に値することに心を向けなさいと言っているのです。その結果、たとえ徳や称賛が得られなくともそれに値することに心を向けるだけで貴いのだと言うのです。私たちが、これら一つ一つの事に夢中になってそれを守ろうとするならば、それは律法主義と同じになって、決して平安は得られないでしょう。それを守ろうとするのでも得ようとするのでもなく、この世の小さないさかいや問題に心を奪われるのではなく、パウロが薦めるこれらの8つの事に心を向けなさいと言っているのです。そうすれば神の平和が与えられ、平和の神があなた方と共に居て下さるだろうと言うのです。だから、 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい、とパウロは言うのです。学ぶだけでなく、聞くだけでなく実行しなさいと教えているのです。

 パウロは、主によってしっかりと立ちなさい、言い争いをしないで、主によって一つ思いになりなさい、と言いました。その意見がどちらが正しいか悪いかと言う事はあまり問題ではないのです。それよりも主よってしっかりと立っているかどうかが問題なのです。そうすれば意見の違いなど乗り越えられるのです。そしていろいろ心配している教会の人々には、思い煩ってはならないと言いました。感謝と祈りをもって神様に委ねなさいと言いました。そうすれば人知を超える神の平和が与えられると言いました。これらのパウロの言葉に励まされ、それを実行することによって、どれだけ多くの人々が人知を超える神の平和を体験したかわかりません。私達もまた、この神の平和の内に生きることが出来るのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様、あなたがパウロを通して語って下さった御言葉に感謝いたします。私たちはこの御言葉によって、大きな励ましを与えられ、神の平安が与えられました。またこれからこの御言葉を聞いて、その平安を与えられようとしている多くの人々がいることをも思います。どうか思い煩うことなくあなたに祈りをもって委ねることが出来ますように。そしてあなたと共に居る喜びを味わうことが出来ますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇フィリピの信徒への手紙)>>

 

◆勧めの言葉

フィリ 4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。

フィリ 4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

フィリ 4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

フィリ 4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

フィリ 4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

フィリ 4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

フィリ 4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

フィリ 4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。