家庭礼拝 2016年3月9日ヤコブ5章1‐20忍耐と祈り

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起 

ヤコブは、富んでいる人たちに対して、強い反感を覚えているようです。この富んでいる人たちとは、一般的な富んでいる人たちと言うよりも、教会の中にあって、富んでいながら、貧しい人や弱い人たちを助けようとはせず、利己的な喜びに自己満足しているような人たちです。このような人たちは、誇り高ぶっており、口では立派な事を言っても、助けようとせず、助ける代わりに、あなたが悪いと言って裁くような人たちなのです。

ですから、今日の5章の最初の富んでいる人たちに対する言葉は、4章の兄弟を裁くなと言う言葉や、誇り高ぶるなと言う言葉の同じ文脈の中にある言葉なのです。

そして、今日の5章でこの手紙は終わりますが、その最後には、忍耐と祈りについて、書いてあります。貧しい人々や苦しんでいる人々が、その中にあっても希望をもって忍耐をもって祈りをもって生きるようにと励ましているのです。

ヤコブは教会の中で、富んでいるのに貧しい人々を助けようとせず、利己的にその財産をため込み、自分の楽しみのためにしかそのお金を使おうとしない人たちに対して、強くその姿勢を非難しました。1節から3節です。

ヤコ 5:1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。

ヤコ 5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、

ヤコ 5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。

 ヤコブは、富んでいる人たちには必ず不幸が降りかかってくると言いました。そしてその不幸を思って、泣きわめきなさい、というのです。なぜならば、富んでいる人たちが命の次に大切にしているその富が朽ち果てるからです。この当時は衣服は、金銀と同じように、大切な財産と考えられていました。その財産の衣服を大切にしまっていても、いつの間にか虫がついて、価値の無いものとなってしまうと言うのです。金銀もさびてしまいますとも言いました。実際には金銀はさびないと言ってもいいのですが、これは、蓄えている内にその価値を損なっていくだろうと言う事を言っているのだと思います。そしてこのさびこそが、あなた方の罪の証拠だと言うのです。衣服にしろ、金銀にしろ、価値のあるうちに、必要なところに使われるならば喜ばれるものですが、それが何もしないで損なっているのは、あなた方の罪の証拠であると言っているのです。そして、それは、あなた方の肉を火のように食い尽くすでしょう、と言いました。蓄えていた、金銀や衣服がそのままの価値を持ち続けないで、どんどん朽ちていくものを大切にしていることで、あなた方はその事に心を痛め、その悩みはあなた方の身体を火のように食い尽くすでしょうと言うのです。あなた方が宝を蓄えているのは、この滅びのために蓄えていたことが分かって、嘆き苦しむでしょうと言っているのです。

ヤコブは、富んでいる人たちがどのような罪を犯したのかを具体的に示しました。4節から6節です。

ヤコ 5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。

ヤコ 5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、

ヤコ 5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。

富んでいる人たちの罪は、畑を借り入れた労働者に、正当な代価を支払わず、自分の懐に入れてしまっていると言う事です。その賃金が、その不正に叫び声をあげていると言うのです。代価を支払われなかった人々の叫びだけではなく、その賃金さえも叫び声をあげて、その富んでいる人々の罪を非難していると言うのです。そしてその声は神様のもとにまで達していると言うのです。

富んでいる人々はそのようにして得た富で、ぜいたくに暮らし、快楽にふけり、おごり高ぶって心まで太らせている。それは、最後の日の生贄として、あなた方がほうられるために太らされているのが分からないのですかと言っています。

6節では、そのおごり高ぶって太った心で、あなた方は正しい人を罪に定めて殺した、と言いました。即ち、この世の喜びのために生きている者が義人を殺した、というのです。この正しい人とは誰の事を言っているのかははっきりしませんが、多分イエス様の事だと思います。そうではないと言う説もあります。イエス様は、この世に生きる人々に抵抗することなくその裁きによって罪とされ、十字架の上で殺されてしまった。すなわち、この世の富に執着する人は、イエス様を再び、十字架につけるようなことをしているのですよと非難しているのです

さて、富んでいる人々への非難を終えて、ヤコブは、自分たちの本当の兄弟のために語り始めました。兄弟たち、と呼びかけて語りかけました。そして、いま必要な事は何なのかを語り始めたのです。7節から9節です。

ヤコ 5:7 兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

ヤコ 5:8 あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

ヤコ 5:9 兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。

ここでは、兄弟たちと、あなた方、に対して語られています。この違いは何なのかはわかりませんが、語られた人々にはわかるようです。もしかすると兄弟達とは男性に語り、あなた方とは女性たちに語っているのかもしれません。ここで語られるのは主が来られる時まで忍耐しなさい、と言う事です。ヤコブはただ忍耐しなさいと言っているのではないのです。主が必ずやって来られる、その時まで、その希望をもって忍耐しなさいと言っているのです。それは農夫が春の雨をまって、種を蒔き、秋の雨をまって刈り入れまで育てていくように、希望をもって、実りの時を待って忍耐しなさいと教えました。そして、あなた方も忍耐しなさい、と言いました。心を固く保って、もうすぐ主が来られるのだからしっかりと待ちなさいと言っているのです。

それでは忍耐できない人はどんな行動に出たのでしょうか。それはまず不平を言うことです。我慢が出来なくて、「イエス様は、いくら待っても来ないではないか、あなたたちの言っていることは実現しないではないか」と不平を言い始めることなのです。ですがその不信仰は裁きを受けるから、そのような不平を言わずに忍耐して待ちなさいと言っています。なぜなら、その裁く方はもうすぐそこの戸口に立っておられるのだから、と再臨の時が近い事を切迫感をもって訴えているのです。

ヤコブは、どのように忍耐したらよいのかを、例をあげて説明しました。10節と11節です。

ヤコ 5:10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

ヤコ 5:11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

 その模範となる例とは、主の名によって語った預言者たちでした。その予言者たちを辛抱と忍耐の模範としなさいと言いました。預言者たちが、多くの迫害にあっても孤立しても、ただ主の栄光を現すために、辛抱し忍耐し、神の御国にはいる希望をもって生きた生き方を模範としなさいと言っているのです。そしてヤコブは、忍耐した人たちは幸せだと思っていると言いました。なぜでしょうか、その忍耐の先に何があったのでしょうか。ヤコブは、ヨブ記のヨブの忍耐について話しました。そして、最後まで忍耐したヨブに主がどのようにして下さったかを知っているでしょうと言ったのです。主は、慈しみ深く、憐みに満ちて、最後まで忍耐したヨブに報いてくれたのです。だから、ヤコブは、忍耐した人たちは幸せだと言ったのです。主が最後まで耐え忍んだヨブにしてくれたように、慈しみと憐れみで満たしてくれるからです。

ヤコブはまた、誓についてこう言いました。12節です。

ヤコ 5:12 わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。

 私たちは辛抱しきれなくなると、誓い始めるのです。自分を信用してもらいたくて、それをじっと待つことが出来なくなると、天や地を指して、また神様を指して、誓うのです。それは自分の信用の無さを何か他のもので補おうとするのです。ですがヤコブは誓を立ててはなりませんと言いました。人間は自分勝手に誓ったことを本当に実行できるとは限らないのです。そして、それを実行できないと神様の裁きを受けることになるのです。ですからそのようなときは、誓うのではなくて、「然り」は「然り」とし、「否」は「否」として、素直に対応していきなさいと言うのです。この言葉はイエス様も語っていた言葉です。マタイによる福音書の5章37節にも同じ言葉が書かれているのです。誓うことは自分の不誠実を、覆い隠そうとする行為なのです。

次にヤコブは祈りについて語り始めました。ヤコブがこの手紙の中で一番伝えたかったのはこの事なのです。祈りつつ、忍耐をもって、主の再臨を待ち望め、と言う事なのです。13節から15節を読んでみましょう。

ヤコ 5:13 あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。

ヤコ 5:14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。

ヤコ 5:15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。

 ヤコブは非常に単純明快に、まず二つの事を教えました。一つ目は「苦しんでいる人は祈りなさい」と言う事、二つ目は、喜んでいる人は、「賛美の歌を歌いなさい」と言う事でした。これは今の私たちの信仰生活にもそのまま当てはまることです。「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」と言うのはなんと、分かりやすく信仰生活を教えてくれているのでしょうか。そしてさらに三つ目がありますが、これは現代ではほとんど行われていないことです。それは病気になったなら、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい、と言う事です。この当時、病気になっても有効な医療技術はありませんでした。それに、宗教的には病気は罪の結果と考えられていました。ですから、教会の長老によって、オリーブ油を塗って祈ってもらうことは、病気を治してもらうときには大きな手段だったのです。そしてまた、病気の人を癒すことは教会の大きな働きでもありました。信仰にもとづく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださるとの信仰が強くあったのです。それは、その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださるとの思いがあったからです。でもこの部分は今ではほとんど病院や医者に委ねられています。ですが、信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます、との信仰は、人間の力ではどうしようもない状況の中で、きっと信じられないような力を与えてくれるものと思います。

その様な癒しの祈りを、効果ある強い祈りにするために、ヤコブは次のような提案をしました。

16節から18節です。

ヤコ 5:16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。

ヤコ 5:17 エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。

ヤコ 5:18 しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。

 ヤコブはその祈りが、聞き届けられるようにするためには、罪を告白し合うことが大切である、と言いました。祈りを聞いてもらうには祈るものが神様の前に正しいものでなければなりません。ですから罪あるままで祈ったとしてもその祈りは聞かれないのです。神様に祈りを聞いていただくためには、まず自分の罪を告白し、神様のみ前に正しいものとなって、癒しの祈りを祈らせていただくのです。その様な正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらすとヤコブは言っています。実際にこの時代の教会は多くの人々を、祈りによって癒していました。イエスの弟子達もその祈りによって奇跡の癒しを沢山したことが聖書に書かれています。祈りは本当に奇跡的な働きをしていたのです。現代の私たちもその事を信じれば、きっと癒しが与えられるものだと思います。

ヤコブは、その祈りが本当に聞かれることを証明するために、エリヤの祈りの事を語りました。エリヤは雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、3年半にわたって、雨が降らなくなり、再び祈ったら雨が降り出した奇跡の事を、祈りが本当に聞かれる証拠としてあげたのです。

 そしてこの手紙の中で、ヤコブが最後に言った言葉は、「迷い出た人を連れ戻しなさい」と言う言葉です。この時代の教会は混乱していたのだと思います。教会の中で分裂が起こり、勝手なことを言い出し、金持ちは自分達の事しか考えていなかったのです。これでは教会なんか他の世の中の人々と同じではないかと言って、教会を去っていく人々もいたのです。その事を憂いて、ヤコブは、迷い出た人々を連れ戻しなさいと呼びかけたのです。19節と20節です。

ヤコ 5:19 わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、

ヤコ 5:20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。

 ヤコブは、真理から迷い出たものを、真理へ連れ戻しなさいと言いました。それは必ずしも教会を去っていく人だけではなく、教会の中にあっても、真理から遠ざかり、この世的な価値観の中に迷い込んだ人々を、イエス様が教えてくれた神の国の価値観へと連れ戻しなさいと言う事です。その様な、迷いの道から罪人を連れ戻す人は、その人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになるからだと言うのです。その多くの罪を覆うと言うのは、その罪人の罪を覆い隠すだけではなく、あなた方の罪をも覆い隠してくれる、と言う事です。その人のためだけではなく自分のためにもそのような良い事をしなさい。真理へと連れ戻しなさい、と呼びかけたのです。これは私達にも言われていることです。人の事まではとても手が回らない、自分にはそのような力はないと言うのではなく、神様が自分を用いてそのような働きをさせて下さることを祈るのです。自分の力ではなく、神様の力がそこに働くのです。このような、迷いの道から連れ戻すようなことをした時に、その神様の働きがきっと見えてくるのだと思います。

 神様の導きによって、ヤコブの手紙を今日で読み終えて感謝です。ヤコブは、教会の中の分裂に憂いを懐き、なんとか人々が、頭だけではなく実際に行動し、貧しいものを助け、迷い出たものを連れ戻すようにと働きかけているのです。その時に妨げとなるのは富んでいる人々でした。その人々は貧しい人々苦しんでいる人々を裁き、少しも助けようとしなかったことをヤコブは嘆いて非難しているのです。信仰は確かに信じることによるものです。ですが、ヤコブは目の前にいる苦しんでいる人たちに手を差し伸べることが、自分の信仰だけではない、神様の御心に通じるものとしてとらえて強くその事を訴えたのです。私たちにも神様の御手が働いて、善き業が行えるようにと祈りたいと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

 天の父なる神様、あなたの恵みと導きとに感謝いたします。ヤコブの手紙を学び終えました。私たちが学ぶだけではなく小さなこと一つでもいいですから、実行し、あなたの善き業を行うことが出来ますように。あなたはいつも小さき者の側に立って励ましておられます。私たちはあなたが行っているその業を見て、あなたに倣うものです。どうかあなたが私たちの目を開き、あなたのなさっていることを心に止めて行うことが出来ますように。自分だけの信仰ではなく、あなたの愛する者のための信仰となりますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 

 


<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

 

◆富んでいる人たちに対して

ヤコ 5:1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。

ヤコ 5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、

ヤコ 5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。

ヤコ 5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。

ヤコ 5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、

ヤコ 5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。

◆忍耐と祈り

ヤコ 5:7 兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

ヤコ 5:8 あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

ヤコ 5:9 兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。

ヤコ 5:10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

ヤコ 5:11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

ヤコ 5:12 わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。

ヤコ 5:13 あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。

ヤコ 5:14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。

ヤコ 5:15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。

ヤコ 5:16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。

ヤコ 5:17 エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。

ヤコ 5:18 しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。

ヤコ 5:19 わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、

ヤコ 5:20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。