家庭礼拝 2016年2月3日ヤコブ2章1‐13人を分け隔てしてはならない

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起 

このヤコブの手紙は、一人一人の信仰者に語っていると言うよりも、それぞれの教会に対して語っていると言う感じが強く出ています。当時の教会にはいろいろな問題がありました。それらの問題を信仰をもって、乗り越えていくことの大切さを説いているのです。

どんな問題があったかと言えば、それは今の教会にもよくあるような問題です。一章の前半では、外からやって来る試練に対して、忍耐しなさい、それを喜びとしなさいと言う事が言われました。そしてその後半では、御言葉は聞くだけでなく、それを実践する人になりなさいと言われました。御言葉を聞いても実践しない人はその御言葉を忘れてしまう人であり、実践する人はそれによって幸せになると言いました。

そして、今日の2章の前半では、人を分け隔てしてはならないと言う、今の教会にもよく見られる問題に対して語っています。今も昔も、人を分け隔てし、偏見を持ち、教会の中であっても、そのような徒党を組んでしまうようなことが起こります。それはイエス・キリストを信じる信仰とは違うことをヤコブは訴えているのです。今日の学びの箇所のテーマはこの一つだけです。

では最初の一節です。その教えを聞いてみましょう。

ヤコ 2:1 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。

ヤコブは、人を分け隔てしてはいけませんと言いました。それは教会の中で、人を分け隔てするようなことが、多く起っていたからです。教会はイエス・キリストの教会です。そしてイエス様は決して人を分け隔てするような方ではなかったのです。金持ちも貧乏人も、男も女も、大人も子供も、病人も健康な人も、力あるものも弱いものも、権力あるものも抑圧されている者も、自由人も奴隷も、ユダヤ人も異邦人も、罪あるものも罪の無いものも皆分け隔てせず、神の国へと招こうとしたのです。だからすべての人に教会は開かれており、イエス様の御前には、すべての人が平等なのです。イエス様がこのように模範を示されているのに、それを教えている教会の中では、いろいろな分け隔てが起こっていたのです。その具体例をヤコブは語ります。2節から4節です。

ヤコ 2:2 あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。

ヤコ 2:3 その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

ヤコ 2:4 あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。

 この例の中には立派な身なりをした金持ちと、汚らしい服装の貧しい人の事が書かれています。人を分け隔てなく愛してくださったイエス様の教会なのに、その教会に立派な身なりをした金持ちがやって来ると、そのような人を特別扱いをして、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うようなことが起こっていると言うのです。金持ちの人が来ると沢山の献金をしてくれるので、特別扱いをすると言う事は良くある話です。明治の初めに、日本に教会が広まり始めた頃は、教会同士の競争のようなものも起こって、ある教会では、「私の教会には、何々先生や、何々大臣も来ていて、怪しげな人は一人もいない。」と言って自分の教会の社会的地位の高さを自慢していたそうです。その様な事は、今の教会でも起こっているはずです。あの人はたくさんの献金をしてくれる人だから大切にしましょうとか。社会的地位の高い人がいることを何となく誇らしげに思ってそれを自慢したりとか、が良く起こる問題です。ですが、私たちはそれらの事を人間社会の計りで測るのではなく、私たち人間を罪あるものとして、そこから救おうとしてくださっている神様のみ前にあるものとして見るならば、皆平等になるのです。その様な見方をしなければならないはずです。ですからヤコブは、「あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。」と言うのです。その様に、人間的な尺度で、比較することは、人間を差別することになり、偏見を持って見ることになり、平等なものを分け隔てするような間違った見方をすることになるのです。それは決してイエス様の御心ではありません。

そして、ヤコブは金持ちだからと言って、その人々をひいきするような考え方を強く非難して、こう言うのです。5節から7節です。

ヤコ 2:5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

ヤコ 2:6 だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。

ヤコ 2:7 また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。

ヤコブは、教会の人たちに、私の愛する兄弟たち、良く聞きなさい、と訴えました。それは、「神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、ご自身を愛するものに約束された国を、受け継ぐものとなさったではありませんか。」と言うのです。ある人がこう言っていました。「どうして世の中には貧しい人が多いのか、それは神様がより貧しい人々を愛されるからだ。」と言いました。また、こうも言っている人がいるのです「どうして世の中には普通の人が多いのか、それは神様は普通の人を最も愛しているからなのだ。」私たちは、知らずに、一握りの恵まれた金持ちこそ、神様に祝福された人だと思い込んだり、めったに現れない天才こそ、神様に祝福された人だと思い込んでしまします。ですが、神様が愛されるのは一握りの人々ではなく、多くの人々を愛されるから、その人々は多いのだと言う事なのだそうです。同じように、ヤコブは、神様は、世の中に多くいる、貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富むものにして下さった、祝福してくださっている、と言うのです。金持ちが祝福されているのではなく、貧しいけれども信仰に富むものを祝福してくださっていると言うのです。そしてそのような者たちに、ご自身を愛するものに約束された国を、受け継ぐものとなさったのだと言うのです。私たちは、この世の事だけを見ていると金持ちの方がいいと思ってしまいますが、神の国を見るものには、富や貧しさよりも信仰に富んでいる人の方がよほど光り輝いているのです。

そして富んでいるものがいかに罪を犯していたのかをヤコブは糾弾するのです。ヤコブは富んでいる人々は貧しい人を辱め、ひどい目に合わせ、裁判所に引っ張って行ったりしているではありませんか、と言うのです。そして、そのような金持ちこそ、あなた方に与えられたあの貴い名、すなわちイエス・キリストの御名を冒涜しているではないですか、と言いました。このような金持ちたちは、イエス様の教えよりも、自分たちが教会の中で勢力を張ることを目指していたのかもしれません。ですから、そのような人たちを重んじることは、イエス・キリストの教えに反することだと訴えているのです。

その事をヤコブは、8節と9節でこう言っています。

ヤコ 2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。

ヤコ 2:9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。

 ここでヤコブは、皮肉っぽく、最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構です、と言っています。最も尊い律法とは「隣人を自分のように愛しなさい」と言う教えです。この人々は、「あなた方は金持ちをその様に特別扱いをしてはいけない」と言われると、「私たちは聖書に従って、隣人を自分のように愛しなさいと言う、最も尊い律法を実行しているのだ。」と反論してくるのです。それに対して、それは結構な事ですねとかわしているのですが、「しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。」と、ヤコブは人を分け隔てすることの罪を指摘しているのです。いくら愛すると言う立派な行いをしても、人を分け隔てするようなことをするならば、それは愛ではなく、その事によって罪とされ律法の違反者とされるのだと言うのです。それは良い事と悪いことを足してゼロになると言う事ではなく、いくら良い事をしていても罪を侵したら、それだけで罪となると言うことなのです。その事をヤコブはこう言いました。10節から13節です。

ヤコ 2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。

ヤコ 2:11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。

ヤコ 2:12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。

ヤコ 2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。

 これは現代の法律でも同じですが、いくら慈善事業でよい事をしていても、わずかなお金を盗むと言う罪を犯したなら、それは立派な犯罪となるのです。お金を返せばいいだろうと言う事にはならないのです。その様に、律法全体を守ったとしても、一つの点で落ち度があるなら、すべての点について有罪となると言っているのです。ヤコブは「自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。」と言います。自由をもたらす律法とは、愛し合いなさいと言うイエス様の律法です。この律法によって、私たちはいずれ裁かれると言うのです。私たちが本当に愛し合ったのか、愛が足りなかったのか、その事によって裁かれることを思って、語りまたふるまいなさいと言うのです。金持ちに対しても、貧しい人々に対しても、同じように愛を注いでいるかどうかと言う点において裁かれるのです。この世の損得を考えて、金持ちを優遇したりすることが愛することではないと言うのです。私たちの行うことも語ることもすべて愛を基準に行わなければなりません。ヤコブは教会においてはそうでなければならないと言っています。そしてこう言ったのです。「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。」すなわち、憐みを掛けないものには憐みの無い裁きが与えられ、憐みをかけるものには憐みのある裁きが与えられる、すなわち憐みは裁きに打ち勝つのだと言うのです。ヤコブの主張は、教会の中では金持ちだとか貧しい人だとかと言う事で分け隔てせず、愛と憐れみをもってすべての人を公平に愛しなさいと言う事なのです。

 ヤコブは、教会の中にいろいろな分け隔てがあることを危惧しました。イエス様の御心を伝える教会がそうであってはいけないと、危機感を持って語りました。教会が大きくなり、組織化されていくと、金持ちや力のある人が優遇され、貧しいもの弱いものは冷遇されるようになってきました。ですがイエス様は誰も分け隔てなく愛される方でした。そしてそのように愛し合うように教えられた方です。むしろイエス様は貧しいもの弱いものの友となって、支えていった方なのです。教会がイエス様の御心を忘れて、この世の基準で、人を分け隔てをしていることに大きな危機感を感じてヤコブは教会に警告を発しているのです。人を分け隔てしてはいけない。金持ちを優遇してはならない。むしろ世の貧しい人々は神様から選ばれ信仰を富まされ、御国を受け継ぐものとされているではないのかと訴えているのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

ヤコブの教えはとても現実的でした。本当に今の教会でも起こっている事をそのまま語っているようでした。私たちはいつの間にかこの世の価値観で人を判断して、偏った扱いや分け隔てをしてしまうものです。ですが、神様の御心に沿って行うならば、愛によって行うならばどうするのかと言う視点で行う大切さを教えられました。神様、どうか私たちもこの世の基準に惑わされることなく、イエス様の示してくださった貴い律法によって、自由をもたらす律法によって善き業を行っていくことが出来ますように導いてください。隣人を自分のように愛していくことが出来ますように導いてください。言葉だけでなく、本当に手を差し伸べることが出来ますように。

この祈りを主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。

 

 

<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

 

◆人を分け隔てしてはならない

ヤコ 2:1 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。

ヤコ 2:2 あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。

ヤコ 2:3 その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

ヤコ 2:4 あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。

ヤコ 2:5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

ヤコ 2:6 だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。

ヤコ 2:7 また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。

ヤコ 2:8 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。

ヤコ 2:9 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。

ヤコ 2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。

ヤコ 2:11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。

ヤコ 2:12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。

ヤコ 2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。