家庭礼拝 2015年12月9日マタイ27章1‐26死刑の判決を受ける

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起 

前回の26章後半は、ずっと裏切りの話が続いていました。まずユダの裏切りがあり、弟子たちの裏切りがあり、ペトロの裏切りがありました。これは弟子たちの話でしたが、ユダヤ人たちも裏切っていたのです。ユダヤ人たちは神様から選ばれた民として、神様と契約し、神様の戒めを守る生活をしなければなりませんでした。ところがユダヤ人たちはイエス様を罪に陥れるために、真実を裏切り、神様を裏切ったのです。イエス様の周りには、いろいろな裏切りが渦巻いており、その中でイエス様は静かに神様と向き合っていました。これらの出来事は預言された神様の出来事であると受け取って静かにそれを受け入れていたのです。

そして、最高法院の裁判では有罪とされ死刑を宣告されました。ですが、ユダヤ人には死刑を執行する権限はありませんでした。死刑を執行できるのはローマの総督であり、その死刑を判決する権限もローマの総督のものなのです。ユダヤ人が裁判したのは、宗教的な意味での裁判なのです。その告発された罪状は、神様を冒涜したと言う罪でした。ところがそれをローマの総督のところに持って行っても、ローマはそれを受け付けるはずがないのです。お前たちの問題はお前たちで片づけなさいと言われるだけなのです。ユダヤ人たちは何とかして、イエス様をローマ人によって死刑にしようと思い、別の罪状をつけたのです。一つ目は、イエスは民衆を扇動して暴動を起こそうとしていた。二つ目は、イエスはローマに税金を納めなくてもいいと言っていた。三つめは、イエスはユダヤ人の王であると言っていた。と言う罪状をつけてローマ総督のピラトのもとに連れて行ったのです。これはまったく、でたらめなやり方なのです。

そこから、今日の聖書の箇所に入ります。イエス様は総督ピラトのもとに連れていかれました。ローマ総督はいつもエルサレムにいたわけではありません。ローマ軍の司令部はカイザリアにあり普通はそこにいるのですが、祭りなどの警備でエルサレムに来た時には、その時のための屋敷があったようです。イエス様はそこに連れていかれたのです。

ちょうどそのころ、イエス様を裏切ったユダの話が突然出てきます。ユダはイエス様とゲッセマネで接吻をしてからずっと消息を絶っていましたが、イエス様が有罪となり、ピラトのもとに連れていかれた時に、ユダは祭司長たちや長老たちのところへ行ったのです。聖書には、「イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔した」と書かれています。すなわちユダは、イエス様を裏切って、死んでしまえばいいと思っていたわけではないのです。裏切ってもまさか死ぬようなことはないだろうと考えていたのです。なぜなら、死刑になるような罪は何一つ犯していないし、イエス様の力ならば、いつでも祭司長たちの人々を撃退することが出来ると思っていたのです。ところがそうではなかったのです。思いもよらなかったことですが、イエス様が捕えられ、有罪の判決を受け死刑となって、ピラトのもとに連れていかれたのです。これでピラトが死刑だと言えば本当に死刑になってしまいます。ユダはこの時になって、自分の犯した罪の大きさを知ったのです。取り返しのつかないことをしてしまったと気が付いたのです。それでイエス様を裏切った時に受け取った銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言ってなんとかイエス様が許されるように頼んだのです。それに対して、祭司長たちは「そんなことは我々の知ったことではない、お前が罪を犯したかどうかはお前の問題だ。」と言って取り合わなかったのです。もう取り返しのつかない状態になっていたのです。ユダは自分の犯した罪の深さに絶望的になっていました。全く罪のない神の使いを、自分は裏切って、殺してしまうのだから、もう神様に救いを求めることもできないと思ってしまったのです。そしてどうしようもなくなり、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んでしまいました。自殺することはユダヤ人にとって最もしてはいけない罪の一つです。それは人を殺すこと以上の罪なのです。ですからこの新約聖書にも、自殺した人はこのただ一箇所であり、旧約聖書にも3か所しかありません。良く知られている話ではサウルが敵に追い詰められ、ギルボア山の頂で、剣を突き刺して死んだことです。この時サウルは信仰を失っていました。このような話は日本ではよくあります。むしろ美化されて潔い死に方だと賛美されます。日本人は如何に死んだかにとても惹かれるようです。ですが、ユダヤ人たちは如何に死んだかはあまり問わないのです。むしろいかに神に従って生きたかが問題とされるのです。ユダの死は、神様の救いをも全く信じることの出来なくなってしまった、絶望の死なのです。

さてイエス様は総督の前に引き出されました。総督はイエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と言うと、イエス様は「それはあなたが言っていることです」と言いました。マルコやルカでは、もっとはっきりとイエス様は「その通りである」と答えているのに、マタイでは、「それはあなたが言っていることです」と答えています。このような答え方は、最高法院での裁判の時にも、あなたはメシアなのかとの尋問に、同じように、それはあなたが言っていることですと答えています。どうしてなのでしょうか。ヨハネでは、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それとも ほかの人々が、わたしのことを あなたにそう言ったのか」と問いかけています。むしろ、このニュアンスに近い返事の仕方だったのだと思います。イエス様は、ピラトに対しては答えるのですが、ユダヤ人たちに対しては何も答えなかったのです。祭司長たちや長老たちはイエス様の罪状について、あれこれと説明し訴えたのです。その一番大きなものは自分が王であると言ってローマに対抗していると言うようなものです。ですがピラトにはそれらはみな嘘であることが分かっていたのです。口数を多くして騒ぎ立てているユダヤ人たちよりも、黙って答えようとしていないイエス様の方に、何かしら威厳を感じていたのです。ですから、ピラトは「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言ったのです。イエス様の反論を聞きたかったのです。ですがそれでも何も答えなかったので、総督ピラトは非常に不思議に思ったのです。

ピラトはイエス様が無罪であることを知っていました。ですがユダヤ人たちに逆らって騒ぎを大きくすることも嫌っていました。むしろ恐れていました。何故かと言うと、ピラトはこのユダヤに就任した時から、ユダヤ人とその信仰的な問題を軽く考えて、トラブルを起こしていたのです。そして何度か問題を起こしたためにその話が、ローマ皇帝のところまで伝えられて、ピラトは苦しい立場になっていたのです。ですから、ユダヤ人たちは自分たちの言う通りにしないと騒ぎを起こすぞと、脅迫しているような感じだったのです。ですからピラトはユダヤ人たちの要求を無視できなかったのです。正義よりも、評判を気にしていたのです。

それで、ピラトはいい方法を見出しました。それはこの祭りのたび毎に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていたのです。ですから、このイエス様をこの時に釈放しようと考えていたのです。ですがちょうどその時、バラバ・イエスと言う評判の囚人がいたのです。マルコとルカではこのバラバは「暴動を起こし人を殺した罪」で捕えられていたと書かれており、ヨハネでは「強盗」の罪であると書かれています。このバラバも、実にその本名はイエスなのです。バラバとはバルナバの略であり、父の子と言う意味です。父と言うのは普通祭司の事を指しているので、祭司の子供のイエス、と言う名前の意味なのです。ですから、二人ともイエスなのでピラトはこう言ったのです。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスかそれともメシアと言われるイエスか」と言ったのです。もっと短く言えば、バラバ・イエスかキリスト・イエスかと言ったのです。この時、ピラトはユダヤ人がイエス様を引き渡したのは妬みのためだと分かっていたのでイエス様を赦そうと考えていたのです。

この裁判の最中に珍しいことが起こりました。ピラトの妻から伝言があったのです。この記事はマタイにしか書かれていません。そこにはこう書かれています、「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」ピラトの妻はイエス様の事を知っていたようです。ですから、間違ったことをすると何か恐ろしいことが起こるような気がして、あの正しい人に関係しないでください、と言ったのだと思います。伝説によると、この妻は後にユダヤ教に改宗し、さらにキリスト教に改宗したとも言われています。

ですが、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群集を説得しました。この人たちは何が何でもイエス様を死刑にしたかったのです。多分説得だけではなく買収もしたのではないかと思われます。彼らは総督がイエス様を釈放するのではないかと恐れたのです。

ですから、いよいよ総督が、イエス様を釈放しようと思って、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言ったのです。これはピラトにとって意外でした。まさか罪があるとは思えないイエス様よりも、罪がはっきりしているバラバを赦すように言うとは思わなかったのです。ピラトはこの時、人々の意見を聞くのではなく、自分で決断して、イエス様を赦すこともできたのです。その権限はあったのです。ですが、ユダヤ人たちの歓心を買うために、ユダヤ人の意見を聞くようなふりをしたのです。自分で決めないでユダヤ人に決めさせようとしたのです。そうすれば暴動は起こらないからです。ですがその答えが自分の思っていたのと違っていたので驚きました。ピラトは慌てて又訊いたのです。「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言ったのです。そして、今更この時になって、ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったのですが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けたのでイエス様を擁護できなくなったのです。ピラトが最初から、このメシアと言われるイエスは、一体どんな悪事を働いたと言うのか、と聞いたならば、このイエスを釈放すると言えるタイミングはあったはずなのです。ピラトはイエス様が無実であることを知っていながら、赦す権限を持っていながら、それを執行せず、ユダヤ人の気に入ろうとして、その意見を聞いて、間違った方向に行ってしまったのです。

 ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言いました。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」ピラトはこの群衆の前に自分の無力を感じました。自分の責任を果たす義務を遂行できなかったのです。その責任は自分にあるのではないユダヤ人たちにあるのだと思おうとしたのです。そこでなんと、ピラトは水を持ってこさせ、群衆の前で手を洗って、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」と言ったのです。このような手を洗って責任を回避する習慣はローマの習慣ではないのです。ユダヤ人の習慣なのです。それなのにピラトはユダヤ人の真似をして、自分には責任はない、お前たちに責任があると言って責任逃れをしたのです。なんという責任逃れをしているのではないでしょうか。

 すると、群衆ははこぞって答えました。「その血の責任は、我々と子孫にある。」と言ったのです。むしろユダヤ人の方が、しっかりと自分たちの責任でこの事の決着をつけようとしていたのです。そこでしょうがなくて、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡したのでした。

 このようにして、イエス様は鞭うたれ、十字架につけられるために引き渡されました。ユダヤ人の最高法院での裁判も、総督ピラトによる最終判決も、そこには何の正義もありませんでした。あるのはその人たちの思惑だけで、神様の目を意識しているのはイエス様だけでした。誰も彼もが、まるで神様などいないかのように行動していたのです。

 神様の御心を思わず、自分の思いで行動するものはいつしか神様から離れてしまうのです。その典型がユダでした。ユダが気が付いて戻ろうとしたときにはもう遅かったのです。ユダは神様から離れすぎました。そして神様に救いを求めることもせずに絶望の中で死んでいったのです。

イエス様を十字架につけて、イスラエルを守ろうとした大祭司や祭司長たちは、その通りに自分たちの思いを成し遂げましたが、その40年後には、エルサレム神殿が崩壊し、ユダヤ人の国は滅びて、人々は世界中に散ってしまうのです。イエス様の宣教が、イスラエルを救う最後の宣教だったのですが、その人をついに十字架につけて殺してしまうのです。人間の罪の深さを思うものです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、ついにイエス様は十字架に引き渡されてしまいました。どこにも正義は行われず、ただ裏切りだけがはびこっていました。ですが、イエス様はそれを神様の御心として受け止め、静かに十字架に向かって行かれました。これがイエス様の使命であることを十分に理解していたからでした。このイエス様によって、私たちが罪許されて、救いへと導かれていることを思います。ただこのイエス様だけが、私たちの罪を担ってくださる方であることを信じます。どうか私たちも自分の罪に絶望するのではなく、あなたの恵みにより頼んであなたに委ねて生きていくことが出来ますように導いてください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 

 


<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

◆ピラトに引き渡される

マタ 27:1 夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。

マタ 27:2 そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。

◆ユダ、自殺する

マタ 27:3 そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、

マタ 27:4 「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。

マタ 27:5 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。

マタ 27:6 祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、

マタ 27:7 相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。

マタ 27:8 このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。

マタ 27:9 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。

マタ 27:10 主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」

◆ピラトから尋問される

マタ 27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。

マタ 27:12 祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。

マタ 27:13 するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。

マタ 27:14 それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。

◆死刑の判決を受ける

マタ 27:15 ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。

マタ 27:16 そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。

マタ 27:17 ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」

マタ 27:18 人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。

マタ 27:19 一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」

マタ 27:20 しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。

マタ 27:21 そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。

マタ 27:22 ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。

マタ 27:23 ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。

マタ 27:24 ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」

マタ 27:25 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

マタ 27:26 そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。