家庭礼拝 2015年12月2日マタイ26章57‐75最高法院で裁判を受ける
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起
ユダは、イエス様を裏切りました。そして、他の弟子達もイエス様を残して逃げたので、イエス様を裏切ったことになります。弟子達にはイエス様を裏切ったと言う思いが強く残りました。特にユダはまさにだれが見ても裏切ったと言えるものなので、その事を後悔して自殺してしまいました。また、ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」とまで言ったのに、やはりみんなと同じで、イエス様をおいて逃げて行ってしまいました。ペトロ、ヤコブ、ヨハネのイエス様の一番の弟子達でさえも、ゲッセマネでイエス様に「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」と3人の弟子に言われたのですが、それでも眠りこけてしまいました。この時の弟子たちの思いに、自分はイエス様を裏切っていないと言えるものはだれ一人いなかったのです。皆、自分はイエス様を裏切ったと思っていたと思うのです。
それではイエス様は裏切られたと思っているのでしょうか。イエス様は弟子たちが裏切ることになるだろう、そして自分は十字架で死ぬだろうと言う事を知っていました。それでもその裏切る弟子たちを赦して、先にガリラヤに行っているから、そこに来なさいと既に赦しているのです。イエス様には弟子たちに裏切られたと言う思いは全くないのです。それどころか、これらの事は預言書に書かれていることが成就したのであると、受け止めているのです。そして早く裏切りの心の傷から立ち直るようにと願っているのです。
聖書にはこのように、普通ならば自分たちの大きな過ちを出来るだけ隠して、善い事だけを書けばいいのにそうではなくて、あえて裏切ったことまで詳細に書いてあるのです。なぜでしょうか。正直に書くことが正しいからなのでしょうか。特にペトロの裏切りは克明に書かれてあって、これはペトロ自身が筆記者のマルコに直接自分がどのように裏切ったのかをあえて書かせたのです。これはペトロの懺悔であり弟子たちの懺悔なのです。それは、イエス様に許された喜びによる懺悔なのです。自分たちはこのように、罪深くもイエス様を裏切ったのに、イエス様はそのようなものまでも許し、立ち直らせ、導いてくださった。イエスさまとはそのような神の子イエス様なのですと、語りたいがために、あえて自分たちの愚かな裏切りさえも包み隠さず語っているのです。それは、あなたたちがどんなに罪深い者であっても、きっとイエス様なら、あなたの罪を赦してくださり、救ってくださるだろうと言う教えに繋がるのです。
承
さて、イエス様はついに祭司長たちに捕えられ、最高法院で裁判を受けることになりました。彼らにとって、イエス様の罪とは何だったのでしょうか。それは神様を冒涜したと言う罪なのです。イエス様は決して神様を冒涜してはおらず、パリサイ人たちや律法学者たちの間違いを非難しただけでした。それに対して、彼らはその事に反論できなかったのです。ですがイエス様に対する恨みは殺してしまおうとするまでに高まったのです。
この人々はイエス様を捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行きました。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。これから最高法院を開いてイエス様を裁判しようとしていたのです。ところがその様な危険なところへ、ペトロは遠く離れてイエス様の後をつけ、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていたのです。ペトロは一人で、捕えに来た人々に剣を抜いて闘おうとしたほど、とても勇敢だったのです。普通ならば見つかったら殺されるかもしれない状況なのに、イエス様が捕えられていく後を離れてついて行って、しかも大祭司の屋敷の中まで入って行って、隠れていたのではなく、下役たちと一緒に座っていたのです。とても勇気のいることです。普通、自分が殺されるかもしれないと思っているならば、こんなことが出来るでしょうか。しかも、この後、2度も、あなたはあのイエスの弟子ではないか、と言われたのにそれでも逃げずにとどまったのです。
この事をとても不自然に思う人々の中には、弟子達はみんなでイエス様を裏切ったのだ、裏取引をしたのだと言う人もいます。ペトロも含め弟子達は、イエス様を引き渡すから、自分たちには危害を加えないでくれと、取引をしたのだと言うのです。ユダが銀貨30枚で売ったと言う話だけではなく、ペトロ達も自分たちに危害を加えなければ黙って引き渡すと言う約束が出来ていたと言うのです。ですからペトロはこの大祭司の庭まで入ることができ、下役たちと一緒に座っていても、殺される心配はないと思っていたのかもしれません。もしそうだとすると本当にとんでもない裏切りが起こっていたのです。ですがイエス様はそれすらも知りながらそれでも弟子たちを赦し、またガリラヤで会おうと言ってくれているのです。そして、イエス様の十字架での御心が、そのように裏切ってしまった弟子たちをも許す、愛の方であることに深く感動し、弟子達は本当に激しく悔い改めて、この人は本当に神の子であったと、証言するようになるのです。
さて最高法院が開かれました。この裁判は初めに死刑ありきでした。有罪か無罪かを論じるのではなく、どのようにしたら死刑にできるのかを求めていたのです。ですからこの裁判は全部がでたらめなのです。律法にも背いて、やってはいけない夜に、裁判が行われているのです。59節から62節です。
マタ 26:59 さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
マタ 26:60 偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、
マタ 26:61 「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
マタ 26:62 そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
最高法院には、イエス様を支持している人もいたはずなのですが、ここに集まったのは全員イエス様を死刑にしようとしている人でした。そして死刑にするための偽証を求めました。その証言は二人以上のものが証言していなければ成立しなかったのですが、なかなか証拠となるような証言は得られなかったのです。その間イエス様は黙っておられました。大祭司はだんだんイライラしてきました。せっかく捕まえたのに証拠がないのです。最後に二人の人が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げたのです。この事は確かに言われているのですが、不思議なことにマタイには書かれていないのです。書いてあるのはヨハネによる福音書2章19節で、イエス様が宮浄めをした時にユダヤ人たちがイエス様に「あなたは、こんなことをするからにはどんなしるしを私たちに見せるつもりか」と言った時に、イエス様は、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」と言ったのですが、その神殿とはイエス様の身体の事であり3日で復活することを言ったのです。
ですがほとんどの人はその事を本当に神殿を壊すと言う風に誤解していたのです。それならば神殿を侮辱した罪に問われるのです。その時、大祭司は立ち上がり、イエス様に言いました。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」大祭司はなんとかイエス様に話をさせて、その言葉尻を捕えようとしていたのです。イエス様はそれでも黙っていました。すると大祭司は「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」と言いました。イエス様はそれでも黙っていれば死刑にはならなかったのです。メシアではないと言えば、イエス様は嘘つきになり、メシアであると言えば死刑になります。イエス様はどう答えたのでしょうか。イエス様は言われました。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」イエス様は、はっきりと私はメシアであると言ったのではないのです。あなた方がそう言っているのだ、と言ったのです。ですが別の訳では、「あなたの言うとおりである」と訳され、マルコでは、「私がそれである」とはっきりとメシアであることを言っています。そして元の文章に戻ると、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る、と言ったのです。この人の子と言うのがイエス様であるとは言っていないのですが、ユダヤ人たちはこの人の子と言うのはイエスの事だと決めつけたのです。ユダヤ人たちにはイエス様が私はメシアであるとはっきり言っているように聞こえたのです。そこで、大祭司は服を引き裂きながらこう言いました。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた、と書かれています。そして、それからは鬼の首でも取ったかのように、イエス様の顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言ってイエス様を侮辱し苦しめたのです。
この裁判はいくつかの点で律法に反していました。裁判は日中に行われなければならないのに夜行われました。過ぎ越しの期間中はこのような刑事裁判は禁じられているのにその祭りの時に行われました。有罪にする場合には審議は一日で終了してはならず、判決は必ず翌日としなければなりませんでした。ほかにもいろいろあるのですが、これだけ律法に違反をしてでも、イエス様を死刑にしたかったのです。そして誤解した言葉を証拠として、死刑にしたのです。
転
さてその時、ペトロはどうしていたでしょうか。ペトロはまだ大祭司の庭にいたのです。そしてイエス様の見えるところにいたのです。69節から72節ではこう書かれています。
マタ 26:69 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
マタ 26:70 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
マタ 26:71 ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
マタ 26:72 そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
ペトロは大胆にも中庭に座っていました。マルコとルカとヨハネでは、なんと中庭の真ん中に炭火を起こしてみんなが立って火に当たっているところでペトロも一緒になって当たっていたと書いているのです。これが命の危険にさらされている人でしょうか。そこへ一人の女中が近寄ってきました。そして、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言ったのです。ペトロは騒ぎが大きくなるのを恐れて、それを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言いました。ペトロは、危険を感じ始めました。それで人のいるところから離れ、また逃げやすいほうの門の方に移動したのです。するとまた、他の女中がペトロに気が付いて、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言ったのです。ペトロはまた、「そんな人は知らない」と言いました。これで2度知らないと言ったのです。
しばらくすると、そこにいた男たちがペトロのところに近寄ってきました。きっと女中たちが噂して、男たちがそれを確かめるように近づいてきたのです。そして言いました。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」ガリラヤの言葉はエルサレムの言葉と違って、訛りが激しかったのです。ですから言葉を聞けばすぐにガリラヤ出であることは分かったのです。すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めたのです。するとすぐ、鶏が鳴いた、と書かれています。ペトロは三度目の知らないを言ったのです。その時には、身の危険を感じて、イエス様を呪うような言葉さえ言いながら、「そんな人は知らない」と誓って言ったのです。ペトロが3度知らないと言った時に、鶏が鳴いたのです。ルカ福音書では、その時イエス様がペトロの方を振り向いたと書かれています。ペトロにはそのように思われたのかもしれません。その時、ペトロは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエス様の言葉を思い出したのです。そして外に出て激しく泣いたのです。なぜならば、イエス様が三度知らないと言うだろうと言った時、ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたの事を知らないなどとは決して申しません」と言ったのです。ペトロはその誓いを守る事は出来なかったのです。ですからイエス様は、誓ってはならないと言うのです。人間には誓いを守ることなどできないのです。そんなに強くはないのです。
結
イエス様は、ついに裁判にかけられ、死刑を宣告されました。ですがイエス様はその死刑を避けようと思えばいくらでも避けられたのです。むしろイエス様は自ら、十字架の死を選んで進まれたのです。それが神様の御心だったのです。ゲッセマネで、イエス様はこの杯をさらせてくださいと願いましたが、神様の御心が、十字架での死ならばその御心に従わせてくださいと願ったのです。そしてそこで起こったことはすべて預言者たちに預言されていることだったのです。
弟子達は皆、イエス様を裏切って逃げてしまいました。でもペトロは勇気を振り絞って、大祭司の中庭までついていきイエス様の様子を知ろうとしました。それこそイエス様と一緒に死ぬ覚悟だったのかもしれません。ですがそこで思い知らされたのは、恐怖の中で、3度イエス様の事を知らないと言ってしまった自分の姿でした。元気な時はどんなに立派な事を言っていても、現実の恐怖にさらされると人間はそんなに強いものではないのです。ペトロはそれに気づかされて、外に出て激しく泣いたのです。ペトロを誰も非難する事は出来ません。誰がペトロ程の勇気を示すことが出来るでしょうか。しかもペトロはこの事を隠そうとはしませんでした。この恥ずべきことをみんなに知ってもらおうとさえしたのです。それはこのようにイエス様を裏切った自分でさえも、イエス様は赦してくださり、愛してくださり、救ってくださったのだと言う事を、多くの人々に知ってほしいと思ったからです。この方こそ神の子、メシアであると知ってほしかったからなのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は大祭司たちにつかまり、最高法院での裁判で死刑を宣告されました。それはイエス様がどんなに正しくとも、その様になるように仕組まれた裁判でした。イエス様は、その裁判で、自分がメシアであることを隠しはしませんでした。そのことが決定的に死刑にする証言となりました。イエス様はすべての事を神様の御心として受け止め、自ら敢えて十字架の死を選びました。その十字架の死が、私たちの救いへとつながることを知っていたからです。イエス様が、このように私たちのために、私たちの救いのためにその命を与えてくださいましたことを感謝いたします。ペトロもまた、自分がどんなに惨めにイエス様を裏切ったのかを隠さずに語り、それでもこのような自分を愛してくださったイエス様を世に現すことが出来ました。イエス様が、いかに愛の人であり、神の子キリストであるかを世に現したのです。ペトロのこの様な勇気ある行為に感謝いたします。私たちも自分たちがいかにイエス様を裏切るものであっても、いつも愛と慈しみをもって私たちを導いてくださいますイエス様を覚えて世に言い表すものでありますように。その恵みと救いの喜びを伝えることが出来ますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆最高法院で裁判を受ける
マタ 26:57 人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
マタ 26:58 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
マタ 26:59 さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
マタ 26:60 偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、
マタ 26:61 「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
マタ 26:62 そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
マタ 26:63 イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
マタ 26:64 イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」
マタ 26:65 そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。
マタ 26:66 どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。
マタ 26:67 そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、
マタ 26:68 「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。
◆ペトロ、イエスを知らないと言う
マタ 26:69 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
マタ 26:70 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
マタ 26:71 ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
マタ 26:72 そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
マタ 26:73 しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
マタ 26:74 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
マタ 26:75 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。