家庭礼拝 2015年11月18日マタイ26章1‐30主の晩餐

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起 

この26章は、最後の晩餐の場面を含む長い章になっています。それでこの箇所を3つに分けて話を進めていきたいと思います。今週は、ベタニアで香油を注がれた話と最後の晩餐の話です。そして来週は、ペトロの離反を予告する話と、ゲッセマネの祈りの場面です。そして再来週は、最高法院で裁判を受ける場面の話です。ここからいよいよイエス様の受難物語へと進みます。

この章に入る前には何が起こっていたのかを振り返って見ると、イエス様はユダヤ人たちに3つの譬えを用いて、主の再臨の時には誰が主によって祝福されるのかと言う事を話していました。3つの譬えと言うのは、忠実な僕と悪い僕の話、それに10人のおとめの譬え、そしてタラントンの譬えです。

そしてそれらの譬えで話されている、善い者と悪い者が、主の再臨の時にはその前でえり分けられる、と言う事を話されました。その時のえり分けの基準は、小さなものに無償の愛と憐れみを与えた良き人たちが、祝福されると言う事でした。なぜならば、イエス様はそれらの小さな者たちと共に居るからです。それはファリサイ派の人々や律法学者たちの様に人々に憐れみを掛けずに重荷を負わせる人々に対する痛烈な批判でもあったのです。

そしてイエス様はこれらの話を終えると、もうユダヤ人たちの事は相手にせずに、弟子たちに向かって話を始めたのが、今日の箇所になります。

それはイエス様が十字架につけられて死ぬだろうと言う事を語ったのです。1節と2節です。

マタ 26:1 イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。

マタ 26:2 「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」

 イエス様はこれまでもすでに3度も、十字架につけられて死ぬだろうことを語っていました。それがいつの事かはまだ分かっていませんでしたが、ここでイエス様は二日後の過ぎ越し祭に捕えられて、十字架につけられるためにローマに引き渡されるであろうことを言っているのです。

これが最後の予告です。もうそれが起こるまでにはあと二日しかないからです。ですが、ユダヤ人たちはその日にイエス様を捕えようとは考えていなかったのです。なぜならば、過ぎ越し祭の時には大勢の人々がエルサレムに集まるので、イエス様を捕えると暴動が起こるかもしれないからです。ですから、過ぎ越し祭が過ぎてから、人々がみんなそれぞれの国へ帰って行った後で捕えようとしていたのです。その事は次の3節から5節にも書かれています。それにもかかわらず、この過ぎ越し祭に捕えられるだろうと言う、イエス様の予告は実現するのです。

マタ 26:3 そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、

マタ 26:4 計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。

マタ 26:5 しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。

 イエス様を捕えて殺そうと言う計略は大祭司のカイアファを中心に計画されていました。大祭司の位は、昔は世襲制度で、代々その系統の人々が長い間受け継いできました。ですが、ローマが支配するようになってからは、その位はローマが命じるようになり、世襲ではなくローマに都合の良い人に何度もコロコロと変わる不安定な位となっていたのです。ところがその中でカイアファと言う大祭司は20年もの長い間この大祭司を務めた人で、すなわちローマにはとても気に入られていたのです。何故かと言えば、この大祭司は、ローマのために善く尽くす大祭司で、ローマに対して暴動が起こらないように、いつも注意していたからです。もし暴動が起こったならば、この大祭司はすぐにでも変えられてしまうのです。カイアファにとって、イエスたちは、民衆に暴動を起こさせローマを怒らせるかもしれない危険分子だったのです。其れで何とか暴動を起こさせないようにするために、祭りが終わってから捕えて殺そうと計画を練っていたのです。カイアファも彼なりに、エルサレムを守っていたのです。

さて、その頃、イエス様たちはベタニアで思い皮膚病にかかっているシモンの家にいました。ベタニアはエルサレムの近くの町で、マルタ、マリア、ラザロがいるところです。シモンが思い皮膚病にかかっていると言う事は、その人に触れると汚れるので、群衆は誰も近寄らないはずです。もちろんパリサイ派の人々も近寄ることはありません。そこの家で、後々までも語り継がれることになる出来事が起こりました。6節と7節です。

マタ 26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、

マタ 26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。

この様な話は4つの福音書に皆書かれていますが、それぞれに少しずつ記述の仕方が違うのです。特にルカによる記述では、この女の人は罪深い女と言う事になっていて、シモンの事も、ファリサイ派の人と言う表現で表されているのです。それに時期的にも全く違う時期なのです。ですから、違った話であるとも考えられます。一方、マタイとマルコではほとんど同じですが、ヨハネではこの家がシモンの家と言う事は書かれておらず、マルタ、マリア、ラザロのいる家と言う事になっています。そしてこのきわめて高価な香油の入った石膏のつぼを持って来てイエスの頭に香油を注ぎかけたのはマリアであるとはっきりと書いてあるのです。

この当時の女性にとって、香油はとても大切な高価な化粧品でした。日本はとても水の豊かな国なので、毎日お風呂に入るのが大好きな国民ですから、比較的清潔な生活をしていたのですが、このユダヤの国では水がとても少ないので、お風呂に入るなどと言う事はめったにありません。ですから、体からいろいろなにおいが出るので、そのにおいを消すために、このような香油が頻繁に使われていたのです。ですから、女性にとっては一番必要な化粧品と言ってもいいのです。そしてこの香油はとても高価なものだったのです。それを、一人の女の人が来てイエス様の頭にその香油を注ぎかけたのです。すると弟子達はこう言ったのです。8節と9節です

マタ 26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。

マタ 26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」

 弟子達は憤慨したと言うのです。何故かと言えば、それはとても高価なものなので、「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」と言ったのです。この女の人、ヨハネによればマリアですが、イエス様に対して自分の出来る精一杯の事をしたのです。それが自分の持っている一番大切な香油を全部注ぎかけると言う事でした。ところが弟子達から見ると、それはもったいない事であり無駄な事をしている、と思ったのです。信仰的な事は、常識的な判断でははかられないものなのです。信仰的に精一杯の事をすることは、世の常識では無駄な事をしていると思うことが多いものなのです。例えば、誰かが全財産を教会に寄付すると言えば、その遺産を相続しようとしていた子供たちは、なんともったいない無駄な事をするのだと言って非難するでしょう。神様にささげるものを無駄なものと思うところに不信仰があるのです。利己的な思いがあるのです。

ヨハネによる福音書ではその女の人を非難したのは弟子のひとりでイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダだと言うのです。そのユダが、「なぜ、この香油を3百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と言って非難したのです。ですが彼がそう言ったのは、貧しい人々の事を心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである、と書かれています。3百デナリオンと言うと、今でいうと300万円くらいと考えられます。この事があってから、ユダは急速にイエス様から離れていくのです。よほどこのことに腹が立ったのかもしれません。このように弟子達から、この女の人が香油を無駄遣いしていると非難していることに対して、イエス様はこう言うのです。10節から13節です。

マタ 26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

マタ 26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

マタ 26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。

マタ 26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

イエス様は、この女の人を弁護しました。なぜこの人を困らせるのかと言って、かばったのです。そしてこの人は私に最善の事をしてくれたのだ。そしてその事は今しかできないことなのだと言って、その意味を悟らせようとしました。その意味とは、この人は私の身体に香油を注いで、私を葬る準備をしてくれたのだ、と言ったのです。この女の人はそのようなつもりでやったのではないのかもしれません。ですが、自分の出来る精一杯の事を今しなければ、もう出来ないかもしれない、と言う気持ちでいっぱいだったのだと思います。イエス様が、本当に十字架で死ぬかもしれないと感じていたのです。イエス様はこの女の人の事を、「はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」と言ったのです。このようにして、イエス様が言われたように、この出来事は今の世まで聖書によって語り伝えられているのです。

ですが、この出来事がきっかけになったのか、自分のものでもない高価な香油の無駄遣いに腹を立てたユダはついに裏切りへと動き出すのです。それにイエス様が本当に死ぬ気でいるかもしれないと言う事が分かったからではないかと思います。14節から16節です。

マタ 26:14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、

マタ 26:15 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。

マタ 26:16 そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

イスカリオテのユダはついに裏切りをするのです。イエス様を売り渡す金額は銀貨30枚で、これは奴隷一人の値段です。決して高いものではないのです。その値段でユダはイエス様を祭司長たちに売り渡すことを約束していたのです。事は、急激に動き出したのです。初め祭司長たちは祭りの後で、イエス様を捕えようとしていたのですが、ユダの裏切りによって、祭りの最中にイエス様を捕えることになってきたのです。これはイエス様の予言通りなのです。

イエス様は過ぎ越しの食事をエルサレムの仲間の家ですることにしていました。そしてあらかじめ伝えていた家に行ってその食事をすることになりました。20節から22節です。

マタ 26:20 夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。

マタ 26:21 一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

マタ 26:22 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。

 イエス様が弟子達と一緒に食事をしているときに、イエス様は突然びっくりするようなことを言いました。それは、「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」といました。弟子達は、非常に心を痛めたと言います。弟子達は一体誰が裏切ろうとしているのだと、怒ったのではなく、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めたのです。即ち、弟子達は皆、自分もイエス様を裏切るかもしれないと言う状況におかれていたので、自分の事を言われたのだと思ったのです。それほど、この時のイエス様の周りの状況は、イエス様が死ぬかもしれないと言う閉塞感で希望を失ってしまいそうな状況だったのです。そしてイエス様はこう言ったのです。23節から25節です。

マタ 26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。

マタ 26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

マタ 26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

 イエス様は、ユダが裏切ることを知っていたのです。ですがまだ弟子達は分かりませんでした。もし知っていたならば、ユダを止めたのだと思います。もしかすると殺したかもしれません。イエス様は、「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。」と言いましたが、はっきりとユダが裏切ると言ったわけではありません。ユダが「先生、まさかわたしのことでは」と言っても、イエス様は、その通りあなただ、と言ったのではなく、「それはあなたの言ったことだ。」すなわち、あなたがそう言ってるだけだ、と言ったのです。ヨハネによる福音書ではイエス様がパンきれを浸して、イスカリオテのユダに渡し、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言ったのです。それでも弟子達は誰も気が付かなかったのです。ユダがパンきれを受け取るとサタンが彼の中に入ったと、ヨハネ福音書は伝えています。

 この後ユダは、しようとしていることをするためにその食事の場を去っていくのです。そして祭司長たちのところへ行って、イエスを捕えるように導くのです。

その後弟子達と共にイエス様は最後の晩餐をしているとき、このように言ったのです。

マタ 26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」

マタ 26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。

マタ 26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

これは、今の教会の聖餐式の時に唱えられる式文の中にある言葉ですが、イエス様はパンを取り賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながらこう言われたのです。「とって食べなさい。これは私の体である。」と。イエス様がパンを見立てて、これは私の身体であると言った意味は二つあります。一つは、イエス様の身体は、このパンのように裂かれるだろうということです。これは十字架の上でイエス様の身体が裂かれることを意味しています。もう一つは、このイエス様の身体を食べて、命の力としなさい、と言う事です。ですからこのパンを食べるときには、イエス様が十字架の上で裂かれて死んだこと、そしてそのイエス様の死を受け止めて、命の糧として生きていくことを現しているのです。

また、イエス様は感謝の祈りを唱え、杯を弟子たちに渡してこう言われました。「これは、罪が許されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。と言ったのです。契約の血とは、普通神殿にささげられる犠牲の羊の血の事です。その犠牲の血によって自分の罪を赦してもらうのです。イエス様は、その杯に入ったぶどう酒を指して、多くの人の罪が許されるように流される私の贖いの血であり、契約の血である。この血を飲むことによってすなわちそのぶどう酒を飲むことによって、イエス様の犠牲の血を、罪を赦していただくための神様との契約の贖いの血として受け止めると言う事なのです。

そして最後にこう言ったのです。29節、30節です。

マタ 26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

マタ 26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

 イエス様はこれがこの世での最後のぶどう酒だと言いました。そして再びあなた方とそれを飲むのは神の国でともに飲む時であり、それまではもう飲むことはないだろうと言ったのです。もう十字架はすぐ近くまで来ていることを、弟子たちに教えたのです。そして一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけたのです。ここはイエス様たちの寝ぐらなのです。過ぎ越しの祭りの時は、世界中から大勢の人たちがこのエルサレムに集まってきているので、寝るところもなかったし、このオリーブ山の持ち主に了解を得て、イエス様たちはここで休むことにしていたのです。ユダは、イエス様たちが最後はこのオリーブ山に行くことを知っていたのです。ですから、ユダや、祭司長たちに、このオリーブ山で休んでいるイエス様を捕えれば、民衆に気づかれず、騒ぎを起こすこと無しに捕えることが出来ることを教えに行ったのです。

 イエス様は預言したとおり、過ぎ越し祭の時に捕えられます。ユダは、イエス様が言ったように、裏切ってしまいます。その前にはマリアはイエス様に香油を塗ります。すべてはイエス様の予定通りに粛々と進んでいくのです。私達がいかに自分の力を信じて、自分の思い通りにしていると思っていても、それはイエス様の計画が進められているだけなのです。すべてはイエス様の手の内で御心のままに進められているのです。そしていよいよイエス様は十字架にかかります。イエス様はこの事を覚えておいてほしいと言う願いから、パンとぶどう酒の聖餐をしたのです。私たちは、今でも、この聖餐式を覚えて、イエス様が十字架につけられる前に語ったこの言葉を思い起こすのです。そしてイエス様の身体が引き裂かれ、私たちの命の糧となり、イエス様の血が罪の贖いの契約の血となったことを思い起こすのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、イエス様がご自分の命を私たちに与えて下さり、その肉を裂きその血を罪の贖いの血として注いでくださったことを感謝いたします。イエス様はご自分の死から逃げることなく、あなたの御心を行うために、その道をまっすぐに歩まれました。また、マリアはその持っているすべてを注いでイエス様に葬りの用意をしました。自分の思いを貫こうとしたユダは、イエス様を裏切ることになり、他の弟子達でさえも自分が裏切るものとなることを恐れました。神様、私たちはこのイエス様の姿を思い起こし、イエス様の信仰に立って、まっすぐに歩んでいくことが出来ますように導いてください。あなたの御心がなりますように

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 

 


 

<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

 

◆イエスを殺す計略

マタ 26:1 イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。

マタ 26:2 「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」

マタ 26:3 そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、

マタ 26:4 計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。

マタ 26:5 しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。

◆ベタニアで香油を注がれる

マタ 26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、

マタ 26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。

マタ 26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。

マタ 26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」

マタ 26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

マタ 26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

マタ 26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。

マタ 26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

◆ユダ、裏切りを企てる

マタ 26:14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、

マタ 26:15 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。

マタ 26:16 そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

◆過越の食事をする

マタ 26:17 除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。

マタ 26:18 イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」

マタ 26:19 弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。

マタ 26:20 夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。

マタ 26:21 一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

マタ 26:22 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。

マタ 26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。

マタ 26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

マタ 26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

◆主の晩餐

マタ 26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」

マタ 26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。

マタ 26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

マタ 26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

マタ 26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。