家庭礼拝 2015年10月21日マタイ24章29‐51目を覚ましていなさい

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起 

 今日の聖書の箇所は、終末論のピークに差し掛かる大切な箇所です。23章で、律法学者やファリサイ人たちをあなた達偽善者は不幸だと言って嘆き、そして預言者を殺し退けるエルサレムのために嘆きました。そして、この24章に入ってからは、神殿の崩壊を予告して終末の時がやって来ることを語りました。その時には大きな苦難がやって来るから、とにかくすぐに逃げなさい。偽預言者に惑わされてはいけないと教えました。刻々と、その話は中心部分へと向かいます。

そして、今日の聖書の箇所へと入るのです。そして、その日その時の事を語ります。再臨の時です。主の再臨はどのようにやって来るのか、その時私たちはどのようにしていたら良いのかをイエス様は語るのです。ですから、私たちはイエス様が今、死を目の前にして語っているこの言葉を心して聞く必要があるのです。その姿勢が私たちの信仰生活の基本姿勢とならねばならないのです。

イエス様はついにその時の事を語りました。29節から31節です。

マタ 24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

マタ 24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。

マタ 24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

 まず最初に天体に異変が生じると言うのです。太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体はゆり動かされると言います。空が何か不気味な雲で覆われているような雰囲気です。まるで、核の冬がやってきているような感じです。それとも地上のいたるところで噴火が起きて、空を火山灰で覆ってしまっているのでしょうか。

その様な太陽さえも暗くなってしまうときに、人の子のしるしが天に現れると言います。人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見ると言います。人の子が、イエス・キリストがついに地上にやってきたのです。その時は喜びの時だったでしょうか。イエス様は言いました。地上のすべての民族は、悲しんでキリストが来るのを見る、と言っているのです。なぜ悲しむのでしょうか。もしかすると、皆、自分の罪を知って、そのためにすべての人が滅びることを思ってしまうのかもしれません。

ですが、イエス・キリストは大きなラッパの音を合図に天使たちを世界中に遣わすのです。それはイエス様によって選ばれた者たち、イエス様を信じる信仰者たちを、世界中から呼び集めると言うのです。すべての人が滅ぶわけではないのです。選ばれた人たちは救われるのです。

この24章の初めにイエス様が神殿の崩壊を予告した時に、弟子達は秘かに、「おっしゃってください、その事はいつ起こるのですか」と尋ねましたが、ここにその答えが語られています。32節から35節です。

マタ 24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。

マタ 24:33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。

マタ 24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。

マタ 24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

 イエス様は、終末の時が来る時にはその予兆があると言っているのです。季節の変わり目に自然にいろいろな変化が起こるように、終末の時が来る時にもそのような予兆がある、と言っているのです。そしてこれらすべての事を見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい、と言いました。これらすべての事とはどのことでしょうか。其れは終末の徴である、偽預言者が現れ、戦争が起こり、飢饉や地震が起こり、迫害が起こるとこがまず起こります。そしてその後に大きな苦難が起こり、天体の異変が起こり、人の子の徴が現れる、と言う事です。これらの事がすべて起ったら、終末の時がすぐそこまで来ていると悟りなさいと言っているのです。ですが、これらの事がみな起こるまではこの時代は決して滅びないとも言いました。

ここで語られているイチジクの木のたとえは、必ずしも終末の事を言っているのではないと言う説もあります。それは単にエルサレム陥落の事を言っているのではないかと言う理解もあるのです。弟子たちの質問に答えただけではないかと言う事です。なぜならば、ここではその時には予兆があり、その事を理解できると言っているのですが、次の36節には、その日、その時は誰も知らない。と言っているからです。ですからイチジクの木のたとえで語っている滅びの時はエルサレム陥落の時であり、次の誰も知らない滅びの時と言うのが終末の時ではないかと言っているのです。

このイチジクの木の教えの最後にイエス様はこう言いました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」この言葉にはイエス様の強い確信が感じられます。イエス様の言葉は必ず成就すると言う事です。この事がエルサレム陥落の事であれば、その事は、40年後にローマに滅ぼされたことで成就しました。この事が終末の事であれば、その時はまだ来てはいないが必ず成就すると言う事なのです。

 イエス様は本題の、終末の時について語られました。その日がいつ来るかは誰も知らないと言う答えでした。36節から39節です。

マタ 24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。

マタ 24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。

マタ 24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。

マタ 24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。

 終末の時は、天使達も知らなければイエス様も知らないのです。ただ神様だけがご存知だと言うのです。イエス様の再臨の時はこの終末の時に同時にやってきます。それはまるで、ノアの洪水の時と同じであると言っているのです。ノアの洪水が起こる時、選ばれたノアの家族は箱舟を作って準備をしていましたが、他の人たちはその時が起こるまで、全くいつものように食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりして、全く日常の生活をしていたのです。全く気が付かなかったのです。そしてその洪水が襲ってきたときには一人残らずさらって行ってしまうのですが、それまでは、誰も何も気が付かなかったのです。この終末の時、再臨の時もこのノアの洪水の時と同じであると言うのです。何の予兆もなくその時は起こると言っているのです。40節から43節でこう言っています。

マタ 24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

マタ 24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

マタ 24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。

マタ 24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。

マタ 24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

 その時にはノアの洪水の時の同じように、選ばれたものが生き残るのです。全く同じことをしていても、一人は連れていかれ、もう一人は残されると言っています。そして、そのように人の子は思いがけない時にやって来るのだから、目を覚ましていなさい、注意して用意していなさいと忠告するのです。私たちにはその時がいつなのかはわかりません。まだ時間があるとも、もう時間がないとも言えないのです。だから、毎日毎分をいつ来ても大丈夫なように、目を覚まして注意していなさいと言う事なのです。もしその終末の時がいつ来ると分かっていたならば、私たちは、まだ時間があるから、少しのんびりして居ようではないかと思うはずです。又時間がなければ、諦めて自暴自棄になるかもしれません。ですが、この終末の時はいつ来るかわからない、それも何の予兆もなしに突然やって来る、今すぐ来るかもしれないし、百年後かもしれないし、何時なのかは全く分からないのだから、いつも心の準備をして、目を覚ましていなさいとイエス様は教えているのです。そうすればその時に備えられるだろうと言っているのです。

 そして、その目を覚まして注意していなさいと言う事を教えるために譬え話をしたのが、次の◆忠実な僕と悪い僕の譬えなのです。イエス様はこのように言いました。45節から51節です。

マタ 24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。

マタ 24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。

マタ 24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

マタ 24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、

マタ 24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。

マタ 24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、

マタ 24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 イエス様の譬え話には、主人が旅に行って帰って来た話や、王様や花婿が旅に行って帰って来た話が良くあります。その話の中で問われるのは、その主人や王様がいない間忠実な良い僕であった者はだれか、という問いかけなのです。ここでも、主人はどこかに行って帰って来た話をしています。その家の主人が、使用人たちを管理する管理人に命じておいたのは、管理人の僕が、その家の使用人たちに時間通りに食事を与えるようにと言う事でした。良い使用人はこの主人が命じたとおりにやっていました。ですからその主人が来た時にその通りにしているのを見られて、良い僕だと言って、さらに全財産を管理させるようになるだろうと言いました。

 問題なのは悪い管理人の僕です。この悪い管理人は主人はまだやってこないから自分たちの好きなようにしよう、帰ってくるころにきちんとしているように見せれば大丈夫だろうと思っていました。そしてまだ帰ってくる日までに時間があるからと言って、その家の僕たちに対して威張り散らしたり、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしていました。もしかするとその家の僕たちに満足に食事も与えなかったのかもしれません。ところがその主人が予定よりも早く帰って来た時、その悪い管理人は、主人の命令通りにやっていないことを見つけられたのです。そして、主人はその悪い僕を厳しく罰したのです。それは、偽善者たちと同じ目に遭わせるため、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろうと言う事です。この偽善者とは、23章で出てくる、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。」と言われた偽善者と同じだと思います。すなわち、その時には律法学者やファリサイ派の人々のような偽善者は見捨てられると言う事です。

 この話の後も、十人の乙女の譬えや、タラントンの譬え、を用いて、主人が留守の時に、いかに忠実に目を覚まして、待っていることが大切かを語っています。私たちの信仰にとって、まだ時間があると思うことがとても危険な誘惑なのです。時間がある、まだ来ていないと思うことで、私たちの心の目は眠ってしまい、その時に対する備えを忘れてしまうのです。この事は私たちが、自分はまだ死なないだろうと思っていることも同じなのです。イエス様はその時はいつ来るのかもわからないのだから、いつも目を覚まして、忠実に歩み、その時が来てもしっかりと受け止めなさいと教えて下さっているのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、私たちは終末の時が来ることを本当には理解していません。再臨の時が来ることをも理解していません。イエス様が約束なさってから、二千年たっても起こらないならばあと千年くらいは起こらないだろうと思っています。少なくとも自分の生きている間に起こることはないと、タカをくくって、その終末の時が来ることを忘れて生きています。ですが今日の聖書の箇所から、まだ主人は来ないだろうと思っている悪い僕のところにイエス様は現れて、裁かれることを思いました。私たちの、まだいいだろう、まだ大丈夫だろうと言う思いが、私たちに多くの罪を犯させることを思います。神様、どうか私たちが、油断することなく、いつイエス様の再臨があってもその備えをして、目を覚まして待ち続けることが出来ますように。いつもイエス様の再臨の時を覚えて祈りつつ歩むことが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 

 


<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

 

◆人の子が来る

マタ 24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

マタ 24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。

マタ 24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

◆いちじくの木の教え

マタ 24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。

マタ 24:33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。

マタ 24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。

マタ 24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

◆目を覚ましていなさい

マタ 24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。

マタ 24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。

マタ 24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。

マタ 24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。

マタ 24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

マタ 24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

マタ 24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。

マタ 24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。

マタ 24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

◆忠実な僕と悪い僕

マタ 24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。

マタ 24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。

マタ 24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

マタ 24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、

マタ 24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。

マタ 24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、

マタ 24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」