家庭礼拝 2015年9月16日マタイ22章1‐22婚宴の譬え
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起
イエス様はエルサレムに入り、祭司長たちと論争した時に三つの譬え話をしました。一つ目は「二人の息子」のたとえ、二つ目は「ぶどう園と農夫」のたとえです。そして今日の三つ目の譬えは「婚宴」のたとえです。これらの論争は、当然祭司長や律法学者たち長老たちを相手としてはいたのですが、その周りにはこの論争を聞いている多くの群集もいました。この論争に勝つことは自分たちの立場の正しさを群集に訴えることの出来る、とても良い機会でした。
イエス様がこれらの譬え話をしたのは、これらの祭司長たちの宗教的指導者が、如何に神様の御心から遠ざかっているか、罪を犯しているかということを譬えをもってわかりやすく話したのです。
「二人の息子」のたとえでは、どちらが父親の望み通りにしたかと問いかけ、「兄の方です」と答えたその答えによって、祭司長たちは、自分たちが神様の御心を行っていないことを証言してしまいました。「ぶどう園と農夫」のたとえでは、これらの宗教的指導者は、神様から送られた預言者たちも神の子も皆殺してしまって、自分勝手に神の国を乗っ取ろうとしているとイエス様は糾弾しました。そして、今日の第三の譬えの「婚宴」のたとえでは、招かれた人々の話をしています。イエス様はこの喩えで何を語ろうとしているのでしょうか。それを聞いてみましょう。
承
では、イエス様が語った譬え話に移ります。1節から4節です。
マタ 22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。
マタ 22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
マタ 22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
マタ 22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
今日もまた、イエス様は天の国について語られました。聖書が語る天の国と言った時、日本人が抱く天国のイメージは一度捨てた方が良いようです。天の国とは神様が支配している国です。神様の御心がなる国の事です。ここでイエス様は「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」、と言っています。このある王とは神様の事です。王子と言うのはイエス様の事です。婚宴とは福音の事です。この王子の婚宴に招かれた人々がいました。これはユダヤ人たちの事です。ユダヤ人たちは、神様に選ばれ、神の民として歩んでいる民です。王様は、いよいよ婚宴が始まるので招いておいた人々を呼びましたが来ようとしませんでした。それで王様はさらに使いを出して、「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」と言いました。王様であるのに、招待したのに来ようとしない人々に対して、忍耐強く食事の用意が整いましたとの知らせまでして、低姿勢に招こうとしたのです。王様は、招待した人々を十分に喜ばせようと思って、心からのもてなしを用意したのです。招かれた人々は一体どうしたでしょうか。5節から10節です。
マタ 22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
マタ 22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
マタ 22:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
マタ 22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
マタ 22:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
マタ 22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
招待された人々は、その招待を無視したのです。すなわち、イエス様の福音の招きを無視したのです。ある人は畑に、ある人は商売に出かけて行ってしまったのです。王子の婚宴の祝いよりも自分の仕事や用事の方が大切だと思ったのです。むしろ、この招待された人たちは王子の婚宴を良く思っていなかったのです。自分たちの気に入らなかったのです。ですから、王様の家来が招待しに来たのに、それを捕まえて乱暴し、殺してしまうことまでしたのです。これは、イエス様の福音を伝える者たちを捕まえて乱暴し、殺してしまうことを言っているのです。このマタイによる福音書は、イエス様が十字架につけられて、死に、そしてその後弟子達が迫害に会い、ついにはエルサレム神殿がローマに滅ぼされてしまった後に書かれたものです。ですから、7節では、王は怒り軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払ったと書いています。この7節はイエス様の言葉にはふさわしくなく、後世の人がその歴史の出来事から書き足したのだろうと言われています。すなわち、この7節は、その後、ローマがユダヤを滅ぼしてしまったことを言っているのです。
招待した人たちを滅ぼしてしまった王様は言いました。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』これは、もともと福音はユダヤ人のために用意されたものであったのですが、ユダヤ人たちはそれを無視し、そして拒絶したので福音にはふさわしくないものとなったのです。ですから、王様は見かけたものは誰でも婚宴に連れてきなさい、と言いました。すなわちその福音を貧しい人たちや、罪人や、異邦人のためにも与えてあげなさいと言ったのです。この福音は、もともと異邦人たちに伝えられるためにではなく、ユダヤ人たちがそれを拒絶したために伝えら得るようになったと言うことを言おうとしているのです。王様に命じられて、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった、と書かれています。このようにして福音は善人にも悪人にもユダヤ人以外のすべての人にも与えられるようになったと言うことなのです。
この婚宴の話はここで終わりではなく、まだその後が続いています。ですが、本来はここから先の話は別の婚宴の話と考えた方がいいのです。二つの話が、婚宴つながりで一つにまとめられたと考えられます。ではその二つ目の話を見てみましょう。11節から14節です。
マタ 22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
マタ 22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
マタ 22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
マタ 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
この話は一体何を意味しているのでしょうか。この婚宴に招かれた人たちは突然、招かれたので、礼服の準備が出来なかった人もいたのです。ある意味で、しょうがないではないか、かわいそうにと思うところもあるのですが、この話は、いつ来るかもわからない王様の招きにしっかりと準備しているかという話なのです。べつのはなしに、同じマタイの25章に「10人の乙女の譬え」の話がありますが、油の用意をしていなかった愚かな乙女が、花婿に、「私はお前たちを知らない」と言って締め出される話に似ています。私たちは何時招待されてもいいように、いつ神様が訪れてもいいようにその備えを準備をしていないと、大変なことになってしまうと言うことなのです。礼服とはその準備を言っているのです。神様の福音にふさわしい準備をしていないといけないのです。招かれる人は多いのです。多くの人々が招かれているのです。ですがその招きにふさわしく準備をしている人は少ないので選ばれる人は少ないのです。最初の話は、招きに応じない人々の話であり、その次の話は招きに応じてもその準備が出来ていなかった人々の話です。神様の招きに正しく答えて行けるように祈り続けたいと思います。
転
イエス様は、これらの三つの譬え話で、ユダヤ人たちが神様に対して、いかに不信仰であり不従順であったかを語りました。「二人の息子」のたとえ、「ぶどう園と農夫」のたとえ、そしてこの「婚宴」のたとえで、イエス様に痛烈に批判され、神様の信仰は不信仰なユダヤ人から、信仰する罪人や異邦人たちに与えられることを言われたのです。そこまで言われて、祭司長たちは黙っていませんでした。それで、なんとかイエス様を陥れようと策を練り、またイエス様を油断させるようにして、近づいていったのです。15節と16節です。
マタ 22:15 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。
マタ 22:16 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。
ファリサイ派の人々とヘロデ派の人々はふつうは敵対しているのですが、このイエス様に対しては、結束して対抗しているのです。そしてイエス様が答えられないような質問をして、群衆を失望させようとしたのです。この人たちはいい考えを思いつき、イエス様に、さも本当に尊敬してその教えを尋ねるような振りをし、低姿勢で話しかけました。そして質問したのです。17節です。
マタ 22:17 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
この質問に答えるのはとても難しいのです。皇帝に税金を納めるのは、律法にかなっていると言えば、神様を信仰している人々からは軽蔑されその信頼を失うでしょう。皇帝に税金を納めるのは、正しくないと言えば、ローマから謀叛を起こすものとしてとらえられるかもしれません。ユダや人たちはこれでイエス様を追い詰めたと思ったのです。ですがイエス様は彼らの悪意に気づいてこう言いました。18節から22節です。
マタ 22:18 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
マタ 22:19 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
マタ 22:20 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
マタ 22:21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
マタ 22:22 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。
税金を納めるべきかどうかを問われた時、イエス様は、税金に納めるお金を見せなさいと言って、デナリオン銀貨を取ると「これは、だれの肖像と銘か」と尋ねました。貨幣にはたいていその時の支配者の肖像が刻まれており、その円周上にはその名前が刻まれていました。ちなみにいうと、ユダヤ人たちは自分たちの貨幣というものを今に至るまで持ったことがないのです。その時代の支配者はローマであったのでその銀貨には皇帝の肖像と銘が刻まれていたのです。するとイエス様は、ユダヤ人たちが思ってもいなかった答えをしたのです。それは、「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と言ったのです。貨幣は皇帝のものですから、それを使っていると言うことで、皇帝に税金を納めなさいと言うことであり、与えられた恵みは神様から与えられたものであるから、その一部を神様に捧げなさい、と言ったのです。そこには何の矛盾も葛藤もありませんでした。イエス様は皇帝と言うこの世のものと、神様と言う神の国の方を一緒くたにすることはなかったのです。ユダヤ人たちの考えの間違いは、一つのお金を、これは皇帝のものか神様の者かと、同列に考えていたのですが、イエス様は、この世のものと神の国のものは全く次元の違うものとしてとらえていたので全く問題にならなかったのです。
ファリサイ派の人々は、イエス様をへこませてやろうと思って難題を吹きかけたのですが、むしろその回答に誰もが驚き、ファリサイ派の人々はイエス様をそこに残して、立ち去らずにはいられなかったのです。
私たちも同じように、この世のものと神の国のものを混同して同列に考えて損得に捉われたりします。私たちの献金も奉仕も、同じような間違った考えがないとは言えません。私達もまた、振り返って注意すべきことではないでしょうか。
結
エルサレムに入ったイエス様は、祭司長たちやファリサイ派の人々などの宗教的指導者を譬えをもって批判しました。そして、もう神様の信仰はあなたたちに与えられるのではなく、罪人や異邦人たちに分け与えられる事を譬えの中で語りました。そしてその通り、いま世界中で、世界の三分の一の人々はイエス様の教えを信じ従っているのです。そのような事を公に言うイエス様の事を祭司長たちは黙ってみているわけがありませんでした。最初は今日の話の様に相手を陥れようとするのですが、逆に打ち負かされてしまいます。そして最後には罪の無いイエス様を十字架につけるところまで行ってしまうのです。私たちの信仰は、このようなイエス様の予言通りに、拒否したユダヤ人にではなく、受け入れた異邦人たちに伝えられました。それはイエス様の命と引き換えの事だったのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちに信仰が与えられ、あなたを信じて賛美して生きる幸いを感謝いたします。ユダヤ人たちが、自分たちはアブラハムの子孫だと思って、その信仰の救いの上に胡坐をかいて、神様の事を忘れてしまったように、私達もクリスチャンだ、洗礼を受けていると言ったことに胡坐をかいていると、いつの間にか本当の神様の御心を忘れてしまうかもしれません。そしてその信仰をもっと別の人々に与えられるのかもしれません。どうかあなたの招きを心を素直にして受け入れていくことが出来ますように。神様の恵みの内に生きることが出来ますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
◆「婚宴」のたとえ
マタ 22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。
マタ 22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
マタ 22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
マタ 22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
マタ 22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
マタ 22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
マタ 22:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
マタ 22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
マタ 22:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
マタ 22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
マタ 22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
マタ 22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
マタ 22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
マタ 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
◆皇帝への税金
マタ 22:15 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。
マタ 22:16 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。
マタ 22:17 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
マタ 22:18 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
マタ 22:19 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
マタ 22:20 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
マタ 22:21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
マタ 22:22 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。