家庭礼拝 2015年9月9日マタイ21章23‐46ぶどう園と農夫の譬え
賛美歌392 主の強い御腕よ聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌394信仰受け継ぎ
起
イエス様がエルサレムに入られてから、二日目になりました。ここから先はずっと、パリサイ人や律法学者達との論争が続きます。この二日目の朝に起こったのが、前回のイチジクの木の話です。これはこれから先の事を暗示しているような気がします。季節でもないのに葉が茂り、実が出来ないのに、さも実があるように葉が茂っているのです。ですがイエス様は、「これから後、いつまでも、お前には実がならないように」を言われ、イチジクの木はたちまち枯れてしまいました。これはユダヤ教の信仰の見かけの繁栄が、その実を結ばずに、枯れることを指しているのだと思うのです。
イエス様は前の日、神殿から、商人を追い出しました。その時こう言いました。「こう書いてある。『私の家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」と。この時、パリサイ人や律法学者たちは、イエス様が越権行為をして、商人たちを追い出しても、何も言いませんでした。それはもしかすると本当の預言者かもしれないと考えていたからかもしれません。預言者が現れると宮浄めをすると言い伝えられていたからです。
ですから次の日、イエス様が神殿に現れると、イエス様に最初に聞いたのは「何の権威でこのような事をしているのか」と言う質問でした。あなたにそのような事をする権威があるのか。あるならばそれを証明してほしい、ということです。ユダヤの議会、サンヒドリンには偽預言者を調べる責任がありました。偽預言者がいつも絶え間なく出ていたからです。イエス様もその偽預言者と疑われていました。ですから、派遣されたパリサイ人や律法学者たちが、イエス様に付きまとって、いろいろな質問をし、また、そこで起こった色々な出来事を、サンヒドリンに報告していたのです。
ですが、ここはもうエルサレム神殿の中です。彼らのおひざ元です。そこで祭司長たちは、はっきりと、何の権威を持っているのかを直接問いただしたのです。イエス様が偽預言者かどうかをはっきりさせる必要があったのです。
承
では、23節から25節の初めまでです。
マタ 21:23 イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
マタ 21:24 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
マタ 21:25 ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」
今までは、祭司長たちに指示された、パリサイ人や律法学者たちがイエス様に問いかけていましたが、ここはもう神殿内なので、直々に祭司長や長老たちがイエス様に問いかけてきたのです。それは「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」と言うことです。
ユダヤ教の教師たちは、その権威を人からすなわちその先生から与えられてきました。又預言者たちはその権威を神様から与えられてきました。ですから、祭司長たちは、納得のいく権威の授け主の説明を求めてきたのです。彼らは、有名な権威ある先生からその権威を授けられたと言うなら理解できるでしょう。しかし神様からということは理解できないのです。
イエス様は、彼らの理解できない回答を直接答えることはしませんでした。その代り、相手の質問に対して、質問で答えたのです。それは、「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」と言う質問なのです。なぜイエス様はこの質問をしたかと言うと、イエス様とヨハネとは同じ立場にあるからです。それはイエス様もヨハネも、人からの権威を授かってはいません。神様からその権威を授かっているのです。ですが、祭司長たちはそれを認めているわけではありません。ですが民衆はそれを認めていたのです。ですから、このような質問をして、自分の権威の説明の代わりに、ヨハネの権威について、祭司長たちに答えさせようとしたのです。ヨハネを認めればイエス様を認めざるを得ず、イエス様を否定すれば、ヨハネをも否定せざるを得ない状況を作ったのです。彼らはどう答えたでしょうか。25節から27節です。
マタ 21:25 ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
マタ 21:26 『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」
マタ 21:27 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
祭司長たちは、このようにいろいろと迷いました。それは何が正しいかということよりも、どう答えれば、問題を起こさずに済むかということに、頭を悩ませたのです。『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と彼等に言うだろうと思い、さらになぜイエス様をも信じないのかと言われることを恐れたのです。また、『人からのものだ』と言えば、ヨハネを預言者だと思っている群衆が怖いし、イエス様を預言者だと思っている人々をも恐れていたのです。それで問題を起こすまいとして、「分からない」と答えたのです。祭司長たちは、偽預言者を明らかにする立場にありながら、分からないと言ったのです。それは自分たちの義務を果たさないことになります。ですから、イエス様は、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」と言って、彼らの質問には答えなかったのです。ですが話はこれで終わることはありませんでした。イエス様は祭司長たちの態度を非難して、3つの譬え話をしました。これから話をします、「二人の息子の譬え」と「ぶどう園と農夫の譬え」それと22章に移りますが、「婚姻の譬え」の話です。これらの譬えを用いて、祭司長たちのとっているあいまいな態度が神様に対してどのような罪を犯しているのかを痛烈に批判しているのです。
転
では最初の「二人の息子の譬え」です。区切らずに、一気に読んでみましょう。28節から32節です。
マタ 21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
マタ 21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
マタ 21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
マタ 21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
マタ 21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
この譬え話で、ある人と言うのはヨハネの事です。神様の事ではないかと思いがちですが、32節で、ヨハネが出てくるので、これはヨハネの事なのです。そのヨハネに相当する人に息子が二人いたと言うのです。これは本当の息子と言うことではなくその父に従うべき人と言う意味ですが、二人の息子はどちらもある欠点を持っている息子です。言葉と行動が違うのです。
最初にこの父は兄の方に行って『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言いました。次の譬え話も同じですが、ぶどう園と言うのはイスラエルの民です。この父は兄と弟にイスラエルの民のために良き働きをしなさいと言っているのです。この兄と言うのは父に、「いやです」と言いながら、後で考え直して、ぶどう園に出かけました。弟の方は『お父さん、承知しました』と言って出かけなかったのです。どちらも言葉と行動とが一致していなかったのです。両方ともその様に、不完全な息子たちですが、いったいどちらの方がましなのかと言う話なのです。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか、と言う質問なのです。祭司長たちはイエス様が何を譬えているのかに気が付かず、彼らが「兄の方です」と答えると、イエス様は「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」と言ったのです。ここではっきりしました。兄とは最後にはヨハネの言葉を信じて行うようになった、徴税人や娼婦たちであって、弟とは言葉だけ従うふりをして、実際にはヨハネの言葉を信じようとも、行おうともしなかった祭司長や長老、パリサイ人であると言うことなのです。彼らはその譬えの真意を理解せず、兄に例えられた、取税人や娼婦たちの方が、弟に例えられた自分達よりも正しかったと言ってしまったのです。祭司長たちは、自分で自分の間違いを認めてしまったのです。
さらにイエス様は、もう一つの譬え話をしました。ぶどう園と農夫の譬えです。33節から40節までの譬えの部分を、一気に読んでみます。
マタ 21:33 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
マタ 21:34 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。
マタ 21:35 だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。
マタ 21:36 また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
マタ 21:37 そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。
マタ 21:38 農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』
マタ 21:39 そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。
マタ 21:40 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」
この譬え話は、緻密に組み立てられた話です。一つ一つにしっかりと意味が込められているのです。ここで例えられているものがなんであるのかを一つ一つ確認しながら読んでみましょう。
ある家の主人が、ぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出ました。この主人と言うのは神様の事です。ぶどう園と言うのはイスラエルの民です。そして農夫達というのはイスラエルの宗教指導者たちです。この時代には実際にこのように、ぶどう園に必要なものを全部用意して、小作人に貸し出し、刈り入れの時にその収入を受け取りに来ると言う方法がとられていたのです。同じように、神様はイスラエルの人々を養うために、宗教的指導者たちに必要なものは全部備えてやって、後は信頼してイスラエルの民を任せ、遠く離れていたのです。
さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、この主人は僕たちを農夫たちのところへ送りました。僕と言うのは預言者の事で、神様の使いです。神様は、宗教的指導者である、祭司長や律法学者、ファリサイ人たちが、イスラエルの民を正しく養って実りをもたらしていると考えて、その収穫を得るために、神様の使いの預言者を遣わしたのです。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺したのです。すなわち、宗教的指導者たちは、神様の使いの預言者たちを袋叩きにしたり殺したりしたのです。神様は忍耐強く又寛容であったので、すぐにこの農夫たちを滅ぼすようなことはしませんでした。悔い改めるのをまったのです。ですからまた、他の僕たちを前よりも多く送ったのですが、農夫たちは同じ目に遭わせて殺してしまいました。預言者たちは、またもや殺されてしまったのです。それでも神様はその宗教的指導者たちに復讐しようとはしませんでした。彼らが神様を敬い、神様に従うことを願ったのです。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送ったのです。農夫たちは、その息子を見て話し合いました。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまったのです。ここで、私の息子と言うのは、イエス様の事です。預言者たちが行っても、皆殺されたのですが、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言ってイエス様をこの世に遣わしたのです。すると祭司長たちや律法学者、ファリサイ人たちに当たる農夫達はそのイエス様を捕まえて、ぶどう園の外に放り出して殺してしまったと言うのです。イエス様の殺されたゴルゴタの丘と言うのは、エルサレムの城壁の外にありました。イエス様はこの時すでに、自分がどこで殺されるかまで知っていたのです。これが、イエス様が譬えに込めていた内容なのですが、祭司長たちはまだ、この喩えに込められた内容を理解していませんでした。
この譬え話をした後で、イエス様は祭司長たちにまた質問しました。40節と41節です。
マタ 21:40 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」
マタ 21:41 彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」
祭司長たちは、その農夫に例えられた悪人どもと言うのは自分たちの事であることに気が付かなかったので、「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」と言ったのです。すなわち、自分たちのやっていることは神様から罰を受けるに違いない。そしてその恵みは別の人たちに与えられるに違いない、と言ってしまったのです。
そして、イエス様はこれらの譬えの結論をこう言ったのです。42節から44節です。
マタ 21:42 イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』
マタ 21:43 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
マタ 21:44 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
ここで石とはイエス様の事です。家を建てるものとはイスラエルの宗教的指導者です。その指導者たちの捨てた石、すなわち祭司長たちが殺したイエス様が、神様の神殿の親石、最も大切な基礎の石となったと言うのです。そしてイエス様が裁きを与えるようになると言うことです。すなわち、神の国はイスラエルの宗教的指導者たちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族、異邦人たちに与えられるだろうと言っているのです。
ここまで言われて、祭司長たちはこれらの譬えが自分たちの事を言っているのに気が付いたのです。45節と46節です。
マタ 21:45 祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、
マタ 21:46 イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。
祭司長たちやファリサイ派の人々は、イエスの譬えをやっと理解し、自分たちがとんでもない回答をしていたことに気が付いたのです。それで、自分たちを侮辱した罪で、イエス様を捕えようとしましたが、群衆を恐れて捕えることが出来ませんでした。ヨハネの時と同じように、群衆はイエス様を預言者だと思っていたのでそんなことをすれば暴動になると思ったのです。イエス様はそこまで彼らの心を見抜いて、これらの譬え話を語っていたのです。
結
今日の譬え話は、イエス様がイスラエルの宗教的指導者が、神様からどう見えているのか。イエス様がどんな立場にあるのかを譬えを用いてわかりやすく語っています。ですが、これは宗教的指導者だけではなく私たちにも起こりかねない話です。二人の息子の譬えでは、立派な返事をしている息子がその父の望み通りにしたのではなく、正直に反抗した息子が実は父の望み通りにしたのは、言葉はうわべの姿ではなく、本当に心から従うものが誰であるのかを問われてきます。見かけに騙されてはいけないのです。見かけに捉われてはいけないのです。その実質が大切です。ぶどう園と農夫の譬えでは、信仰を自分のもの、教会を自分のものとしているものの中に神様がいるのではなく、むしろそこから排除されたものの中にイエス様がおり、神様が居られることを思います。イエス様が本当にはどこにおられるのか、私たちの心を純粋にして、訪ねていきたいと思うのであります。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。あなたは見かけではなく、心を探られる方です。私たちが外見的にはどのようであっても、心においては真実にあなたを崇め、あなたに従うものでありますように。神様から与えられた信仰を自分勝手に用いるのではなく、神様が遣わされた、イエス様の御心に従って用いていくことが出来ますように。あなたの目が、見かけではなく罪人とされていた、徴税人や娼婦たち、そして異邦人たちの中であなたへの信仰を持ち続けたものに注がれていますことを感謝いたします。私達もまた、偏見を持つことなくそのような人々と共に生きることが出来ますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆権威についての問答
マタ 21:23 イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
マタ 21:24 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
マタ 21:25 ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
マタ 21:26 『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」
マタ 21:27 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
◆「二人の息子」のたとえ
マタ 21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
マタ 21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
マタ 21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
マタ 21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
マタ 21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
マタ 21:33 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
マタ 21:34 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。
マタ 21:35 だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。
マタ 21:36 また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
マタ 21:37 そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。
マタ 21:38 農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』
マタ 21:39 そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。
マタ 21:40 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」
マタ 21:41 彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」
マタ 21:42 イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』
マタ 21:43 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
マタ 21:44 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
マタ 21:45 祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、
マタ 21:46 イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。