家庭礼拝 2015年7月29日マタイ19章1‐15離縁について教える
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起
ヘルモン山でイエス様の姿が変わり、モーセとエリアが現れてから、イエス様はエルサレムの十字架に向かって、まっすぐに進んでいかれます。そして、イエス様はご自分の死と復活について弟子たちに語られました。そして、その後弟子達に、イエス様はいくつかの大切な事を話されました。最初は、小さなものを大切にしなさい、ということでした。子供の様になるものが天の国では一番偉いのであると教えました。次に兄弟を赦しなさい、と教えました。7の70倍までも許しなさいと教えたのです。それは、神様からその何百倍、何千倍もの許しをいただいているからです。
これまで、子供と仲間の話がありましたが、今日の話は妻についてです。しかも離縁についてです。これはユダヤ人の中でもいろいろな見解があって、必ずしも一つにまとまっていたわけではなかったので、パリサイ人たちはイエス様に質問したのです。イエス様はこの中で、妻と夫はどのような関係なのかを話ました。
ここに語られた、子供、仲間、夫婦は私たちの日常の中にあって、一番身近な大切な人間関係を現しています。人間関係がなかなかうまくいかない現代にあって、私たちにいかに生きるべきかを教えています。現代的な考え方と、イエス様が教えられた考え方では何が違っているのか、クリスチャンとしての人間関係の在り方はどうするべきなのかを教えられるところであります。
承
さて、イエス様は今はどこまで来られたのでしょうか。ヘルモン山のあるフィリポ・カイザリア地方から、ガリラヤに来て、さらにユダヤ地方に行かれるのです。これはヘルモン山を降ってからは、まっすぐに、エルサレムに向かっていると言うことなのです。1節と2節です。
マタ 19:1 イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
マタ 19:2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
イエス様たちは、宣教の拠点である、ガリラヤ地方を去って、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方まで行かれました。今までの聖書の記述で、ヨルダン川の向こう側と言うと、ヨルダン川の東側の異邦人の地のような気がしますが、ここではヨルダン川を横切るのではなく、ヨルダン川の流れを過ぎ去ってさらにユダヤ地方に行かれたと言うことです。すなわちもうエルサレムはかなり近くなったと言うことです。
そこでも大勢の人々がイエス様のところに集まり、イエス様は大勢の人々を癒されたのです。
転
すると、そこにまたもやファリサイ人たちが、イエス様のところに来てイエス様を試そうとしました。実はその質問の答えは、ユダヤ人たちの中でもまだ結論の出ていない話であったので、必ずしも、イエス様を試したと言うだけではなく、イエス様がどんな答えを言うか聞いてみようとしていたのだと思います。3節から6節です。
マタ 19:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
マタ 19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
マタ 19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
マタ 19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
ファリサイ派の人々の質問は、ほとんどの場合、本当に知りたくて質問をしていると言うよりも、イエス様の揚げ足取りをして、イエス様を裁判にかけようとしたり、評判を落とそうとするものでした。ですからしばらくの間イエス様は異邦人の地を宣教して歩き、ファリサイ人たちとは会わないようにしていたのですが、ここはもうユダヤの地です。当然ファリサイ人たちは質問してくるのです。ですがその質問はファリサイ派の人々の中でも意見の分かれている質問でした。それは、理由があるならば、夫は妻を離縁することが出来るかどうかということです。離縁することが出来るのはいつも夫の側であり、妻は離縁される側です。そして質問のポイントは、どんな理由の時に離縁することが出来るかということなのです。その点においてファリサイ派の人々の間でも意見が分かれていたのです。一番狭くとらえている人々では、姦淫を犯した妻や子供の出来ない妻は離縁されなければならないとしていたのですが、その他の事ではどんなにだらしない妻でも離縁してはいけないとしていました。一方、一番広く考えている人々では、自分が気に入らなくなった妻は離縁される理由となるとして、簡単に離縁されていました。そこには同じ律法でも解釈によって大きな幅があったのです。それでイエス様にこのような質問をして、イエス様の見解を聞こうとしたのです。
このような考えは、今の時代からすると、女性の人権を無視したとんでもない考えだと思いますが、この時代の世界の中では、ユダヤ教の世界が結婚について一番高い理想を掲げていたのです。他の世界では、女性は完全にものと同様であり、何の権利もなかったので、いつでも離縁することは可能だったのです。こんな議論にもならなかったのです。もう一つは、姦淫に比べると子供が出来ないと言うのは罪が軽いのではないかと思われますが、この時代はそうではないのです。ユダヤ人にとって、結婚は神聖な義務であり、それは、神様の命令である、「産めよ、増えよ」と言う命令に従うことなのです。ですから子供の出来ないものは、神様の命令に従わないものと考えられるので、離縁されるのです。
イエス様はどうお答えになったでしょうか。イエス様は聖書の言葉をもって、こう答えたのです。
「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
イエス様の答えは、「夫婦は神様によって一体とされている。だから人がそれを離縁してはならない。」と言うことでした。これは聖書そのものであり、単純明快な答えでした。これが原則であり、これ以外にないと言う答えだったのです。ですがファリサイ派の人々もイエス様の弟子達も、ユダヤ人すべての人の関心事は、離縁できるかできないかと言うことではなく、どのような条件で離縁できるかということだったのです。離縁できることが大前提だったのです。ですから、彼等も聖書を根拠にこう反論してきたのです。
マタ 19:7 すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
マタ 19:8 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
マタ 19:9 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
ファリサイ派の人々は、聖書の言葉を引用して、モーセは離縁状を渡して離縁するようにと言っているではないですか、それはどうしてですか、と反論したのです。離縁してはいけないものなら、そんなことを言うはずはないではないですか、と言うことなのです。するとイエス様は、「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを赦したのだ。」と答えたのです。そして、それは最初はそうではなかったのだとも言いました。最初は、アダムとエバしかいなかったのです。離縁と言う考えすらなかったのです。神様はそのような状態で、二人を一体とされたのです。ですが人が多くなり、どうしても離縁して、他の女性と再婚したいという人が増えてきたのです。それを無理に離縁しない状態にとどめておくと、かえって女性の被害が大きくなったのです。ですからモーセは、女性がひどい被害にあわないように、離縁してもそのあと再婚が出来るように、離縁状を渡して証拠とし、再婚できるようにしてあげたのです。モーセも本当は離縁が良くないとは思っていたのですが、女性の将来を考えて、離縁状をもって離縁することを認めたのです。ですが後世のユダヤ人たちはそのようなモーセの思いを知ることなく、ただ夫の権利として、離縁状を渡せば離縁できると解釈してしまったのです。
イエス様の見解は、離縁は原則的に赦されていないことなので、妻を離縁して他の女を妻にするものは、姦通の罪を犯すことになると、言いました。結婚倫理に厳しいユダヤの社会では姦通の罪を犯すと言うのは重大な罪を犯すことであり、神様の前に汚れたものとなることなので、イエス様の言葉に恐れを懐きました。
このイエス様の言葉には、ファリサイ派の人々どころか、イエス様の弟子達でさえも恐れ慌てたのです。10節から12節です。
マタ 19:10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
マタ 19:11 イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
マタ 19:12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
イエス様が離縁することはできないと言われたのを聞いて驚き、弟子達はこう言ったのです。「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」弟子たちにとってさえも、離縁できないと言うことはとても恐ろしいものだったようです。これは今の私たちには理解できません。もしかすると、妻は離縁されないと知るならば、夫に対してどんなに横暴にふるまい、夫に対して、すっかり面目を失わせるようなことをするかもしれないし、実際にそんなこともあったのだと思います。夫がそんな状況になるのは、生きていくのも苦痛な、屈辱的な生活となるのです。それは主人が奴隷に使われているような状況なのです。ですからその当時の社会的な風習としては、離縁できないと言うことは考えられないほどとんでもない事だったのです。
イエス様は、「離縁できないのは神様が示した律法だから守りなさい。」とは言いませんでした。イエス様はそれは原則ではあるが、状況によって、捉えなおすことの出来るものであると言うことを言ったのです。すなわちモーセの教えがそうなのです。ですからイエス様はこう言いました。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。」イエス様は、恵まれたものだけが、イエス様の離縁してはいけないと言う言葉を受け入れることが出来るのだと言いました。恵まれたものとは、夫婦は一体であると言うことを受け入れ、どんな困難があっても、神様と、聖霊と、イエス様に導かれ、支えられて、理想的な人格関係を築いて行ける人々、すなわち、同情と理解を深め、赦す心、思いやり深い愛を育てていける人々だけが、夫婦は一体であると言う言葉を受け入れて、そのように生きることが出来るのだと言ったのです。
そして、結婚しない方がましだと言った弟子たちに対しては、それもいいだろうと言う意味で、このように言ったのです「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」ここでは、天の国のために結婚しないことも許されている、ということを言っているのです。旧約の世界は「産めよ、増えよ」の世界なので、結婚しないことは罪悪だったのですが、イエス様は、天の国のために結婚しないことは許されていることを教えたのです。
イエス様の言われたことをまとめると、「離縁してはいけない、神様の恵みによって、一体となったものとして、困難を乗り越えていきなさい。もしそれが出来ないのならば、結婚しないことも許されている。」と言うことなのです。
そしてこの離縁の話が終わった時、イエス様に手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来ました。弟子達はイエス様を煩わせるのを避けようとして、その人々を叱り遠ざけようとしました。しかし、イエス様はこう言われました。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られました。
変貌の山を下りられてから、子供と仲間についての話がありましたが、今日の話は妻についてでした。そして最後に、もう一度子供の話に戻るのです。そして最初の時と同じように。天の国はこのような者たちのものである、と言って子供たちを祝福したのです。
結
イエス様のこの一連の話は、私たちの一番身近な人間関係における話です。子供に関しては、この様な小さなものを受け入れなさい、このような者こそ天国では一番偉いものであると言い、仲間に対しては、どんなことがあっても許しなさい、あなたたちは神様から多くの許しを受けているのだからと言われ、妻に対しては、あなたたちは神様によって一体とされているのであるから、離れることはできない。ただ神様の恵みによって、共に生きなさいと教えられているのです。このすべての事は、受け入れることによって成り立っているです。神様の恵みのもとにあって、子供も、仲間も、妻も感謝して受け入れていきなさい、というのはイエス様のメッセージなのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちがあなたによって、多くの恵みと許しとを与えられ、生きることを赦されておりますことを感謝いたします。その感謝と喜びとをもって、小さなものを大切にし、仲間の過ちを心から許し、夫婦はいつも思いやりをもって受け入れていくことが出来ますように。そこにいつもあなたがおり、あなたの恵みと導きとによって、私たちがお互いを受け入れ合って生きるものでありますように。どうか自分勝手に、自己中心的に生きるものではありませんように。すべての出会いに感謝し、全ての出来事を受け入れ、すべての事にあなたの御手の業を見ることが出来ますように。
この祈りを主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆離縁について教える
マタ 19:1 イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
マタ 19:2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
マタ 19:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
マタ 19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
マタ 19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
マタ 19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
マタ 19:7 すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
マタ 19:8 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
マタ 19:9 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
マタ 19:10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
マタ 19:11 イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
マタ 19:12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
◆子供を祝福する
マタ 19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
マタ 19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
マタ 19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。