家庭礼拝 2015年7月22日マタイ18章15‐35兄弟の忠告
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起
先週は、小さき者のようになりなさい、小さき者を大切にしなさいという話が3つ続きましたが、今週は、仲間のための話です。聖書では、兄弟があなたに対して罪を犯したならどうしたらよいのかという話が二つ書かれています。一つ目はイエス様が語りだした話で、兄弟が罪を侵したら、どのように忠告し、また教会に申し出たらよいのか、ということ。二つ目はペトロの切り出した話で、兄弟が罪を犯したなら、何回まで赦したらよいのだろうかという話です。兄弟と言うのは信仰の仲間です。要するに教会の信徒たちの事です。ここには教会で起こる具体的なさまざまな事に対して、教会ではこうあるべきだと言う基準が示されています。
ですが、イエス様の生きていた時代には、まだ教会というものがありませんでした。そしてこのマタイによる福音書でも、教会という言葉が使われているのは2か所しかないのです。ですから、教会という言葉が使われるようになった、もっと後の時代の話が、ここに付け加えられているのではないのかという理解もあるのです。特に前半の話は、イエス様の教えにしては、律法的すぎるので、これはイエス様が語った話ではないのではないかとも考えられています。イエス様はこのようなルール、規則で縛るようなお方ではないからです。ですが、そこにはイエス様が語ったかもしれない、考えの真髄もあります。このような事を背景として理解しつつ、今日の聖書の箇所を学んでいきたいと思います。
承
それでは最初に、イエス様が語った話を聞いてみましょう。15節と16節です。
マタ 18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
マタ 18:16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
兄弟が、あなたに対して何か罪を侵したら、あなたはどうしたらよいのかをイエス様は言っています。ふつうはそれに対して、あまり面と向かって言うことはなく、陰口を言ってすましたり、恨みを持ったり、復讐したりしようとします。なかなか直接に話をすると言うことはできません、冷静に対応できなくて、かえってこじらせることを心配するからです。ですがイエス様は、逃げないで、その人と二人きりになって、直接忠告しなさいと言っています。相手を責めるのではなく、忠告するのです。穏やかに、相手の非を悟らせるのです。それが第一に行うべきことであると言っています。私たちはそのようにしているでしょうか。直接、話し合うことをしているでしょうか。私たちは、神様が共に居られることを信頼して、勇気をもって直接、誰も交えずに、ただ神様の存在を信じて話し合うべきなのです。そうすれば共に居られる神様が、解決へと導いてくださるのです。その様にして相手があなたの言うことを聞いてくれたならば、兄弟を得たことになるとイエス様は言っています。本当に信頼できる関係となるのです。
ですがいつもうまくいくとは限りません。その様な場合には今度は二人だけではなく、他にさらに一人か二人を一緒に連れて行って話をしなさい、と言っています。これは自分の応援団を連れていくと言うのではなく、お互いの言っていることが第三者の目で判断され、その証人によってその罪が確定されるようにするためです。これはこの時代の裁判の在り方においてもこのような証人を立てて、証明をすることが必要だったのです。ですが、信仰者同士の事は裁判によって決めるのではなく、まず、自分たちで決めるのが神様の御心に適うことなのです。
ですがそれでも解決できない場合があります。その場合には裁判ではなく、教会に申し出なさいと言っているのです。この当時でも裁判は行われました。ですが、教会員同士のもめ事を解決するのに、教会を外に置いといて、裁判をすると言うのは不信仰とされました。17節です。
マタ 18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
この言葉は実は大きな問題を含んでいます。考え方は良いにしても、これが本当にイエス様が言った言葉なのかが問題なのです。なぜならば、まだ教会の無かったイエス様の時代に、教会に申し出なさいと言うはずがないからです。ですから、これはそれからずっと後のパウロの宣教時代以降の教会員同士のもめ事に対して、定められた、教会の規定ではないかと考えられています。
さらに問題なのは、教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様にみなしなさい、と言って、異邦人や徴税人を最悪の罪人のように言っていることです。イエス様は、むしろ異邦人や徴税人などの罪人と言われる人たちの友となり、その人たちこそ先に天国に入る人たちだと言っているのに、そんなことを言うはずがないのです。むしろこの考え方は、従来のユダヤ教の律法に沿った考え方です。もしこの事をイエス様が言ったとすればもっと別の解釈が必要になります。イエス様は異邦人や徴税人を友として扱ったのですからその様に扱いなさいと言うことになります。でも、ちょっと無理があるかもしれません。
さらにイエス様はこう言われました。18節から20節です。
マタ 18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
マタ 18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
マタ 18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
ここで地上でつなぐ、地上で解くと言うような言葉が使われていますが、これは罪を赦したり許さなかったりすることです。ここであなた方、と呼んでいるのは教会の事を指しています。ですから、教会が罪に定めたり罪を赦したりすることは天上でも同じように、罪に定められたり、罪を赦されたりするような権能が地上の教会にあるのだと言った、教会の権威を高めるような言葉が使われているのですが、これはイエス様が言った言葉だとは思われないのです。
イエス様はこれらに近いことを言われたのでしょうが、この福音書が書かれた時代の人たちはその言葉を、自分たちの教会に当てはめて、教会の権威を高めるような考え方として、解釈してしまったのだと思います。
むしろこれらの言葉は、次の言葉に収斂されるべきものだと思います。それは、「どんな願い事であれ、あなた方のうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれを叶えて下さる。」ということです。なぜならば二人または三人がイエス様の名によって集まるところには、イエス様もそこにいるから叶えられるのだと言うことです。先ほどの教会の権威に相当することは、教会と言う組織を考えているのではなく、イエス様の名によって集まる信仰者たちの事を言っており、その人たちが心を一つにして解決策を求めるならば、天においてもそれが認められ与えられるであろう、ということを言っているのだと思います。
すなわちここで言っていることは、もし兄弟があなたに対して罪を犯したなら、信仰をもって二人だけで話をし忠告し、それがだめなら、他の二人か3人を連れて行き、信仰をもって仲裁しなさい、その様に心を一つにして求めるならば、天の父がかなえて下さるだろう。なぜならそこには私もいるからである、ということを言おうとしているのだと思います。それを拡大解釈して、教会という言葉が出たのだと思いますが、この言葉自体がこのマタイによる福音書ではほとんど使われていない言葉なのです。
それにしても、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」という言葉は、なんと心強い言葉ではないでしょうか。私たち信仰者が二人であってもイエス様の名を唱え、共に祈るならば、イエス様も共に祈って下さるのです。聞いてくださるのです。たとえ二人でも、イエス様が共に居て下さるならば、そこは教会と同じです。教会は組織ではないのです、グループでもないのです。ただ心を合わせる者たちが教会となるのです。内村鑑三のように無教会の集会であっても、誇りを持って、イエス・キリストの宣教をすることが出来るのです。
転
このように、イエス様が罪を犯した兄弟たちの事を話していた時、ペトロは自慢げにこう言ったのです。21節です。
マタ 18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
ペトロは自慢したかったのです。当時罪を赦すのは3回までと言われていました。ペトロはイエス様の話を聞いて、私なら7回まで許しますけれども、それで当たりですか、という気持ちで聞いたのです。イエス様に、さすがペトロと、褒めてもらおうとしたのです。
ところがイエス様の言った言葉は予想外でした。イエス様はこう言ったのです。22節です。
マタ 18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
イエス様は、7回どころか7の70倍までも許しなさい、と言ったのです。7の70倍とは490回ですが、そのような回数を数えている人はいるはずがありません。ですから、ずっと許し続けなさいと言っているのです。7も70も完全数なので、完全に許しなさいと言っているのです。
どうしてそうなのかをイエス様は譬えをもって話されました。23節から27節です。
マタ 18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
マタ 18:24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
マタ 18:25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
マタ 18:26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
マタ 18:27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
イエス様は天の国のたとえとして話されました。ここに出てくる登場人物は王様と五万タラントン借金している家来です。5万タラントンと言うと現在ではいくらなのかはよくわかりませんが、おおざっぱに100億円くらいの金額です。王様はその貸した金を返済するように命じ、全てを売り払って、返済するように命じました。するとその家来はひれ伏して、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願ったのです。そのお金を返せるはずはなかったのですが、王様は哀れに思って、彼を許し、その借金を帳消しにしてやったと言うのです。この喩えで、王様とは神様の事で借金のある家来とは私たちの事です。私たちは神様に、返しきれないほどの借金をしているのですが、神様の憐れみによって、その借金を帳消しにしてもらったのです。神様が帳消しにして下さったのは、イエス様の犠牲があったからです。このように、私たちは、神様に対して、大きな罪を赦された存在であると言うことを言っています。
ところが、この5万タラントン借りた家来は、王様に許されて外に出ると、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会いました。28節から30節です。
マタ 18:28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
マタ 18:29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
マタ 18:30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
この5万タラントンを帳消しにしてもらった家来は、100デナリオン貸している仲間を捕まえて、借金を返せと言って、首を絞め、最後には牢に入れてしまったのです。一デナリオンは一日分の労賃でしたから100デナリオンで50万円くらいだったかもしれません。自分は100億円を赦してもらったのに、この人は50万円を貸したものを許さなかったのです。
この話を聞いて王様はとても怒りました。31節から35節です。
マタ 18:31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
マタ 18:32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
マタ 18:33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
マタ 18:34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
マタ 18:35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
この王様が怒るのは当然です。100億円もの借金を赦してやったのに、たった50万円もの借金を許さなかった家来を、不届きな家来だと叱責したのです。そして、『わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』と言ったのです。この事は、神様は私たちに、とても返しきれないような莫大な借金を赦して下さったのだから、私たちも、隣人に貸した借金はそれに比べればごくわずかなのだから許してあげなさいと言うことなのです。私たちが、怒って自分の正当性を主張することなどとても小さな事なのです。神様の許しの中で生きているなら、全てを赦すことが出来るのです。その様にしなさいとイエス様は言っているのです。もし私たちが許さないならば、この王様がしたように、私たちの借金をすっかり返済するまでと、家来を牢の役人に引き渡してしまうだろうと言っているのです。
ペトロが7回まで許せばいいですか、といった話からこうなりましたが、イエス様の答えは、最後まで、心から兄弟を赦しなさい、ということでした。「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」と言うことが、イエス様の結論なのです。私達は、自分たちが許された恵みの大きさを思って、隣人をも許すべきなのです。
結
私たちは、神様の恵みと許しの中で生きています。その大きさが分からないために私たちは自分たちの計りで測って、人々を赦すことが出来ません。最初の話の兄弟への忠告の話も、「信仰をもって、互いに許し合いなさい、そこには私が共に居る、」ということを言おうとしているのだと思います。私たちは赦すことが出来ないために、多くの問題や、憎しみや、争いや戦争などを引き起こしてしまいます。イエス様の教えは、最後まで許し合いなさい。7の70倍まで赦し合いなさい、ということなのです。これが実現することによって、憎しみや争いの無い平和な社会が出来るのだと思います。イエス様の十字架は、イエス様に加えられたすべての罪を赦す姿なのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、あなたに与えられました多くの罪の許しと恵みとに感謝いたします。私たちはその事に心がいたらず、自分たちの小さな世界での出来事に目を奪われて、自分の正当性のみを主張したがり、他人を赦すことが出来ません。その時に、私たちがどんなに多くの事があなたによって許されているものであるかを知ることが出来ますように。イエス様は「憐み深い人たちは幸いである、彼らは憐みを受けるであろう」と言われました。そして今ここに、「心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたを赦さない。」と言う言葉を聞きました。神様、どうか私たちが、神様のみ心に適って、憐み深いものとなり、心から兄弟を赦すものとなることが出来ますように。新しく変えられるものとなりますように。この祈りを主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆兄弟の忠告
マタ 18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
マタ 18:16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
マタ 18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
マタ 18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
マタ 18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
マタ 18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
◆「仲間を赦さない家来」のたとえ
マタ 18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
マタ 18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
マタ 18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
マタ 18:24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
マタ 18:25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
マタ 18:26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
マタ 18:27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
マタ 18:28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
マタ 18:29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
マタ 18:30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
マタ 18:31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
マタ 18:32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
マタ 18:33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
マタ 18:34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
マタ 18:35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」