家庭礼拝 2015年7月8日マタイ17章1‐27イエスの姿が変わる
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起
イエス様が、弟子たちにイエス様の死と復活について話をし、イエス様を諌めようとしたペトロに、サタンよ退け、と叱責なさった6日後の話です。イエス様はペトロとヤコブそしてヨハネだけを連れて、高い山に登られました。この山はヘルモン山と考えられます。3千メートルもする高い山で、その頂の雪が融けて、ガリラヤ湖に水が流れ込んでくる山です。
この時イエス様は3人の弟子達だけを連れて山に登りました。どうして山に登ったのでしょうか。イエス様はこの時重大な決意をしていました。弟子たちにイエス様の死と復活の話をしたように、死を覚悟した決意を秘めていました。そしてその為そうとしていることが間違いがないかどうかを最終的に、神様に尋ねるために、山に登ったのです。イエス様たちは山頂まで登ったのではないでしょう。その中腹で神様に尋ね、為すべきことの確認を行ったのです。それはエルサレムに上るべきかどうか、そして、十字架にかかるべきかどうかの確認なのです。イエス様の十字架とは、このような手順を踏んで行われたのです。
イエスさまと3人の弟子たちが山に登っている間。他の弟子達は町や村に残って、人々に癒しを与えていました。ここはフィリポ・カイサリア地方の異邦人の地です。ここで一体何が起こったのかを7章全体を通して、読み解いていきたいと思います。
承
では聖書は、1節から3節です。
マタ 17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
マタ 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
マタ 17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
イエス様は12弟子の中でも3人の弟子を特に選んで弟子訓練をしていました。それがペトロ、ヤコブそしてその兄弟ヨハネです。残念ながらペトロの兄弟アンデレは選ばれなかったようです。そして3人の弟子を連れて、高い山に登りました。
すると不思議なことが起こったのです。イエス様の姿が彼らの目の前で突然変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった、というのです。それだけではなくそこにモーセとエリヤが現れイエスと語り合っていたのです。イエス様はここに何をしに来たのかというと、これからエルサレムに上って、十字架につけられて死ぬことが、本当に神様の御心であるかどうかの最終確認にやってきたのです。その様な思いが独りよがりの勝手な思いであることもあるのです。そうならないように、イエス様はしっかりとその確認に来たのです。そこに現れたのはモーセとエリヤです。モーセは律法の制定者です、すなわち旧約を代表する人物なのです。そしてエリヤは預言者の代表者です。ここに旧約の代表者と予言者の代表者が、イエスの相談に乗るためにやってきたのです。そしてイエス様のなさろうとしていることが、神様の御心であることを確認したのです。
私は山に良くのぼるので、この場面を読んだときにすぐに思ったのは、これはブロッケンの怪光と言われる、山で起こる珍しい気候現象だと思ったのです。私はこの現象を富士山に登った時にも見たことがあるのですが、太陽がちょうど目の高さの位置、すなわち夕日や朝日が水平に差し込んでくるときに、太陽と反対側に霧が出たりすると、その霧に自分の姿の影が映し出され、なおかつその周りが虹の輪で囲まれると言う感動的な影を見ることが出来るのです。その霧の出方によって2重に見えたりすることもあるのです。このヘルモン山は、気候が変わりやすく、突然山に雲がかかったり、あっという間に消えたりということが良く起こるのだそうです。それならばこのような現象が良く起こりやすい地形なのだと思います。イエス様の顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなったと言うのですから、ちょうど霧が太陽の側から消え去って太陽が差し込みイエス様を輝かせたのだと思います。そして反対側の霧にそのブロッケンの怪光が出たのだ、と私は若いころはずっと思っていました。
ですが聖書は、文字通りに受け取ることも大切です。ここにはイエス様の相談に応じて、旧約と予言の代表者が現れて、イエス様と話をしてイエス様はその決心を固めたのです。ここでのでき事はシャカイナグローリーです。神様の栄光が、目に見える形で現れたのです。
この様な出来事を見てペトロは驚き、恍惚となってしまったのです。そして言いました。4節です。
マタ 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロは感動に溢れて、何と言ってよいかわからなかったのです。ですが、その目撃した瞬間がどんなに素晴らしい事なのかを言い表そうとしました。ペトロはこの瞬間をいつまでも長くここにとどめておきたかったのです。それで、主よ、私たちがここにいるのは素晴らしいことです、と言った後で、お望みでしたら、私がここに仮小屋を三つ建てましょう、一つはあなたのため一つはモーセのためもう一つはエリヤの為ですと言いました。ここに三人がいてくれれば、まさにここがパラダイスとなると言うことなのです。ペトロはそれを望んだのです。ですがすぐに現実に引き戻されました。5節から8節です。
マタ 17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
マタ 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
マタ 17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
マタ 17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
ペトロが話している内に神様の声が雲の中から聞こえました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」この言葉はイエス様が洗礼を受けた時にも聞こえた言葉です。違うのは、これに聞け、という言葉が付け加えられていることです。ヨハネだけがこの両方の言葉を聞くことが出来ました。洗礼の時はイエス様が、公的活動に入られる前に、神様がイエス様を神の子として宣言したのです。そしてこの山では、イエス様が十字架につけられる前に、イエス様が、神の子であることを再び宣言しているのです。そしてこれに聞けと言っているのです。弟子達はこの声を聞いてひれ伏しました。非常に恐れたのです。そしてイエス様にこれから起こることに、神様の栄光を見たのです。イエス様は弟子たちに近づいて、手を触れて言いました。「起きなさい。恐れることはない。」すると、そこにはもう、イエス様の他には誰もいなかったのです。現実に戻されたのです。ですが、この3人の弟子達は、ここで不思議な天上の体験をし、その信仰が強められたのです。弟子達は、このイエスさまこそメシアだと信じたのです。
ですが一つの疑問がありました。それは多くの人々が言っているように、メシアの前にエリアが現れていないと言うことでした。それで弟子達は質問しました。9節から13節です。
マタ 17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
マタ 17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
マタ 17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
マタ 17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
マタ 17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
イエス様は、その日起こった不思議な出来事をイエス様が復活するまで、誰にも話してはならないと言いました。話しても理解できることではなく、無駄な誤解だけが生じるからです。弟子達は自分たちの疑問を尋ねました。それは律法学者はなぜ、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか、ということでした。前にもイエス様が、「人々は人の子の事を何者だと言っているか」とお尋ねになった時、エリヤだと言う人々がいました。それはイエス様を、メシアだと言う人々に対して、律法学者たちは、メシアが来る前にはまず、エリヤが来るはずだから、彼はメシアではないと言いふらしていたのです。その根拠はマラキ書3章23節にあります。そこには、こう書いてあります。「見よ、私は大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」となっているからです。ですからイエス様もそれは否定しなかったのです。ですが、エリヤは既に来たのだ、と言いました。そして、人々は彼を認めず、好きな様にあしらったのである、と言いました。この言葉で、弟子達は洗礼者ヨハネの事をイエス様はエリヤだったのだと言われているのに気が付いたのです。そしてすでにエリヤは来ているなら、やはりこの方はメシアなのだと思ったのです。イエス様はそれだけではなく、「人の子も、その様に人々から苦しめられることになる」といい、これからの苦難を予言したのです。
転
さて、イエス様たちは山を下りて、町で待っているほかの弟子たちのところに帰りました。すると人々が集まって騒いでいました。14節から16節です。
マタ 17:14 一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
マタ 17:15 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
マタ 17:16 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
その騒ぎとは、てんかんの病人を弟子たちのところに連れて行ったのだけれども直すことが出来なかったので、騒いでいたのです。そこへ、イエス様が現れたので、その父親はイエス様にひざまずいて言ったのです。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」この父親は、弟子達には失望しましたが、イエス様の事はまだ信じていたのです。
それを聞いてイエス様はこう言いました。17節から20節です。
マタ 17:17 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
マタ 17:18 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
マタ 17:19 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
マタ 17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
ここでは山の上でのまるで天国のようなシャカイナグローリーの世界から下って来ると山の下では病人が苦しみ、不信仰でよこしまな世界があることを描いているのです。ですが、イエス様は何時までも山の上におられる方ではなくて、山から下って来て、人々の癒しと救いを行う方なのです。イエス様は何と信仰の無い、よこしまな時代なのかと嘆かれました。これは弟子たちに対しては信仰がなくて癒すことが出来なかったことを嘆き、この父親に対しては、疑いをもって弟子たちを見ていたことを嘆いているのです。このように山の下は、イエス様にとっても嘆きに満ちたものだったのです。ですがイエス様はその子をも癒しました。悪霊をお叱りになって、追い出したのです。弟子達は、後で秘かにイエス様のところに来て言いました、なぜ、私たちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか、と。するとイエス様は言ったのです。「信仰が薄いからだ」と。信仰は量や経験ではなく質なのです。もしそのような信仰があれば、からし種一粒ほどのほんのわずかな信仰でも大きな問題を解決できることをイエス様は言われました。しかも、あなた方にできないことは何もない、とさえ言われました。私たちの信仰はどうでしょうか。どれほど純粋な信仰を持っているでしょうか、それが、問われるところです。純粋な信仰があれば、出来ないことは何もないのです。
イエス様たちは、再びガリラヤ地方に移動してきました。ここはユダヤ人達がおり、律法学者やパリサイ人たちもいます。その地に戻ってきたときにイエス様はこう言ったのです。22節23節です。
マタ 17:22 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
マタ 17:23 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
これはイエス様の三回目の死と復活の予言です。最初はフィリポ・カイサリアに来た時、二回目は山から下りてきたとき、そしてこの三回目は、ガリラヤに来た時なのです。イエス様の死と復活の出来事は、このような多くの手順を踏んで、確かめつつ行われているのです。
イエス様たちは、カファルナウムにやってきました。そこでちょっと変わった問題が起こりました。24節です。
マタ 17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
この神殿税と言うのは、20歳以上のユダヤ人の男子は、毎年半シケルを納めなければならないとなっていたのです。半シケルとは、二日分の賃金に相当するもので、そんなに高いものではありませんが、問題はこれを治めるべきか、治めない方がいいのかという問題なのです。実はこのマタイによる福音書は西暦70年ごろにエルサレム神殿が崩壊した後に書かれたもので、このような神殿税はなくなり、代わりにローマの神殿にその金額をおさめなければならないことになっていたのです。ですからその当時の人々には異邦人にこの神殿税を納めるのか、納めないのかというのは切実な問題だったのです。その問題に対して、イエス様の答えがその回答となるのです。25節から27節です
マタ 17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
マタ 17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
マタ 17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
ペトロは神殿税を集めに来た役人に、自分の判断で、税をおさめますと答えましたが、まだイエス様には相談していませんでした。するとイエス様の方からこの話を切り出しました。そして、王様の子供は税金を納める必要はなく、神の子であるイエス様も神殿に税を納める必要のないことを言いました。ですが、彼らを躓かせないようにしようと言いました。イエス様は神の子なのだから、税を納める必要がないのだと言っても、そのようなことは税を集める役人には理解できないからです。それで、「湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」と言いました。この話は必ずしも、文字通りに理解する必要はないでしょう。ある意味でユーモアなのです。イエス様が言ったのは、ペトロはもともと漁師なので、湖に行って漁をして魚を取り、それを売って、そのお金で税を払いなさいと言ったのです。なぜならば、イエス様は、自分のために奇跡を用いる方ではないからです。
このことは当時のユダヤ人たちに対して、ローマの神殿に対して、あなたたちは税を納める必要はないのだけれども、イエス様が役人たちをつまずかせないようにするため税をおさめたように、あなた達も同じように税をおさめなさいと言うことを教えているのです。それは一日働けばできることだからと言っているのです。
結
今日の箇所の一番大事なことは、イエス様が、この山に登って、最終的な神様の意志を確認されたと言うことです。そして、これからはまっすぐにエルサレムの十字架に向かっていくことになると言うことです。山の上には不思議な光景がありました。シャカイナグローリーがありました。ですが、山から下りれば、病人や不信仰や、よこしまな思いの人で一杯でした。税を納めるかどうかというようなこの世の問題もありました。ですが、そのような事は、イエス様の捉われることではありませんでした。イエス様は3度、私は死んでそして復活すると言いましたが、これこそがイエス様の最大の目指す地点であり、そこへまっすぐに歩んでいかれるのです。この事がどんなに大きなことなのかを改めて受け止めていきたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様はご自分の歩むべきことをあなたに確認し、しっかりとその栄光を受け止めて、十字架の死と復活へと向かいました。この山での出来事が、そのように大切な出来事とは思っていませんでしたが、改めてこの事を教えられましたことを感謝いたします。私達もまた、この世の色々な出来事に目を奪われるのではなく、イエス様が目指したように、しっかりと自分たちの歩むべき道を神様に尋ねながら、歩んでいくことが出来ますように。
この祈りを主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆イエスの姿が変わる
マタ 17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
マタ 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
マタ 17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
マタ 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
マタ 17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
マタ 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
マタ 17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
マタ 17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
マタ 17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
マタ 17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
マタ 17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
マタ 17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
マタ 17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
◆悪霊に取りつかれた子をいやす
マタ 17:14 一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
マタ 17:15 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
マタ 17:16 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
マタ 17:17 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
マタ 17:18 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
マタ 17:19 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
マタ 17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
◆再び自分の死と復活を予告する
マタ 17:22 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
マタ 17:23 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
◆神殿税を納める
マタ 17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
マタ 17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
マタ 17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
マタ 17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」