家庭礼拝 2015年6月17日マタイ15章21‐39カナンの女の信仰
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起
今日の聖書の箇所は、見逃してしまいがちですが、今までとはちょっと違った風景なのです。書かれていることは、カナンの女の信仰と癒しの奇跡の話、大勢の病人を癒す話、4千人に食べ物を与える話、と今までも語られてきたことがまたここでも繰り返し語られているのだろうかと思ってしまう箇所ですが、実は大きな違いがあるのです。それは、今日の箇所がユダヤ人が住んでいるパレスティナ地方ではないと言うことすなわち、異邦人の土地であると言うことです。そして、イエス様が異邦人の土地に入り込んで旅をしたのは一生のうちでただの一回この時だけなのです。そういった意味では、この箇所は、異邦人伝道の先駆けとしてとらえることもできるのです。イエス様はサマリアにも行きましたが、ここはユダヤ人との混血が多いと言うことで異質な土地として嫌われてきましたが、全くの異邦人の土地というわけではありません。ですが、今日の箇所は本当の異邦人の土地なのです。
なぜイエス様は異邦人の土地に入り込んだのでしょうか。宣教の為でしょうか。そうではなかったのです。前回までのガリラヤ伝道では、大勢の人々がイエス様についてきたので、5千人の食事の奇跡を行い、その人々の誤解から逃れ、また別の土地に行ったときにはファリサイ派と律法学者達との、口伝律法についての論争を行い、そしてまたその人々の憎しみから逃れようとしていたのです。イエス様が異邦人の土地に来たのは、異邦人の土地まではユダヤ人たちは追ってこないからなのです。イエス様と弟子たちはそこで静かな時間を過ごし、イエス様は弟子たちに大切な弟子訓練の場を持とうとしていたのです。なぜならば、この後はエルサレムにまっすぐに向かっていくことになるからです。すなわち、もうあまり時間は残されていないのです。この旅の話はマタイとマルコにしか記されていません。そしてむしろマルコの方に詳しく書かれているので、それを参考にして読んでいきたいと思います。
承
では聖書を見てみましょう。最初はカナンの女の信仰です。マルコでは、シリア・フェニキアの女の信仰となっています。マタイ15章21節から22節です
マタ 15:21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
マタ 15:22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
イエス様はガリラヤの伝道を終えて、ティルスとシドンの地方に行かれたと書かれています。ここはガリラヤの北にあるフェニキアの国です。イエス様はユダヤ人たちを避けるようにして、この異邦の国に来たのです。そこではもうユダヤ人はおらず、静かに旅が出来ると考えたからです。そこでイエス様はこの地に生まれたカナンの女と出会います。カナンの女といったら、ユダヤ人の女と言うことになるのですが、この地は異邦人の地、シリアの国になるので、マルコではシリア・フェニキアの女となっています。しかもマルコでは、女はギリシャ人で、シリア・フェニキアの生まれであったと書かれています。すなわちこの女は全くの異邦人なのです。イエス様の噂は、この異邦の国にまで伝わっていました。その噂を聞いたこの女の人が、イエス様のところに来て助けを求めたのです。最初はイエス様に、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけました。これはユダヤ人たちが、メシアを呼びかけるときに一般的に使われている言葉でした。この女の人もそれにならって、主よ、ダビデの子よ、と呼びかけたのです。そして、「私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」と助けを求めました。ですがイエス様はそれを無視したのです。23節と24節です。
マタ 15:23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
マタ 15:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
女の人が助けを求めましたが、イエス様はそれに対して何もお答えになりませんでした。弟子たちはイエス様に「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」と言って、早く追い払うことを求めました。弟子たちは自己中で冷淡だったのでしょうか。いや、そうではないのです。弟子たちは、この女の人が必死に助けを求めているのを聞いて同情し苦しくなったのです。それでイエス様に、「いつものように、早くこの女の願いを叶えてやって、この女を解放させてやってください。」と願ったのです。それに対してイエス様は弟子たちにこう言ったのです。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」。すなわちイエス様は、ユダヤ人のための救いにしか遣わされていない、と言ったのです。異邦人を救うことはできないと言ったのです。これは異邦人を救うことが出来ないと言うよりも、まず最初はユダヤ人から救わなければならないと言う順番を言っているのです。この女の人はその話を聞いてはいなかったので、諦めずにイエス様に願い続けました。25節から27節です。
マタ 15:25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
マタ 15:26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
マタ 15:27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
ここに女の人の姿勢が変わってきているのに気が付くでしょうか。この女の人は最初は立って追いかけながら、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけたのですが、今度はイエスの前にひれ伏したのです。そしてただ単に「主よ、」と呼びかけたのです。これは最初はうわさで聞いていたダビデの子メシアと言う人に呼びかけていたのですが、その次にはこの女の人はイエス様を本当に主と信じたです。そして礼拝するように地面に座り込みひれ伏したのです。この女の人の願いは信仰となったのです。そして、「主よ、どうかお助けください」と願ったのです。すると今度は無視せず、イエス様は弟子たちに言ったようにこの女の人にこう言いました。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」ここに例えられている犬という言葉は、ふつうはとても侮辱的な言葉なのです。人間を犬と呼ぶのは、日本人が相手を畜生と呼ぶのと同じなのです。イエス様は子供たちのパン、すなわちユダヤ人に与えられるべき恵みを、異邦人にやってはいけないのだ、と言ったのです。とても厳しい言葉にも聞こえますが、ここにはイエス様の慈愛がありました。ここで語られている子犬という言葉は、野良犬などを意味する犬の言葉ではなく、ペットとして飼われている子犬と言う言葉なのだそうです。ですからこの女の人はその言葉の中にもイエス様のやさしさを感じたのです。ですから、この女の人は犬とたとえられたのだけれどもそれを謙遜に受け止めてこう答えたのです。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」この女の人はイエス様の言葉に対して、感情的に反応したのではなく、信仰的に反応したのです。神様の慈しみを信じたのです。その信仰を認めたイエス様はこう言いました。28節です。
マタ 15:28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
イエス様は、信仰に対してはユダヤ人も異邦人も分け隔てなく、信仰をもって答えたのです。この事が、異邦人伝道の先駆けとなって来るのです。イエス様はその女の人の信仰を認め、あなたの願いどおりになるように、と言って、その娘は癒されたのです。
この地での奇跡の話はこの話だけですが、このツロとシドンでの旅は結構長かったのかもしれません。この旅の間、イエス様は静かな環境の中で弟子たちに大切な事を教えられたのです。そしてこの異邦人の地を発って、また旅を始められます。それは再びガリラヤ湖のほとりまで行かれたのです。そしてそこで多くの人々を癒されました。29節から31節です。
マタ 15:29 イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。
マタ 15:30 大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。
マタ 15:31 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
ここでイエス様の行かれたガリラヤ湖のほとりと言うのは、イエス様がガリラヤ伝道をなさっていた、ガリラヤ湖西岸のユダヤ人たちの国のカファルナウムやゲネサレトのような気がするのですが、そうではないのです。そこは、イエス様は多くの奇跡を行い多くの人々がイエス様に従ってきた土地です。ですが今はイエス様はそのような場所を避けられているのです。イエス様はユダヤ人たちがいるところを避けて異邦人の土地を旅しているのです。
この旅の経路をマルコ7章31節にはこのように書かれています。「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経て、デカポリス地方を通り抜けガリラヤ湖へやってこられた。」これは具体的にはどんな経路になるのかは良く分かりません。ですが、とても不自然な経路なのです。デカポリス地方と言うのはガリラヤ湖の南東にある地域です。それなのにそこへ行くのにティルスから北に向かってシドンへ行きそれからぐるっと回ってデカポリス地方に行きそしてガリラヤ湖に来ているのです。敢えて遠回りを選んでいる旅の仕方なのです。このガリラヤ湖のほとりとはガリラヤ地方のガリラヤ湖ではなく、デカポリス地方のガリラヤ湖なのです。すなわち、ガリラヤ湖の南東側です。そこでもイエス様は人を避けて、山に登って、座っておられたのです。ただ座っておられたのではなく、神様に祈りを捧げてていたのか、弟子たちに教えを授けておられたのです。ところが異邦の地なのに、大勢の群集がイエス様の事を聞いて癒しを求めて集まってきました。足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエス様の足もとに横たえたので、イエス様はこれらの人々をいやされたのです。何故異邦の地でこんなにも多くの人々がイエス様の事を知っていたのでしょうか。それはこの地でイエス様の事を言い広めた人がいたのです。覚えているでしょうか、悪霊に取りつかれたゲラサの人をイエス様がいやされたことを。墓場で叫んでいた狂人から悪霊を追い出し豚に送り込んで癒してあげたのです。この人はイエス様と一緒に行きたいと願いましたがイエス様は赦しませんでした。そしてこう言ったのです。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにして下さったことをことごとく知らせなさい。」と言われて、その人はイエス様が自分にして下さったことをことごとくデカポリス地方に言い広めたのです。その噂を聞いた人たちが、今イエス様のもとに集まってきたのです。イエス様は多くの人々を癒し、人々はイスラエルの神様を賛美したのです。
転
そのあと4千人に食べ物を与える話が続きます。この話は5千人に食べ物を与える話とそっくりなので、同じことの繰り返しではないのかと疑う人もいます。ですがよく見るといろいろと違うのです。大きな点では5千人の食事の場合はガリラヤ地方での話でしたが、4千人の食事はデカポリス地方です。季節は5千人の食事の場合は、群衆を草の上に座るように命じたので、春です。ところが、4千人の食事の時には、地面に座るように命じているので、もう草は枯れてしまった夏か秋なのです。すなわち、5千人の食事をした後、ティルスやシドンの異邦人の地を回って、デカポリスのガリラヤ湖まで来るのに半年ほどたっているのです。それほどイエス様たちはユダヤ人たちを避けて、ゆっくりと異邦人の地を回ってきているのです。そして4千人の食事の奇跡の話になるのですが、ここで口火を切っているのはイエス様です。こう言いました。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」すると5千人の時と同じように、弟子たちは「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」と言いました。するとイエス様が「パンは幾つあるか」と言われ、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えたのです。ほとんど5千人の食事の時と同じような展開です。イエス様は地面に座るように群衆に命じ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになりました。弟子たちはそれを群衆に配ると、人々は皆、食べて満腹した、と書いてあります。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになったのです。5千人の食事の時には残ったパンくずは12の篭に一杯になったと書かれていますが、この籠はユダヤ人が使う小さな篭だそうです。4千人の食事の時には、7つの籠に一杯になったと書かれていますが、この篭は異邦人の使う大きな籠のようです。ですから、7つの籠の方が、パンくずはいっぱい集まったのかもしれません。
この食事の奇跡は聖餐式を意味していると言われています。イエス様が感謝の祈りを唱えて、パンを裂いて群衆に配ったからです。そうすると、この食事の奇跡は一つの伝道の総決算のような意味合いを持ってきます。ガリラヤ伝道すなわちユダヤ人たちに対する伝道の総決算として、5千人の食事を行い聖餐式を行ったのです。そして異邦人伝道の総決算として、4千人の食事を行い聖餐式を行いました。そしてエルサレム伝道この最後の伝道の総決算として、最後の晩餐が行われ、聖餐式が行われたと考えることが出来るのです。
結
イエス様は、異邦人の地を回られました。それは伝道という意味合いではなかったかもしれませんが、異邦人にも癒しの恵みを与え続けられました。そして、4千人の食事の奇跡に表わされる聖餐式が執り行われました。私たちの今の教会がその延長にあることを思います。イエス様は「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とおっしゃいましたが、異邦人の女にも異邦人の病人たちをも憐れんで癒しを与えてくださいました。イエス様が求めるのは信仰です。このカナンの女のように、謙遜にひれ伏して、願い求めるならば、その信仰が受け入れられて、イエス様の恵みと癒しとを与えられるものとなるのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様が、異邦人に対しても慈しみと憐れみをもって恵みを与えてくださいましたことに感謝いたします。私たちが思い高ぶることなくイエス様の御前にひれ伏して、私たちの願いを求めるならば、イエス様は私たちの信仰を受け入れて下さるかもしれません。イエス様は5千人の食事、4千人の食事をもって、私たちに分け隔てなくその恵みを分け与えてくださいましたことを覚えて賛美します。どうか御心が豊かにこの地にありますように。そして御国がなりますように。
この祈りを主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆カナンの女の信仰
マタ 15:21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
マタ 15:22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
マタ 15:23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
マタ 15:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
マタ 15:25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
マタ 15:26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
マタ 15:27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
マタ 15:28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
◆大勢の病人をいやす
マタ 15:29 イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。
マタ 15:30 大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。
マタ 15:31 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
◆四千人に食べ物を与える
マタ 15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
マタ 15:33 弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」
マタ 15:34 イエスが「パンは幾つあるか」と言われると、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えた。
マタ 15:35 そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、
マタ 15:36 七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。
マタ 15:37 人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。
マタ 15:38 食べた人は、女と子供を別にして、男が四千人であった。
マタ 15:39 イエスは群衆を解散させ、舟に乗ってマガダン地方に行かれた。