家庭礼拝 2015年5月13日マタイ14章1‐21五千人に食べ物を与える

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 今日の聖書の箇所は、洗礼者ヨハネが殺される場面と、イエス様が5千人に食事を与える話です。これらの箇所は、イエス様の宣教のターニングポイントとなる大切な箇所です。それは、洗礼者ヨハネが殺されることによってヨハネの時代は終わったのです。すなわち旧約の時代は終わったと言うことです。そしてこれからはイエス様の時代、新約の時代となると言う宣言のような箇所です。イエス様は12人の弟子を派遣して、イエス様の宣教はこの時ピークを迎えました。それで大勢の人々がイエス様の事を聞いてイエス様のところに集まってきたのです。そこで起こったのが5千人の食事の奇跡です。これは新しい時代の幕開けを祝う、祝宴のような状況なのです。

 聖書の物語は、二つの出来事を対比させて、その出来事を際立たせる手法がよくとられています。今日の箇所にもいくつもの対比があります。その様な事を意識して読み解いていくことが理解の手助けとなります。まず、洗礼者ヨハネが殺される場面では、洗礼者ヨハネと領主ヘロデの対比があります。洗礼者ヨハネは人を恐れず神のみを恐れる神の人でした。たとえ殺されようとも勇気をもってヘロデの罪を糾弾する人でした。他方、ヘロデは神を恐れず人を恐れる臆病な人でした。ヨハネから糾弾されることを恐れ人々の噂を恐れ、妻の叱責を恐れていたのです。また、五千人の食事の話では、イエス様の群集に対する態度と、弟子たちの群集に対する態度です。何が対比されているのかは、聖書を読み解く中で話していきたいと思います。そして両方の話の間にある対比は、ヨハネは衰え、イエスは栄えると言う対比です。この対比が教えてくれることを丁寧に聞き取って行きたいと思います。

 聖書の中でヘロデと聞くと、悪者の代表のような印象を持ってしまいます。ヘロデ大王はイエス様が生まれた時に、イエス様を殺そうとしたし、その子のヘロデ・アンティパスはヨハネを殺しイエス様を迫害しました。その妻ヘロディアも娘のサロメを使って、ヨハネを殺そうと計画した張本人なので、とんでもない悪い女に思えます。ですがヨセフスと言う当時の歴史家が書いたユダヤ古代史を読めば、ヘロデ大王は、盗賊だらけだったシリア・ユダヤ地方を平定し、ローマとの良好な関係を築き、神殿や多くの建造物を作って、ユダヤの国の繁栄に大いに貢献した人なのです。ですがその子供達には最後まで苦労させられ、平和な家族を持つことが出来ませんでした。多くの後継者となるべき子供たちが、その中で殺されていったのです。また、今日の聖書に出てくるヘロデ・アンティパスやヘロディアは見方を変えれば数奇な恋愛ドラマを展開するようなそのような関係だったのです。洗礼者ヨハネが、このヘロディアとの結婚は律法に反していると非難したのは、ヘロデが正妻を離婚して、兄の妻だったヘロディアをローマから連れて来て結婚したからです。ある意味で、ヘロディアはヘロデ・アンティパスを愛していたのです。ですから、ヨハネの糾弾に我慢が出来なかったのです。また、イエス様が死んだ後の事ですが、彼女は、ヘロデが王になれないことを嘆いて、ローマの皇帝に王の称号をもらいに行くようにヘロデをたきつけたのです。ところがそれが原因で、ヘロデ・アンティパスはローマに対して謀叛を起こそうとしていると誤解されて島流しにされてしまいました。すべての財産は没収され、ヘロデはそこで死んだのです。ヘロディアには何のお咎めもなく、そのまま平和に暮らせたのですが、「夫と繁栄を共にした私が、不幸の時にどうして夫を捨てられましょうか」と言って、ヘロディアはヘロデと共に流刑の地におもむいたのです。このように、ヘロディアはヘロデを愛して、最後まで共に居たのです。これらの事は聖書だけからはうかがい知ることの出来ないことです。醜い悪女としか思えないヘロディアにこのような一途な愛の一面があったことも知っておきたいことです。。

さて、イエス様の宣教がとても活発になり、その噂が領主ヘロデのところまで聞こえてきました。そしてヘロデはこう思ったのです。1節と2節です。

マタ 14:1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、

マタ 14:2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

 この時すでに洗礼者ヨハネは死んでいました。殺すように命じたのはヘロデですが、奇跡を行うイエス様の事を聞いて、死者の中から生き返ったヨハネだと恐れていたのです。それにはこのような背景があったからです。3節から5節です。

マタ 14:3 実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。

マタ 14:4 ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

マタ 14:5 ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。

 このようにヘロデは、結婚してはいけない相手と結婚したので、ヨハネに非難され、それでヨハネを捕えて牢に入れていたのです。ですがこのこと以上にヘロデが恐れていたのは、ヨハネが預言者として、人々の人望を集めて、それが大きな力となっていることを恐れたのです。ヨハネが起こそうと思えばすぐにでも暴動が起きる状態だったのです。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたと言うよりも、群衆から切り離して、暴動が起こらないようにしていたと言ったほうがよいのかもしれません。ヘロデはヨハネをある意味で尊敬しその言葉を喜んで聞いている面もあったのです。ですからヘロデがヨハネを殺さなかったのは、ヨハネを預言者と思っている民衆を恐れただけでなく、ヘロデ自身もヨハネを預言者と思い殺したくはなかったのです。ところが、ヘロデを愛するあまり嫉妬に病んでいたヘロディアは、何度かヘロデにヨハネを殺すように言いましたが、かないませんでした。それで、娘のサロメを使って、なんとかヨハネの命を奪おうとしていたのです。その計画にヘロデはまんまと乗せられてしまうのです。6節から12節です。

マタ 14:6 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。

マタ 14:7 それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。

マタ 14:8 すると、娘は母親に唆(そそのか)されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。

マタ 14:9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、

マタ 14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

マタ 14:11 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。

マタ 14:12 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

 このように、踊りでヘロデを喜ばしたサロメに「願うものは何でもやろう」と誓ってしまったために、ヨハネの首を切らなければならなくなったのです。ヘロデは心を痛めたのです。殺したくはなかったのです。ですが、そのような思いよりも、客の手前の事やメンツに捉われて、神様に従うよりも人に従ってしまったのです。殺されたヨハネの遺体は弟子たちが引き取りました。ですがその体には首がないのです。そしてその事をイエス様に報告したのです。洗礼者ヨハネは、死を恐れることなく、領主をも恐れることなく、ただ神を恐れて神の義を行うことを最後までやり遂げたのです。一方、領主ヘロデは、ヨハネに恐れを抱きつつも、それ以上に客人や、娘との約束や、妻の眼を恐れて、神様の思いを覆い隠して、人の思いに応えることをしてしまったのです。それは他の人から約束を守れないのか、ヨハネを殺すこともできないのかと非難されることを恐れたからです。ヘロデはこのように、人に非難されることを恐れて、臆病に反応する人だったのです。

イエス様はヨハネの弟子たちの報告を聞きました。それはイエス様にとっても大きな出来事で、これからの方向を決める、大きな転換期だったのです。13節と14節です。

マタ 14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。

マタ 14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。

 イエス様はヨハネが死んだことを聞いて、一つの時代が終わったことを知りました。そして、これから自分のしなければならないことについて、神様の御心を聞くために、船に乗ってそこを去り、一人人里離れたところに退かれました。決して、ヨハネが死んだことを悲しんで退かれただけではないのです。ところが群衆はイエス様が移動されたことを聞き、ほうぼうの町から歩いてイエス様の後を追いました。イエス様が岸について、船から上がると大勢の群集が取り囲んでいました。イエス様は大切な時期にひとり静かに神様と向き合うために、一人になろうとしたのです。ですから、そこに群集が集まってきたことはとても迷惑だったはずです。普通ならば、今は大事な時期だからひとりにしてくれ、と怒鳴って人々を帰らせたかもしれません。ところがイエス様は、そのような時であっても、大勢の群集を見て深く憐れんだのです。イエス様はご自分がどのような状況にあっても、人々を深く憐れまれる方なのです。今は忙しいと言って、追い返す人ではありません。ですから、私たちは何時でも安心して、イエス様のもとに願いを持ち込むことが出来るのです。イエス様はその群衆の中の病人を癒されたのです。それに対して、弟子たちはまだまだ普通の人たちです。ここにイエス様と弟子たちの群集に対する対比が描かれています。15節です。

マタ 14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

 弟子たちは、イエス様がヨハネが死んだことの知らせを受けて、一人になりたがっていたのを知っていました。ですから、群衆がいつまでもイエス様を煩わせていることに、少しイライラしていたのだと思います。それで夕暮になった時を機会に、弟子たちはイエス様にこう言ったのです。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」この言葉には、「彼らは勝手に集まってきたのだから、いつまでも面倒を見ている必要はありませんよ、もう帰りなさいと言ってもいいのではないですか。自分の事は自分でさせた方がいいのではないですか。」と言った、突き放すような思いが込められています。一人になりたくても、群衆を見て憐れまれたイエス様と、自分の事は自分でさせなさいと言いたがっている思いの弟子達との対比があります。

 弟子たちが、群衆を解散させてくださいと言ったことに対してイエス様はどうしたでしょうか。16節から19節です。

マタ 14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

マタ 14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

マタ 14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、

マタ 14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

 イエス様は弟子たちのように、群衆を突き放してしまうお方ではありませんでした。イエス様は、「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」と言いました。ですが、弟子たちにとって、このイエス様の言葉は、とんでもない、と言いたくなるような言葉でした。どうしてこれだけ多くの人間がいるのに5千人以上の人たちがいるのに、彼らに食べるものを与えることが出来るでしょうかと言った思いでした。ですがこれは普通の人が思う反応です。決して、弟子たちが冷たいからではありませんでした。弟子たちは、自分たちの精一杯の事、それは、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」と言ったのです。するとイエス様は「それをここに持って来なさい」と言いました。この言葉から私たちは大きな教訓を与えられています。私たちがとてもできそうもないこと、とても面倒を見ることが出来そうもないことから、逃れようとすると、イエス様はあなたがそれをしなさいと言うのです。すると、私たちは、私には力も金も能力もありません。私にはこれしか力がないのですからと言って、言い訳をしようとします。するとイエス様は、その力を私のもとに持ってきなさい、というのです。そしてそのわずかな力を用いてイエス様が大きな力に変えて下さって、大きな業を行ってくださるのです。

イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。弟子たちはそのパンを受けて群衆にそのパンを渡したのです。私たちにとって、自分の力でそれが出来るかどうかということはあまり大きな問題ではないのです。イエス様の力が加えられれば、何でもできるのです。ですから、私たちは、私にはこれだけのものがありますが、どうしたらよいでしょうかとイエス様のもとに差し出すことが大切なのです。そうするとイエス様は、その差し出されたものを用いて大きな働きをさせて下さるのです。私たちは自分の力の無いことを嘆くのではなく、イエス様の力に委ねないことを嘆く必要があります。イエス様に委ねれば、その小さな力を何十倍にも何百倍にもして下さるからです。

この出来事は四つの福音書全部に書かれていることです。この奇跡は実際に起こったのです。この事について、いろいろな解釈をする人々がいます。どの解釈であっても、実際に、この5千人の食事が行われた奇跡は実現したのです。そしてその大きさは、20節21節に記されています。

マタ 14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

マタ 14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人の人々が満腹したのです。女と子供を入れたら、どれだけの人々となったのでしょうか。その人々の食べたパンの屑を集めると、12のかごいっぱいになったと記されています。それほど大勢の人々が満腹したと言うことなのでしょう。イエス様はこの奇跡を行ったのです。それは差し出された僅かなものを用いて行った奇跡なのです。

 ヨハネの死によって、旧約の時代は終わり、新約の時代となりました。ヨハネは死ぬことを恐れず神様に従うことを選びました。ヘロデは人々を恐れて、人々に従うことを選びました。イエスさまはヨハネの死を聞いて一人になろうとしましたが、従ってくる群衆を見て、憐れみ、病人を癒されました。弟子たちは民衆を早く解散して、解放されようとしましたが、イエス様は、あなた方が彼らに食べるものを与えなさいと言いました。弟子たちは、これしかないから何もできないと言いましたが、イエス様はそれを持ってきなさいと言って、祝福して、何千倍にもして分け与えました。そして何千人もの人が満足しました。

 はたして私たちはどのような人間でしょうか。神を恐れて権威を恐れない人でしょうか、人を恐れて、神様を覆い隠してしまう人でしょうか。善き業を行う機会に、私には力がない、お金がないと言って避けてしまう人でしょうか。そのわずかなもので、イエス様の奇跡に信頼を寄せる人でしょうか。イエス様は決して忙しいからと言って拒まれる方ではありません。どんな時でも私たちのわずかなものをもって、イエス様にお願いすれば、奇跡が起こるのです。その事を信じて行うのが信仰です。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。今日大切な事を教えられました。私たちは、私のようなものに何が出来るでしょうかと言って、諦めていますが、イエス様の求めているのは、そうではありません。私には何もできませんが、どうか私を用いて、あなたの業を為さしめてください、と言って大きな業をするようにと勧めているのです。そしてそれを信じて行うことが信仰であることを教えられました。私たちにはイエス様が共に居られます。イエス様はいつも私たちに「あなた方が彼らに与えなさい。」とおっしゃっています。その声を聞いたら、そこから逃げることなく、持っている僅かなものでもイエス様にささげて、その奇跡に用いて下さるように祈ることが出来ますように。どうか神様、私たちの信仰が導かれますように。そして御心に適って、良き働きをすることが出来ますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>

◆洗礼者ヨハネ、殺される

マタ 14:1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、

マタ 14:2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

マタ 14:3 実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。

マタ 14:4 ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

マタ 14:5 ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。

マタ 14:6 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。

マタ 14:7 それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。

マタ 14:8 すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。

マタ 14:9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、

マタ 14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

マタ 14:11 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。

マタ 14:12 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

◆五千人に食べ物を与える

マタ 14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。

マタ 14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。

マタ 14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

マタ 14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

マタ 14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

マタ 14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、

マタ 14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

マタ 14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

マタ 14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。