家庭礼拝 2015年2月4日マタイ8章18‐34弟子の覚悟
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起
今日の聖書の箇所には、奇跡物語が続いているそのちょうど真ん中に異質な話が入っています。それは「弟子の覚悟」と言う小見出しの出ている話です。前回は、思い皮膚病の人の癒し、そして次は百人隊長の僕を癒す話、続いて、ペトロの姑や悪霊に取りつかれた多くの病人の癒し、がありました。そしてこの「弟子の覚悟」の後では、嵐を静める奇跡、悪霊に取りつかれたガダラの人を癒す話、9章に入っても中風の人を癒す話と続きます。マタイによる福音書は、良く練られた計画的に話を展開している福音書です。その話の中に突然、間違えて紛れ込んだと言うのには不自然なこの話が入っているのです。とすると、この弟子の覚悟とされている、奇跡とは思えない個所が、実は奇跡的な事として、ここに納められているのかもしれません。これが奇跡だとすれば、一体どういう意味で奇跡なのでしょうか。ここには奇跡がいろいろ集められていますが、それらは同じような奇跡ではなくて、皆違った種類の奇跡なのです。この事によって、マタイはイエス様が、すべての奇跡をなさったと言いたかったのかもしれません。
ですが、ここでは一つの共通項があります。一見すると、いろいろな奇跡があり、病気や超自然的な嵐をしずめる奇跡や、凶暴な悪霊を追い出す奇跡などであり、奇跡だけが共通項のような気がしますが、もう一つは、全ては、人の心と身体の癒しであると言うことです。イエス様はいろいろな奇跡をしているように見えますが、その焦点は人々の心と身体の癒しにあったと言うことです。そのことに、心に留めながら今日の箇所を読んでいきたいと思います。
承
では、まず最初に、問題となる箇所の「弟子の覚悟」の部分です。ここの箇所は、イエス様の山上の説教が終わり、里に戻ってきたときに大勢の群集がイエス様についてきたので、多くの癒しを行われた場面です。イエス様たちの周りにはあまりにも多くの群集がいるために、イエス様たちはそれを避けて船で向こう岸に渡ろうとしました。その時です、ある律法学者がイエス様に近づいて、イエス様に従いたいと願い出たのです。18節19節です。
マタ 8:18 イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。
マタ 8:19 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
ここで、何が奇跡かと言う話がありますが、イエス様に敵対的であった、律法学者がイエス様に従いたい、あなたがおいでになるところなら、どこへでも従ってまいりますと言ったことが奇跡なのだと言う人もいます。確かに律法学者がイエス様に従うと言うことは、今までの地位や知識や環境をすべて捨てて従うと言うことですから、大変な事です。しかも今まで敵対的な考えを持っていたのだからその転向は想像以上のものだったでしょう。ですが、使徒たちも含めて、イエス様に従っている人たちは、それなりの多くの犠牲を払って従って来たのであって、これらもまた皆、奇跡であるともいえるかもしれません。ですが、何かまだ足りない気がします。これに対して、イエス様はこう答えられたのです。20節です。
マタ 8:20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
イエス様はこの言葉によって、イエス様に従うことの困難を言ったのです。イエス様はどこに行っても安心してゆっくり休むことはできないのだと言うことを言ったのです。ですから、イエス様に従うと言うことはそのような生活になるのだけれども、それに耐えられるか、と念を押しているのです。一時的な気持ちの高揚で、イエス様に従いたいと言っても、すぐに、挫折してしまうだろうと言うことです。その様な厳しい生活に、あなたは覚悟して、従ってくるか、とイエス様は問いかけたのです。話はここで終わっています。いったいどこに奇跡があるのだろうかと疑問に思ってしまいます。
もう一つ別の話があります。父の葬りの話です。21節と22節です。
マタ 8:21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
マタ 8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」
この話は、イエス様に従おうとしている弟子が、イエス様が船で向こう岸に行かれる前に、「まず、父を葬りに行かせてください」と言っているように思えます。ここで大事なのは、父を葬ると言うことが、この当時、いかにその息子にとって大きな義務であったかと言うことなのです。イエス様は、「そんなことは他の人に任せておきなさい。」と軽く言っているような気もするのですが、そうではないのです。父の葬りをしないと言うことは、その息子にとって、人にあらずと言われるほどの大きな罪なのです。あのヨセフ物語で知られている、ヨセフでさえも、その王のパロに、自分の父を葬らせてくださいと願って、葬りに行っています。ここで弟子がイエス様に言った言葉は、今ちょうど父が死んでしまったので、父を葬らせに行かせてください、と言っているように思えます。それが私たちの受け止め方なのです。ですが、ユダヤ人たちは違うのです。今でもユダヤ人は、「まず父を葬ってから、私の好きな道を行きます。」と言った言い方をするそうです。すなわち、この父はまだ死んでいないのです。弟子の一人が言った話も、まだ父は死んでいないのです。ですから、父が生きている間は父のために奉仕し、父が死んでから、あなたに従います、と言うことなのです。ですから、イエス様は言われたのです。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」イエス様は、今すぐイエス様に従うことの大切さを言われました。船はもう出てしまうのです。そしてその機会を失ったらその弟子は、二度とイエス様に従うことはできなくなるのです。ですから、死んだ者のためにではなく、あなたの命のために従いなさいと言ったのです。そして、古い考えに縛られている者達に、すなわち死んでいる者達に、自分たちの仲間を葬らせなさいと言ったのです。イエス様は、新しい命に今決意して飛び込みなさいと命じているのです。
この二つの話は何かを対比しています。父を葬りに行こうとしたのは既に弟子になっている人です。その弟子には今までの古い考えも家族も捨てて、私に従いなさいと積極的に従うことを命じています。もう一人の律法学者はまだ弟子ではありません。その人には、イエス様に従うことは、大変な困難があるけれども、それに耐える覚悟はありますかと言っているのです。この二人の前におかれた、イエス様のハードルは、とても大きかったのだと思います。ほかの弟子たちは、とても乗り越えて来れないのではないかと思ったのだと思います。この後の事は何も書かれていません。ですが、これが奇跡物語だとしたら、「それにもかかわらず、」二人はイエス様に従った、何もかも捨てて、何もかもを覚悟して、イエス様に従った、そこには大きな感動があったのだと思います。そして、その事がマタイにはイエス様の奇跡にしか見えなかったのではないでしょうか。それは決断させる奇跡です。古いものを脱ぎ捨てる奇跡です。心が新たにされた奇跡なのです。このことが暗黙の内に語られている奇跡だと思います。
転
次は、「嵐をしずめる」と言う小見出しのついた奇跡です。23節24節です。
マタ 8:23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
マタ 8:24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
イエス様は、群衆を逃れて向こう岸に行くために弟子たちと一緒に船に乗り込みました。すると、その時、湖に激しい嵐が起こりました。このガリラヤ湖は風の通り道になっていて、全くの晴天で、穏やかな日でさえも突然、突風が吹き荒れ、船がひっくり返るほどになるのです。このような突風の事は、他の箇所にもいくつか出てきますが、ガリラヤ湖の定番なのです。これは今でも起こっていることです。船は、その激しい嵐で、波に飲み込まれそうになりましたが、イエス様は眠っておられました。それほど疲れていたのです。山から下りてこられて、ずっと病人の癒しをし続けてきて、きっと寝る間もなかったのだと思います。ですから、このような嵐の中でさえも眠っていたのです。弟子たちは、ほとんど漁師ですから、このような嵐には慣れているはずなのですが、そのような弟子たちでさえ、恐れを抱きました。25節から27節です。
マタ 8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
マタ 8:26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
マタ 8:27 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
波は、船に打ち付けて、船の中まで入ってきたのだと思います。さすがの弟子たちも、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と主にすがりました。弟子たちは、イエス様に何を期待したのでしょうか。本当に嵐が静まることを期待したのでしょうか。イエス様は、船の艫(とも)すなわち後ろの平らなところに寝ていたのですが、寝たままで、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」と言いました。そして起き上がって、嵐と湖をお叱りになると、すっかり凪になった、と書かれています。ここでの奇跡は何でしょうか、文字通りに受け取れば、イエス様が嵐をも静めることが出来たと言うことです。弟子たちもそのように受け止めて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言って驚きました。
ここにはいくつかの信仰のポイントがあります。一つは弟子たちが恐れを抱いたときどうしたかです。弟子たちは恐れ不安になった時、自分たちの力だけで何とかしようとしたのではなく、イエス様に助けを求めたのです。「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めたのです。これは正しい信仰の姿勢です。私たちは、気がつかず、イエス様に助けを求めないで自分の力で何とかしようと思いがちだからです。不安になったらどんな時でも、イエス様に助けを求めていいのです。
もう一つのポイントは、怖がると言うことは信仰が薄いためであると言うことです。イエス様は恐れるなと言ったのではありません。そして、強い信仰を持ちなさいと言ったのでもありません。イエス様が言ったのは、イエス様と共に居るのに、なぜ怖がるのか、と言ったのです。私たちがイエス様と共に居るならば、怖がる理由はないのです。イエス様に委ねればいいのです。ですからイエス様は恐れる弟子たちに、信仰の薄い者達よ、と言ったのです。だがそれでもいいのです。私たちは弱いものです、恐れるものです、信仰の弱いものです、イエス様に叱られたとしても、イエス様助けてくださいと願い求めて、助けを得ることが出来るのです。
イエス様は、外見的には嵐をしずめました。ですが、内面的には弟子たちの恐れを静めたのではないでしょうか。いったいどちらが奇跡でしょうか。どちらも奇跡だろうと思います。ですが弟子たちはイエス様が嵐をしずめたことだけに気を取られていました。心の嵐が静められているのに気がつきませんでした。嵐が静まったので、心が静まったのか、心が静まったので嵐が静まったように思えたのかどちらかは分かりません。ですが、イエス様はそのどちらをも静めたのです。ここではイエス様は、恐れると言う心の病を取り除いたのです。
次に、三つめの奇跡は、「悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす」奇跡です。イエス様の船は嵐が過ぎて、向こう岸につきました。そこは異邦人の住む土地デカポリス地方でした。28節です。
マタ 8:28 イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
この箇所は、マルコによる福音書にもっと詳しく書いてあります。ですが、その記述は多少違っています。まずその向こう岸が、マタイではガダラとなっていますが、マルコではゲラサとなっています。どちらにしてもその場所がはっきりしているわけではありませんが、ゲラサは湖から大分遠いのでガダラではないかと言う説が有力です。ガダラの町は湖の南東10km位入ったところです。その途中に、悪霊に取りつかれた者が二人いたと書かれています。マルコでは一人です。ただその人は非常に凶暴で、誰もそのあたりの道を通れないほどであったと書かれています。そこにイエス様がやって来たのです。すると彼らは叫びました。29節から32節です。
マタ 8:29 突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
マタ 8:30 はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
マタ 8:31 そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
マタ 8:32 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
当時は、強い霊は弱い霊を滅ぼすことが出来ると信じられておりました。この悪霊はイエス様を見た瞬間に自分たちは滅ぼされると信じたのです。なぜならば、悪霊たちは、イエス様が神の子であると見抜いたからです。このようにイエス様を神の子とはっきりと証言しているのは悪霊だけなのです。人間たちはまだそのことに気づきませんでした。この悪霊たちは、「神の子、かまわないでくれ、我々を苦しめるのか」と言ったのです。そして滅ぼされるくらいなら、あの豚の中にでも入れてくれと願ったのです。イエス様はそれを許されて、「行け」と言うと豚の群れが皆崖を下って湖になだれ込み、水の中で死にました。
この土地には豚が放牧されていたのです。羊が羊飼いに導かれて放牧されているように、この辺一帯やギリシャ地方でも豚飼いというものがいて、豚を飼っていたのです。ユダヤ人は豚を汚れたものと思っていますから、この地方はまさに異邦人の土地なのです。イエス様の「行け」と言う言葉と共に豚たちは崖を降って湖になだれ込み死んでしまったので、豚飼いたちは驚き恐れたのです。そして急いで町の人々に知らせました。33節と34節です。
マタ 8:33 豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。
マタ 8:34 すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。
町からは大勢の人々がやってきました。町中のものが来たと書かれています。彼らの見たものは、悪霊を追い出されて、癒された狂人二人と、湖になだれ込んで死んでしまった豚たちです。彼らは、狂人がいやされて良かった、これでみんな平和に過ごせると思った人は誰もいませんでした。それよりも、豚と言う財産をこのイエスのために失ったと言う思いの方が強かったのです。それで、これ以上の損害が出ないように、この地方から出て行ってもらいたいと言ったのです。人々は皆自分の利益しか考えておらず、他人の命や運命がどうなろうと知ったことではなかったのです。ですがこの悪霊から癒された人は、マルコによる福音書では、デカポリス地方にイエス様の事を言い広めたと書かれています。これもまた、奇跡なのです。
結
イエス様は奇跡を起こす人です。どんなことの中にもその奇跡は隠されています。私たちが奇跡と分かる奇跡の他にも、気がつかないでいる奇跡もあるのです。この悪霊を追い出して癒してもらった人の話も確かに奇跡でしょう。ですが、それ以外にこの人たちがデカポリス地方全体にイエス様の事を言い広めたことも奇跡なのです。嵐を静めたことも奇跡でしょう、その一方で、心の嵐をしずめたことも奇跡なのです。律法学者や父の葬儀をしたかった人に起こったことも奇跡でしょう。ですが、その困難を知らされたにもかかわらず、イエス様に従った決断のほうが奇跡なのです。イエス様が共に居て下さると言うことは、奇跡の連続なのです。私たちはその奇跡を期待していいのです。「イエス様、助けてください」と祈る時、そこに何らかの奇跡が起こっているのです。そこには見える奇跡と見えない奇跡が同時に起こっていることを知らねばなりません。私たちは見えない奇跡にも心を止めなければなりません。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。今日はイエス様の奇跡についていろいろと教えられました。私たちはイエス様が大いなる力を持って臨まれる方であることをもっともっと信じてよいのかもしれません。イエス様が奇跡を起こしてくださることに希望をもってよいのかもしれません。ですが、どうかすべての事が神様の御心にかないますように。自分たちの利己的な思いを叶えようとして、奇跡を求めることがありませんように。ただ御心がなる事のみを望み願っていくことが出来ますように。神様の御心に委ね、そして希望を持って歩ませてください。どんなことがあっても、あなたを信じて歩むことが出来ますように。これこそが私たちの奇跡です。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:マタイによる福音書)>>
◆弟子の覚悟
マタ 8:18 イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。
マタ 8:19 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
マタ 8:20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
マタ 8:21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
マタ 8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」
◆嵐を静める
マタ 8:23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
マタ 8:24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
マタ 8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
マタ 8:26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
マタ 8:27 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
◆悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす
マタ 8:28 イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
マタ 8:29 突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
マタ 8:30 はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
マタ 8:31 そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
マタ 8:32 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
マタ 8:33 豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。
マタ 8:34 すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。